上野清信という人物が、上野紀伊守豪為=桜本坊豪為であったかもしれない。
というのも、父の上野信孝が、以下のように書かれていた。
「信孝が幕府内に大きな発言力を持つようになるのは、13代将軍足利義輝の時代になってからである。度重なる義晴・義輝の近江動座に随行したことで義輝やその生母である慶寿院から信用を得たのではないか、と推測している[1]。」[1]は 木下昌規「総論 足利義輝政権の研究」木下昌規 編『シリーズ・室町幕府の研究 第四巻 足利義輝』(戎光祥出版、2018年)
信孝は1563年に歿しているため、其の跡は息清信に渡ったのではないだろうか?
ただ、紀伊守とは書かれていなかったので、別人の可能性もあると思う。
この桜本坊という場所のほうは、たぶん吉野の‥‥と思われるのだが、如何であろうか。