千葉胤正の娘の嫁いだ先は「小山氏」または「結城氏」と思われる。
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/341870c7dfc3d7691360e24060824c70
1228年と思われる。
https://blog.goo.ne.jp/sakahashi-sakabashi/e/51c9595ebbe9632c515d9a253dc27796
↑ 【公暁 鎌倉殿になり損ねた男】 矢代 仁 著作
(ご指摘ありがとうございます!)
深栖光重の息が「伊勢守光定(貞)」であり、その娘が波多野義職の母となった。(波多野義通の妻)
となると、この義職の息が「義定」となり、孫が「義典」となる。
その義典が「公暁」と共に育った可能性があるという。
昔の本にあったひとつの説ではあるが「富木常忍は『土岐国房の孫』にあたる。」とあった。
「光重」は国房の孫であり、上記の深栖氏はその系となる。
web版【松田家の歴史】によると、
「義通の妻の一人が伊勢守光定の女(義職の母)だった関係でその子孫が伊勢神宮禰宜の荒木田・大中臣の両氏と結びついている。」とある。
波多野義職ー宇治義定(竹泉筑後守俊通の養子俊職となる=波多野三郎)ー白河義典
群書系図部集には、この宇治義定の兄に「藤原秀能」がいる。
つまり義職の息であることになっている。
秀能の母親は「下毛野敦秀」の娘であるとなっている。(一説には土岐光基娘とあったはずだが)
秀宗の養子となった秀能ではあるが、この松田家の系図にしっかりと入っていた。
以前は首藤秀能と書かれた文書もあった。同族ではある。
ともかく、秀郷流の中にいる人物であることは確かである。
大中臣能親が登場し、能親は一条持明院流である様だ。
伊香郡今西庄とも繋がり、真野宗明にも関係が出てくる。
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/51dadc69fd4f1b67e2969f8fe3756aa4
三左衛門事件の中原政経! 一条能保の(一条家の)家司である。
中原政経や中原基兼のことがもっと知りたい!!
===*===
九乗氏が和歌山田辺市にいらっしゃることがわかり調べてみると「野長瀬氏」がいる場所と一致?のようである。
web情報によると。
「近野神社及び継桜王子へ奉納される獅子舞で昭和46年に県無形文化財に指定されています。
南北朝時代の初期、近露の野長瀬一族が大塔宮護良親王の御軍に参じた時の出陣の舞で、以来600年郷土の平安を願って舞を演じ継がれています。」
その前にいた場所は、は奈良県五條市大塔町辻堂付近ということだ。そこに「野長瀬」という地名があったようなのだが、見いだせなかった。
ところで、藤姓足利氏の庶流であり、また和田氏の庶流の血を引くと言われる藤原秀康がなぜ京都で重用されることになったのか、何かご存知でしょうか?先祖の大屋「美濃守」秀忠あたりに理由がありそうですが。
大変失礼いたしました!!!
確かに購入はいたしておりますが、
つい二日前、著作権について学ぶ機会があり、このブログがいかにいい加減かにショックを受けていた所です。
直ぐに著作名・著者名を入れたいと思いますが、此の記事自体にどこかご不快な点、他の記事にもご不快な点があれば、取り下げる事もかまいませんので、お伝えいただけますと有難いです。
自分の先祖を探すために思いついたこと…頭の中の軌跡を後の方が辿れるようブログを書いているだけですので、秀康がなぜ要職に付けたのか‥‥までは気が回っておりませんでした。
源頼政の邸宅のお隣か同じ敷地内に藤原秀康の子孫のお宅があったように記憶しております。(そのことが関係あるかどうかは?ですが)
また、思い出しましたら、記事にしておきます。
わが先祖にも関係があるかもしれませんので。
白川(河)氏に関しましても、貴著作の中に記載がありましたこと、大変うれしく思っておりました。
幾つか質問も読書後にはあったのですが、今は忘れてしまいました。
今本を出してまいりましたので、もう一度読みまして、質問させていただけますと嬉しいのですが…
ブログ左にメッセージ欄をこれから設けます。
もしもお嫌でないようでしたら、鎌倉時代のこと、教えていただけますと有難いです。
確かに東国に中原久経・中原経久(九里の祖)がいたはずですので。中原経久=九里太郎蓮忍入道=富木蓮忍・富木常忍。
常忍は日蓮の支援者でした。
この周辺、探しております。
この度は、失礼いたしました!!
私もそんなに詳しい専門家というわけではないのですが、お答えできる範囲でしたら努力します。
この本を購入して本当に良かったと思っているのは、視点が新しく、今まで注目されていなかった人物にも光が当たっている点でした。
とても刺激的、いろいろと考えさせられました。
応援いたします!
そして、質問。
白河義典 摂津源氏の説面白いですし、私も可能性を感じます。
深栖と源頼政も近い関係なもので、なおさらそのような感じがします。
この方、白河局(土岐光衡の妻)とは関係ないでしょうか?
これから外出なので、帰宅しましたら、ゆっくり書きます。
出来れば、メールの方がどんどん人の目を気にせずに踏み込めるので、ありがたいのですが、、、、
深栖の家系を見直す研究論文を見つけました。知識不足なので、このような説もあるのかとしか言えません。
菊大路本『清和源氏系図』覚書 佐々木紀一
深栖氏系図再考 佐々木紀一
いずれもインターネットで入手可能です。
既に御存知でしたら御容赦ください。
今ちょうど波多野氏をしらべており、深栖氏の情報有難いです。この論文は全く知りませんでした。
早速読んでみます。
昨夜見つけた情報です。
小野良實が大江良實を名乗っていたようで、その小野良實の「落衣長者屋敷」があった場所が「寒河江」なのです。面白い情報と思いましたので、シャアしたいと思います!
https://zyousai.sakura.ne.jp/mysite1/sagae/otomo.html