ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

紫めぐりの夏

2014年08月05日 | 旅と帰省とお出かけと

この夏は、デュフィが見つけた紫のイメージを探そうと思った。(我が人生はうるわし ~ デュフィの青

 

イメージはあった。 Tittenhurst、ビートルズが最後のフォトセッションを行った場所。(イマジンのビデオが撮られた白亜の豪邸もここにある)


デコなら、あの紫の穂がなびくヤナギランが見れるはずだ。(高原日和(びより)~デコ平湿原

標高が1300mを超えるデコ平湿原から見る磐梯山には、爽やかばかりでもないうごめくような生の躍動感がある。(夏が来れば ~ 裏磐梯の遠い空

ヤナギランと共に、楽しみにしていた風景なのです。

しかし、山の道は変わるものだ。木道のコースが前に来た時と違う。流れていた小川も枯れている。
どんな巨大熊がいるのだろうか、という、熊注意の立て看と囲い。 (森の熊さん

(写真下) ″ 生の躍動感 " というよりは、ビューポイントを失い、色をも失ったように見える。

 

最盛期には一週間ほど早いらしく、前に来た時は、ひらひら空を舞っていたアサギマダラの姿も見かけません。
道を行く熱心なカメラマンに声をかけて聞いてみると、ああ、あの浅葱(あさぎ)色だ。

ヤナギランの群生地も場所を変えておりました。

磐梯山の方へ、人の手の入った道を下っていくと、探していた紫に。

 

The Beatles' final photo session (FULL FILM)

昨日記事にした、心眼による色彩感のほうがデュフィの紫に近いのかもしれない。

小野川湖の朝日にも出会えました。
燃えるような紫の見える湖は別のポイントか、桧原湖か猪苗代湖なのかなという気もします。

日が昇るにつれて、立ち込めてくる幻想的な霧を捉えることができるのか、
もうもうと立ち込める湖面をフォーカスしてみた。


 

 

~ 番外編 ~

グランデコからみた夕日と蕎麦の花

 

海の水を掬ってみても、空に近づいてみても、青は決してつかむことができない。

高い場所に来ても、やはり高い空。

地上の赤、天空の青。

 

 

~ 夜はここに寝転がって星空をしばらく見ていたが、私も奥さんも、見えた流れ星は一個だけ。
   ホタルのヒカリは飛んでたけど、まーくん、ざんねん。
   ひとつひとつの規模はそれほどでなくとも、ピークを迎える水瓶座の流星群とか、いくつかが重なって流れ星シーズン到来のはずなのですが。

( ↓ ) プラネタリウムではいいのを観た。Kagaya studio制作の銀河鉄道の夜から。

 

昨夏は夏休みどころではなかったので、二年ぶりの会津・裏磐梯となってしまい、お伺いするのが今ごろになってしまいました。かたじけなく。 受験生を続行中のたーくんはお留守番。来年は皆で来て、立石寺あたりまで足をのばしたいものです。
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恩寵の時空、色彩の記憶

2014年08月03日 | 旅と帰省とお出かけと

かつてこんな木陰を見たことがない。恩寵のような夏の風景に出会う。

ほんとうの朝陽そのものに出会ったと思った。
木を見ているというよりも、神を見ていたような気がするほどだ。

僕はこれだけ生きてきて、おそらく何万回と夕陽を見ているはずです。
ところが小説で夕陽を書くとき、
そのうちの三回か四回、本当に夕陽そのものに出会ったと思った、その魂の経験としての夕陽しか書いていない。
女性を書くときもそうでしょう。
そういう体験は自分で探してもできるものではない「恩寵」のようなものであって、読む者の心を深く打つのは、そういう経験なんです。
書く前に考えていなかったことが、書いている途中で一種の霊的体験(インスピレーション)として出てきたらそれはいいものになるのであって、「この小説で何を書いたのか」って質問は無意味ですよ。
書く前に思っていたことしか書いていないものなんて読む必要もない。
エリアーデは「妖精たちの夜」を書き終わったあとに、その小説に含まれている意味を理解して愕然とした、というようなことを書いています。
(「新しいところから古くなっていく」。)

裏磐梯に来ると、ただ一本の木を見たいがために、時間をみつけてはわざわざ立ち寄る場所があります。

普通の観光旅行的な感覚だとありえないようにも思えますが、曽原湖そばにあるこのクルミの木に、会いたくなったりする。
喩えが適当ではないかもしれませんが、お墓参りにも似ている。
何か特別なことがあるわけでもない、ただのクルミの木なのですが、
朝には朝の、昼には昼の立ち姿をしていて、その素朴な様子を見るとなぜだか落ち着きます。

しかし、この日の朝は様子が違っていて、妖精たちが群れたように賑々しくも、神々しい光景に遭遇することになりました。

見る前に思い描いていたのとは違う「恩寵」の時空、
朝なのか白昼夢なのか、今なのか昔なのか、この光景に紛れてしまうと時制すら定かではなくなってくる。

ここは冥界と地続きの場所なのではないかと思える風景、異界のような地平は、時空がねじを巻いているかのようだ。

色を失いながらも極彩色に輝いているとでも言えばいいのか。

宙の周波数に含まれた紅や青が、グラデーションを為しながら光の中に顕れる。
(ソルフェジオ周波数とは)

目眩がするような宙。ねじれた時空の歪みの陰から、パワーが漏れ出しているかのようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 Ombra mai fu、 

「オンブラ(Ombra)」とは、イタリア語で「影」、
「マイ・フ」の「マイ」は英語で「never」。「フ」は三人称単数の過去形。合わせて「今までになかった」の意味に。

