万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

イスラエル高官の驚愕失言は本音

2013年08月16日 15時27分54秒 | 国際政治
原爆追悼に「うんざり」=イスラエル高官が書き込み(時事通信) - goo ニュース

 twitterやFacebookへの書き込みは、つい本音が出てしまうことにおいて、外交辞令とは違った意味で重みがあります。後から削除したり、一生懸命に否定しても、誰もが、”本音は最初の書き込みに違いない”と考えるのですから。

 本日、イスラエル高官が、日本国への原爆投下について、”犠牲者に対する追悼にはうんざりする”とFBに書き込んだとするニュースが飛び込んできました。この高官の論理では、原爆投下は、中国や韓国に対する侵略や虐殺に対する懲罰なそうです。発言者が政府の一員なだけに、聞き捨てならないのですが、ナチスのユダヤ人迫害については、人類が永遠に記憶すべき蛮行として、国際社会に追悼を求めているユダヤ人が、異民族の民間人の死に対してこれほど冷淡であることには、驚かされます。日中戦争は、領土拡張を目指した侵略戦争と言うよりも、介入戦争の性格が強く、韓国に至っては、日本国は、条約に基づいて併合はしましたが、虐殺などはしておりません。しかも、中韓に対する侵略と虐殺が原爆投下の根拠であるならば、何故、第3国であるアメリカがそれを実行したのか、説明がつかなくなります。また、仮に、侵略=懲罰=原爆投下の図式が許されるとしますと、国連決議で定めた範囲を超えてパレスチナに入植地を拡大しているイスラエルは、侵略行為も虐殺も働いたことになりますので、懲罰として原爆を投下されても、文句の一つも言えません。そして、歴史を振り返れば、ヒトラーがユダヤ人迫害を正当化した理由もまた、国家を内部から破壊しようとしたユダヤ人に対する懲罰でした(第一次世界大戦においてドイツの敗戦を決定的にしたキール港における水兵の反乱は、ユダヤ人が煽動した労働運動によって起こされた…)。このように考えますと、イスラエル高官は、巨大なブーメランが自らに返ってきそうな、恐ろしい発言をしていることになります。

 この高官、広報・離散民省から首相府のインターネット広報部門に異動になる予定であったそうですが、どうやら、広報部門のエキスパートのようです。最近、欧米を含めたマスコミの論調には、氏と同様の日本絶対悪論の見解も散見されますし、韓国でも、原爆は懲罰と掲載して批判を浴びた新聞もありました。FBへの書き込みも、宣伝活動の一環であったのでしょうか。この論調、イスラエルが発信源なのか、中韓のプロパガンダの成果なのかは、今のところは判別できませんが、日本国民を痛く落胆させたことだけは確かなのです。

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中国は植民地主義と闘ったことがなかった

2013年08月15日 15時43分08秒 | アジア
「アジアへの反省」触れず=戦没者追悼式で首相式辞―68回目の終戦記念日(時事通信) - goo ニュース
 本日、終戦から68年目の記念日を迎え、日本武道館でも、政府主催の戦没者追悼式典が開かれました。追悼式での安倍首相の式辞において、”アジアへの反省”がなかったことが注目を集めているようですが、先の戦争が、アジア諸国に植民地解放の機会を与えたことは、否定し難い事実です。

 靖国神社参拝にも反対している中国のことですから、この式辞にも不満なことでしょう。ところで、中国の歴史を振り返りますと、植民地解放のリーダーとなった経験がないのです。自国の植民地化に対しては抵抗を示し、共産主義拡大のために軍事介入したことはあるものの、他のアジア諸国の植民地支配に対して、その解放のために武器を手にした歴史がないのです。否、東南アジア諸国では、華僑の人々が、宗主国側に寄り添い、”中間管理職”の立場で現地の人々の支配に協力していました。大東亜共栄圏構想に対する批判はあるものの、唯一、日本国は、戦争の大義に”植民地解放”を掲げ、真正面から欧米諸国に戦いを挑んだのです。戦いには敗れたものの、日本占領下において実施された現地軍の創設や軍事訓練によって、アジア諸国は、戦後、自らの力で植民地解放を勝ち取ります(インドネシアでは、現地に残り、独立戦争に参加した日本兵も存在した…)。アジア諸国の自由と独立のために戦うことがなかった中国は、自らの歴史観に基づいて”侵略戦争”と書かれた一枚のレッテルを張り、日本国を糾弾しているのです。しかしながら、中国は、アジアのために血を流したことはあるのでしょうか(今では、自らチベットやウイグルを植民地化している…)。

