二七日(ふたなのか)。
なんとなくに過ぎなかった仏教への関心が、具体的に。
仏壇のショールームなるものへ行ってみる。
教えの本質は変わらなくとも、仏教も見た目やスタイルはアップデートしている。
少なくとも、今の私には、服やファッションに溢れかえったショッピングセンターより愉しく感じられた。(http://www.memoriarubutsudan.com/cate_service05.html)
にわか仕込みで浄土真宗を勉強中。もう教えてくれる親がいないので、自分で分かるしかないから。
海外に行くと日本人でよかったなぁ、と感じるのと同じように、浄土真宗でよかったな、と思う。
他にかぶれたりもしたし、これからもそうだろうが、浄土真宗には、ほんとうを感じる。
時代の空気や権益におもねることのない、純粋さや、愚直なまでの正直さを感じる。
親鸞聖人の唱えた「悪人正機」や、肉食妻帯の決行。
平安末期、女人禁制であった当時の比叡山のふもとにある赤山(せきざん)禅院で、出会った女性が親鸞に言ったという。
" すべての者に仏になれる可能性があるとお釈迦様はおっしゃっているのに、この御山の仏教はなぜ女を差別するのでしょうか。
どうか、いつの日にか、すべての人が救われる真実の仏教を明らかにしてくださいませ。"
「唯 仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲りを恥じず」(教行信証)と語り、
たくましく前進を続けた親鸞の教えは、時として異端のように解釈されることもあるが、
すべての人を必ず絶対の幸福にする、と誓われた「阿弥陀仏の本願」、
生涯教え続けた教えはこの一つ、実にピュアなのだ。
浄土真宗は釈迦如来の教え、仏教をそのまま伝えたもの。
本当の仏教とは何かを明らかにする過程でいくつもの宗派が生まれた。
にわか仕込みを続けよう。
大宇宙には数え切れないほどの仏が現れており、釈迦の説いた経典にも大日如来や薬師如来など「十方の諸仏」が出てくるが、
釈迦が"最尊第一"と呼び、"私がこの世に生まれ出た目的はこの経を説くためであった" と言わしめたのが「大無量寿経」。
そこで説かれているのは「阿弥陀如来の本願」ただひとつ。
そこでは、人それぞれに違う知恵や学問や経験で固めた「自力の信心」ではなく、阿弥陀如来から受け取る「他力の信心」が説かれる。
信念は大切だし、ガイドにもなるが、人心では量れない、自力では如何ともし難いこともある。
他力本願というが、本来の他力とは弥陀の本願を指す。
釈迦の教え(仏教)は、「聖道(しょうどう)仏教」と「浄土仏教」の大きく二つに分けられる一方で、
釈迦自身が、時代が下ると「聖道仏教」では誰も救われなくなる、と説いたといいます。
聖道仏教は自力で難行苦行を経ることによって救われる「自力仏教」であったのだが、仏教のすごいところは、それら数々の教えの通用する期間にまで言及しているところ。
正法・像法の時代を経て、日本では平安中期以降は末法の時代に入る。
末法の時代にはいかに修行をしても悟りを得ることができなくなり、「教」だけが残る。
(「行」(修行するひと)や「証」(悟りを開くひと)がいなくなる。)
末法が一万年続いた後にはすべての経典が滅する「法滅」の時代がやってくるが、「弥陀の本願」を説く「大無量寿経」だけは残ると釈迦は説いた。
平安中期以降、浄土仏教が庶民だけでなく、それまでの聖道仏教の学者や公家や武士にまで急速に広まっていく中、浄土宗を唱えた法然は有名な大原問答を行なった。
(京都大原での神秘の夜 )
法然を師と仰いだ親鸞が、僅か9歳で出家の式(得度の式)を行なったのが青蓮院とのこと。
(京都 東福寺の紅葉と青蓮院のライトアップ)
ほんの数年前、母と京都に行った時に訪れた場所が、このようにしてつながってくる。
浄土真宗では、戒名とは呼ばず法名という。(受戒という考え方がないため。)
命終と共に浄土へ往生するという教えであり、本来の仏教の教えにそぐわない霊魂観にもとづいたものとされる位牌は用いず、過去帳を用いる。
繰り位牌や法名軸を用いることはあるが、合掌の対象はご本尊(阿弥陀仏)であり、法名軸も仏壇の側面にかけて一緒に阿弥陀仏に向かって合掌することになる。
一人に一つ位牌がないと寄す辺がないようで淋しい気もするが、潔い気もする。
位牌は礼拝の対象ではない。
話は横滑りするが、武田信玄が織田信長との戦で上洛の大義としたのは仏敵打倒。
信玄公の奥方の妹君が嫁いだ先が浄土真宗の本山、本願寺で、
本願寺と信玄公は親戚関係にあったというからおもしろい。
(風林火山と浄土真宗)
父と観に行った思い出のある、映画「影武者」。影に人生あり。