オンブラ マイ フ、 今までになかった影、光の緑陰。

 ~ 詩人とは必ずしも詩を書く人とは限らない。別に何をやっていてもかまわない。詩を書かなくてもよい。(「詩人」という生き方

 ~ 小説というのは、人類の発明した最も新しい、とても柔軟で豊かで便利な思考の方法だと思います。 いろんなことを重層的に書ける。
実はわれわれは小説というすごいものにまだ慣れていなくて、使いこなせていないんです。 (「新しいところから古くなっていく」。)

朝露の光たちが灰白色の蕾にぽっと紅色を灯した。取り戻された「色の記憶」

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夏越しのトリオ

2014年06月30日 | 旅と帰省とお出かけと

年末にささっと帰省したものの、三回忌のタイミングでの帰省はままならずにいました。

仕事の区切りもついたので、一日休みを取って、ようやくの大阪帰省。

通院以外での年休は、退院から復帰後はじめてです。

退院した時ですら翌日に産業医面談して最速復帰を目指し、あれから夏休みも、風邪っぴき休暇も取らずの一年。


さて、大阪に着いたら、弟と待合わせて、まずは天満に向かいました。

母のシチューといえばこれでした。玉葱やジャガイモをブツ切りにして、牛バラや牛すじ肉と煮込んだ、

アメリカ好みだったところを感じるような豪快で素朴なスープ。

土手焼きとかは好きでもないのに、今でも牛すじを求めるのは、たぶんこれが食べたいからです。

(大阪にはこのタイプのシチューを出す店が以前はたくさんあったらしいのですが、今ではこの「かね又」と新世界にある「あずまや」さんくらいになってしまったとのことです。)

  


お墓参りにいく道すがら、寄り道をすると、このようなすばらしい棚田があるのです。

これまで、田植えの頃に大阪に帰るということをしていませんでしたが、

田んぼに水を張った時期、朝霧や太陽の光を写した田んぼは、朝な夕なに、時折絶景と化します。

山形や新潟に行かずとも、このような絶景の棚田に出逢えるのか。( 天地人~棚田を見に行く )

TVからは関東のゲリラ豪雨を伝えるニュース、関西も週末は曇りがち、
うまくゆくと、夕陽を湛えた棚田の絶景に遭遇できるかもしれないと期待していましたが、、

ほぼ同じアングルですが、やはり写真で見たようなわけにはいきません。

水を張った時季であることはもちろんですが、稲の伸び具合ひとつで、出来上がりの風景は変わってきます。

( ↓ ) 以前採り上げたことのあるドゥリング/フルート、オーボエ、ピアノのためのトリオ

西方浄土を想うような曲なのです。

Trio for Flute, Oboe, and Piano by Madeline Dring, Mvt 2 Andante Semplice

 せっかくですから、「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」、古代から伝わる稲のパワー、をどぞ。

奈良の桜井市、天理市あたりは「山の辺の道」と呼ばれる古代大和ゆかりの地。

今日6/30、水無月の終わりの宵から、茅の輪くぐりと呼ばれる神事が執り行われます。

~ 水無月の夏越の祓する人は千歳の命延ぶといふなり ~ という古歌を唱えながら、茅の輪を三度くぐるとよい。

石上神宮(いそのかみ)の御神徳を。神事の前日に準備されていた茅の輪ですが、まだ通行止め。


軍鶏が木登りしていると思ったら、ここそこでパワーを発揮されています。 霊獣なのでしょか。

 

 

「夏越し茅の輪」は三輪明神 大神神社(おおみわじんじゃ)にもありました。

ここでは、三つの茅の輪が掲げられています。通れます。

杉、末、榊の三霊木をかかげたみわの茅の輪をくぐって、
大美和の大神様の、和魂・幸魂・奇魂それぞれの霊力を受けて祓い清めるのだという。

 

三回忌は過ぎてしまいましたが、三回茅の輪をくぐって、そのあと三輪素麺をいただきました。

 

はからずも、茅草の季節に夏越の大祓めぐり。

せっかくですから、今日の日にふさわしいドゥリングのトリオをもう一度。

お気に入りは第2楽章ですが、3つの楽章を3つの楽器のトリオで。

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聖地巡礼

2014年01月03日 | 旅と帰省とお出かけと

浄土真宗には「土徳」という言葉があって、その土地が持つ徳のようなものに人は育てられているという考え方があるのですが、
数年前から大阪に帰省するたびに織田作之助ゆかりの土地を訪ねたりして、大阪の持つ土徳のようなものを感じることが多くなったように思います。
その土地の水が合わないとか、水が変わるから気をつけて、とか言いますが、
人間の身心は、土地の持つ霊気のようなものから、何らかの影響を受けているのだと思う。

年の瀬、そんなわたしの大阪帰りのお伴にぴったりだったのがこの本。

大阪天満宮、上町台地に始まって、四天王寺に至るまで、
不思議なくらいに、ここ数年、足が向いた場所をなぞるように歩いておられるのです。

正月、織田作之助を訪ねて
(ジョージハリスン的 四天王寺散歩)

(Magical Mystery Tour @道頓堀/Osaka in 2012

 

 

土地の持つかすかな霊性を感じ取るというのが、この本のテーマでもあるのだが、
大阪という猥雑な土地の持つ霊性とはどのようなものなのか。

例えば、上町台地にある生魂神社の周辺は、お墓とラブホテルが交互に屹立する、いわゆる典型的な″悪所"に感じられます。
ほとんど世界中の人が褒めてくれる京都や神戸、奈良と違って、大阪にはこの″悪所"のイメージが強い。
ほっといても、世界中の人がほめてくれる京都や神戸や奈良とは違い、
大阪は、たしかに行ったこともないのに嫌いだという人が多いような気がします。

かつて大和朝廷の時代には、ほとんどが湿地帯や海で、文字通り、「河の内」だったのが、埋め立てられ、どんどん地形が変わり、人が住み着いていったのが大阪。
大和や京都、海や淀川から、いろいろなものが流れてくる「吹き溜まり」のような土地。