 遠く日本を離れ、大義を実現するために、アジアに散った日本の益荒男達。戦争に勝利したとはいえ、植民地を失った欧米諸国、そして、植民地解放に積極的な役割を果たせなかった中国にとりましては、先の戦争は、否定すべき、忌々しい記憶に過ぎないことでしょう(もっとも、戦後、国際社会が、主権平等と民族自決を基調とした現在の国民国家体系にたどり着いたことは、幸いであると思う…)。諸外国から”罪人”扱いされていればこそ、せめて日本国だけは、先の大戦に尊い命を捧げられた方々の御霊を悼んで、祈り続けなければならないと思うのです。

 戦没者を悼んで…

  父母を 思ひて異郷に 果てるとも 今宵は御霊も 大和に還らむ


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EUと尖閣諸島棚上げ論―国境がなくなるという誤解

2013年08月14日 15時33分49秒 | アジア
英領ジブラルタル スペインの出入国制限検討を非難(産経新聞) - goo ニュース
 最近に至り、ジブラルタルをめぐり、俄かにイギリスとスペインの関係が険悪になっているそうです。両国とも、EU加盟国なのですが、この現象は、EUをモデルとした地域統合を実現すれば、尖閣諸島の問題など消えてなくなるとする楽観論に冷や水を浴びせています。

 報道によりますと、歴史作家の半藤一利氏とアニメ映画監督の宮崎駿氏が対談した際に、半藤氏は、”尖閣諸島は棚上げすべき”と提言したそうです。あと○十年もすれば、EUのように東アジアも統合され、国境がなくなるので、領土に関するもな対立くなると…。どうやら、氏は、世界連邦主義者の一員のようですが、この見解、EUを誤解しているのではないかと思うのです。EUは、EC時代から独仏の和解の象徴ともされ、ヨーロッパ大陸に平和をもたらしたことは、高く評価されるべきことです。しかしながら、EUの誕生には、戦後、(1)加盟国が共に西側陣営の一員となったこと、(2)共通の価値として、民主主義、自由、法の支配…を掲げていること、(3)市場経済が定着していること…といった特別の条件がありました。この条件が、そのままアジアに適用できるのか、と申しますと、かろうじて(3)を満たすぐらいであり、中国の現状などを見ますと、それも、かなり怪しい限りです。好条件に恵まれたEUですら、国境が消えたわけではなく、防衛等に関する主権的な権限は、加盟国の手にあります。このため、英西間に領土をめぐる緊張が走っても、この問題をEUが解決できるわけではないのです。

 仮に、EUをモデルに!と主張するならば、中国に対しては、民主化や自由化を積極的に求めなければなりませんし、韓国に対しも、法の支配の徹底を要求しなければなりません。しかも、政策権限の一部をアジア版EUに委任することになるですから、中国にとりましては、一党独裁国家の終焉をも意味するのです。○十年先の理想をかざし、尖閣諸島の棚上げを主張することは、それが実現する保証はどこにもないのですから(仮に実現しても、国境も領土をめぐる緊張もなくならない…)、甘言を以って日本国民を騙すことになるのではないでしょうか。

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日韓併合により独立のコストを払わなかった韓国の強欲

2013年08月13日 15時22分16秒 | アジア
韓国被爆者、自国政府を提訴=日本と協議しないのは違法(時事通信) - goo ニュース
 最近、韓国は、司法権を、日本国から一方的に賠償をせしめるための”打ち出の小槌”と勘違いしているようです。昨日も、韓国人被爆者が、”政府が、日本と賠償問題について協議しないのは違法”として、自国政府を提訴したそうです。”違法”と息巻いていますが、一体、どの法に違反しているというのでしょうか?

 韓国は、”法なき裁判”という、前近代国家ぶりを露わにしておりますが、被爆のみならず、慰安婦、戦時徴用、植民地支配…など、韓国の日本に対する賠償請求は、留まるところを知りません。その一方で、韓国は、日本による併合によって、自らは然したる犠牲もコストも払わずに済んだことを、すっかり忘れております。併合に際しては、日本国は、大韓帝国が抱えていた莫大な対外債務を肩代わりし、以後、日本国側の持ち出しにより、インフラの整備など、韓国の近代化を推進しました。韓国側は、戦時徴用についても賠償の対象としておりますが、当時、日本人もまた徴用されていましたし、何よりも、当時の朝鮮人は、徴兵の義務を負うこともありませんでした。朝鮮半島では、志願制を基本としており、戦争末期に徴兵制も敷かれましたが、実戦配備する前に戦争が終結してしまったからです(北部を除いて、都市空爆も受けていない…)。本来、独立国家であれば、これらの人的、並びに、財政的な負担や犠牲は、当然、全て自らで払う必要があります。果たして、20世紀初頭という時代にあって、当時の大韓帝国には、こうした負担や犠牲に耐えるだけの国力があったのでしょうか。

