何としてもマイナンバーカードを普及させたい政府は、健康保険証を廃止して同カードに一元化するという奇策を思いついたようです。病院の窓口にて健康保険証を提示しませんと、保険の適用を受けることができず、医療費が全額負担となってしまいますので、マイナンバーカードの取得は事実上の義務化とみなされています。政府にとりましては妙案であったのでしょうが、国民からは強い反発を受けているようです。
現行健康保険証については使い回しといった不正使用の事例は後を絶たず、不正防止の観点からは顔写真付きのマイナンバーカードの利用には利点がありましょう。しかしながら、反対の大合唱が起きた背景には、日本国政府に対する根強い不信感があるようです。ゆくゆくは免許証もマイナンバーカードに一本化されるそうですが、国民の多くは、身分証明書を常に携帯しなければならない状況に至ることを深く懸念しているのでしょう。セキュリティーの問題もあるのですが、同マイナンバー構想からデジタル全体主義体制の全容がおぼろげながら浮かんでくるのです。
デジタル全体主義の先例は、一党独裁国家である中国に見出すことができます。中国では、先端的なITを駆使することで、凡そ全国民の個人情報を政府が収集し、国民を監視下に置いています。一方、日本国は自由主義国であったのですが、マイナンバーカードは、自由な社会をデジタル監視社会へと転換させる切り札となり得るのです。身分証明書の役割を果たすのですから、誰もが外出等の際に携帯しなければならなくなるからです(将来的には、カードからスマートフォンへの移行やマイクロチップの生体埋め込みなども懸念されている・・・)。
その手始めが健康保険証との統合であるのは、個々人の身体に関する情報やデータを把握できるからかもしれません。今年の8月には、岸田首相とWHOのテドロス事務局長は日本国内に新たな組織を設けることで合意しており、先日も、モデル社が日本国にmRNAワクチンの治験拠点を設ける方針を明らかにしています。極めて高いワクチン接種率からしますと、日本国ほど、国民が従順(同調圧力に弱い?)で治験に適した国はないと判断されたのかもしれません。国民一人一人の病歴や治療歴等に関する情報が収集できれば、新たなワクチンや治療法、並びに、新薬の開発に役立つ膨大な基礎的データが、政府や民間企業に提供されることになるからです。
医療の発展への貢献という美名が纏わされるのでしょうが、マイナンバー・システムによって自らの身体に関するデータが収集される側からしますと、人体実験の被験者にされている、あるいは、モルモットにされているようで気持ちのよいものではありません。むしろ、自らの命や身体に関わる情報なのですから、基本的人権やプライバシーの侵害として受け止める国民も多いはずです。仮に、データが悪用されるようなことでもあれば、命の危険に晒されるのですから(例えば、アレルギーに関する情報が漏れると、意図的にアナフィラキシーを起こすこともできる・・・)。政府による身体情報の掌握とは、国民に対する生殺与奪の権を政府が握ることをも意味しかねませんし、民間企業にあっても、必ずしも同情報が人類の健康増進のために生かされるとは限らないのです(mRNAワクチンも有毒性が問題視されている・・・)。
そして、国民の個人情報が政府や一部の民間企業によって悪用されるリスクは、日に日に増してゆく一方です。河野太郎デジタル相は、自らのブログに対して批判的な人をブロックすることで知られていますが、同大臣の手法が政府全体に広がるとしますと、マイナンバー・システムも、やがては中国のように政府批判排除、あるいは、抑圧システムとして機能するかもしれません。マイナンバーカード普及の行く先にはディストピアしか描けないからこそ、国民の多くは、同カードへの個人情報の一元化を警戒し、反発しているのでしょう。
岸田政権に対する支持率の急落は、日本国政府、否、全ての政治家並びに政党に対する国民の不信感の現れでもあります。政府とは、必ずしも国民のために統治機能を提供する誠実で善良な存在とは言いがたく、むしろ、私欲や私益のため、あるいは、‘上部からの指令’を実現するためには国民の命をも軽視する冷酷な本性を現わしているのですから無理もありません(もはや政党というよりは悪党では・・・)。今や、政界は、国民にとりましては感染症にも優る危険な存在であり、目を離すとありとあらゆる悪事に手を染めそうなのです。世界平和統一家庭連合(元統一教会)といったカルト教団や利権団体との関係、さらには、世界権力の代理人化は、政界が密室であるからこそ起きた問題なのです。
このように考えますと、マイナンバーカードの先に見え隠れするディストピアの実現を防ぐには、政界全体を国民が監視するシステムこそ必要なのではないでしょうか。真に監視されるべきは、国民ではなく、政界なのではないかと思うのです。