ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

風林火山と浄土真宗

2012年03月25日 | 旅と帰省とお出かけと

二七日(ふたなのか)。

なんとなくに過ぎなかった仏教への関心が、具体的に。

仏壇のショールームなるものへ行ってみる。
教えの本質は変わらなくとも、仏教も見た目やスタイルはアップデートしている。
少なくとも、今の私には、服やファッションに溢れかえったショッピングセンターより愉しく感じられた。(http://www.memoriarubutsudan.com/cate_service05.html

にわか仕込みで浄土真宗を勉強中。もう教えてくれる親がいないので、自分で分かるしかないから。

海外に行くと日本人でよかったなぁ、と感じるのと同じように、浄土真宗でよかったな、と思う。
他にかぶれたりもしたし、これからもそうだろうが、浄土真宗には、ほんとうを感じる。
時代の空気や権益におもねることのない、純粋さや、愚直なまでの正直さを感じる。

親鸞聖人の唱えた「悪人正機」や、肉食妻帯の決行。
平安末期、女人禁制であった当時の比叡山のふもとにある赤山(せきざん)禅院で、出会った女性が親鸞に言ったという。
" すべての者に仏になれる可能性があるとお釈迦様はおっしゃっているのに、この御山の仏教はなぜ女を差別するのでしょうか。
 どうか、いつの日にか、すべての人が救われる真実の仏教を明らかにしてくださいませ。"

「唯 仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲りを恥じず」(教行信証)と語り、
たくましく前進を続けた親鸞の教えは、時として異端のように解釈されることもあるが、
すべての人を必ず絶対の幸福にする、と誓われた「阿弥陀仏の本願」、
生涯教え続けた教えはこの一つ、実にピュアなのだ。
浄土真宗は釈迦如来の教え、仏教をそのまま伝えたもの。
本当の仏教とは何かを明らかにする過程でいくつもの宗派が生まれた。

にわか仕込みを続けよう。

大宇宙には数え切れないほどの仏が現れており、釈迦の説いた経典にも大日如来や薬師如来など「十方の諸仏」が出てくるが、
釈迦が"最尊第一"と呼び、"私がこの世に生まれ出た目的はこの経を説くためであった" と言わしめたのが「大無量寿経」。
そこで説かれているのは「阿弥陀如来の本願」ただひとつ。
そこでは、人それぞれに違う知恵や学問や経験で固めた「自力の信心」ではなく、阿弥陀如来から受け取る「他力の信心」が説かれる。
信念は大切だし、ガイドにもなるが、人心では量れない、自力では如何ともし難いこともある。
他力本願というが、本来の他力とは弥陀の本願を指す。

釈迦の教え(仏教)は、「聖道(しょうどう)仏教」と「浄土仏教」の大きく二つに分けられる一方で、
釈迦自身が、時代が下ると「聖道仏教」では誰も救われなくなる、と説いたといいます。

聖道仏教は自力で難行苦行を経ることによって救われる「自力仏教」であったのだが、仏教のすごいところは、それら数々の教えの通用する期間にまで言及しているところ。
正法・像法の時代を経て、日本では平安中期以降は末法の時代に入る。
末法の時代にはいかに修行をしても悟りを得ることができなくなり、「教」だけが残る。
(「行」(修行するひと)や「証」(悟りを開くひと)がいなくなる。)
末法が一万年続いた後にはすべての経典が滅する「法滅」の時代がやってくるが、「弥陀の本願」を説く「大無量寿経」だけは残ると釈迦は説いた。

平安中期以降、浄土仏教が庶民だけでなく、それまでの聖道仏教の学者や公家や武士にまで急速に広まっていく中、浄土宗を唱えた法然は有名な大原問答を行なった。
京都大原での神秘の夜 

法然を師と仰いだ親鸞が、僅か9歳で出家の式(得度の式)を行なったのが青蓮院とのこと。
京都 東福寺の紅葉と青蓮院のライトアップ

ほんの数年前、母と京都に行った時に訪れた場所が、このようにしてつながってくる。

浄土真宗では、戒名とは呼ばず法名という。(受戒という考え方がないため。)
命終と共に浄土へ往生するという教えであり、本来の仏教の教えにそぐわない霊魂観にもとづいたものとされる位牌は用いず、過去帳を用いる。
繰り位牌や法名軸を用いることはあるが、合掌の対象はご本尊(阿弥陀仏)であり、法名軸も仏壇の側面にかけて一緒に阿弥陀仏に向かって合掌することになる。

一人に一つ位牌がないと寄す辺がないようで淋しい気もするが、潔い気もする。
位牌は礼拝の対象ではない。

話は横滑りするが、武田信玄が織田信長との戦で上洛の大義としたのは仏敵打倒。
信玄公の奥方の妹君が嫁いだ先が浄土真宗の本山、本願寺で、
本願寺と信玄公は親戚関係にあったというからおもしろい。
風林火山と浄土真宗
 