 民族自決の原則に照らしますと、異民族である日本の統治下にあったことは、内心、不満であったことでしょう(もっとも、日本統治を歓迎していた朝鮮の人々もあった…)。その一方で、併合が、被害のみならず、恩恵も与えたことも確かなことです。否、併合を選択した場合と選択しなかった場合との韓国側のコストを比較しますと、前者の方が、はるかに軽かったのではないでしょうか。しかも、1965年の日韓請求権協定において、莫大な額の経済支援も実施しているのです。物事には、必ずや両面があるものですが、自らの被害ばかりを言い募り、日本国が朝鮮半島のために払った負担や犠牲を無視し、賠償ばかりを取り立てようとする韓国は、あまりに利己的で強欲であると思うのです。

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ナチスのユダヤ人迫害の核心は共産主義・新自由主義批判

2013年08月12日 15時14分52秒 | 国際政治
アウシュヴィッツで考える、麻生発言(上) アウシュヴィッツ強制収容所を訪問(東洋経済オンライン) - goo ニュース

 先日、麻生財務相が、改憲関連して”ナチス”の一言を口にしたことから、氏がユダヤ人迫害を容認したかのような批判が随所に見られるようになりました。おそらく、麻生氏の関心は改憲の手法にあり、ユダヤ人迫害は、直接的には関係がないのでしょうが、ナチスは、これまでも、常に、ユダヤ人迫害と一対になって糾弾されてきました。

 600万人ともされるユダヤ人が虐殺されたのですから、ヒトラーによるユダヤ人迫害は、許されざる非人道的な大量虐殺です。この点に鑑みれば、ヒトラーは断罪されて当然なのですが、その一方で、何故、ユダヤ人は迫害されたのか、という理由に迫る人は殆どいません。もちろん、キリスト教世界であったヨーロッパでは、ユダヤ人は、キリストを裏切ったユダのイメージが重ねられ、かつ、ユダヤ教を信仰していたために、異教徒として扱われてきました(各地にゲットーも存在…)。ですから、ユダヤ人迫害の責任は、ヒトラーのみ帰せられる訳ではないく、一般の人々とユダヤ人との間には、どこの国でも緊張を孕んでいたのです。ユダヤ人の疎外感は、祖国を持たない”流浪の民”である故の宿命でもあります。その結果として、ユダヤ人が伝統的、あるいは、保守的な社会や思想に背を向けて、現世的な利益に固執するとともに、新たな思想の創造者となったことは理解に難くはありません。中世以来、金融を牛耳っていたのはユダヤ人でしたし、共産主義の生みの親であるマルクスもまたユダヤ人でした。今日の新自由主義も共産主義も、その源流は、異端であったユダヤ人の特異な境遇に求めることもできます(居住国の歴史、伝統、そして運命は関心外…)。そして、これらの思想は、伝統的な国の在り方や民族にとりましては、破壊的な意味を持ちました(第一次世界大戦におけるドイツの敗北も、ユダヤ人による裏切りとその一味である国際共産主義のせいとされた…)。ヒトラーが目の敵にしたのは、ユダヤ人そのものと言うよりも、ユダヤ人がもたらした、国家体制や既存の社会をも転覆しかねない共産主義であり、そして、新自由主義であったのです。この点を考慮しますと、ヒトラーは、大量虐殺ではなく、言論を以って共産主義や新自由主義と闘うべきでした(もっとも、ヒトラーは、暴力の使用を共産主義の暴力革命に対する抵抗力として正当化していた…)。

 今日なおも、民族自決の原則が植民地支配を解放しながら、国家や民族の尊重を主張しますと、ヒトラーの再来とばかりに批判を浴びる傾向にあります。しかしながら、共産主義や新自由主義は、国なき民が考案したことを考慮しますと、これらの思想に対する批判を封じる口実に、ナチスが利用されてはならないと思うのです。今日では、イスラエルが建国され、ユダヤ人ももはや”流浪の民”ではないのですから、ユダヤ人もまた、自らの祖国が内部崩壊させられてしまう危機感を理解できるのではないでしょうか。

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国民の権利vs.移民の自由-外国人永住権の要件緩和は慎重に

2013年08月11日 15時33分56秒 | 国際政治
政府が新しい「外国人永住権」を検討 「日本人」にどんな影響がある?(弁護士ドットコム) - goo ニュース
 グローバル化の掛け声とともに、今日、世界規模で移民の数が増える傾向にありますが、その一方で、移民の増加を背景とした社会問題も発生しています。個人主義や多文化共生主義、あるいは、新自由主義を支持する人々は、移民する側の自由を最大限に保障すべきと主張しています。

