万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ICJによる解決の第一法源候補はサンフランシスコ講和条約では

2024年02月08日 10時56分22秒 | 日本政治
 1952年4月28日、第二次世界大戦後に日本国と米英等の主要連合国諸国との間に締結されたサンフランシスコ講和条約(日本国との平和条約)が発効しました。この4月28日は、休日ではないものの、日本国が主権を回復した日として‘サンフランシスコ講和記念日’に定められています。70年以上の時が流れ、同講和条約は、既に過去のものとなった感があるのですが、昨今の日本国をとりまく国際情勢の悪化は、同条約を再び歴史の表舞台に引き出すかも知れません。

 それでは、何故、サンフランシスコ講和条約が、今日、時のかなたから蘇るのでしょうか。その理由は、日本国政府によるICJ(国際司法裁判所)への単独提訴の可能性にあります。昨日の記事にて述べましたように、既存の条約にあって紛争解決手段の条文にICJへの委託が明記されている場合には、同裁判所はこの訴えを受理し、自らの管轄権の範囲となる事件として手続きを開始することができるからです。

 講和条約(Treaty of Peace)とは、その名が示すように、当事国が戦争を最終的に終結させ、敵対関係を完全に解消するために結ばれるものです。いわば戦争の完全なる幕引きであり、以後、平和が回復されることとなるのです。このため、将来にあって対立が再燃しないように、講和交渉の過程にあって領域の法的確定作業も行なわれます。サンフランシスコ講和条約を見ますと、その第2条には、(a)から(f)の6項にわたって日本国が放棄する領土権について記されています。(a)は朝鮮、(b)は台湾・澎湖諸島、(c)は千島列島、(d)は国際連盟の信託統治地域、(e)は南極の日本管轄区、そして(f)は、新南群島及び南沙諸島となります。これらの規程より、戦後の日本国の領域は法的に確定され、領土的な紛争要因は取り除かれたはずでした。

 ところが、同条約の発効時には既に北方領土はソ連邦が占領し、自国領に編入すると共に、同年1月には、韓国によって「李承晩ライン」が引かれ、竹島が韓国に取り込まれます(1954年6月には韓国沿岸警備隊の駐留部隊が上陸して‘不法占拠’・・・)。加えて、1960年代末に、国連の調査により石油・天然ガス埋蔵の可能性が報告されると、突如として中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めるのです(尖閣諸島については台湾も領有権を主張・・・)。かくして、日本国は、太平洋方面を除いて、周囲の隣国との間に領域をめぐる紛争を抱え込むこととなったのです。

 もちろん、その背景には冷戦並びに中国の国共内戦の激化があり、同講和会議にはソ連邦も中華民国も参加しておらず、ましてや中華人民共和国は米英からは国家承認さえ受けていません。いわば、非参加国の存在という講和条約としての欠陥が、平和が訪れたはずの日本国に領土に関する紛争の要因を残してしまったと言えましょう。そして今日、遂に、中国は、台湾並びに尖閣諸島の領有権を主張して、武力行使に及ぼうとしているのです。

 こうした領域をめぐる問題については、これまで、司法解決は難しいとされてきました。とりわけICJは、当事国の合意を、訴訟の受理並びに訴訟開始の手続きの条件としているため、司法解決のハードルは極めて高いと認識されてきたのです。しかしながら、上述したように、近年、他の条約に明記された紛争解決の手段としてICJが指定されている場合、単独提訴であっても受理するケースが増えています。それでは、サンフランシスコ講和条約における紛争解決の手段とは、どのように定められているのでしょうか。同条約第22条の全文は、以下の通りです。

「この条約のいずれかの当事国が特別請求裁判所への付託又は他の合意された方法で解決されない条約の解釈又は実施に関する紛争が生じたと認められるときは、紛争は、いずれかの紛争当事国の要請により、国際司法裁判所に決定のための付託をしなければならない。日本国及びまだ国際司法裁判所規程の当事国でない連合国は、それぞれがこの条約を批准する時に、且つ、1946年10月15日の国際連合安全保障理事会の決議には従って、この条約に掲げた性質をもつすべての紛争に関して、一般的に同裁判所の管轄権を特別の合意なしに受託する一般的宣言書を同裁判所書記に寄託する者とする。」