父と観に行った思い出のある、映画「影武者」。影に人生あり。
 

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梅が清々しく香る頃

2012年03月17日 | 旅と帰省とお出かけと

かなしい夜は誰にだってくる。きわめて個人的なことですが、書き留めておきたいと思います。m(_ _)m

前の日に電話で話したばかりなのに、もう初七日を迎えます。

TVのそばでコップ刺しのままにしてあったのは好きだったスイセンの花。
東日本大震災から一年が経とうとする前日、弟がTVの報道に涙するやさしい面持ちの写真をメールで送ってきてくれたばかりなのに、その3/11に突然にいなくなってしまった。

 

三種類も小鳥がやってくる、窓から見える裏庭にある梅の風景が落ち着くらしくて、梅切らぬばかというが、切るのをいやがった。

はなむけにと鋏を入れていると、花をつけた小枝がにじんでは、かすむ。

 

うつむき加減に楚々と咲くスイセンの花をまじえて。

淋しくてたまらなくなるので、ブラームスの1番シンフォニーのサビの部分をばかみたいに何度も繰り返しくちずさんだ。

Brahms symphony No1-4Mov(2/2) Ozawa-Ssito Kinen Orchestra

だが、お別れの会場にはさみしさや辛さばかりではない温かみがあって、多少なりとも望みに近い送り方ができたのでは、と思う。

しっぽりとした灯りのなか、清楚で可憐な花々に囲まれて、
若々しさを取り戻した遺影には少女のように無垢で純粋だった優しい面影ばかりが偲ばれる。

斎場の方も何かと気遣ってくださり、家から持ってきた梅やスイセンが萎れてしまわないように、一緒になって花瓶刺しにしていただいた。
朝になるとそっと水を取り替えてくださったり。

 

代替りしたはずの住職がいらしたのも何かのご縁のような気が。

あのような気持ちの込もった、名人の域を感じるお経を聴くのははじめてでした。

誰にでも仏心があること、ひとりひとりがあまた枝分かれした偶然の重なりの結果ここにいる唯一無二の存在であること、生前という言葉があるように阿弥陀仏として生まれる前が人間界であってもっと大きな死生観を持つことの大切さ、西洋的な唯物論では説明できない世界があること、などを子ども達の方を向いてわかりやすい言葉で滔々と話してくださった。
次を繋いでいく子ども達の明るさは、やりきれない哀しい気持ちを救ってくれる。そして変わらぬ態度で接してくれる家内、つらい一週間を一緒に乗り切った弟。

あちらでの御名前を頂戴したが、冬と春のあいだでほんのりと、清々しく香る、響き。

おかげさまで、この季節には、ひとしきり思い出すようになるでしょう。

 

名残り雪が降る大阪、まだきりりと寒い早春の空気に咲く梅の花の頃、あまりに潔く、往ってしまった。

最期まで子ども想いだった。二度と得ることのできない愛情を失くしてしまった。

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3/11

2012年03月12日 | 旅と帰省とお出かけと

こんな親不幸者でも絶対忘れない日になった。

沢山の悲しみと、沢山の祈りと共にある日。

ごめんなさい、そして、ほんとうにありがとう。

これほどに根性と我慢強さを持ちながら、不器用で、無償の慈悲深い愛情を持ったひとはいなかった。

さみしすぎる。

(勝手ながら暫らくお休みいたしますが、意外に私は強くもある。また、ふらりと戻って参ります。)

 

 

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やまちゃん

2012年01月07日 | 旅と帰省とお出かけと

手羽先の話ではない。

15年来連絡がつかなくなったやまちゃんのことを、当時いっしょに遊んでた、ばぶくん(当時の呼び名だが立派に匿名として通用する。)と話をして思いだした。
たしか新橋辺りで飲んで、うちに泊っていったのを最後に会っていない。

当時はインターネットもなかったので、大学にいって掲示板で授業が休講だとわかると、
いきなり何処かへドライブしたり、日がなマージャンで過ごしたりした。

朝まで徹夜でマージャンをして、そろそろ出席しとかないと単位がやばい、と
爆睡しては困るのでガムを噛みながら授業に行ったら(たしか一般教養の人文系の科目だった)、
その頃は「代返」が幅をきかせていたので、センセイも声に敏感だったのだろう、
ガムなんか噛んでふざけるな、出ていけ!、と一喝されたのを覚えている。