京都や奈良のように、東西南北の方位を通して、様々な神社仏閣を勧請(かんぜい)して、霊的な抑えを利かせるといったような、秩序だった土地とは来歴がちがいます。

「わたの原(大海原) 八十島かけて 漕ぎ出てぬと 人には告げよ 海人の釣り船」
と歌われた八十島は、島がたくさんあった大阪湾、難波八十島のことを歌っているのだという解釈が新鮮でした。

京都から隠岐に流される道程が瀬戸内海を経由して、というのも、どうしてそんなに回り道をするのか不可解なハナシだと思いますが、
古代と現代ではそもそも水陸の様子が全然違うのだと思えば、合点がいきます。大阪から隠岐へと通じる海路があったに違いありません。
大阪は水の都どころか海そのものだと思った方がイメージが湧くのだと思います。
谷町は、上町台地の西側の堀江だったというし、船場、難波、と、水にまつわる地名が都市部の随所に見られる。

砂州のような低い土地が、そこから拡がっていたという「上町台地」は、古代から一度も海没していない大阪中心部における唯一の土地だそうで、
上町台地の先端に大阪城があり、そこから生魂(生國魂、生玉)神社、四天王寺、住吉大社までが、大阪の宗教性の背骨になっている。

いわば、大阪の宗教ライン。

 

そして上町台地は、古代、神武天皇が日向からやってきた岬なのである。

大阪の上町台地、ここはお寺が約二キロにわたって立ち並んでいる。世界中どこへ行ってもモスクや教会がそんなに並んでいる場所なんてないです。
寺の門も墓石もみんな西を向いていますからね。
大地がひとつの生命体みたいなデザインになってるんです。

古代まで遡れば、生魂神社が祀る生島・足島は、上町台地のみならず日本列島の土地神であったということで、
″生玉さん″の理屈で言うなら、日本人全員が生魂神社の氏子ということになるらしいのです。

まるでアダムとイブに行き着く人類の起源、みたいで、少々乱暴な話ですが、
荒ぶる海民が日本人の起源であった、というのは、なかなかにロマンを感じる物語でもあります。
(縄文土器や弥生土器をこしらえて、コメを作ってたんだよ、といわれてもピンとこない時もある。)

日本という国の成り立ちを考える時に、普通は農耕民族を中心に考えるが、
海民の視点から日本を見るとまた別の姿が見えてくる、という指摘はなかなかに鋭いと思う。

平氏と源氏の争いって、海と風を操る異能者と、当時最速であった馬という野生動物を制御する異能者の対立と読み替えることができる。
海民と騎馬民族(海部(あまべ)と飼部(うまかいべ))、荒ぶる自然力のどちらを制御するものが、列島を支配することができるのか。
陸には白旗、沖には赤旗という、海と陸の図式的な対立が源平合戦の基本構図であり、
室町時代に成立した「能」のレパートリーは四分の一くらいが源平がらみの話とのこと。
運動会の赤白に至るまで、源氏と平氏の対立構造が、日本人の考え方の軸になっている。

源氏が勝利し、武家社会が日本の歴史の本流を形成するにつれて、
私たちは、(海民的でない)農耕民族的な、身体感覚を身につけていったのかもしれません。
海民的武士道というものがあったとすれば、今日の武士道に象徴されるものよりも、もっと荒々しいものになったのではないか、と思わせます。
武田騎馬隊に対した織田信長の鉄砲隊などの舶来の砲術や、カンフーとヌンチャクなど、持てるものを総動員した戦い方。

大阪という、水陸の交わる異界スポットは、海民的であるがゆえに、農耕型日本人にはなじまないのではないかと思えます。
京都のように万人に愛されることもなく、異端として、京都や東京に次ぐ都市でしかありえない理由がわかったような気がします。

( ↓ ) 東西南北という方位に対する身体感覚への言及がすばらしい。
(アメリカ人も、国の端から端までという」ときに、ニューヨークは自由の女神から、サンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジまでを思い浮かべるらしい。
東西方向重視の意識は、海民的、移民的なものなのか)

僕たちが空間認知をする時って、まず南北のラインを決めて、それから東西を決めるという順番なんですね。
なんでだか知らないけど、道場を建てる時も、南北が長くて東西が短い長方形にするのが基本なんです。
長安とか洛陽とか、平城京や平安京の都市のかたちと同じ長方形。
別に決まっているわけじゃないけど、そのほうがあきらかに身体を動かしやすいんです。
ところが、海民の場合は海からやって来るので、東西が気になる。

大阪の御堂筋という通りは、北御堂・南御堂の鐘が聞こえる所で暮らしていたいという真宗門徒の人々の宗教的感受性に基づいて形成されたんですよね。
鐘の音や振動を肌で感じ取ることを生活設計の基本に据えていた。

かつては、御堂さんの屋根より高い建物を建てないという習慣があったそうなんです。

そうした霊的感受性が今はほんとうに衰微している。
なんでこんな気持ちのいい道にこんな邪魔なものを建てるんだという憤りを今日は何度も感じました。

半世紀前までは、この道を歩くと何となく気持ちいいとか、ここはどうしてもこちらに曲がりたいとか、そういう体感を普通の市民でも備えていたはずです。

″ここはどうしてもこちらに曲がりたい″ 

この感覚って、失いかけているというか、無自覚でいると、そのような感覚を自分が持っていることすら忘れてしまう類の感覚だと思いませんか。

内田先生が、霊性を感じる感覚について口にしていますが、
わたしも、四天王寺界隈を数年前にあらためて歩いてみたとき、同じような違和感を抱きました。
四天王寺の持つ、浄土信仰の極みのような、あまりの広大無辺さに目が眩んでしまったとか、そういう頭で理解しようとする範囲を越えたプリミティブな違和感です。溢れ出る霊気に圧倒されているがゆえなのか。

