経済学者にしてイエール大学のアシスタント・プロフェッサーを務め、マスメディアにも頻繁に登場してきた成田悠輔氏は、時代の寵児のごとくの存在であったようです。しかしながら、You Tubeの動画にて「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」と発言したことから、日本国内のみならず、海外にも‘炎上’が広がっています。
同発言に対しては、老害の深刻さを比喩的に指摘したに過ぎず、真意は別にあるとして擁護する声も聞かれます。日本国の衰退の主たる原因は‘老害’にあるのだから、表現は適切ではないにせよ、その問題提起自体は間違ってはいない、とする擁護論です。発言全体の中の一部を切り取って批判記事に仕立てるのはマスメディアの常套手段ですので、今般も、その一つに過ぎないと主張したいのでしょう。しかしながら、成田氏の従来の主張からしますと、高齢者集団自決論、並びに、一連の騒動には、隠された別の意図があったように思えます。
成田悠輔氏の名を初めて目にしたのは、2021年8月18日付けの日経新聞に「民主主義の未来」というタイトルの連載で掲載された記事です。同記事において、成田氏は、アメリカにおいて提案されている「海上自治都市構想」について紹介しています(本ブログでも、9月16日付けの記事で同構想の非現実性について述べている・・・)。なお、民主主義と銘打ちながら、実際には、非民主的な構想が肯定的に紹介されていますので、ここにも二重思考の手法が見受けられます。
同記事において、同氏は、海上自治都市について「既存の国家を諦め、思い思いに政治体制を一からデザインし直す独立国家・都市群が、個人や企業を誘致や選抜する世界を想像しよう。新国家群が企業のように競争する世界だ」と説明しています。つまり、富裕層の各々が、好き勝手に全世界から企業や人材を集めて海上に自分好みの自治都市を建設するという構想であり、実際に、ビルダーバーグ会議の運営委員の一人であるピーター・ティール氏が中心となって「海上自治都市建設協会」という団体も既に結成されているそうです。この記事から推測されることは、成田氏は、ダボス会議やビルダーバーグ会議に象徴されるグローバリスト、即ち、世界権力のスポークスマンなのではないか、ということです。
成田氏が世界権力の代弁者であると仮定しますと、高齢者集団自決論も自ずとそれが内包する価値観、世界観、そして今般の騒動の真の目的も見えてきます。集団自決や切腹という表現に含意されている価値観とは、海上自治都市国家構想と同様に、企業であれ、個人であれ、自らに利益をもたらすもののみに価値があるとする、徹底的な利己主義です。この点、‘老害’とも表現されているように、高齢者は、自らの‘理想’の実現を阻む障害でしかないのでしょう。
こうした経営者としての‘上から目線’は、集団自決という過激な表現をも説明します。経営者であれば、自らの事業に不必要な人材や不採算部門を切り捨て、トップの経営方針に反対する者は即座に解雇するのが最も効率的です。存在そのものを消すことが、利益のみを追求するような経営者としては当然の判断となるのです。自らが思い描く‘国家’を実現するためには、不要な国民や批判する国民は消すべき、とする非情で冷酷な発想は、経営者的な発想に由来するのかもしれません(沖縄戦にあって絶望と恐怖の中で自らの命を絶った人々の心情に思い至れば、集団自決という言葉は軽々しく使えないはず・・・)。しかも、同勢力は、自ら手を下すのではなく自死を推薦しているのですから、利用価値がないと判断した社員を陰湿な虐めで退職に追い込むブラック企業の精神をも肯定しているとも言えましょう。成田氏は、海上自治都市国家なるものの実態をも図らずも暴露しているのかもしれません。
かくして、高齢者集団自決発言の背景は、世界権力による残忍な抹殺思考が潜んでいる疑いが濃厚となるのですが、それでは、かくも過激な発言をしたその真の目的は何処にあるのでしょうか。批判の嵐が起きることは、十分に予測できたはずです。となりますと、敢えて批判を承知で騒動を巻き起こしたとしますと、その目的は、擁護論者が主張するような問題提起ではないのでしょう。それでは、何かと申しますと、自らに対する批判の矛先を高齢者に向けようとしたとする推測も成り立つように思えるのです(世界権力は、常に対立から利益を得ている・・・)。
日本経済の衰退と若年層の生活の不安定化は、高齢者に起因しているのか、と申しますと、そうではないように思えます。真犯人は別にいるのではないでしょうか。真の原因は、政治家の籠絡を介して国家の政策権限を無力化し、裏からコントロールしてきたグローバリストにあるように思えるのです。日本経済は、グローバリズムに乗り遅れたから衰退したのではなく、容赦のないグローバリズムによって衰退したのです(国家の傀儡化、中国の台頭、産業の空洞化、中間層の崩壊など・・・)。今日、世界レベルでグローバリズムに対する批判が高まる中、高齢者を‘邪魔者’に仕立て上げることで若年層と高齢者とを分断させると共に、自らの安泰な地位を保つのが、世界権力の真の目的であったかもしれないのです。
この観点からすれば、成田氏の集団自決論もその後の擁護論も、世論のミスリードを狙ったものと推測されます。そして、仮に成田氏を擁護できるとすれば、それは、高齢者集団自決論こそ世界権力に根付いてきた長老支配という悪弊を暗に批判するものであった場合と言えましょう。ジョージ・ソロス氏にせよ、ビル・ゲーツ氏にせよ、世界権力中枢の構成員の多くは高齢者であるからです。同氏は、その経歴から頭脳明晰とされていますが、表向きは世界権力に媚びるように装いながら、得意のメタファーで同勢力の‘高齢指導者層’に退陣を求めていたとしますと、その看板には偽りはなかったのかもしれません。