 民族自決主義を基本原則として成立している現在の国民国家体系では、国民は、言語、先祖(DNA)、歴史、価値観、習慣…などを共有し、共通のアイデンティティーで結びついております。こうした共通項が混然一体となって社会は形成されており、国民は、無意識にせよ、お互いに何かしらの絆を感じる間柄です。いわば、自然発生的という意味において、家族的な側面があるのですが(多民族国家の場合には、状況は、若干異なるかもしれない…)、移民問題を家族に譬えてみれば、移民とは、家族の中に、見知らぬ他人が入ってくるようなものです。移民側の自由を全面的に認めよ、との主張は、あらゆる家族は、無条件に他者が家庭に入ってくることを認めよ、と言っているようなものなのです。受け入れ側には、自らの家族を護ったり、移民を選別する権利はないと…。はたしてこの主張、正しいのでしょうか。受け入れ側には、何らの権利も認められないのでしょうか。仮に、受け入れ側に、一切の拒否権がないとしますと、自分達とは価値観が違い、犯罪を容認するような人々が勝手に住み着き、国民に危害を加えてくるかもしれません。しかも、個人の資格で移民してきた人でも、同一民族の出身者が集まって特定の場所に集住すれば、国家の内部に異民族集団が出現してしまいます。

 人間とは、生来、我儘なものですので、自らが移民する側にある場合には、移民側の自由を主張する一方で、自らが受け入れ側にいる場合には、国民側の権利を護ろうとするものです。移民側も、逆の立場を想定すれば、受け入れ側の権利を理解できるはずです。これまで、移民側の自由のみが厚く保障されてきましたが、受け入れ側の権利に配慮しませんと、異民族間の対立や摩擦による混迷が深まるばかりです。日本国政府は、外国人永住権の取得条件を緩和する方針なそうですが、たとえ、”高度人材”であっても、国民に危害を加えたり、日本国、並びに、普遍的な価値観を拒絶するような移民に対しては、永住権を認めてはならないと思うのです。

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米大統領の被爆地訪問―日本国は安心して謝罪できる国

2013年08月10日 15時24分43秒 | 国際政治
「米大統領が被爆地訪問できたら」 離任前懇談 ルース大使、可能性指摘(産経新聞) - goo ニュース
 毎年、広島と長崎に原子爆弾が投下された原爆の日を迎える度に、必ずと言ってよいほどに、アメリカ大統領の被爆地訪問の可能性が取り沙汰されます。離任を前にして、ルース米大使も、将来的な訪問に含みを持たせた発言をなさったようです。

 第二次世界大戦は、連合国側も枢軸国側も、国際法から逸脱する行為が頻発し、民間人の多くが犠牲になる悲惨な戦いとなりました。原爆に関しても、枢軸国側のドイツも、そして日本国も既に開発に着手しており、実戦での民間人に対する使用の判断はさて置くとしても、日本国の側にも、心のどこかで良心の呵責があります。仮に、日本が先に開発に成功していれば、アメリカの都市に原爆を投下し、民間人を大量虐殺した可能性が全くないわけではないからです。ですから、日本人としては、アメリカに対して、自らを絶対的な犠牲者と見なし、一方的に非人道的行為として責め立てるのは、気が引けるところがあります(少なくとも私は、個人的にはこのように感じてしまう…)。その一方で、日本国の無辜の国民が原爆の犠牲となった事実は歴史に刻まれており、親米とされる日本人の感情の中にも、蟠りがないわけではありません。原爆のみならず、全国的に展開された米軍の都市空爆でも、あまりに多くの民間人の命が炎の中で失われました。そして、日本国の来し方を伝える街並みも永遠にこの世から消えてしまったのです…。アメリカにも、原爆投下には言い分があり、これまで、第二次世界大戦の終結に関する戦略的な効果を主張して正当化してきました。この言い分に対しても、近年では、資料等に基づいて疑いが掛けられてもおります。(原爆の投下は、戦略上必要であったのか…?)しかしながら、せめて、民間人の犠牲に対する謝罪や哀悼の言葉があれば、日本人の心に刺さっていたとげは、あるいは抜けるかもしれないと思うのです。

 国際社会の常識では、謝罪は賠償問題にも繋がりかねないため、どの国の政府も、謝ることには消極的です。また、第二次世界大戦の大義に鑑みて、アメリカ国内では、謝罪に対する手厳しい反発も予想されます。しかしながら、仮に、アメリカが、賠償問題を恐れているならば、それは、心配に及ばないことです。日本国は、先の大戦に関する日米間の問題は、サンフランシスコ講和条約で全て解決済と見なしていますし、日本国の国民性からしますと、謝罪は、賠償を勝ち取るための一歩ではなく、和解への一歩であるからです。いつの日か、その日が訪れることを、日本人の多くは、心のどこかで待ち望んでいると思うのです。

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消費増税の上げ率は税収で判断しては?

