年の瀬も迫る12月の下旬だというのにある男に会いに行ってきた。
もう30数年以上の間、その男には一度は直接会っておきたかったのさ。
彼の名は内田勘太郎。
関西の中年男性を除いてこの名前でピンときたなら、
余程の偏執的なマニアか音楽好きな者しかいまい。
元「憂歌団」のメンバーでギターを弾いている男である。
先月1年生さんの記事へコメント紹介したバンドなのです。
https://www.youtube.com/watch?v=K7e01ASlO1w
これはもう今から40年以上前の映像。
この当時全国的にもバンドブームだったが取り分け大阪を中心とする
関西系バンドの熱気が凄くライブハウスはいつも超満員。
「上田正樹とサウストウサウス」、西のキャロルと呼ばれた桑名正博率いる
「ファニーカンパニー」、塩次伸二、山岸潤史らの「ウエストロードブルースバンド」、
そんな個性豊かな魅力的なバンドの中でも負けず劣らずの存在感をはなっていたのが
「憂歌団」だった。
1998年に活動休止となり、たまのイベントで再結成したりもしたが、
3年前にドラムの島田が自殺、もう二度とオリジナルメンバーで見ることは出来ない。
ヴォーカルの木村充揮のキャラが立つ為どうしても他のメンバーの影が薄くなりがちなのだが、
どうしてどうして内田のギターテクニックは当時から素晴らしいものだった。
特に瓶カルピスの首を気に入って切って使っていたスライド奏法は得意中の得意で、
その瓶が無くなる際に大量に買い占めてストックしていたものの、
今ではもう底をついてしまったなんて逸話は有名な話である。
知名度こそ全国的には低いものの、その腕前は知る人ぞ知るところで、
ある意味エレキとアコースティックの違いはあれども
あの竹田和夫に肩を並べるくらいの上手さだと私は思っている。
一般受けが低い分、業界人にはタモリやかまやつひろしを始め熱烈なファンも多い。
全く関係ない話だが漫才師の「おぼん・こぼん」はかなりヤンチャな地元の先輩で、
野球部だったおぼんにはバットで・・・されないようにいつもビビッていたというのは
本人の談である。
大阪出身ながら憂歌という日本語訳でも判るように根っからのブルースマンなのだ。
そんな内田も沖縄に移住してしまい時々CDや音楽系雑誌の記事で目にするだけだった。
先日ふと彼がミナミでライブをするのに気がついたのは何かの因縁だろうか。
平日ながら有難いことに指定席が予約出来た。
注)店にもよるけど小さなライブハウスの場合、通常は当日先着順座席になるのが多い
難波にあるミュージックバーSはテーブル座席20、椅子席10、カウンター5名程度の
小さなお店。
そこのテーブル席に陣取りいつものように酒とつまみを注文。
初めてのナマ勘太郎は期待した以上の男でした。
見た目は憂歌団当時はガッチリ系のモサモサ髪だったのに
湯引きされたようにすっきりスリムになってサラサラヘアーが印象的。
もう還暦と思えないくらいに若々しい。
演奏?
そりゃ全く余裕のヨっちゃん、スタジオ録音かと思うくらいにクリアなサウンド。
手を抜かない職人魂みたいなものを感じるね。
1時間半の間に一切休憩も取らず全力で演ってくれました。
趣味、嗜好の世界で誰にも向くかと聞かれりゃ自信はないけどさ。
まあこれを一回聴いてみてよ。
https://www.youtube.com/watch?v=Co9ajbI4KJ4
新譜は販売数量が限られているので手に入りにくくなってますが、
辛うじてタワーレコードでは入手可能、是非お勧めします。
http://tower.jp/item/3452889/DES'E-MY-BLUES
また合間のMCや軽いトーンのヴォーカルも意外や意外、これもなかなかイケる。
足元に置いた飲料は水でもポカリでもない経口補水液OS-1。
これは今年の夏に早逝したギタリストのイッシャン(石田長生)のお勧めだったらしく、
湿っぽくなりがちな故人の話も観客に「みんな長生きせんとあきまへん」てな具合で
サラッと語るのが自分には却ってじんとくるものがありましたね。
ギター職人=寡黙で頑固者みたいな先入観の私からすれば拍子抜けするくらい
朴訥ながら軽妙洒脱でサウンド同様滑舌の良いの男だったのに驚いたね。
一緒に来ていた小学生の息子さんもネタにしてまだまだ金が掛かるので
頑張って稼がないとなんて面白おかしく話してました。
先の竹田氏同様に人間性の温かい常識人は演奏能力以上に好きになりました。
やはり一芸に長ける者は二芸にも三芸にも秀でるものなんですかな。
この翌日沖縄に帰ると言ってましたが年明け早々にまたここに戻ってくるので
また是非来てくださいねなんて言われると思わずイッチャウかもね。
カンちゃん今宵はほんまにおおきに、良かった~!
今年最後のライヴは勘太郎でシメるとするか。