 同条分は、サンフランシスコ講和条約の解釈や実施をめぐって紛争が生じたときには、国際司法裁判所に付託する旨を明記しております。日本国は、同条約の当事国ですし、また、1954年4月2日に国際司法裁判所規程に加入していますので、当然に、第22条に基づいてICJに訴えを起こす権利を有していることとなるのです。それでは、この条文をどのように用いれば、日本国政府による単独提訴は、可能なのでしょうか(つづく)。

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国際司法機関への単独提訴の道はある

2024年02月07日 13時41分24秒 | 統治制度論
 ICJ(国際司法裁判所)については、これまで、当事国の合意がなければ開廷されないとされてきました。特に竹島問題については、再三に亘ってこの点が指摘されており、同問題が司法解決できない理由とされてきました。訴訟手続きにあって当事国の合意を要件とするのは、司法制度としては致命的な欠陥となりますので、制度改革により、早急に是正すべきと言えましょう。犯罪者の同意がなければ、裁判に付すことも出来ないようなものです。その一方で、今般のウクライナ紛争にあっても、イスラエル・ハマス戦争にあっても、ICJは、ロシア並びにイスラエルに対して暫定措置命令を発しています。

 1945年6月26日に署名された国際司法裁判所規程の第40条では、ICJに対する事件の提起は(1)特別の合意の通知、並びに、(2)書面の請求によるものの二つとされます。この規程からしますと、(2)の書面による請求であれば、原告国による単独提訴が可能なように思えます。ところが、1978年4月14日に採択され、より詳細な手続きを定めた国際司法裁判所規則の第38条5には、「請求の相手国が当該事件のための裁判に同意するまでは、その請求を総件名簿に記載してはならず、また、手続き上いかなる措置ももってはならない」とあり、被告国の同意がなければ裁判手続きが先に進まない仕組みとなっているのです。こうした諸規定が存在するため、ICJは、単独訴訟を門前払いすると批判されてきたのです。

 その一方で、ICJは、‘国家の権利が回復不能の損害に陥る切迫かつ重大な危機に存している場合’を想定し、保全的、あるいは、救済的な措置を準備しています。先ずもって、国際司法裁判所規程の第41条には、暫定措置の条文が設けられており、ICJに対して、同裁判所が必要と認められる時には、各当事者のそれぞれの権利を保全するために暫定措置を指示する権利を与えたのです。この条文には、紛争当事国双方の同意を要件とする旨の規定は見られず、ICJの職権とも解されます。

 ところが、この暫定措置は、国際司法裁判所規則では、より制限的な表現が加わっています。規則の第73条1では、暫定措置の指示を求める要請は、‘その要請の関係する事件の手続き中いつでも’とあり、事件の受理と手続きの開始を条件としているようにも読めます。また、ICJの職権による指示を定めたとされる第75条1でも、‘暫定措置の必要性の有無の検討を決定することができる’とする曖昧な言い回しであり、‘検討の決定’が‘暫定措置の決定’と同義であるのかどうか、判然としません。続く第75条2も、暫定措置の要請があった場合の規程であり、同要請が事件の受理を前提とすると狭く解釈するならば、単独要請もできないことになってしまいます。

 それでは、この難題を、どのようにしてウクライナや南アフリカは乗り越えたのでしょうか。その方法とは、他の条約に定められている‘紛争解決手段の条文’を利用するというものです。今般の両国の要請は、いずれもジェノサイド条約違反を問うているのですが、同条約の第9条には、同条約の適用または履行に関する締約国間の紛争は、いずれかの紛争当事国の要請によりICJに付託されるとしています。つまり、この条文を足がかりにすれば、直接の紛争当事国ではない南アフリカであっても、イスラエルを提訴することが出来るのです。ロシアもイスラエルもジェノサイド条約締約国ですので、ウクライナや南アフリカの訴えは、締約国間の紛争となるからです。因みに、同手法は、南シナ海問題にあって、フィリピンが、国連海洋法条約に基づいて常設仲裁裁判所に対して中国を訴えた事例に類似しています。何れにしましても、他の条約の紛争解決の条文にICJへの付託が明記されている場合には、ICJは、単独提訴であってもこれを受理し、裁判手続きが開始されるのです。