2013年08月09日 15時15分35秒 | 日本経済
消費増税、脱デフレと両立=財政健全化で注文―黒田日銀総裁(時事通信) - goo ニュース
 日銀による量的緩和に牽引されたアベノミクスは、これまでのところ、企業収益の改善といった効果として表れてきています。超円高の是正が功を奏した結果でもありますが、国内の景気への波及はやや時間がかかるとも予測されますが、2014年度に予定されている消費増税が、上向いてきた景気に冷や水を浴びせるのではないかとする懸念の声があります。

 日本国は、巨額の財政赤字を抱えているため、放漫財政を放置すれば、国債の利率の上昇や国債価格の下落を招きますし、国際公約ともなれば、海外の投資家の日本国債に対する評価も下がります。その一方で、消費税増税により消費が冷え込むと、景気もまた減速しますので、消費増税問題は、財政再建と経済成長との間のジレンマとなるのです。こうした中、黒田日銀総裁は、消費増税と脱デフレは両立するとの見解を示されるとともに、浜田内閣参与もまた、増税によるアベノミクスへのマイナス効果を考慮して、上げ率を年1%とする漸次増税案を提起されております。当初の増税案では、現在5%の消費税率を2014年4月1日から国と地方合わせて8%、2019年10月1日にはさらに10%に段階的に引き上げ、増収予測は、8%で8兆円、10%で13.5兆円と試算しております。今般の企業の収支決算を見ますと、増収増益を計上している企業も多く、法人税の投資減税があるとはいえ、増収が見込めます。また、デフレも底を打っておりますので、インフレ傾向となれば、消費税率を挙げなくとも、税収が伸びる可能性もあります。そこで、消費増税の上げ率は、税収の伸びを見て判断すべきではないかと思うのです。2007年の歳入は160,171.80円であり、リーマンショック後の2009年には139,406.80に大幅に減収します。2013年の推計では151,611.80に回復する予定ですので、歳入には、ここ6年の間でも、実に10兆円から20兆円の変動があるのです。増税時の試算が、デフレ容認の民主党政権下であったことを考慮しますと、増税試算の8兆円分、あるいは、13.5兆円は、景気回復によって確保できる可能性もないわけではないのです(消費税分とは限りませんが…)。

 日本国債の信用も、市場や国際社会に対して歳入の増収分を説明すれば維持できますし、財政の無駄削減の努力を継続すれば、日本財政に対する不安を払拭することもできます。雇用への影響を考えましても、消費増税は、”何が何でも予定通り”という姿勢でなくともよいのではないかと思うのです。

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米軍ヘリコプター墜落事故-沖縄は米兵の死をどのように考えるのか

2013年08月08日 15時35分21秒 | アジア
事故「深刻に受け止め」=米公使(時事通信) - goo ニュース
 先日、沖縄で起きた米軍ヘリコプターの墜落事故により、乗員4名のうち、安否が気遣われていた1名の方の死亡が確認されたそうです。この事故を受けて、マスコミは、早速に沖縄県民の怒りの声を伝えていますが、この報道ぶりには、暗澹たる気分になります。

 テレビで報じられるインタヴューでも、沖縄県の住民は、示し合わせたかのように、”絶対に許さない”とか、”米軍は沖縄から出て行って欲しい”と、口を揃えています。しかしながら、死と隣り合わせともなる米軍の訓練は、何を目的にしているのか、考えたことがあるのでしょうか。沖縄に駐留している米軍は、まずもって、中国の侵略から沖縄を護っております。自らが護られている立場にありながら、そして、そのために一人の米兵の尊い命が失われたにもかかわらず、自分のことしか頭になく、不満や怒りしか口にしないとすると、それは、あまりに道徳に反していると思うのです。もちろん、テレビに登場する”沖縄の住民”は、実際には、沖縄県民ではない左翼活動家(中国の工作員)、あるいは、マスコミが厳選した”市民”なのかもしれません。しかしながら、自分達のために払った他者の犠牲を無視してかかる態度こそ、人間性を失った恩知らずな態度と言うものです。

 安全の維持には、否が応でも犠牲を伴うものですが、沖縄県は、安全だけは手にしながら、自らは一切の犠牲を払わずに、専ら被害者の立場でいようとしているように見えます(全て他者が悪い…)。沖縄県は、仲井間知事を含めて、誰が自分達の安全を護っているのか、よく考えてみるべきなのではないでしょうか。米軍ヘリコプター墜落事故で、真っ先に述べるべき言葉は、沖縄のために亡くなられた米兵に対する哀悼の意ではなかったかと思うのです。

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首相の靖国参拝見送りに落胆するのは中国か?

