ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官と言えば、ニクソン政権時代に米中国交正常化への道筋を付けた政治家として知られています。93歳の高齢ながら今日なおも隠然たる影響力をホワイトハウスに及ぼしており、外交顧問として迎えているトランプ大統領もその例外ではありません。
そのキッシンジャー氏ですが、最近、ネット上でキッシンジャー氏は筋金入りの日本嫌いとの説を目にしました。その理由は、田中角栄政権による日中国交正常化にあり、“アメリカを出し抜いた日本国は裏切り者である”とする認識があるそうなのです。しかしながらこの日本嫌いの理由、あまりにも支離滅裂なように思えます。
第1に、アメリカの同盟国であって、同国に先んじて中国と国交を正常化したのは、日本が最初の国ではありません。1949年10月の建国から僅か半年あまりを経た翌50年の1月には、イギリスが西側諸国として初めて中華人民共和国を国家承認しています。フランスも1964年には承認に踏み切っておりますので、国交正常化を理由に日本ばかりが“裏切り者”扱いされるのでは筋が通りません。
第2に、キシンジャー氏は、日本国があたかもアメリカの頭越しで中国と交渉を開始したかのようにみなしていますが、1972年の日中国交正常化に先立つ1970年頃には、中ソ関係が対立への転換したことを背景に、米中関係も水面下で改善が模索されていました。この時期、カナダ(10月)やイタリア(12月)も、中国との関係を正常化させています。1971年3月には、キッシンジャー氏自身が大統領補佐官の肩書でニクソン大統領の密使として北京を訪問しており、日中国交正常化が同氏にとって“青天の霹靂”であったはずもないのです。同年7月15日のニクソン大統領の訪中が、米ドルの金兌換の停止と並んで“ニクソンショック”と呼ばれたように、アメリカの対中政策の転換に驚いたのは、日本国政府の方であったかもしれません。
第3に、当時、将来的には、同氏は、日米同盟の解消を前提とした米中同盟さえ想定していた節があるそうです。しかしながら、この構想も、アメリカの主敵がソ連邦であったことを思い起こしますと、奇妙と言わざるを得ません。何故ならば、キッシンジャー氏自身が、敵の敵は味方の論理で現実主義に徹し、米中国交正常化に向けて動き出していた時期なのですから、対ソ戦略を最優先とすれば、日米中の多国間同盟を提案するほうが合理的であるからです。キッシンジャー氏が対ロ戦略として中国に接近していたのなら、日米中でロシアを牽制した方が効果的であり、日中国交正常化は、むしろ歓迎すべきシナリオであったのではないでしょうか。また、仮に、キッシンジャー氏の言うとおりに、米中が手を結んで日本国を敵視した場合、当然に日ソ接近の可能性は高まります。当時の中国の脆弱な軍事力と日本国の経済力を考えれば、”日ソ同盟”の出現は、米国にとりましては不利であったはずでなのです。
以上の諸点からしますと、キッシンジャー氏の日本嫌いの理由は矛盾に満ちています。となりますと、同氏の語る理由は後付けに過ぎず、真の要因は、別のところにあると推測されます。その理由を特定することは困難ですが、ナチス支配を逃れてドイツからアメリカに移住した経歴からしますと、私怨による日本嫌いである可能性もありますし、また、キッシンジャー氏の背後には、国際情勢の全般的なコントロール、あるいは、中国利権に関連した何らかの勢力の思惑があったのかもしれません。キッシンジャー氏の日本嫌い、否、中国贔屓の真の理由の探求こそ、今日のチャイナ・リスクの起源を解明する鍵が潜んでいるようにも思えるのです。
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そのキッシンジャー氏ですが、最近、ネット上でキッシンジャー氏は筋金入りの日本嫌いとの説を目にしました。その理由は、田中角栄政権による日中国交正常化にあり、“アメリカを出し抜いた日本国は裏切り者である”とする認識があるそうなのです。しかしながらこの日本嫌いの理由、あまりにも支離滅裂なように思えます。
第1に、アメリカの同盟国であって、同国に先んじて中国と国交を正常化したのは、日本が最初の国ではありません。1949年10月の建国から僅か半年あまりを経た翌50年の1月には、イギリスが西側諸国として初めて中華人民共和国を国家承認しています。フランスも1964年には承認に踏み切っておりますので、国交正常化を理由に日本ばかりが“裏切り者”扱いされるのでは筋が通りません。
