毛沢東を痛烈批判 “中国最高の歴史教師”ネット講義(産経新聞) - goo ニュース
信じられないかもしれませんが、中国の憲法の第35条には、「中華人民共和国の公民には、言論、出版、集会、結社、行進、示威の自由を有する」という条文があります。これまでの中国では、憲法は、”あってなきが如し”の状態にあったのですが、痛烈な毛沢東批判を行った歴史教師の方に対する中国政府の対応は、中国が、近代国家であるか否かを測る試金石になると思うのです。
近代国家では、憲法は、国の基本的な仕組みを定めるとともに、国民の自由、権利、義務をも定めています。立憲主義とは、公権力は憲法に従うべきことを意味する原則であり、政府が、憲法に違反することは許されてはいません。憲法に保障された言論の自由を盾として毛沢東批判を行った歴史教師の方は、過去にむかって毛沢東を批判をするとともに、現代にむかっては、中国の立憲主義と権力分立をも問うていることになるのです(第126条では、司法の独立を定めている)。もちろん、中国でも国民の自由と権利の濫用は制限されていますが(第51条)、事実に基づく批判を当局が取り締まるとなりますと、中国は、言論弾圧国家として姿を晒し、国際的にも非難を浴びることになりかねません。共産主義を守れば立憲主義を捨てることになるという、ジレンマに陥ることになるのです。
歴史教師の方の毛沢東批判を支持する中国人も少なくなかったはずです。身の危険を顧みずに、毛沢東批判を行った歴史教師の方の勇気が、中国の将来にほのかな光を照らすことを願うばかりです。
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
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信じられないかもしれませんが、中国の憲法の第35条には、「中華人民共和国の公民には、言論、出版、集会、結社、行進、示威の自由を有する」という条文があります。これまでの中国では、憲法は、”あってなきが如し”の状態にあったのですが、痛烈な毛沢東批判を行った歴史教師の方に対する中国政府の対応は、中国が、近代国家であるか否かを測る試金石になると思うのです。
近代国家では、憲法は、国の基本的な仕組みを定めるとともに、国民の自由、権利、義務をも定めています。立憲主義とは、公権力は憲法に従うべきことを意味する原則であり、政府が、憲法に違反することは許されてはいません。憲法に保障された言論の自由を盾として毛沢東批判を行った歴史教師の方は、過去にむかって毛沢東を批判をするとともに、現代にむかっては、中国の立憲主義と権力分立をも問うていることになるのです(第126条では、司法の独立を定めている)。もちろん、中国でも国民の自由と権利の濫用は制限されていますが(第51条)、事実に基づく批判を当局が取り締まるとなりますと、中国は、言論弾圧国家として姿を晒し、国際的にも非難を浴びることになりかねません。共産主義を守れば立憲主義を捨てることになるという、ジレンマに陥ることになるのです。
歴史教師の方の毛沢東批判を支持する中国人も少なくなかったはずです。身の危険を顧みずに、毛沢東批判を行った歴史教師の方の勇気が、中国の将来にほのかな光を照らすことを願うばかりです。
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わが国でも、戦前、天皇に対して、激しい批判をすれば、投獄されただろう。現代でも、投獄はされなくても、身の危険は感じるかも知れん。
もし、このまま、歴史教師に、何事もなければ、わが国のほうが、言論に制約があると言わざるを得ない。少なくとも、天皇制に関しては。
毛沢東の成功と失敗は、革命家と建国者は才能が違うと言うことを示している。建国後、すぐに死ねば、神のごとき英雄のままであっただろう。
大躍進から始まって最後は?の人生でしたね。
皇室を批判してたことで、行方不明になる、といったお話は聞いたことがありません。現に、マスコミなどでは、天皇制廃止を訴えている識者や文化人も登場しています。私も、東宮家の現状について批判的な記事をブログに書いたことがありますが、行方不明にはなっていません。Unknownさんのコメントこそ、脅かしのようにも感じます。中国の体制は、全体主義体制における思想の抑圧であるからこそ、問題なのです。
暴力革命とは、やはり、誉められたものではないと思います。結局は、国民の大量殺戮に他ならないのですから。今日にあっても、革命を肯定していることが、中国の民主化や自由化を妨げているのではないでしょうか。
戦前は、もちろん、不敬罪も治安維持法もあったから、あなた流に言えば、日本は全体主義国だった。そうですよね。
1961年とは、随分と昔のお話であり、少なくとも、現在にあっては、こうした事件はなり得ないのではないでしょうか。
共産主義の言論統制は、唯一絶対のイデオロギーの押し付けと排他性を特徴としていますので、ソ連から指令を受けたコミンテルンの活動に対する治安活動とは質的な違いがあると思うのです。
もちろん、主神を天照ではなく、丑寅の金神にしたに過ぎないが。
その排他性と唯一絶対性は共産主義と変わりない。
中国共産党の成功は大日本帝国のおかげ。毛自身がそう言っている。日本の中国侵略が共産化を導いた。中国共産党が嫌いなら、大日本帝国も批判したら?
八路軍なんかで、米国兵器で装備された蒋介石軍に勝てるはずがない。ここでも、大日本帝国の訓練を受け、また、装備されていた朝鮮人部隊がいたから国民党軍に勝てた。
だからこそ、北朝鮮とは血の同盟になっている。
なお1961年は、ほんの少し昔に過ぎない。今でも、ウヨクは機関紙を取れと恫喝に来る。身の危険を感じるよ。
ソ連邦の指令を受けて、国内で工作活動や破壊活動を行う団体を取り締まるのは、国家として、当然のことなのではないでしょうか。政府は、外国が自国内に培養した”細胞”、すなわち、外国政府の下部機関を、放置はできないはずです。Unknownさんは、朝鮮総連の方なのではないかと推測いたします。Unknownではなく、コメントは、自らの所属を明らかにしてからお書き下さい。私のほうこそ、身の危険を感じます。
治安維持法ってどこのくににでもあるのではないか。日本の治安維持法だけがいけないような発言、日本共産党や大本教が被害者、被害者といかにも悪いのは日本政府といいたいのだろうけれども共産党化されたらそのほうがもっと大きな被害を受ける。日本は共産党化されなくてよかったと思う人が圧倒的多数である。言葉で実質をごまかそうとしてもだめである。北朝鮮のような国になりたいと思う日本人はほとんどいない。
そういう人には、この言葉を贈りたい。
「求めて敵を作る人には、真の味方はできない」
民主主義とは、多数派の支持を得て政権をとることだ。だったら、右翼だけでなく、中道の人にも支持されるような言論でなければならない。もっとも、日本共産党のように、いつまでも、泡沫政党で構わない、自分の正しさを言うだけだと言うのなら別だが。
共産主義などで、幸せになった人などいない。だが、共産主義が資本主義の敵だと思うなら、歴史を知らなさすぎる。共産主義も国際金融資本の手駒に過ぎない。
実際、日本共産党は支持者の苦痛にも関わらず、全選挙区で泡沫候補を立て、結果として、政権交代を阻んで、自民党政権の永続に貢献した。あれをしなければ、とっくに、政権交代は起こり、さらに、ゆり戻しの交代も起こり、日本は、中道右派と中道左派の二大政党になっていた。
共産党幹部も一種の貴族であり、金融資本の背後の連中と同じだ。