平清盛サクセスストーリー12年NHK大河(日刊スポーツ) - goo ニュース
祇園精舎の鐘の声・・・で始まる『平家物語』は、日本人に、一つの重要な教訓を伝えてきました。それは、盛者必衰の理であり、奢れる人は永久には栄えることはできない、ということです。
来年の大河ドラマでは、平清盛を主人公にとりあげ、プロデューサーは、清盛を、停滞期を打破して変革期を生き抜いたヒーローとして描き、悪のイメージを一掃したいようです。しかしながら、清盛の敷いた体制が、強権的な弾圧体制であり(”かむろ”と呼ばれ童を市中に配置し、密告・監視制度まで設けた・・・)、”平家にあらずんば、人にあらず”と評されたように、常軌を逸したネポチズムと権力独占であったことを考えますと、清盛礼賛には、違和感があります。しかも、日宋貿易で巨万の富を得た清盛が、朝廷をも牛耳り、当時の人々からも、国を危うくする者として眉を顰められていました。私利私欲で国家を私物化した清盛は、ヒーローとはほど遠い存在であるとしか言いようがないのです。
平家の世が続いていたとしましたら、そら恐ろしい限りです。強欲な平家一門が壇ノ浦で滅んだことで、ようやく、『平家物語』は、人々の涙を誘い、権力を専横する者を戒め、世の理を諭すようになるのです。奢れる人は久しからず・・・NHKもまた、傲慢なことにも世の理に逆らおうとしているのですから、やがて滅びる運命にあるのかもしれません。
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当時の状況につきましては、姉の倉西裕子が『吉備大臣入唐絵巻―知られざる古代・中世一千年史』に詳しく論じていますので、参考になさってくださいませ。
祇園精舎の鐘の声・・・で始まる『平家物語』は、日本人に、一つの重要な教訓を伝えてきました。それは、盛者必衰の理であり、奢れる人は永久には栄えることはできない、ということです。
来年の大河ドラマでは、平清盛を主人公にとりあげ、プロデューサーは、清盛を、停滞期を打破して変革期を生き抜いたヒーローとして描き、悪のイメージを一掃したいようです。しかしながら、清盛の敷いた体制が、強権的な弾圧体制であり(”かむろ”と呼ばれ童を市中に配置し、密告・監視制度まで設けた・・・)、”平家にあらずんば、人にあらず”と評されたように、常軌を逸したネポチズムと権力独占であったことを考えますと、清盛礼賛には、違和感があります。しかも、日宋貿易で巨万の富を得た清盛が、朝廷をも牛耳り、当時の人々からも、国を危うくする者として眉を顰められていました。私利私欲で国家を私物化した清盛は、ヒーローとはほど遠い存在であるとしか言いようがないのです。
平家の世が続いていたとしましたら、そら恐ろしい限りです。強欲な平家一門が壇ノ浦で滅んだことで、ようやく、『平家物語』は、人々の涙を誘い、権力を専横する者を戒め、世の理を諭すようになるのです。奢れる人は久しからず・・・NHKもまた、傲慢なことにも世の理に逆らおうとしているのですから、やがて滅びる運命にあるのかもしれません。
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海洋に地盤があった平氏が陸上勢力の源氏に負けたことは、わが国を島国のローカル国家にした。
草原と言う、言わば、陸の中の海を支配したモンゴル帝国が大帝国になったように、仮に、海洋勢力が勝利していたら、日本は海洋の大帝国になっていただろう。アメリカ大陸は日本のものになっていただろうと思われる。
ついでに言えば、奢っても、奢らなくても、いずれ滅亡する。
なお、『平家物語』は、教訓書でもあり、日本人は、この書物から、”権力を私物化してはならない”、”奢ってはならない”、といった基本的な倫理観を学ぶのです。この倫理観こそが、非道な独裁者が登場することを抑え、政治を安定させる要素として働いてきたのではないでしょうか。