 なお、ウクライナの提訴に対してロシアは応訴せず、不出廷を選択しています(事実上の単独提訴・・・)。裁判回避は、ロシアに弁明の機会を失わせますので、この判断は適切であるとは思えないのですが、ICJは、非公式ながらもロシアの主張を考慮しつつ、暫定措置を指示していました。その一方、南アフリカの要請については、イスラエルは同訴訟手続きに参加しています。

 以上に述べてきましたように、ICJの手続きは、それが迂回的なものであれ、より一般の司法手続きに近づいてきたと言えましょう。そして、規程の改定を急ぐべきは言うまでもないのですが、現状にあって領有権確認訴訟の形態が難しいのであるならば、この手法は、尖閣諸島や竹島問題等の日本国が抱える問題の解決にも応用できるかもしれないと思うのです(つづく)。

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尖閣諸島問題もICJで解決を

2024年02月06日 09時50分03秒 | 日本政治
 昨今、国際紛争が起きる度に、ICJ(国際司法裁判所)が姿を現わすようになりました。ウクライナ紛争にあっては、紛争当事国のウクライナが単独でロシアを提訴し、イスラエル・ハマス戦争に至っては、紛争の非当事国であった南アフリカも単独でICJに対してイスラエルによるジェノサイドを止めるように訴えています。これまでのところ、ICJが発した暫定措置命令に対してロシア並びにイスラエルが誠実に従う様子は窺えないのですが、これらの政府の一連の行動により、国際社会におけるICJの存在感が高まると同時に、同機関に寄せられる期待も高まったと言えましょう。


 今般のICJへの訴えにより凡そ確立した手続き上の慣行は、(1)単独提訴、並びに、(2)非紛争当事国の訴訟資格です。このことは、各国政府にとって、ICJを含む国際司法機関による解決という選択肢が、利用可能な現実的手段となってきたことを意味しています。もちろん、上述したように、二つの紛争にあって被告側となるロシアもイスラエルも、ICJの暫定措置命令に服しておらず、ICJが強制執行力を備えていない以上、命令内容の実現は危ぶまれています。しかしながら、ICJが訴えを受理したという事実が重要です。そして、むしろ、同手法は、止めるのが難しい既に起きてしまった紛争よりも、近い将来において起きそうな紛争の未然防止に活かされる可能性があります。


 例えば、日本国は、目下、中国が尖閣諸島の領有権を主張するという事態に直面しています。尖閣諸島こそ、日本国にとりましては、中国との間で戦争となる可能性が高い争いと言えましょう。ところが、1970年代に始まる中国の領有権主張に対して、日本国政府の公式の見解は、尖閣諸島には‘領土問題’は一切ない、とするものです。歴史的にも法的にも明確なる日本領なので、問題そのものが存在しないという立場なのです。この公式見解は、日本国による尖閣諸島領有に対する揺るぎない姿勢を示してはいるのですが、国際社会において十分な防御力があるわけではありません。確かに、尖閣諸島は、無主地を確認した上で1895年の閣議決定において日本国領となり、第二次世界大戦後のサンフランシスコ講和条約にあっても帰属先に変化はありませんでした(沖縄等の信託統治は領域の範囲とは無関係・・・)。


 国際法に照らしても日本国領なのですが、中国は、尖閣諸島の法的地位を無視し、同諸島を国内法によって一方的に自国領と定め、自国の主権を行使しようとしています。先日も、中国の海警局艦船が、尖閣諸島周辺の日本領空を飛行する自衛隊機に対して‘退去’を無線で警告してきたとする報道がありました。尖閣諸島を‘中国領’と見なしての警告なのですが、相手国が一方的に自国領を主張する場合、‘領土問題はない’の一点張りで、自ら司法解決の道をも封印してしまう姿勢には疑問があります。


