万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ノーベル平和賞で懸念される抑止力の否定

2024年10月14日 12時12分46秒 | 国際政治
 今年、2024年のノーベル平和賞は、戦後、凄惨を極めた原爆被害の経験を語り続け、核兵器廃絶を訴えてきた「日本原水爆被害者団体協議会」におくられることが決定されました。被爆体験を多くの人々に広く伝え、核兵器の非人道性を知らしめたという意味において、平和への貢献として高く評価されたのでしょう。その一方で、同団体は左翼系の核廃絶運動に携わる団体の一つでもありましたので、既に日本国の政治にも影響が出てきているようです。核禁止条約へのオブザーバー参加、あるいは、加盟が取り沙汰されるようになったからです。

 ノルウェーのノーベル賞委員会の受賞者選定は、かねてより政治色が強いとする指摘を受けてきました。その政治色の一つが核廃絶運動に対する傾斜であり、これまでも、2009年にはプラハでの「核なき世界演説」で核廃絶を訴えたオバマ元米大統領が、また、2017年には、核兵器禁止条約の成立に向けて活動してきたICANが受賞しています。今年の「日本原水爆被害者団体協議会」にも、同委員会の核廃絶に対する強い思い入れが伺えます。しかしながら、その一方で、北朝鮮の核保有をはじめ、NPT体制の弊害が顕著となる今日、核の放棄は最大の抑止力の放棄でもありますので、核兵器禁止条約への対応は、国民の命の問題とも直結していますので、正直に申しまして複雑な心境にもなります。

 報道に因りますと、核兵器禁止条約へのオブザーバー参加については、立憲民主党、国民民主党、日本維新の会など、野党が揃って賛成の立場にあるのに加え、連立与党の公明党も参加を要請しています。日本共産党、れいわ新撰組、並びに、社民党に至っては、オブザーバーの資格では満足せず、同条約への正式加盟を主張する程です。この流れを受けてか、先の自民党の総裁選挙ではアメリカとの意思共有まで踏み込む「核シェアリング」に言及していた石破首相も、オブザーバー参加については‘よく議論’すると述べ、他の政党への歩み寄りを見せているのです。自民党までも、核禁止条約に対して前向きな姿勢を示したのは、おそらくは、ノーベル賞をも牛耳る政権権力の圧力が想定されるのですが、何れにしましても、日本国内では、自国団体のノーベル平和賞の受賞が、むしろ、安全保障上の不安定性、即ち、平和への懸念を齎しているという皮肉な状況にあるのです。

 核の抑止力の重要性を無視できない理由は、核の使用を抑止する方法は、現在にあっては核しか存在しない、という厳しい現実にあります。それが指向性エネルギー兵器等を用いたものであれ、完璧なるミサイル防衛技術が確立されれば、核は自ずと無力化することでしょう。しかしながら、現時点では、同システムは核攻撃を防ぐに十分なレベルに達しておらず、最も効果的な抑止手段は、核の保有と言わざるを得ないのです。

 実際に、核兵器の抑止効果は歴史が証明しています。冷戦期にあっては、相互確証破壊の論理が示すように米ソ間の対立は核の均衡によって超大国間の熱戦には至りませんでした。また、核保有の手段が国際社会に対する卑怯極まる‘騙し’であったとは言え、北朝鮮は、核を保有することでアメリカを対話路線に転換させています。同国の核保有は、朝鮮戦争の再開、及び、軍事力による核の排除という選択肢をアメリカから奪っており、小国による大国に対する核の抑止力の有効性を示す前例ともなったのです。今後のイスラエル・イラン間の関係も、イランの核保有の有無によって違ってくることでしょう(同時に、両国に対する世界権力の影響力を測る機会ともなる・・・)。

 そして逆から見ますと、核の抑止力を持たない非核保有国は、核保有国から攻撃を受けやすい脆弱な立場にあることとなります。実際に、ウクライナがロシアから軍事介入を受けたのも、「ブダベスト覚書」による核放棄が原因しているとも指摘されています。また、核保有の非対称性からすれば、日本国がアメリカから原子爆弾を投下されたのも、第二次世界大戦末期の核兵器開発競争においてアメリカに先を越され、日本国が核を保有していなかったから、という見方も成り立ちましょう。仮に、先に核武装していれば、広島や長崎の悲劇を回避できた可能性もないわけではなかったのです。

 この点に鑑みますと、ノーベル平和賞を受賞する「日本原水爆被害者団体協議会」が核の抑止力まで否定しているとなりますと、過去にあって手にできなかった被爆回避手段を、今日、手にする機会がありながらもそれを否定するということにもなります。被爆体験があまりにも過酷であったために過去に囚われすぎてしまい、現在のそして未来の日本国民の命を護ることを忘れてしまっているのかもしれません。言い換えますと、それが無意識、あるいは、善意からではあれ、NPT体制下における横暴な軍事大国や悪徳国家による核の独占を擁護し、中小国を無防備な状態に放置することに貢献しているようにも見えてもくるのです。理想によってリスクに目を瞑らされるよりも、「日本原水爆被害者団体協議会」のノーベル平和賞受賞は、むしろ、現実に即した対応の議論を開始する機会とすべきではないかと思うのです。

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