2013年08月07日 15時37分08秒 | アジア
靖国参拝「受け入れず」=中国外務省(時事通信) - goo ニュース
 8月15日が迫る中、中国外務省は、”日本国の政治家は靖国神社に参拝するべきではない”と、早速、日本国を牽制しようとしております。報道によりますと、安倍首相はじめ閣僚の多くは、この日の靖国参拝は見送る意向とも伝えられていますが、もしかしますと、日本国側の参拝見送りで、最も落胆するのは、中国かもしれないと思うのです。

 首相の参拝を期待していた日本国民の多くもまた、残念な思いをいたしております。首相をはじめ、閣僚もまた、内心は不本意なことでしょう。アメリカも、中国への刺激を回避するために、靖国神社参拝には反対しているとも報じられており、日米同盟を考慮した結果、8月15日の参拝は見送らざるを得ないと判断したのかもしれません。その一方で、中国が、表向きの反対をよそに、靖国神社参拝を利用しようと手ぐすねを引いていたとしますと、参拝見送りは、必ずしもマイナス面ばかりとは言えないように思えます。何故ならば、中国国内では、国民の習政権、並びに、共産党一党独裁体制に対する不満が、現在、沸騰点に達しつつあるからです。江沢民政権以来、中国は、常套手段として、国民の不満を巧みに反日に逸らそうとしてきました。仮に、8月15日に、首相が靖国神社に参拝するとしますと、これを口実に、中国当局は、再度、激しい反日暴動を誘導し、国民の怒りを日本国に向かわせようとするかもしれません。あるいは、これをチャンスと、愛国を掲げて習主席が尖閣諸島への武力侵攻を敢行すれば、国民が拍手喝采して歓喜し、一気に人気を回復できると目論んでいるかもしれないのです。

 以上は、憶測に過ぎませんので、首相の靖国神社参拝見送りが吉と出るのか、凶と出るのか、今のところは判然とはしません。しかしながら、中国の密かなる野望を挫いた可能性も、否定できないように思うのです。

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広島市長の平和宣言は逆効果―中国を批判する勇気を

2013年08月06日 15時29分35秒 | 国際政治
インドへ原子力技術、日本政府に懸念 広島市長平和宣言(朝日新聞) - goo ニュース
 毎年、8月6日が廻ってくるたびに、原子爆弾の投下により、さようならの一言も言えずに、一瞬にしてこの世から消えてしまわれた方々の犠牲の重さに心が痛みます。被爆地である広島市の市長が、核廃絶に熱心に取り組む気持ちは痛いほどよく分かります。しかしながら、核廃絶を求める相手を間違えますと、再度、日本国を核攻撃が襲うとも限らないと思うのです。

 昨日、中国共産党機関紙である人民日報系の環球時報において、復旦大学の沈丁立教授の寄稿として、”中国は核の威嚇能力を向上させよ”と主張する、驚くべき記事が掲載されたそうです。そもそも、中国の核保有は、NPTにおいて認められているに過ぎません。しかも、NPTの前文には、”武力による威嚇又は武力の行使を…慎むこと”を明記しておりますので、中国が、堂々と核を威嚇に使うとすれば、これは、NPTの存在意義を根底から覆す行為です。言わば、”核兵器で周辺の非核保有国を脅かし、他国の領土を奪おう”と言っているようなものですから…。NPTは、核保有国のこうした蛮行を想定しておらず、国際法において中国の核による威嚇が許されるはずもありません。しかしながら、現実には、中国はNPT体制に縛られるつもりはなく、日本国をはじめとした周辺諸国は、中国の核への対応策を急がなければならない状況にあるのです。こうした中、松井広島市長は、インドに原発技術の移転を進めている日本国政府を批判したそうですが、批判の矛先は、核による威嚇を企てている中国にこそ向けられるべきです。中国や北朝鮮を批判せずして日本国政府を叩いても、それは無意味どころか、逆効果となります。中国のために、核の威嚇がより効果を発揮する状況を造り出しているに等しいのですから…。

 松井市長は、自らを平和主義者と位置付けたいのでしょうが、現実の国際社会に対する影響は逆であり、今後の状況次第では、中国の軍国主義の協力者とさえなります。広島市長には、姑息で偽善に満ちた自国政府批判に終始することなく、中国を堂々と批判する勇気を持っていただきたいと思うのです。

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韓国の親日派財産没収法-日本の朝鮮統治は植民地支配か?