 確かに、日本国側が、中国の言い分に根拠があることを認めますと、外交交渉による合意解決となりかねず、中国の軍事的圧力を背景に、全てとは言わないまでも、EEZを含めて尖閣諸島の領有権の一部を中国に譲らざるを得ない状況に追い込まれるかも知れません。あるいは、双方譲らず、話し合いは永遠に平行線を辿ることも予測されます。何れにしましても、中国の主張にあって歴史的・法的根拠を認める場合には、日本国は、‘戦わずして敗北する結果’を覚悟しなければならなくなりましょう。しかしながら、相手国の正当な根拠を認めるのではなく、領有権の主張が存在することは認めることには、尖閣諸島の法的地位に何らの差し障りはないはずです。むしろ、相手国の主張に根拠がないことを内外に明確にするためにこそ、裁判に訴えた方がよいのです(領有権確認訴訟)。


 このように考えますと、戦争回避のための手段の一つとして、日本国政府は、ICJを活用すべきなのではないでしょうか。この手法は、中国の習近平国家主席が武力併合を試みようとしている台湾問題についても用いることができましょう。台湾の国家としての法的地位の確定をICJに求めるのです。国際司法制度の整備が不十分であり、判決の強制執行力を持たない現状を鑑みますと、同時並行的に核や指向性エネルギー兵器等の物理的な抑止力を備える必要もあるのですが、国際社会にあって法の支配の確立を目指す以上、日本国政府が進むべき道は自ずと定まってくるのではないかと思うのです。


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グローバル・スタンダードという新たな差別

2024年02月05日 12時51分14秒 | 社会
 差別とは、国語辞典を引くと「程度に差をつけて、あつかいを分けること」とあります。物品であれば、とりたてて反道徳・倫理的な行為とはならないのですが、人が対象となりますと、してはならない‘禁止行為’という意味合いを持つようになります。何故ならば、所属する集団や個人的な属性を‘あつかいを分ける’基準とした場合、基準に当てはまらない人々を排除することを意味するからです。国連では、「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為である」と説明されているそうです。


 同説明からも理解されるように、除外や拒否を伴うからこそ、差別は禁止行為とされていることは明らかです。差別を別の言葉で表現するとすれば、それは、属性だけで判断されるのですから、不公平あるいは不平等と言うことになりましょう。とりわけ人種、民族、宗教、文化、言語、性別等を基準とした差別は、不当な社会的な排除行為とされ、厳しい視線が向けられることとなったのです。実際に、アメリカ合衆国を初めとした多民族国家では、差別の解消やその撲滅は社会政策の一環として積極的に推進され、言論空間でも、炎上を呼びやすい極めてセンシティブな領域となりました。そして、1980年代以降、グローバル化が全世界に及ぶにつれ、差別問題は全世界の諸国にも波及してゆくのです。


 差別問題のグローバル化は、人種や民族等を選別基準とした差別をしてはならない、とする新たなグローバル・ルールの導入を意味しました。ところが、差別とは、選別基準が存在してこそ起こりえる現象ですので、この基準に従えば、人種や民族等の個人の属性そのものを基準としてはならないということになります。となりますと、今日の国民国家体系は、一民族一国家の基本原則において成立していますので、特定の民族がマジョリティとなる一般的な国家では、グローバル・ルールとの間に解消しがたい齟齬が生じることになるのです。


 2020年に開催された東京オリンピックにあって、伝統的な日本らしさが極力押さえられ、目下、中止論も浮上して先行き不透明となった大阪万博にあっても、未来ヴィジョンやそれを支える先端技術のみがアピールされるのも、グローバル・ルールを意識した結果であったことは疑いようもありません。先日、‘日本人とは誰なのか’という問題を引き起こしたミス日本問題も、まさにこの問題を象徴しているとも言えましょう。○○国代表や○△国優勝者といったタイトルは、そもそも同ルールに違反するのですから(民族あれ、国籍であれ、話語であれ、何れを基準としても参加資格は差別とならざるを得ない・・・)。