法然、親鸞、一遍上人もここに来て、「日想観」をしたといわれる四天王寺西門で、
能曲「弱法師」を吟じながら沈む夕日を眺めようとも思いましたが、今の私には、水の合わないことのように感じられて、足が向きませんでした。

足が向かないから行かない、というのも霊性をみがく旅の選択肢としてある。

実は、今日の巡礼の最後の四天王寺を見たとき、ちょっとショックだったんです。
だって、まるでタイガーバームガーデンでしょう。おいおい、四天王寺ってこれかよ、って。
聖徳太子の造営というから期待していただけに、旅の終わりがこれかとやや気持ちが萎えているところに、最後ここ(四天王寺境内の五智光院)に連れてきていただいて、ほっといたしました。
今日、この五智光院に来てよかったのは、ここがすごく懐かしい場所のような感じがしたからなんです。そうそう、こういうところに来たかったんだよっていう。
ここの懐かしさって、個人的な経験として懐かしいのではなく、自分自身の霊性の深いところにあるものと、この場が同期している感じがするんです。
これ、四天王寺の講堂や五重塔では感じなかったんです。あそこに行ったときは、正直言うとかなり違和感があって、造形的にも皮膚感覚的にも全然同期しない。人生の最期に「君はここだよ」っていわれたら、「いや、俺はこの五重塔の中で息絶えるのはちょっと勘弁してほしいな」っていう感じがしたんです。
ところがこの場所はいいですね。こういうところで臨終の時を迎えるのなら、いい気分だろうなって。

先日亡くなった大滝詠一さんが、「聖地はスラム化する」と語った通り、
人間の世界で受け止めるには強すぎる霊力を制御する時に俗悪なもので飾り立てるというのは、ある意味仕方がないことで、それが自然過程なのだ。
道頓堀の派手な看板文化のそばにある法善寺横丁、
織田作之助の夫婦善哉の舞台にもなった場所で、横丁っぽい風情を醸そうとする意匠も見られるのですが、不思議と落ち着かない。
情緒というより、もっと強力でざわざわした感じがする。

いまや日本の主流をなす農耕型・狩猟型だけでなく、関西には海民のパワーも色濃く残っているがゆえ、霊力も強いのだと思います。
大阪を読み解くカギは「海民」にあるのではなかろうか。

 

まるで「沖には赤旗」の荒ぶる海民ソングです、赤いひこう船による移民の歌。

Led Zeppelin - Immigrant Song

近年とみに恋焦がれるようになった牛すじ、

決して土手焼き風のではなく、透明なスープに入った柔らかいやつ、

原点はこれでした。弟が涙したという「シチュー」の味、またいずれのときかに。

  

 

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3月11日(月)のつぶやき

2013年03月13日 | 旅と帰省とお出かけと

昨晩は楽しかったです。皆様ありがとう。さむいので、デッキで朝食、というひとはだれもいません。 pic.twitter.com/assJuqAu6v


腰がばかなので、予定修正を余儀なくされました。周りのすすめもあって、午前中の新幹線で東京に戻って、MRIもちゃんと撮ってもらいます。


新幹線で隣に座り合わせたご婦人が、富士山の頭だけがキレイに見えてますよ、と教えてくれた。たしかに、雲に取巻かれながら天辺だけが見えてるこのような富士山の姿はめずらしい。でも、ひとりで見るのがもったいなくて、声かけてしまってごめんなさい、という気持のほうがうれしく思いました。


腰は椎間板ヘルニアの可能性が高いとの診断。レントゲンではわからないことが多いらしい。仕事行くの大変でしょう、と痛み止めを沢山くださった。MRIは今日は一杯なので、週末までがまんするなら土曜に撮りましょうってことに。うー。(u_u)


慌てて新幹線の駅で買った「蓬莱 本館」の豚まん。先に戻った奥さんのとバッティングしたかと思ってよくみたら「551」ってちゃんと書いてる。ほんとに大阪人なのー、しんじられなーい。(・_・; pic.twitter.com/ZTQPFrIADl


友人のHくんに頂いたイタリアンワインが届きました。ありがとう~♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪ instagr.am/p/Wtxj3ur3Mg/


3/11に咲く庭のインフィニオン。ブルーの花をこれからいっぱい咲かせます。しかも、土や空気が合ってるのか、繁殖力がとても強いのです。 pic.twitter.com/cegm9S2cr9


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3月9日(土)のつぶやき

2013年03月13日 | 旅と帰省とお出かけと

るー、るるるー、、夜明けのスキャットになりそだ。(_ _).。o○ pic.twitter.com/8OPYM3wIpY


いよいよ、大阿闍梨に法要を営んでいただきにあがるのであります。なんまんだー、なんまんだー?


素晴らしい法要でした。建て替えた本堂は見事だし、子供たち向けに、あたりまえはあたりまえではないという法話も。少しかってがちがって照れ臭そうでしたけど、その後お宅で、奥様も交えて、おさべり。ワインまで手土産にいただきました。思い出に残る法要になって、ははも喜んでいると思います。


懐かしいー、千日前線に乗るの久しぶりー。今日は仕事でなくて、つるはしで焼き肉なのです。 pic.twitter.com/ZfKxbyLPfu


鶴橋、ディープ系はさすがに行列。大所帯だし、アジヨシ~ pic.twitter.com/Ox3nCO4c2T


宿をとったトラスティホテルは、偶然にも明日飲み会やるビルの隣でした。便利すぎ。 pic.twitter.com/5RgaL415vn


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初盆と雅(みやび)の夜

2012年08月07日 | 旅と帰省とお出かけと

中2になった下の子を連れて帰省した初盆

皆で念仏を唱和する、浄土真宗ってよいものだなと感じます。
唱えやすいように念仏の横には、音の上げ下げや長さまで書いてある。
一拍の長さが自在に伸び縮みする「伸縮自在な拍」、日本古来の音に対する感覚がそこにはあるように思えます。
雅楽と能について

本来は、きっと愉しんで謡うものだったはずの念仏やお経、
そろそろ晴れてきたか ~ 正信偈♪

次第に苔むした状態こそが有難いと思われるようになり、往時の活き活きしたものが失われていくのではないか。

( ↓ ) 法善寺横丁の水かけ地蔵。これは苔むすまで水を浴びせ続けた人々の願いが感じられてありがたや、に思えます。

 

お墓参りを済ませると一服する間もほどほどに、
友だちが篳篥(ひちりき)を奏する雅楽を観賞しに四天王寺へと向かいました。

急げ~
 
うぉー、近鉄南大阪線に乗るの何年ぶりだろ??