2013年08月05日 15時59分03秒 | アジア
 カイロ宣言において”朝鮮の人民の奴隷的状態”という文言が記されたことで、国際社会では、併合時代、日本国が、朝鮮半島に対して奴隷的な支配を強いてきたとするイメージが定着しています。韓国自身もプロパガンダに余念がなく、事あるごとに、日本の植民地支配の残酷性や搾取を強調し続けてきました。

 根強い反日感情を背景に、韓国では、2005年に、日本統治下において親日であったと認定された国民を対象に、財産を没収する特別法が制定されたそうです。先日、韓国憲法裁判所は、この特別法を合憲とする判断を示していますが、この法律、むしろ、日本国の朝鮮統治が、植民地支配とは異なることを示す証拠ともなるのではないでしょうか。何故ならば、この法律は、日本国から爵位を受けた朝鮮人がいたことを示しているからです。果たして、他の諸国の植民地支配では、現地の住民に対して爵位を与える、という事例はあったのでしょうか。韓国併合に際しては、李王家もまた準皇族として厚く遇しており、王家を廃絶させることはありませんでした。もちろん、李の姓を日本名に改めるよう強制することもなかったのです。そして、財産没収法の存在は、むしろ、当時、朝鮮半島には、相当数の親日派が存在していたことを浮き彫りにしてもいます(全国民を挙げて、日本統治に反対していたわけではなかった…)。

 奴婢の解放、人身売買の禁止、残酷な刑罰の廃止、教育の普及…など、日本国は、朝鮮半島において、人権保障の面からも近代化を図っています。残虐性や抑圧ばかりが吹聴されていますが、日本国の朝鮮統治には、”植民地政策”ならぬ”近代化政策”の側面もあったのです(現在の韓国は、前近代国家に逆戻り…)。確かに、民族自決の原則に照らしますと批判される面はありますが、日本国の朝鮮統治は、史実に即して理解されるべきではないかと思うのです。

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”中国病”の原因-権力腐敗と共産主義

2013年08月04日 15時41分11秒 | アジア
切りつけ、背中に硫酸…中国の活動家に報復多発(読売新聞) - goo ニュース
 アクトン卿が指摘する通り、権力は必ず腐敗するものですので、汚職問題は、中国の専売特許というわけではありません。しかしながら、中国の政治腐敗の凄まじさは抜きん出ており、今日なお、堯舜の時代を除いて一度も治癒したことがない、重い”中国病”を患っています。

 政府が音頭をとって腐敗撲滅を訴えても、なかなか効果が上がらない理由は、古来、中国では、権力は、他者から利益を吸い上げるために使われてきた政治文化があるからではないかと思うのです。近代以降、自由主義国の政府は、自らの重要な役割の一つとして、国民の基本的な自由や権利を保護することに重点を置くようになりました。ところが、中国では、歴代王朝の創始者が、揃いも揃って”無頼漢”からの成り上がり者であったためにか、近代国家における政府のパブリックな国民保護的な役割とは程遠く、権力の私物化や利権化の傾向が強いのです。つまり、権力は、国民保護のためではなく、為政者の利益のためにあるのです。中国で共産党一党独裁体制が成立したのも、共産主義思想における権力が、経済の全面的な支配を通した国民統制型であったからなのかもしれません(経済的な権限が共産党の利権に…)。案外、共産主義と中国の伝統的な国家とは、親和性が高いのです(イデオロギーの衣を纏った前近代国家…)。

 先日も、地方役人の腐敗を告発してきた活動家が、襲撃を受けて負傷するという事件が発生しています。中国では、しばしば危険を顧みない”義士”が登場することに驚かされるのですが、意識改革と制度改革を伴う国家の役割の再定義、あるいは、大転換がなされない限り(奪う権力から保護する権力へ…)、”中国病”の根絶は困難なのではないでしょうか。

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日本の朝鮮統治のアメリカでのイメージ-児童文学の問題

2013年08月03日 15時28分44秒 | アメリカ
8月15日の靖国参拝に懸念=米国益にも悪影響―議会報告書(時事通信) - goo ニュース
 先日、Yoko Kawashima Watkins氏の『竹林はるか遠く』が邦訳版として出版されました。この本は、1986年に出版されて以来、アメリカの多くの学校で教科書の副読本として採用されてきましたが、韓国系米人の反発を買ったことでも知られています。その理由は、戦争末期に起きた朝鮮半島における日本人大量虐殺を描いたからです。