小生、通常ニュース、BS国際ニュース、一部スポーツ番組、同外国音楽番組しか見ず、民放はでレベルで原則として見るに値しません。
新聞はY紙一紙だけで、あとはネット。ロイターやブルームバーグはいいですね。つまり外国系メディアのネットはいいですが、本ブログサイトも含めネットは既存メディアに比べてどうしても質が落ちます。
したがってNHKは消去法でまだ存在感があると思うし小生の生きている間はそうなんでしょう。良くも悪くも日本語の壁が「お役所NHK」を存続させています。
NHKも仕分けと組織再編の対象にすべきなのではないかと、思うのです。娯楽など、民放とバッティングする分野は民放に任せ、NHKは、国民の知るべき情報の提供や教育・教養番組に特化すれば、受信料も定額で済みますし、民放と棲み分けることができます。
マスコミには幅広い情報収集の手段もルートもありますが、個人となりますと、どうしてもこの点、限界があり、情報力が劣ってしまいます。マスコミが、自らの使命をなおざりにしますと、国民もまた、情報弱者となったり、世論誘導の被害を受けたりしますので、あくまでも、”社会の木鐸”であってほしいと思うのです。
源氏が善で平氏が悪?水戸黄門並の勧善懲悪史観。ばからしい。
歴史と言うのは、歴史家が史料のいくらかをつまみ食いして、こしらえた虹にすぎない。
平家は滅んでいるのだから、まさに”死人に口なし”いくらでも、悪行の責任をとらせることができる。
なお、『平家物語』は単純な勧善懲悪のお話ではありません。清盛の長男であった重盛は、父親の悪行に心を痛め、病気で亡くなっています。壇ノ浦での最後も哀れを誘い、敗者側を徹底的に叩く、という態度ではないのです。敗者を憐れみ、滅びの美学が描き込まれているからこそ、『平家物語』は、世の理を諭すとともに、日本人に読み継がれてきたのではないでしょうか。
頼朝は天罰が当たって、息子の代で、源氏将軍家は断絶。
どちらが残忍?
清盛は音戸の瀬戸、大和田の泊りを開いた。音戸を開いたことは、後の日本海軍、現在の海上自衛隊の心臓部を作る基になった。
さらに、清盛は厳島神社を作った。こうして、日本で一番美しい世界遺産が生まれた。
壇ノ浦で伊勢平氏の本家は滅んだ。しかし、傍系は北条執権家の内の管領となった。平頼綱、長崎氏となり、再び、天下を握った。
清盛の”大和田”の泊まりと海上自衛隊との関連性には、論理の飛躍があります。もし、清盛が、日本国防衛のために港を開いたならば、それは、評価されたかもしれません。しかしながら、清盛は、その逆に、私利私欲のため、つまり、日宋貿易のために港を建設したのであり、実際には、国書事件を起こすなど、常に親中(宋)派であり、国家を傾ける者として警戒されていました(NHKの清盛善人説は、中国の背景あり?)。
なお、足利氏も徳川氏も、源氏を称しましたので、”平家”の天下もやがて滅びます。権力欲に駆られた強欲な人々を戒め、変転流転するこの世のむなしさを諭すことこそ、『平家物語』のテーマなのではないでしょうか。
平安末期も、平氏、源氏、院などの公卿らの権力闘争に過ぎない。
蘇我や平家が悪党なんて、勝ったほうが死人に口なしをやっているだけ。ニュルンベルグ、東京裁判と同じことさ。
足利氏は源氏だが、徳川は、勝手に名乗っただけだろう?旅の僧が松平郷の土豪に入り婿した、タカス戦術だろう。幕末に、岐阜の高須藩の4人兄弟が、尾張藩、会津、桑名、一ツ橋の養子になっている。
清盛が親中派などと言っても、チャイナ自身が今とは別の国じゃないか?
宋の時代のチャイナも嫌いなら、もう漢字も儒学も、漢詩も、筆も墨も、寺院も全部捨てたら?
Unknownさんには、良き統治や国家体制とは、どのようなものであるのか、という視点が決定的に欠けています。権力闘争は、権力への手段に過ぎず、問題は、その後なのです。清盛は、平家であったから非難されたのではなく、悪しき弾圧・独裁体制を敷いたからこそ、国民から嫌われたのです。この点を見誤らないでいただきたいと思います。