一路四天王寺へ。

今や大阪といえば、キタとミナミではなく、ミナミに天王寺(阿倍野)が取って代っているらしい。
若いひとの足はミナミではなく、天王寺へ向かうという。

オープンして間もないキューズモールにはそのままの名前でSHIBUYA109阿倍野店も入っている。
(ミナミは難波でも、マルイとか青山フラワーマーケットを見かけてここは大阪やんな??って思いましたけど。)

この日は雅楽演奏会が終わる夜の9時過ぎから、子ども連れで友だちとミナミに移動しての晩ご飯、夜遅くになる。
タクシーで弟の家まで帰るくらいなら、と急遽キューズモール横のTrustyホテルを当日予約。
(朝、散歩がてら、今年2012年7月3日に100周年を迎えたばかりという通天閣にも行けたし。)

通天閣同様、四天王寺も、大阪にいた頃はあんまり行かなかった場所。
今年のGWに訪れてみたのも何かの縁なのでしょうか。
ジョージハリスン的 四天王寺散歩

一時間ほど遅れて到着。友だちの篳篥(ひちりき)が引っ張る「承和楽」には間に合わず。
(パンフにはこの曲の奏者として名前もあった。残念。。)

初盆の夜に似つかわしい。
仏様はきっといると感じさせる、暗い境内にひと際輝く雅(みやび)の世界。
いっしょに連れて行ったまーくんの記憶にもきっと残り続けるであろう雅の響き。

少々ためらっているので、限定公開設定にしました。
曲は「陵王」、
四人でゆるやかに舞う普通の舞と違い、
" 一人で面をつけ舞台を走り廻る走舞(わしりまい)として大変有名"とのこと。
(みやびの宴が跳ねた後、面をとっておあいこさまにてわび。ゆるしてね。)

篝(かがり)の舞楽.wmv

私も父に連れて行ってもらって食べた串かつをなぜか覚えている。
新大阪エキナカでまーくんと。
そして、教えてもらわなかったらまず入ることはないと思われる「おはら」の広島焼き。

 

将来は道頓堀に住みたい、らしい。(--〆)

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裏磐梯の夕刻 ~ ステイ ゴールド♪

2012年07月16日 | 旅と帰省とお出かけと

そう言えば、朝陽を見るために早起きして出かけることはあっても、
なぜかわざわざ撮影することは少なかったのが、裏磐梯の夕刻の風景。

少し雲がかかってますが、燕が群れをなして飛んでいました。

ホテルの展望台から。黄金から始まるグラデーションをしばし眺む。

 

stay goldのような空。

やがて来る夜のとばり。



喫茶去。

                            

" Life - is but a twinkling of an eye "
~ 人生(ライフ)、それは ほんの まばたき位の瞬間 ・・・


Stevie Wonder - Stay Gold Lyrics

  つかまえて…… あの昔を
  ちょっと振り返ると とても若く おそれを知らないあなたがいる
 そして気づくだろう あの頃がいかに素晴らしかったか
 止めて ……  全てが永遠だと思っていたあの頃に
 しかし天気がそうであるように 全ては移ろい、留まることはない。 輝きよ、そのままに
 しかし、こんなにも はっきり思い出が甦る
 そして あなたがそう言うのなら、思い出もそうであろう
 消えてなくなっても 一筋の光を残して 輝いている

 人生 …… それは、ほんの まばたき位の瞬間
 しかし、悲しみと哀れみで溢れている
 気付かないかもしれないが、この世に起こるすべては年老いていく。 輝きはそのままに  

<2009/9/6初稿「LIFE ~ ステイ・ゴールド」>

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会津と「八重の桜」、そして歌われざる英雄について

2012年07月16日 | 旅と帰省とお出かけと

それは普通の民家の玄関先にあった。

来年2013年の大河ドラマの舞台は会津で始まります。

主人公は、新島襄(同志社大学の設立者)夫人の新島(旧姓 山本)八重。
プリンセス・トヨトミや干物女のキャラクターなんかで特異な存在感を感じるようになってきた、
綾瀬はるかさんが八重を演じるというからおもしろそう。

こんなパンフを磐梯山のSAで見つけて、八重の生誕地を訪ねてみました。 

パンフによれば、鶴ヶ城のすぐそば、家内の生まれた家があった場所からもほど近い。

(歩いてすぐのところには山鹿素行の生誕地の碑もあって、
 大河ドラマ「天地人」のころに採り上げてみました。)
まほろばの鶴ヶ城~秋」 ← ちんまいアイコンですが、中に39枚も写真があるのです。

八重は、幕末の会津戦争(戊辰戦争)の折に、籠城戦になった鶴ヶ城で、
髪を断って男装し、当時最新式であったスペンサー銃を持って銃撃戦に参加したといいます。

薙刀をたずさえた中野竹子などの娘子隊は白虎隊と共に有名ですが、
最新式の鉄砲を担いで、女性としてただ独り官軍に立ち向かった、このような勇婦がいたことを初めて知りました。

「生誕の地」というのはえてしてこんなものです。 ごく普通の民家の玄関先。。
(キリストや聖徳太子にいたっては厩だったのだぞ。)

