今月11月16日、日本国の岩屋毅外務大臣は、就任間もない時期にありながら、電撃的にウクライナを訪問し、アンドリー・シビハ外務大臣と会談すると共に同国に対する支援を約束しました。その一方で、日本国内では、岸田前首相による異様なまでのウクライナへの肩入れが疑問視され、1兆円を超えるとされる支援額にも国民から批判の声が上がっておりました。このため、少なくない国民が、石破政権に岸田路線の変更を期待していたのですが、同期待は早々に裏切られてしまったようです。
11月16日と言えば、同盟国であるアメリカでは、既に大統領選挙が終了し、来年1月における第二次トランプ政権の発足が確定しています。対ウクライナ政策については、トランプ次期大統領は、選挙戦にあってロシアに有利な形での戦争の早期終結を訴えており、就任後は、バイデン現大統領とは逆方向に舵を切るとするのが大方の予測でした。それでは、何故、岩屋外相は、かくもウクライナ訪問を急いだのでしょうか。
これまで、日本国政府は、対ウ支援の根拠をロシアの国際法違反行為、すなわち、侵略を排除する国際社会の一員としての一般的な責務に求めてきました。しかしながら、国民の大多数は、日本国政府による巨額支援の背景には、アメリカのバイデン民主党政権からの強い要請(命令?)があったとものと見なしています。近い将来に起き得る中国の軍事行動に備えた‘前貸し’という見方もありますが、安全保障上の理由のみではありません(台湾有事に際してNATOが対日軍事支援を行なうとは限らない・・・)。むしろ、少なくない国民が、エネルギー資源をめぐるバイデン・ファミリーのウクライナ利権のみならず、‘戦争’がアメリカの軍需産業を潤している実態、すなわち、日本国の巨額支援の大半もウクライナの兵器調達を経由してアメリカに環流される仕組みを理解しているからでもあります。
そのアメリカにあってバイデン大統領が去り、ロシアのプーチン大統領とも親交のあるトランプ氏が大統領に就任するのですから、日本国民の多くが、アメリカからのウクライナ支援の強要もなくなり、財政負担が軽減されると期待したのも当然のことです。しかも、発足したばかりの石破首相は、岸田前首相よりも中国寄りの政治家とも見なされていましたので、前政権を引き継いでウクライナ支援が継続されるとは、誰もが予測していなかったのです。
同盟関係にある日米の二国間関係だけを切り取りますと、岩屋外相のウクライナ訪問と支援の継続は理解に苦しみます。アメリカが戦争の舞台から降りようとしているのに、同国に引きずられて舞台に上がったはずの日本国は、戦場というこの舞台に残ろうとしているのですから。同国での復興事業が日本企業のビジネス・チャンスとなるとする期待もありますが、ウクライナは地理的にも日本国から距離があり、しかも、デフォルトが常々懸念されていた上に政府腐敗指数の高い国ですので、1兆円の投資額に見合ったリターンがあるとは到底思えません。
経済的な理由が成り立たないとすれば、岩屋外相の行動は、意味不明どころか、重大なリスク含みとなりましょう。日本国並びに日本国民に財政負担を課し続けると共に、安全保障上のリスクを齎しかねないのですから。何故ならば、日本国政府は、アメリカという国家ではなく、アメリカを含む全世界の諸国を背後でコントロールしているグローバルな金融・経済勢力の意向に従っている疑いが濃厚となるからです。同勢力の本拠地のあるヨーロッパでも同様の現象が見られ、第二次トランプ政権の発足が確実となった後も、フォンデアライエン欧州委員長はウクライナ支援の継続を強く打ち出しています。ロシアと陸続きとなるヨーロッパでは、ロシアを敵視する傾向にはあるものの、NATOのリーダー格はアメリカですので、ここでも齟齬が見られるのです。
そして、世界権力の伝統的な手法が、国際社会を二分した上で、両陣営の対立関係から世界大戦に誘導するものであったことを思い起こしますと、第三次世界大戦の危機が迫っているようにも思えます。ロシアと北朝鮮との軍事同盟の締結も、戦火拡大の導火線であるのかもしれません。この視点からすれば、岩屋外相のウクライナ訪問の意味がおぼろげながら浮かび上がってくるようにも思えるのです(つづく)。