 Watkins氏の執筆の意図は、戦争の悲惨さを伝えることにあり、日本擁護論ではないことは、筆者本人も明記しています。このため、氏は、英語版の冒頭では、読者に対して、韓国人作家による日本の朝鮮半島統治を描いた二つの作品を挙げて-Londa Sue ParkのWhen My Name Was KeokoとSook Nyul ChoiのYear Impossible Goodbyes-、一読を勧めています。どのような内容かと思い、アマゾンのページで確認したのですが、どうやら、日本国の統治を、固有の名前さえも強制的に奪われた悲惨で残忍な”占領時代”として描いているようなのです(読む気になれず、出版社の紹介やコメントによります…)。実を申しますと、『竹林はるか遠く』にも、細かいところでは事実誤認等や不正確さはあるのですが、韓国人作家のこれらの作品には、前者に増して史実と異なる部分が数多くあるそうです。そもそも条約に基づく韓国の併合は”占領”ではありませんし(残念ながら、Watkins氏もthe occupationと表現している…)、創氏改名は、新たに設けられたのは”氏”であり、韓国の”姓”はそのまま残されました。仮に日本国の強制であれば、創氏改名は100%となるはずですが、結局は80%程であったそうです。日本国政府の奨励や誘導があったとしても、中には日本名を名乗りたがった朝鮮人もおり(日本名の方が国際的には信頼された…)、実際には、創氏改名以前にあって、勝手に日本名を名乗っていた朝鮮人も少なくなかったそうです。こうした基本的な部分に誤りがありながら、これらの作品は、『竹林はるか遠く』と同様に、アメリカの子供達に読まれています(日本統治下にあって朝鮮半島が劇的に近代化され、小学校から京城帝国大学まで、数多くの教育機関が建設されたことには触れていないのでは…)。この結果、これらの作品を読んだアメリカの子供たちは、日本=残酷な加害国、韓国=哀れな被害国というイメージを抱いて大人になることでしょう(韓国の捏造がやすやすと信じられてしまう土壌に…)。

 韓国人作家による作品もまた、『竹林はるか遠く』と同様に、10歳ぐらいの少女の目から見た戦時期の体験記なそうです。両書とも、『竹林はるか遠く』の出版後に登場してきていますので、あるいは、日本人虐殺による韓国のイメージ悪化を恐れた韓国政府が、プロパガンダ政策の一環として積極的に出版を後押しした可能性もあります。日本人が知らないうちに、史実と異なる虚像がアメリカの子供たちに刷り込まれていくとしますと、これは、看過できない問題です。児童文学が、政治的なプロパガンダの道具、あるいは、誤った理解の元とならないよう、日本国政府は、作品に明白なる虚偽がある場合には(フィクションであるならば、フィクションと明記すべき…)、筆者、あるいは、出版社に訂正を申し入れるべきではないでしょうか。

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”第二の漢江の奇跡”は対日賠償狙い?

2013年08月02日 15時35分17秒 | アジア
 今年3月、韓国の朴大統領が、その就任式の演説において”第二の漢江の奇跡を成し遂げる”と述べたとき、日本国の反応は、父大統領の功績を持ち出したぐらいに、軽く解釈していました。しかしながら、現在の韓国の様子を見ますと、過去の成功例を繰り返そうとする執念深い姿が浮かび上がってきます。

 ”漢江の奇跡”とは、父朴大統領の時代に、朝鮮戦争等から貧困国に転落していた韓国が急速に経済成長を遂げた”奇跡”を意味しています。その背景には、1965年に日韓基本関係条約が締結され、日本国から莫大の経済支援を獲得できたという幸運がありました。同時に締結された日韓請求権協定において、韓国は、無償金3億ドル、有償金2億ドル・、間借款3億ドル以上の支援を獲得したのです(同時に、戦前に日本国や日本人が朝鮮半島に残した資産もすべて手にした…)。現在の額に換算すると、合計4兆5千億円程であり、韓国の当時の国家予算の2倍以上の額に上ります。これだけの資金をインフラ整備等につぎ込むことができたのですから、”漢江の奇跡”は、奇跡でもなんでもありません。韓国国民には、日本からの巨額の支援金について知らされていないそうですが、現在の朴大統領は、”漢江の奇跡”の当事者の娘ですので、この事実を知らないはずはありません。知っていながら、”第二の漢江の奇跡”を政策目標に掲げたとしますと、それは、対日請求と結びついていると考えざるを得ないのです。

 一昨日には、新日鉄住金に続き、三菱重工業もまた、韓国の高裁から戦時徴用の賠償金支払いを命じられています。韓国の最高裁判所は、日韓基本関係条約によって植民地支配、並びに、個人の賠償権は放棄されていないとする立場を示していますので、元慰安婦をはじめ、被害者やその遺族たちが、続々と個人賠償を求めて裁判を起こす可能性もあります。この方針、朴大統領に始まったことではないのかもしれませんが(少なくとも、司法の暴走を黙認…)、”第二の漢江の奇跡”が、日本国から不当に賠償を取り立てようとする”略奪政策”であるとしますと、それは、国際法では許されない”漢江の奇行”でしかないとないと思うのです。

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