会津で見つけたこの本、著者の姿勢に惹かれました。

曰く、
" 自刃した婦女子や薙刀隊のことを書いた礼賛的な書がたくさん出版されているのに対し、籠城中の一般婦人について記した書がほとんど見られない。入城せずに避難した婦女子についての記録も極めて乏しく、やがて世に消滅していこうとしているのはまことに惜しいことである。"

 会津女は芯が強いと言われますが、強さにもいろいろな形があるのです。

会津鶴ヶ城の女たち
阿達 義雄
歴史春秋出版

ウチダ先生にも共通する言説があります。
” Unsung Hero(歌われざる英雄)"、
表面的な歴史観だけでは見えてこない、
イマジネーションをもって活き活きさせないと見えてこない。
人の営みは、そんな薄っぺらいものではないのだ。

「起きなかった出来事についての歴史」というのは学術的にありえない。
起きた出来事を結びつけて因果関係のうちに叙するのが歴史の形式だが、
もっとも巨大な人間的努力や人間的巧知は、
「起こってもよかったはずの災厄が起こらなかった」という形で達成される。

アラームを感知し、そのアラームが鳴動を止めるように間合いを切り、方向を変える。
「何も起きなかった」ことを、幕末や戊辰のいくさを戦った軍人たちは「軍功」に数える習慣を持っていた。
「軍功」と聞くと、私たちはついつい「赫赫(かくかく)たる武勲」のような出来事を思い浮かべるが、
「軍功」とはそういうものだけではない。
 真の「軍功」というのは、むしろそういうものではない。

歴史ではエビデンスのないものは存在しないことになっている。
何も起こらなかった場合には、その人の功績には誰も気づかない(本人さえも)。
けれども、私たちの社会はそのようなunsung hero(その功績を歌う人のいない英雄)たちの無言の献身によって、
かろうじて今あるようなものとして成り立っている。
そのことを忘れるべきではない。
けれど、それをいったいだれに向かって告げればいいのか、それが分からない。"

分かるべきところが違う。
分かるべきを知り、分からぬところをわきまえる。
このような分別のあるひとになりたい。

街場の読書論
内田樹

太田出版

個人的に、実に馴染み深くて好都合な地図なので、スクラップしておきました。

コメント (14)
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Magical Mystery Tour @道頓堀/Osaka in 2012

2012年05月26日 | 旅と帰省とお出かけと

忘れないうちに。

子どもたちが大喜びだったのは大阪の繁華街。

いつもは御堂筋線ばかりを使っているので久しぶりに通ったJR大阪駅の変貌ぶりに驚きました。

まるでヤァ!ヤァ!ヤァ!のオープニングに出てくるロンドンのメリンボーン駅みたいではないか。

道頓堀川沿いには遊歩道になるデッキが設けられ、ヴェニスのように船が行きかっています。← ちょっと言い過ぎ。

子どもの希望により、道頓堀名物のタコ焼きを2店巡って相合橋で食したのですが、
コナモノ屋の明石焼きビストロなら、卵焼き風の明石焼きを道頓堀川沿いのテラスで食すことができるのです。
まるでセーヌのカフェテラスだ。 ← これもちょっと言い過ぎ? でも夜はなかなかに風情がある。

乗らなかったが、大阪城あたりから淀屋橋までは水上船が行きかい、水都 大阪を実感できます。

 

グリコ健在。

この夜は、今まで灯台もと暗しで、あまり家族で訪れることはなかったミナミの街に繰り出しました。
諸事情により大阪市内にホテルを取っていたので、ナンバから千日前通を堺筋・松屋町筋・谷町筋と横切ってホテルまで歩いたり、とか。 

早朝の大阪谷町筋散歩の後、高野山は奥の院詣でに行き、
夕方に高野山から引き返してミナミでボウリング&街歩き。

 

@千日前ストリートを走る、ビリケンさんと道頓堀太郎を描いたサイケなBus。
まるでマジカル・ミステリー・ツアー風でしょ。

The Beatles Magical Mystery Tour (2009 Stereo Remaster)

東京がスカイツリーで盛り上がってるなら、こちらは築100年の通天閣や~と思いましたが、
翌日は大阪城の天守閣へ。

平成の大修復の頃には東京に来ていたので、訪れていなかった大阪城。
城の大きさはもちろんですが、南は空堀通りと呼ばれる玉造辺りまで一帯が城の敷地だったというスケールの大きさにあらためて驚きました。

往時はそれは絢爛豪華だったのでしょうね。
  

        

             

大阪の美味しい「王将」で食べてみたいと言ってたまーくんの希望で、
ほんとは串カツを食べたいおじさんでしたが、大阪城の傍の京橋の王将で。
(グランシャトーのCMの歌(大阪のひとなら知ってるでしょ、♪京橋はええとこだっせ、グランシャトーがおまっせ♪)
  が今でも駅前に流れててうれしかったなぁ。)

プリンセス・トヨトミのお蔭もあって、子どもたちにはタイムリーな大阪巡りになったようです。

小説「プリンセス・トヨトミ」の舞台を巡る~大阪国の旅

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For Mother's Day

2012年05月12日 | 旅と帰省とお出かけと

これはキレイに過ぎるかもしれないので、母の日に。

~ カーネーションをそっと荷物にしのばせて。

  あぁ、会えなくなってから随分と月日が経ってしまいました。
  せっかくの再登場が格好よくなるように、
  ぼくは持っていきます、 何かあなたの為に。  

家人もよく出来ている、と言ってくれたし、今や現在進行形にとらわれない、生老病死からも自由な、
フリーランスな処にいるはずなので。

よく楽しそうに話していたし、たぶんよろこんでくれると思います。
( そのうち非公開にするかもしれませんが。)

ピンヒールなんかも履いている。
For Mother's Day, For your honor

写真を見てて今つくづく思うのは、若い頃ばかりではなく、今はまだリアルに過ぎる枯れた雰囲気の後年の写真にしても、
親の姿というのは自分がその年齢に達した時など、終生折々での寄る辺になるのでは、ということ。

