万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

公明党の論点すり替えに注意を-分けるべきは‘カルトと宗教’ではなく‘政治と宗教’

2022年09月05日 12時45分19秒 | 日本政治
 政教分離の原則が憲法第20条に明記されていながら、自民党と世界平和統一家庭連合とが長年にわたって癒着してきた実態は、今日、政治と宗教との関係を改めて問うこととなりました。当然に、同問題は創価学会を母体とする公明党にも波及するはずなのですが、報道によりますと、同一件について自民党の岸田総裁が公明党の山口代表に謝罪したというのですから唖然とさせられます。

それでは、あたかも他人ごとのように振る舞う公明党の居丈高で傲慢な態度は、どこから来ているのでしょうか。まずもって、創価学会員に観察される行動様式の特徴の一つとして、‘自信に満ちた態度をとる’というものがあります。それは、如何なる批判を受けたとしても決してひるんではならず、たとえ内心において動揺していたとしても、決してそれを表に出してはならない、というもののようです。新興宗教団体が、低い自己評価に悩む信者に対して‘自信’を与えているケースが少なくなく(権威主義の一種・・・)、所属する教団はしばしば‘虎の衣’となります。同行動様式は、創価学会に限らず新興宗教団体一般にも見られるのですが、超越的で絶対的な存在である神や仏と自己を同一化し、その名の下で自らの教団の無誤謬を信じる狂信的なメンタリティーの現れなのでしょう。

公明党の‘上から目線’の無反省な態度は、神や仏の権威を借り自らを特別視したい、あるいは正当化したい信者特有の行動様式として理解されるのですが、こればかりが要因ではないようです。昨今の公明党側の発言や説明からしますと、同党は、論点を巧妙にすり替えることで、この問題から逃げおおせることができると考えていると推察されるのです。論点をそれとなく移したり、はぐらかす作戦は、窮地に立たされた政治家が頻繁に用いる詐術的な手法でもあります。今般、公明党もまた、この手法で切り抜けようとしているようなのです。

 それでは、公明党による論点ずらしの作戦とは、どのようなものなのでしょうか。それは、おそらく、論点を、‘政治と宗教の分離’から、‘カルト教団と一般の宗教団体との区別’とにすり替えるというもののようです。本問題が表面化した際に、最初に注目を集めることになったのが、フランス等で制定されている「反カルト(セクト)法」です。公明党は、フランスの手法に着想を得て、世界平和統一家庭連合をカルト教団と認定する一方で、自らは一般の宗教団体とみなして‘問題なし’としたいらしいのです。もっとも、カルト認定の基準次第では、自らもカルトと認定されかねません。そこで、世界平和統一家庭連合において問題視されている‘‘霊感商法’の悪質性を強調し、その有無を唯一の基準に定めようとしたのでしょう。‘創価学会は霊感商法を行なっていない’と主張すれば、創価学会がカルト認定から逃れる道が開かれるのです。しかも、‘何れの宗教にも非合理性が認められるため、カルト教団と一般の宗教団体とを明確に区別するのは難しい’とする専門家の意見も聞かれ、同問題を有耶無耶にする環境は整えられつつあります(基準の設定が不可能ともなれば、世界平和統一家庭連合もカルト教団ではなくなってしまう・・・)。

 もっとも、この公明党の論点すり替え作戦は、‘やぶ蛇’ともなりかねません。そもそも、「反カルト法」が制定されているフランス等では、カルト認定基準はきちんと明確化されています。しかも、創価学会は監視対象とされるカルト教団のリストに記載されているのです。何故ならば、カルト教団として認定する第10番目の基準に「公権力への浸透の企て」があり、創価学会は、みごとに同基準に当てはまってしまうのです。

 かくして、公明党のカルト認定の基準を‘操作’することで自らを不問に付そうとする作戦は、多くの国民がフランス基準の情報を知るところとなれば、成功する見込みは薄いように思われます。そして、論点のすり替え作戦に気づいたが故に、今般の問題の核心が政治と宗教との分離にあるとする認識を、より一層深めることとなりましょう。そもそも、事の発端は、政治家である安部元首相と新興宗教団体との密接な関係にあるのですから。

政治と宗教との癒着に関しては、信者数を考慮しても、公明党を介して政治権力を公然と行使している創価学会のほうが余程深刻、かつ、一般の国民にとりましては危険な存在と言えましょう。宗教団体による権力行使や教団や信者等への利益誘導を証明さえできれば、法改正を待つまでもなく、現行の憲法や公職選挙法上の違反行為を罪として問うことができるレベルなのです。日本国の民主主義を歪めてきた要因を一つずつ取り除かないことには、国民を軽視し、社会をアンフェアなものとし、さらに、自国の富を海外に貢いでしまう悪しき政治は終わらないのではないかと思うのです。

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