戸原様のHPより
http://www.y-tohara.com/index.html
http://www.y-tohara.com/himure-hachiman.html
気にかかる部分をPick up してみたが、実は全頁がすばらしいので、是非ページを訪れていただきたいです。
「第13代・成務天皇が、武内宿禰に命じて地主神・大嶋大神を祀らせたのが当社の始まり」
わが国最古態の神社は神奈備山に山の神を祀ったことに始まるという。
山上あるいは山中にあってカミが降臨するとされる巨岩・高木などを祭祀場として、マツリの都度、仮の社を建ててカミ祭をしていたと思われる。これを山宮・奥宮などという。
その後、村落の定着が進むにつれて山麓にも社(里宮)を建て、山上のカミを迎えて祀ることが始まり、それが常設化したのが今の神社だという。当社も又これに該当すると思われるが、由緒などに山宮・里宮創建を明記しているのは珍しい。
寛弘2年をもって現日牟礼八幡宮の創建とされているようだが、別伝では、天平年間(729~49)に朝廷が各国一社の八幡宮を定めたとき、神功皇后の誕生地と伝えるこの地に、応神天皇を主祭神として創建されたともいう。
ただ、天平年間創建とすれば、応神天皇を祀る社であるにもかかわらず、延喜式神名帳(927撰上)に載っていないのは不思議である。
その後、
「豊臣秀次が当地を領したとき、八幡宮に居城を築くために“上の八幡宮”を“麓の社”に合祀して日杉山に移すことを計画したが、秀次の死(1595)により立ち消えとなり、今のように一社のみになった」とある。この時、上の八幡宮はなくなったらしい。
◎大島神社--祭神:大国主命(オオクニヌシノミコト)・大鷦鷯命(オオサザキのミコト=仁徳天皇)
本殿右隣にある祠。
社頭の説明によれば
「八幡宮遷座以前の地主神と伝え、徳川時代までは大嶋大明神または両神と称した」
とあり、成務天皇が武内宿禰に祀らせたという大嶋大神がこれであろう。
平安時代の延喜式神名帳には、近江国蒲生郡内の式内社として『大嶋神社』が載っている。今、日牟礼八幡の北東・北津田町に鎮座する『大嶋奥津嶋神社』(オオシマオキツシマ神社)に比定され、「大嶋神社」と「奥津嶋神社」の2社が並び建っているという。本来は別々の社だったが、古く鎌倉時代以前から合祀されていたらしい。
大嶋神社の祭神はオオクニヌシで(かつては大嶋大明神だったのかもしれない)、日牟礼八幡と同じく“成務天皇の命をうけた武内宿禰によって勧請された”との伝承をもっている。
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「日牟礼八幡宮・末社の大島神社・北津田町の大嶋奥津嶋神社・沖ノ島の奥津嶋神社、相互に何らかの関係をもっているようだが、資料がなくはっきりしない。」ともあり、ガッカリなのであるが、大島文書222通の中にないものだろうか。。。。
『◎岩戸神社--祭神:橦賢木之御魂命・天疎向津姫命
本殿の左に鎮座する。社頭の説明では、
「往年、近江の人は毎年伊勢神宮に参詣していたが、それができない年の代参の社」
とある。祭神は、その読み・神格ともに不明だが、説明には
「真の御柱といって、神殿の柱を祭神とする伊勢信仰が生まれている」
とある。』
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この神様の名前のことを載せていらっしゃる方を発見。
『偲フ花』さん
https://omouhana.com/2018/04/19/%E6%92%9E%E8%B3%A2%E6%9C%A8%E5%8E%B3%E5%BE%A1%E9%AD%82%E5%A4%A9%E7%96%8E%E5%90%91%E6%B4%A5%E5%A7%AB%E5%91%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%9A%E6%96%8E%E7%8E%8B%E3%80%80%E7%95%AA%E5%A4%96/
橦賢木之御魂命天疎向津姫命 つきさかきいずのみたまあめさかるむかひつひめ
撞賢木厳之御魂天疎向津姫命は、神功皇后紀の仲哀9年3月、仲哀天皇に神託を下した神の名を、審神者である武内宿禰が問うたところ、その名が出て来ます。
撞賢木厳之御魂天疎向津姫は、一般には天照大神のことであり、その荒御魂であると解釈されています。
しかし富家の伝承では、出雲の太陽の女神を伊勢に移した斎王「大和姫」が、実は「向家(富家)」の出身であり、故に「向津姫」と呼ばれることもあったと伝えていました。
向津姫は大和姫のことだったのです。…とあります。
こちらのページにも解説があり、天照大神の 別名とあります。
このページは、アイヌ語・沖縄の伝承等幅広く研究されていらっしゃり、素晴らしい!です。
ape meru ko yan ko yan mat, una meru ko yan ko yan mat、
これは、覚えておかなくちゃ!
https://www.dai3gen.net/amasakar.htm
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皆さん、すごい熱量で書いていらっしゃいます!
もう一つ、私も前を通りかかった事のある神社さんのブログです。
https://ameblo.jp/shinkawa-koutai/entry-10596710004.html
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で、この長いお名前の「橦賢木之御魂命天疎向津姫命 つきさかきいずのみたまあめさかるむかひつひめ」という神様が「岩戸神社」の神様だったわけです。
面白い~!
この小さな岩戸神社が大きく見えます。
いつも境内にある小さな神社の方には関心を持つことも少なかったのですが、そこにこそ、歴史が宿っているような気もしてきました。
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大島神社・日牟禮神社
そして大嶋奥津島神社・奥津島神社
其々、地図を見ると関係がありそうなほど直線ラインに並んでいます。(実際には神社の場所が特定できていないので、直線とはいえないかも??)次の記事でアップします。
ますます宗像氏=和邇氏になってきました。
仁徳天皇は佐々木宮あたりに住んでいたのではないか?という説もある様です。
沖島に市寸島比売命(いちきしまひめ)が祀られておりました。
これで、日牟禮八幡宮ー大島奥津嶋ー沖島の厳島神社で直線です。
日牟礼八幡宮が辺津宮ですね。
大島神社--祭神:大国主命(オオクニヌシノミコト)・大鷦鷯命(オオサザキのミコト=仁徳天皇)には驚きました。仁徳天皇は応神天皇の子ですから、応神天皇は大国主の子という伝承は正しかったようです(^_-)-☆
岩戸神社がここですから、これまた日食と卑弥呼を関係づけるものでしょう。
どうもありがとうございました。