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ジョージハリスン的 四天王寺散歩

2012年05月10日 | 旅と帰省とお出かけと

かつては" 四天王寺さん"と呼ばれ、昭和初期までは屈指の観光名所でもあったと言われる四天王寺。

聖徳太子建立(太子ゆかりの寺は沢山あるが、実際に建立に関わったのは法隆寺と四天王寺だけと言われているらしい)の寺で境内は広く、早朝から散歩やジョギングをする人、太極拳をする人たちまでいる。

なんだか似ているぞ。(↓ ジョージ ハリスンの「ダークホース」のジャケット。)

ここは境内のなかでもお地蔵さまばかりが何体もあるところ。

巣鴨で有名なとげぬき地蔵をはじめ、あらゆるお地蔵さまがいらっしゃるのである。

目を惹いたのは、この子育て地蔵かな。数々のお地蔵さまには帽子や服が施されてあって、この地の人々の温もりを感じます。

大阪の中心部、上町台地を早朝散歩。
谷町筋を夕陽丘方面に南下すると、一昨年の正月に母たちと歩いた生玉神社や織田作之助文学碑のある口縄坂がある。
正月、織田作之助を訪ねて

( ↓ ) 左:夜明け間近の谷町九丁目あたり。 右:朝陽に照らされる夕陽丘。

    

( ↓ ) 左:六時堂(手前は石舞台)、右:池には亀

 

五木寛之氏も母の経木を此処に流したという亀井堂を抜けると、

なるほど、いかにも極楽浄土っぽい日の輝きです。(これは東の空から昇ってくる朝陽ですが。)

                        

右は太子殿です。

 

妻が好きなコデマリ。

はじめにもどって、ジョージのダークホースを。(声がシブいわ。ちょっとねじれた意気軒昂さも。) 

You thought that you knew where I was and when
But it looks like they've been foolin you again,
You thought that you'd got me all steaked out
But baby looks like Ive been breaking out

I'm a dark horse
Running on a dark race course
I'm a blue moon
Since I stepped from out of the womb
I've been a cool jerk
Looking for the source
Im a dark horse.

You thought you had got me in your grip
Baby looks like you was not so smart
And I became too slippery for you
But let me say that was nothing new.

I thought that you knew it all along
Until you started getting me not right
Seems as if you heared a little late
But I warned you when
We both were at the starting gate

こんなのやってたのか。。
"人は変わっていくべきだ。"

映画『ジョージ・ハリスン』予告編

ザ・ビートルズのメンバーとして絶大な人気を誇るジョージ・ハリスンの没後10年作品として、『ディパーテッド』のアカデミー賞受賞監督マーティン・スコセッシが手掛けた­音楽ドキュメンタリー。子ども時代からビートルズのメンバー時代、さらにはソロ活動の時代といった各年代の未公開映像が見られる。リンゴ・スター、エリック・クラプトン、­ポール・マッカートニーらが登場し、ジョージのプライベートな素顔にも迫ることができる貴重な一作。
配給: 角川映画フィルムインク
オフィシャルサイトhttp://www.gh-movie.jp
(C) 2011 GROVE STREET PRODUCTIONS LIMITED.

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高野山 /奥の院 ~ 史上最大のお墓参り

2012年05月06日 | 旅と帰省とお出かけと

そうだ、高野山、行こう。

 

高野山にはまだ桜が残っていました。

京都や奈良に足が向くことはあっても、なかなか高野山の方へは、と思うのですが、

子どもたちが歴史に興味を持つようになったことだし、満中陰を終えたこの機会に、
世界遺産 高野山の秘境 奥の院をゆっくり歩くことに。

極楽橋から高野山まではケーブルで。母と行った比叡山を思い出します。(紀貫之に会いにいく

 

奥の院は歴史上の有名人が、宗派を問わず供養されており、浄土真宗の親鸞聖人のお墓もあります。

 

これはもう、史上最大のお墓参り、と言っていいでしょう。

かつて女人禁制だったこの地、高野山奥の院にあって、最大の6mを超える墓は、
大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」 の主人公、徳川400年の礎を築いた影の立役者とも言われる「江」の墓。
江戸の戸びらを開いたのは「江(ごう)」だったのかもしれません。

長男信康が織田信長の命によって切腹させられ、
家康の後継者となってもおかしくない立場(家康の次男)でありながら、側室の子として生まれ、不遇をかこった秀康。
家康は、秀吉に人質として秀康を差し出した。

永い風雪を経た石廟は、登壇するための石段を踏むことさえ禁止されている。

そのような人間模様を考えるにつけ、
戦国の世の面々が一堂に供養されている高野山 奥の院の懐の深さにおどろく。

比叡山を焼き払った信長、そして高野山にゆかりのある根来寺の焼き討ちを行なった秀吉。

奥の院に祀られているのには何か訳があるとしか思えない。

 

平成の大修復後、訪れたことのなかった大阪城の天守閣に翌日行ってきましたが、
天守閣の大きさはもちろん、空掘と呼ばれる一帯まで城郭が続いていたのかと思うと、
そのスケールたるや壮絶なものだったのだと感嘆いたしました。

( ↓ ) 明智光秀の字が読み取れます。

 

" 戦国武将らしく簡素な墓石は豪華を誇る上杉家の霊廟に比べ、却って人の心に迫るものがある。"
との解説が付されている武田信玄・勝頼の墓。
” 性格直情のなかにも文を学び、神仏に帰依した信玄公は、墓石を奥の院の一隅に求めた。"

信玄公は1573年4月12日逝去、勝頼公は1582年の3月11日逝去と記されている。

430年前の同じ日だ。(左が信玄、右が勝頼の墓。)

 