第2に、キシンジャー氏は、日本国があたかもアメリカの頭越しで中国と交渉を開始したかのようにみなしていますが、1972年の日中国交正常化に先立つ1970年頃には、中ソ関係が対立への転換したことを背景に、米中関係も水面下で改善が模索されていました。この時期、カナダ(10月)やイタリア(12月)も、中国との関係を正常化させています。1971年3月には、キッシンジャー氏自身が大統領補佐官の肩書でニクソン大統領の密使として北京を訪問しており、日中国交正常化が同氏にとって“青天の霹靂”であったはずもないのです。同年7月15日のニクソン大統領の訪中が、米ドルの金兌換の停止と並んで“ニクソンショック”と呼ばれたように、アメリカの対中政策の転換に驚いたのは、日本国政府の方であったかもしれません。
第3に、当時、将来的には、同氏は、日米同盟の解消を前提とした米中同盟さえ想定していた節があるそうです。しかしながら、この構想も、アメリカの主敵がソ連邦であったことを思い起こしますと、奇妙と言わざるを得ません。何故ならば、キッシンジャー氏自身が、敵の敵は味方の論理で現実主義に徹し、米中国交正常化に向けて動き出していた時期なのですから、対ソ戦略を最優先とすれば、日米中の多国間同盟を提案するほうが合理的であるからです。キッシンジャー氏が対ロ戦略として中国に接近していたのなら、日米中でロシアを牽制した方が効果的であり、日中国交正常化は、むしろ歓迎すべきシナリオであったのではないでしょうか。また、仮に、キッシンジャー氏の言うとおりに、米中が手を結んで日本国を敵視した場合、当然に日ソ接近の可能性は高まります。当時の中国の脆弱な軍事力と日本国の経済力を考えれば、”日ソ同盟”の出現は、米国にとりましては不利であったはずでなのです。
以上の諸点からしますと、キッシンジャー氏の日本嫌いの理由は矛盾に満ちています。となりますと、同氏の語る理由は後付けに過ぎず、真の要因は、別のところにあると推測されます。その理由を特定することは困難ですが、ナチス支配を逃れてドイツからアメリカに移住した経歴からしますと、私怨による日本嫌いである可能性もありますし、また、キッシンジャー氏の背後には、国際情勢の全般的なコントロール、あるいは、中国利権に関連した何らかの勢力の思惑があったのかもしれません。キッシンジャー氏の日本嫌い、否、中国贔屓の真の理由の探求こそ、今日のチャイナ・リスクの起源を解明する鍵が潜んでいるようにも思えるのです。
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ブレジンスキーの単独覇権は覇権国家の破滅をもたらす。米ソ対立のような二項対立は世界大戦の可能性がある。トライアングル構造が一番、安定ということです。米中ロぐらいしか、まともな軍事力はないでしょう?
だからトランプ氏はハンブルグでプーチン氏と二時間半も会談したのでしょう?外交的成功で支持率回復を狙った安倍さんは、トランプさんにもプーチンさんにも軽くあしらわれた。習さんのみがちょっと、まともに付き合ってくれた。傷心でエストニア訪問を打ち切って帰国。ま、非礼な人です。
ソ連をやっつけるために米中国交回復をしたのじゃないです。中国を一極に育てるためです。それは成功した。
ま、彼は世界運営を考えている。大物です。
キッシンジヤーは、ユダヤ系ドイツ人で、反ユダヤ政策を嫌ってアメリカに移住し、その後帰化されています。
名無し様のおっしゃる、均衡論者、とは違うのではないでしょうか?
ユダヤ、が出て来たことで名無し様の論理は崩れたのではないですか?
先ほど掲載いたしました返信のタイトルにおきまして、ミスによりTaeさまの”さま”が抜けてしまった宛名となりましたので、再掲載いたします。まことに失礼な表記となりましたこと、心よりお詫び申し上げます。
ジョージ・オーウェルの『1984年』をご存知でしょうか。この小説では、世界は軍事独裁国家の3大国によって支配されておりますが、その実、この3国は、まさしく勢力均衡に基づいて離合集散を繰り返しつつ、その裏で手を結び、人類を”家畜化”しているのです。ユダヤ勢力による支配とは、自らが表に出るのではなく、軍事独裁国家を陰から育てることで、人類全体を支配する手法であると想定いたしますと、”勢力均衡に見せかけたユダヤ勢力による世界支配と”いうシナリオもあり得るのではないかと考えております。
入力ミスは、誰にでも有ることですから、気になさらないで下さい!
実は、私の方こそ先生にお詫びしなければならないのです。
棒ブロガー様に紹介された先生の記事が削除されていると伝えましたが、私の勘違いだったようです。
先生に、ご不快な思いをさせたことに対し心から反省しております。申し訳ございませんでした。
これを期に、先生のブログへのコメントは控えさせて頂きます。
本ブログへのコメントをお控えになるとのお話でございますが、今後とも、拙稿に対しまして、何かしら意見を申したくなる場合もあるのではないかと存じます。どうぞご自分をお縛りになることなく、今後とも、忌憚なきご意見をお聞かせくださいましたならば幸いでございます。