とほほ、もう眠いし、家にかえろ―、と大学を出てとぼとぼ歩いていると、
今度はセンパイに声をかけられ、雀荘に引きずり込まれる。
もちろん、暴パイしてもどうでもいいくらい眠いので、ぼろ負けである。
いったい、眠りもせずに何時間やってるのだ。。(半分寝ていましたが。)
大学に入ってしばらくは、マージャンの負けを支払うためにバイトをしていたような感がある。
お金が底をつくと、駅のロータリーの引っ越しトラックに乗って日雇いバイトをしたりもしていた。
私は、忍耐力のかなりの部分をこの頃鍛えたような気がしないでもない。

大学に入った頃、ダイビングをするクラブでやまちゃんと知り合った。
同期だが年上で、今でいうイケメンだ。
部屋に行くと、渋澤龍彦や阿佐田哲也にはじまってヒットラーに至るまで、自分が触れたことのないような本がずらっと並んでいて、こいつは違うなー、と感じたのをよく覚えている。
やまちゃんもばぶくんも、ぼろぼろのアパートに下宿していたので、
バブルの只中ではあったが、私の大学時代はどちらかというと70年代風それゆけ青春的な色をしている。
(鍵のついていない窓から留守宅に勝手にあがりこんで、こたつに入り、おなかがすいて何もなかったら、瓶詰めの海苔をお湯に溶かして飲んだり、と今思えば素敵な日々だった。)

やまちゃんの大人ぶり、を印象づけたのは、銭湯に行ったときのことだ。
(当然ながら ぼろアパートには風呂がない。)
クールで大人なやまちゃんが、こそこそ あそこを隠す。
やまちゃん曰く、
"女には見せても恥ずかしくないが、男に見せるのは恥ずかしいのがふつうだろ。"
逆だと思ってた私は、そうか、そういうものか、と妙に納得したのを、よく覚えている。

やまちゃんの実家のある土佐に向かったはいいが、
徳島と高知の県境、四国山脈の峠のヘアピンカーブみたいなところで曲がり損ねて、
クルマが大破したこともある。
コンクリートの壁の前に積んであった薪の山に激突したから助かったが、道の下は川だし、一歩間違ってたら今私はここにいなかっただろう。
警察のおじさんたちも、おまえら悪運強いなー、とヘンに感心していた。
真夜中だったので、徳島のJAFも高知のJAFもなかなか来てくれず、
エンジンだけはかかったので、大破して窓ガラスも割れてなくなったクルマでトロトロ四国山脈を降りることにした。

朝方、港のフェリーを待つ喫茶店でモーニングを食べてると、
常連らしきおじさんが、"あそこにあるクルマ、なんやあれ。"
喫茶店のママ、" しーっ!! "。
言葉を交わす元気もなく、うなだれている僕たちを気遣ってくれたのだ。

フェリーを渡ったクルマはほどなく廃車となりました。

これは、たぶんその前、尾道でのスナップです。

社会人になってからも、(大学にたしか7,8年いた)やまちゃんの家には休憩がてらよく行った。

東京に出てきてからも、大阪に行くと親しくしているスナックに連れて行ってもらったり。
よくモテる男だったし、エピソードにはことかかない。

あまり、今日の話にはなじまないし、ノスタルジックに語る話でもないのだが、In My Lifeを。

IN MY LIFE英語日本語歌詞

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北の新地から ~ 夕霧よ今夜もありがとう

2012年01月03日 | 旅と帰省とお出かけと

 いつかは京都の祇園で芸妓遊びをしよー、という夢を語り合ったのは一年前。
一見さんお断りの祇園、知り合いの方にそれとなく当たってくれたらしいのだが、かなりお高い金額だった。
(最近のお茶屋遊びならそうでもなさそうだけど。→ 意外と格安!? 京の都で舞妓遊びを満喫したい

その場でお勘定、みたいな野暮なことはしないらしいが、かえって不気味だ。
祇園遊びにハマったひとは、一千万円の着物の帯をこうてやったんやて~、という冗談のような話も。

が~ん。夢は夢でしかなかったのか。。(-_-)

大阪では、ご馳走さまのことを、ごっつおさん、と言ったりする。 
北新地にあるスエヒロのしゃぶしゃぶとか、道頓堀のはり重のすき焼きなんかは
間違いなく「ごっつお」であり、うどんやオムライスは「ごっつお」とは言わないらしい。単にうまいもん、となる。

はり重ですき焼きを食べたときに仲居さんが、
"此処で食べれるようになったら吉本の芸人さんは一人前みたいなことが言われたそうです"
とのエピソードを聞かせてくださったこともある。

「うまいもん屋」からの大阪論 (NHK出版新書 357)
江 弘毅
NHK出版

この日は予約した時間まで小一時間ほどあったので、軽く一杯やれる店を探す。

あ、明石焼き。
しかし、残念ながら満席だった。。

あ、また明石焼き。 

期待した、焦げ目のない卵焼きのようにツルっとしたやつではなかったが、
本番まで、軽くやるには丁度いい。

そして、この日のメーン・イベントは、

大阪 北新地で食すふぐ。

キモや卵巣に中ると死にいたることもある、鉄砲がふぐ。
だから、ふぐのチリ鍋はてっちり、刺身はてっさ、というらしい。
あんこう鍋も大好きだが、関東ではふぐにはあんまり当たらない。
冬が旬のふぐ、は間違いなく大阪を代表する「ごっつお」だ。

うぉーい、ひれ酒だ。

しゅばっ! 