 それでも、長年の慣例を変えるわけにもいかず、この種のドメスティックな大会を継続させようとしますと、どのような事が起きるのでしょうか。先述したように、人種や民族等を基準とすることは、グローバル・ルールとして禁止されています。そこで、参加資格には目を瞑りつつ、コンテストの審査基準の方をグロール・ルールの合わせることで対処しようとするかもしれません。例えば、ミス○○では、○○国の固有の伝統的な美意識を審査基準としたのでは差別として批判されますので、この部分は、グローバル・スタンダードに変更するのです。この結果、コンテストの優勝者は、国家を枠組みとした大会であったとしても、選ばれる人は、グローバル・スタンダードにもっと合致した出場者となり、○○国を構成してきた民族の出場者は、悉く落選となるのです。


 確かに、この方法ですと、一見、人種差別や民族差別はないように見えます。しかしながら、よく考えてみますと、グローバル・スタンダードも、れっきとした差別とする見方も成り立ちます。おそらく、グローバル・スタンダードとは、‘特定の民族的属性を持たない人’ということになりますので、様々な人種や民族の血を引く人が選ばれることになります。近年のミス・ユニバースの優勝者の多くがラテン・アメリカ諸国の出身者であるのは、これらの諸国では、その歴史から、モンゴロイド系、コーカサイド系、並びに、アフリカ系の人種が混血しているからなのかもしれません。あるいは、‘グローバル’という観点からしますと、本当のところはユダヤ人の伝統的な美意識が基準であって、全世界に拡散したユダヤ人と混血した現地の人々の子孫達が選ばれているとも推測されましょう。そして、この現象は、美を競うコンテストのみならず、全世界のあらゆる場面で起きているように思えます(工業製品でも、一端、グローバルスタンダードが確立すると、国内規格は排除されてしまう・・・)。


 何れにしましても、グローバル・スタンダードにも、強力な排除作用が認められますので、差別的ではないとは言えなくなります。‘特定の民族的属性を持たない人’も、紛れもなく属性に関する基準の一つであり、‘特定の民族的属性を持つ人々’を排除するからです。つまり、差別をなくすという口実のもとで、新たな差別基準が採用されていることになりましょう。グローバル・スタンダードの差別性に気がつきませんと、いつの間にか、人類の多様性も豊かで多彩な伝統文化も消しさられ、やがて画一化されてしまうのではないかと危惧するのです。


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日本国政府は司法解決の流れを推進すべき

2024年02月02日 11時50分32秒 | 国際政治
 昨年末における南アフリカ政府によるICJへの訴えは、平和的な紛争解決の手段としての国際司法機関の役割に改めて目を向ける大きな切っ掛けとなりました。この流れを変えず、国際社会にあって平和的紛争解決の手段を整えることこそ、日本国の人類に対する貢献といえるかもしれません。

 とは申しましても、昨年の2023年3月16日には、当事国であるウクライナの要請を受けて、ICJは、暫定措置命令としてロシアに対してウクライナ領域内における軍事行動の即時停止等を命じています。しかしながら、そもそもウクライナは内戦状態にありましたし、ロシアが軍事介入の根拠として主張したロシア系住民に対する弾圧行為も、アゾフ連隊が実在した以上、完全には否定できない状況にありました。また、ゼレンスキー大統領がユダヤ系であったため、国際機関におけるユダヤロビーの影響力から、ICJが下したロシアに対する厳しい措置も、司法機関としての政治的中立性が疑われたのです。もっとも、本訴ではありませんので、証拠に基づく事実確認の作業や審理については後日の法廷に委ね、一先ずは軍事行動=平和の破壊行為との立場からその即時停止を求めたとも考えられましょう(この点については、今般のイスラエルに対するジェノサイド防止措置等の命令の方が妥協的・・・)。

