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1169年の久利文書 鎌倉時代が抜けていて 1336年久利家文書が再び出てくる。(9)長田実経(広経)・紀実経・菖蒲実経 の 周辺

2021-12-19 | 九里バラバラ情報

因幡国のことに移ってきたが、

因幡守大江広元の目代が大井実春であったそうである。

そこに大井実春の父である「紀実直」が登場する。

この実直、源仲政の養子?なのかもしれない。 紀氏と頼政周辺は密な関係である。石清水池田氏との関係など。
「在地領主品川氏は東国武士としては希な紀氏系の大井氏の一族で、京都と密接 ... 大井光三氏所蔵「大井系図」は実直について「源仲政為子」と記しており、・・・」とあるそうで、とても気になっている。

そこから、紀氏のルーツさんからいただいた情報をプラスする。

紀実直の後裔 伊坂氏 大井氏流
潮田氏 武内宿禰の裔 紀氏大井氏族
橘樹郡潮田より出る(現:横浜市鶴見区)

・紀實直──┌紀實高(潮田五郎左衛門を称する)
          
・大井實春─└潮田五郎實元→潮田實清→潮田三郎清景→潮田幹景

      
大井氏 紀氏 大井荏原郡品川

  紀実春→大井三二左衛門

品川氏 武内宿禰 紀氏大井氏後裔

實直→大井清實(大井實春の弟=品川三郎)→品川太郎實光→

品川實員→品川信實紀 実直因幡国の大井実春、実経=紀氏であることは確実であるとする。
http://deepazabu.blogspot.com/2013/03/blog-post_17.
https://ameblo.jp/macross-vf1j/entry-12649493112.html
【了海上人の祖父に当たる人物とも云われるが紀実経こそ菖蒲実経ではないだろうか?】とある。
私も同感なのである。紀実経=菖蒲実経と仮定して進める。

http://yakiniku-yaoki.com/matsudake-kouhen.pdf

 

藤原実時、菖蒲実時、
藤原実高、菖蒲三男実高、

菖蒲実
(真盛)(?1225)五郎実盛、五郎真盛、菖蒲四郎実盛、長野三郎、

父:菖蒲実経/遠義石見美乃知・黒谷新補地頭
1221年、宇治橋の合戦で負傷した。 (吾妻鏡)
石見美乃知・黒谷新補地頭、黒谷横山城築城
(島根県益田市柏原)


1222
年、石見国美濃地・黒谷郷地頭―島根・大田=石見松田(島根県西部)
承久の乱での勲功の賞として与えられたものである。


菖蒲五郎実盛自関東所給預也
但於未知福地地頭職者、雖被載于御下文、
先度他人給之事、可令存其旨之状如件。

貞応元年(
1222九月十八日
武蔵守 平判(北条泰時)

相模守 平判(北条時房) (萩閥益田家文書)


菖蒲実経、
(波多野実経)菖蒲実盛と兄弟? 父:遠義、
菖蒲実基、父:実盛、長野三郎、石見国長野庄に住んだ、

1222
、承久の乱後、石見国長野荘内美野地・黒谷を賜った。
菖蒲家信、父:実経、

波多野・松田氏の流れであり、藤原秀郷流である。

⭐️紀実経=菖蒲実経=波多野実経 となる。
この藤原秀郷流の中に「鎌田政清」がいて、その息鎌田光政が牛若丸に出生の秘密を告げる役目をしているのである。
更にその政清の妻が長田忠致の娘であり、あの悲惨な義朝の最後のために自害するのである。つまり、この藤原秀郷流の中に長田氏は入り込んでいたことになる。
私の感じでは「紀実経」は「長田実経」でもある。真実がどのようになっているのかは、まだわからないけれど、長田実経も紀氏であったのではないかという可能性が出てきたかもしれない。

 

 

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