水向地蔵を過ぎ、御廟の橋を渡ると、即身成仏された弘法大師が今もなお生きていると信じられている聖域。

手前には片手で石を持ち上げることができれば善人、持ち上げられなければ悪人、という、
ためし石があって、一行7名全滅のなか、ひとり持ち上げることに成功したのですが、
その持ち上げようとする執着心が善人らしくない、とたしなめられました。

橋を渡る前に一礼し、身を正します。(ここからは撮影もできません。)

 

奥にみえるのは燈籠堂。

弘法大師御廟は、御堂の向こう側にひっそりと祀られています。

加持祈祷なのでしょうか、一心不乱にマントラのような言葉を唱えている熱心な信者の方もおられます。

線香とロウソクをあげて参りました。

 高野山内を巡る=奥の院

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1962年8月 ~ Candle in the wind

2012年04月21日 | 旅と帰省とお出かけと

六七日(むなのか)。

今年のはじめに記事にした帯津良一先生の著書に、なるほどそういうことか、と頷いた言葉がある。

私は人を敬うという場合、その人の何を敬えばいいのだろうと常々考えていました。
人間の本質は"明るく前向き"ではありません。
私たちはまずは自分のなかにあるかなしみを敬う必要があります。
かなしみが本質であり、土台だということをごまかしているから、マイナスの出来事が起こった時にすぐにグラグラしてしまうのです。
次に自分のなかにかなしみがあるのと同じように、他の人もかなしみを持っていることに目を向けてください。

そのかなしみに敬いの気持ちを持つことです。
このひとはどんな旅をしてきて、どんなかなしみを持って旅立とうとしているのか、その「旅情」に心を向けること。それが「敬」ということではないでしょうか。

故ダイアナ妃に捧げられたこの歌にはそのようなものを感じます。

殊更に美化してどうするのだとも思えるが、「旅情」に心を向ける「敬」の気持ちでいたい。

故人が好きだったもの、愛用していたものを棺に入れることをしますが、
年老いてから使っていたものが、必ずしも愛用の品であるとも限らない。
もっと可愛らしい洋服がほんとうは好みだったのに、もう似合わないからと着なかっただけなのかもしれない。
妻がそのようなことをアドバイスしてくれたおかげで、タンスの奥にしまいこまれていた若い時分の着物なども入れることにした。

亡くなる直前の姿も若い頃の姿も、そのひとであることに変わりはない。
人が亡くなってみると、そういうことを思ったりする。
現在進行形の呪縛から自由になったかのように。

スイセンが好きだったくらいだから、自ら望むことはしないと思うが、
For Your honor、1962年8月2日、たしかに世界にあった若い姿を称えたい。
(両親がNYに在住していたこの頃に生まれていれば私は今ごろアメリカ国籍をチョイスしてまた違った暮らしをしていたかもしれない。)
なかなかにモダンな美人だと思う。
 

 満中陰が明けたら、家にある旧いメモビリアをまじえて、もう少しマイナー調でない曲をつけて映像化してとっておこうかなどというアイデアが浮かんだ。
きっと よろこんでくれると思う。

Candle in the Windはもともとはマリリン モンローに向けられたもので、歌詞がところどころ変更されている。
オリジナルはさらに「敬」がリアルに感じられる。

Never knowing who to cling to  when the rain set in
雨嵐が来たときに しがみつく寄す辺もなかったのですね
And I would have liked to have known you But I was just a kid
もっと分かってあげたかったが、私はただの子どもだった。
Your candle burned out long before Your legend ever did
貴方の灯は燃え尽きてしまった 伝説になる前に

( ↓ ) マリリンと並べるのもヘンだが、「敬」において共通する。

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王貞治 「努力とは」

2012年04月07日 | 旅と帰省とお出かけと

四七日(しなのか)。

四番、ファースト、王。

長嶋さんが大好きになったのは後のことで、少年時代のヒーローは王さんだった。

実家の片づけをしていたら、王さんのサインボールが出てきた。
ホームラン世界記録を達成した当時のサインボール、マジックの文字も消えかかっている。
文字が読み取れるうちに、メモビリアとして残しておかなくては。

たしかポンキッキだったと思う。朝、この歌を聞いてから学校に行ってた記憶がある。

ビッグワン、ビッグワン、ビッグワン 王、いくぞー
一本足でかまえたら 狙いはそこだ、ホームラン
とんでゆけ、とんでゆけ、輝く明日へとんでゆけ

あぁ、思い出すだけで胸が高まるわ
坂上 忍さんが歌っていたようだが、ニコニコ動画にもYouTubeにも残念ながら見つからない。

( ↓ ) こっちはあった。

 "Southpaw"

「努力」。
王さんがサインをする時によく添えていた言葉だ。
努力や根性、スポコン物は時代の匂いがするが憧れだった。

しかし、いつしか「努力」を表に出すことはカッコ悪いとするような風潮が生まれ、
「余裕」や、ややもすると「手抜き」がチャーミングでカッコいいような感じになってきた。

原点に帰ろう。
このような努力する意志を感じる手をしていた頃の自分に。

 

努力家とか天才肌とか、目くそ、鼻くそのセカイ、どっちでもいいことだ。
実にみみっちい二元論だと思う。
いずれにせよ、努力することの大切さに変わりはない。 

王貞治 「努力とは」

 ちょうど、あの頃の自分のような手をしている甥っ子に入学祝の時計を贈った。

私もこのような贈り物を受けた。
おかげで光 源氏のように華麗で、武者のように立派な男(おのこ)になったのである。(--〆)

捨てるにわけにもいかないなぁ、といじっていると、源氏殿のクビがとれた。

 

人形修理専門店だって。(岩槻の享福。まだ明るいのに閉店していた。) 
横には神社まである。修理に出すと高いかもしれないので、お祈りだけは済ませておいた。

世界はいろいろな想いを経験してきているのだ。目に見えなくとも音に残っている。

タケカワユキヒデ「MaMa」

 

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