 何れにしましても、ウクライナ紛争に際してのICJの判決が国際社会に与えたインパクトは比較的弱かったのですが、今般の南アフリカ政府の要請を受けての暫定措置命令は、国際法秩序の維持における国家の権利と責任を明確にした点において極めて重要です。国際社会における紛争というものが、たとえそれが二国間、あるいは、多国間の対立に起因するものであっても、国際社会のメンバーとなる他の非当事国にも、同秩序を擁護する責任、並びに、訴訟を起こす権利を認めたからです。言い換えますと、国際法秩序の維持は、国際社会全体の問題であり、これを脅かす違法行為がある場合には、紛争当事国でなくとも関係国として責任と権利が生じるのです。確かに、国際法秩序が崩壊すれば、全ての国が無法地帯に放り込まれてしまいます。国連安保理を中心機関とする集団的安全保障システムとは別系統の紛争解決の仕組みとして、国際司法制度が表舞台に躍り出たこととなりましょう。

 実のところ、国際法秩序の維持を国際社会全体の問題として捉え、全てのメンバーが責務を負うとする立場は、それが政治的な方便であれ、日本国が、他国に先駆けて率先して実践してきたことでもありました。日本国による巨額のウクライナ支援は、この論理に基づいています。ロシアによるウクライナに対する特別軍事作戦は、国際法に違反する侵略行為であり、この行為を放置すると国際法秩序が崩壊するので、日本国は、ウクライナを支援する、というのが、日本国政府の基本的なスタンスであるからです。

 もっとも、ICJによる暫定措置命令は、いわば‘仮処分’に過ぎませんので、本来であれば、本訴によって判決が確定し、ウクライナ側とロシア側のどちらに非があるのかが判明してから、政策方針を決定すべきでした。否、何よりも、紛争の非当事国であるならば、そして、国際法秩序の問題として対応するならば、第一にすべきことは、南アフリカと同様に、ICJに対してロシアの違法性を訴因として提訴することであったはずなのです。

 ところが、日本国政府は、ICJによる判断を待つどころか、自ら事実を調査しようともせず、巨額の財政支援をウクライナに与えることを決定してしまうのです。こうした日本国政府のウクライナへの肩入れは、同盟国であり、ウクライナのゼレンスキー政権の後ろ盾でもあるアメリカからの要請、あるいは、圧力があったことは容易に推測されるのですが、ウクライナ支援に日本国民の多くが反発するのも、作業の順が本来あるべきものと違っているからなのでしょう。結局、停戦に寄与するどころか、火に油を注ぐかのようにウクライナに軍資金を貢ぐ結果となったのですから。ICJへの即時停戦命令の要請、あるいは、訴訟であれば、日本国の財政負担は殆どゼロに近かったはずですし、ICJによるロシアを侵略国とする判決が確定した後であれば、日本国一国で、1兆円を遥かに超える巨額の資金を負担しなくても済んだはずなのです。

 日本国政府は、国際法秩序の維持を国際社会全体の問題として捉え、かつ、法の支配の確立を目指すのであれば、ウクライナ紛争での対応の失敗を教訓として、今後は、ICJ等の国際司法機関への訴えを最初のステップとすべきように思えます。戦争の時代に幕を下ろすために日本国政府が今日なし得るのは、戦争から平和へと時代の流れが変わったことを自らの行動で示すことではないかと思うのです。

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パレスチナ紛争はICJで司法解決を

2024年02月01日 11時50分44秒 | 国際政治
 人類史にあって、イスラエル・ハマス戦争は紛争の平和的解決に向けた転機となるかも知れない、と申しますと、多くの人々は首を傾げることでしょう。現実には、ガザ地区におおけるイスラエル軍の残虐行為を、嫌という程に見せつけられているのですから。悲劇的な状況下にありながら、僅かなりとも希望の光を見出すとしますと、それは、南アフリカによるイスラエルを相手取ったICJ(国際司法裁判所)への訴えなのではないでしょうか。

