1952年4月28日、第二次世界大戦後に日本国と米英等の主要連合国諸国との間に締結されたサンフランシスコ講和条約(日本国との平和条約)が発効しました。この4月28日は、休日ではないものの、日本国が主権を回復した日として‘サンフランシスコ講和記念日’に定められています。70年以上の時が流れ、同講和条約は、既に過去のものとなった感があるのですが、昨今の日本国をとりまく国際情勢の悪化は、同条約を再び歴史の表舞台に引き出すかも知れません。
それでは、何故、サンフランシスコ講和条約が、今日、時のかなたから蘇るのでしょうか。その理由は、日本国政府によるICJ(国際司法裁判所)への単独提訴の可能性にあります。昨日の記事にて述べましたように、既存の条約にあって紛争解決手段の条文にICJへの委託が明記されている場合には、同裁判所はこの訴えを受理し、自らの管轄権の範囲となる事件として手続きを開始することができるからです。
講和条約(Treaty of Peace)とは、その名が示すように、当事国が戦争を最終的に終結させ、敵対関係を完全に解消するために結ばれるものです。いわば戦争の完全なる幕引きであり、以後、平和が回復されることとなるのです。このため、将来にあって対立が再燃しないように、講和交渉の過程にあって領域の法的確定作業も行なわれます。サンフランシスコ講和条約を見ますと、その第2条には、(a)から(f)の6項にわたって日本国が放棄する領土権について記されています。(a)は朝鮮、(b)は台湾・澎湖諸島、(c)は千島列島、(d)は国際連盟の信託統治地域、(e)は南極の日本管轄区、そして(f)は、新南群島及び南沙諸島となります。これらの規程より、戦後の日本国の領域は法的に確定され、領土的な紛争要因は取り除かれたはずでした。
ところが、同条約の発効時には既に北方領土はソ連邦が占領し、自国領に編入すると共に、同年1月には、韓国によって「李承晩ライン」が引かれ、竹島が韓国に取り込まれます(1954年6月には韓国沿岸警備隊の駐留部隊が上陸して‘不法占拠’・・・)。加えて、1960年代末に、国連の調査により石油・天然ガス埋蔵の可能性が報告されると、突如として中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めるのです(尖閣諸島については台湾も領有権を主張・・・)。かくして、日本国は、太平洋方面を除いて、周囲の隣国との間に領域をめぐる紛争を抱え込むこととなったのです。
もちろん、その背景には冷戦並びに中国の国共内戦の激化があり、同講和会議にはソ連邦も中華民国も参加しておらず、ましてや中華人民共和国は米英からは国家承認さえ受けていません。いわば、非参加国の存在という講和条約としての欠陥が、平和が訪れたはずの日本国に領土に関する紛争の要因を残してしまったと言えましょう。そして今日、遂に、中国は、台湾並びに尖閣諸島の領有権を主張して、武力行使に及ぼうとしているのです。
こうした領域をめぐる問題については、これまで、司法解決は難しいとされてきました。とりわけICJは、当事国の合意を、訴訟の受理並びに訴訟開始の手続きの条件としているため、司法解決のハードルは極めて高いと認識されてきたのです。しかしながら、上述したように、近年、他の条約に明記された紛争解決の手段としてICJが指定されている場合、単独提訴であっても受理するケースが増えています。それでは、サンフランシスコ講和条約における紛争解決の手段とは、どのように定められているのでしょうか。同条約第22条の全文は、以下の通りです。
「この条約のいずれかの当事国が特別請求裁判所への付託又は他の合意された方法で解決されない条約の解釈又は実施に関する紛争が生じたと認められるときは、紛争は、いずれかの紛争当事国の要請により、国際司法裁判所に決定のための付託をしなければならない。日本国及びまだ国際司法裁判所規程の当事国でない連合国は、それぞれがこの条約を批准する時に、且つ、1946年10月15日の国際連合安全保障理事会の決議には従って、この条約に掲げた性質をもつすべての紛争に関して、一般的に同裁判所の管轄権を特別の合意なしに受託する一般的宣言書を同裁判所書記に寄託する者とする。」
同条分は、サンフランシスコ講和条約の解釈や実施をめぐって紛争が生じたときには、国際司法裁判所に付託する旨を明記しております。日本国は、同条約の当事国ですし、また、1954年4月2日に国際司法裁判所規程に加入していますので、当然に、第22条に基づいてICJに訴えを起こす権利を有していることとなるのです。それでは、この条文をどのように用いれば、日本国政府による単独提訴は、可能なのでしょうか(つづく)。