 昨年の12月29日、南アフリカは、イスラエルのガザ地区のパレスチナ人に対する行為をジェノサイドとして批判し、ICJに対して軍事作戦の全面停止を命じるように要請しました。南アフリカは紛争当事国ではありませんので、ICJの対応が危ぶまれたのですが、同裁判所は、この問題をICJの管轄権の範囲にあるものと認めて受理しています。そして、凡そ一ヶ月後の2024年1月26日、ICJは、注目の判断を下します。ICJは、イスラエルに対ししてジェノサイド並びにその扇動行為を防止する策を採ること、並びに、ガザ地区住民に対して緊急の必要物資や人道支援を提供し得る措置をとることなどを命じたのです。

 今般のICJの判断は、暫定措置命令の形で発せられており、法廷での審理を経た判決ではありません。国内の司法制度で言えば仮処分のようなものなのですが、証拠に基づく事実確認が済んでいない段階ですので、被害の拡大を最小限に抑えるための暫定措置命令であったことは頷けます。そして、この‘仮処分’は、今後、正式な訴訟が提起されれば、中立公平な立場にある機関等による証拠集めがなされ、公判の準備が整えば、正式な司法手続きのもとで判決が下され得ることを意味します(ただし、何らかの妨害がなければ・・・)。その判決が何時であれ、イスラエルは、‘裁き’を受ける立場となったのです。

 もっとも、即時停戦を求める国際世論からしますと、ICJの暫定措置命令が、防止的措置や妨害の禁止等の生ぬるい措置に留まったことには、落胆の声もありました。しかしながら、イスラエルのガザ地区における軍事行動そのものが住民虐殺を伴っていますので、ジェノサイドの防止措置を実行しようとすれば、軍事行動、少なくとも住民の殺戮を停止せざるを得なくなります。この点、同暫定措置命令は、一定のイスラエルの軍事行動を抑制する効果が期待されるのです(ただし、イスラエルが誠実に同暫定措置に従えば・・・)。

 かくして、南アフリカが先陣を切ったことにより、紛争当事国以外の国でも、司法的手段によって現実に起きている戦争や紛争を抑止あるいは制御し得る道が拓かれたることとなりました。つまり、国際法秩序全体に関わる問題であれば、紛争当事国以外の国でも原告適格が認められ、かつ、単独訴訟も可能となったのです。一般的には仮処分と本訴とは一連の訴訟の流れですので、仮処分の訴えが認められたのですから、本訴が受理されないはずもありません(ただし、不当な外圧あるいは内圧がかからなければ・・・)。

 そして、この手法は、パレスチナ紛争自体をも司法解決に用いることができるはずです。何故ならば、イスラエルとパレスチナ国との法的な国境線は1947年11月29日に成立した国連総会決議(決議181号Ⅱ)によって引かれていますので、同決議が、司法解決を可能とする法源となるからです(1967年の国連決議やオスロ合意については、1947年の決議を基本点として和解勧告?)。もちろん、パレスチナ国は既に国連においてオブザーバーの地位を得ていますので、同国が訴訟当事国として最も相応しいことは言うまでもありません。その一方で、南アフリカと同様に、何れの国の政府も、パレスチナ問題についてICJに提訴し得るのです。

 国際社会における積極的に法の支配の確立を訴えてきた日本国政府も、パレスチナ問題の法的解決をICJに対して求めることができるはずです。日本国憲法の前文には、「・・・われらは、平和を維持し。専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。・・・」という下りがありますが、真に名誉ある国家が平和に貢献する国家であるならば、日本国政府こそ、パレスチナ問題の司法解決を実現すべく、イスラエルによるパレスチナ国の領域侵犯を、国際法上の侵略の罪としてICJに提訴すべきとも言えましょう。あるいは、百歩譲って‘侵略’という表現がイスラエルを‘刺激する’として避けるならば、せめて領有権確認訴訟の形でイスラエルとパレスチナ国との国境線の確認を求めるという、より温和な方法もあります。

 何れにしましても、何れかの国による勇気ある行動が、人類史において繰り返されてきた戦争の惨禍から人類を救い出すのではないかと思うのです。

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