    しゅるる…       

どこまでもホワイトな一年だ、新地で出会った色白美人。

大人になった分、より凄味が分かる、と思ったが、やはり淡白だ。
鉄砲にアタるスリルを味わうよなところが多分にあるのだろうか。。
それとも決して出しゃばらないところが、美人たる所以なのか。

危所に遊べ、と言ったのは渡辺淳一氏だったが、
ちょっとおっかない北新地で、ちょっとおっかない色白美人の旬のふぐに出会う、といった趣き。

で、締めは、夕霧、である。霧にむせぶような佇まいが郷愁を誘う。

ここのオススメはカレーそば、らしい。

しかし、ここは北新地である。
"美しく色気もあり、気立ても良い" 夕霧でなくてどうするのだ。

 

 

ツルツルっと召し上がれ。

もっちりした食感が、これまでの蕎麦とは違っていた。
夏の同窓会には行けなかったが、ぜいたくな晩になった。
しょっちゅうである必要は全然ないが、たまにこういうのはいい。

多くを語らずとも横溢するオーラ、もう40半ば、これからは このようなところを目指したいと思います。
(ツイートなんぞを始めて、さえずってますけど。)

夜霧よ今夜も有難う 石原裕次郎 Ishihara Yuujirou 1978

大阪駅前第3ビルの肩越しに顔を見せる、白い月。

 

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1月1日(日)のつぶやき

2012年01月02日 | 旅と帰省とお出かけと

19:55 from Camera on iOS
日本橋 八木長の削り鰹でとっただしでお雑煮をいただく。鰹の香りがたっているので、あえて鶏や鴨はいれない。 http://t.co/cQVQSKVY
19:58 from Camera on iOS
簡単レシピでめちゃウマ!のローストビーフ、あなたは天才だ(^з^)-☆ http://t.co/loXhLEKJ
20:03 from Camera on iOS
大阪天満宮、天神様はどこもおみくじは辛めらしい。
_φ( ̄ー ̄ ) http://t.co/wu9UO7jL
by lifelongpassion on Twitter

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12月31日(土)のつぶやき

2012年01月01日 | 旅と帰省とお出かけと

01:22 from Camera on iOS
あ、壇れいさんがいるのは、4Fでなくて3Fらしい。
新地の白亜の建物の奥で金麦でも飲んでいるのだろうか、ローレライ。 http://t.co/Bha35bMn
01:38 from Camera on iOS
橋下市長が誕生した大阪。大阪都構想にむけて街もひと頃より元気になったよう。難波駅もどこかのエアポートみたいだ。 http://t.co/T5930d5g
09:25 from Mobile Web
\(//∇//)\ またやった、
得意技、忘れもの。シャワー浴びよと思ったら下着類一式がない。メッシュの袋ごと置いてきたみたいだ。仕方ない、ユニクロにでもいくか…( i _ i )
12:46 from Camera on iOS
大晦日の青空とPLタワー。
地元ではおなじみの光景だが、岡本太郎×アントニオ ガウディのような趣きがある。 http://t.co/0mB7YBBs
23:26 from Camera on iOS
久しぶりにナマコをさばく。母の言う通り、ハラを割って出てくる「 このわた」は三杯酢につけず、そのまま食して美味し。 http://t.co/F3CQDQvn
23:32 from Camera on iOS
やっぱり アワビは美味いねー。あ、紅白でながれてるのは、石川さゆりさんの歌う津軽海峡冬景色。子どものころとおなじだ。 http://t.co/1mwGSV8l
by lifelongpassion on Twitter

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三色そばと自由研究

2011年08月21日 | 旅と帰省とお出かけと

紫キャベツの色素で紫色になったお湯で、うどんをゆがくと。。

 

同じ紫色のお湯で中華めんをゆがいてみると。

 

あらら、緑色になるんですな、これが。

 さらに緑色の麺に、お酢をたらすと、今度はピンク色に。
(お酢が少ないためか、黄色っぽく写っていますが。。)

 

中華めんに含まれるかんすいはアルカリ性。
紫キャベツは中性では紫色だが、アルカリ性の時には黄色や緑色に変化し、酸性になると赤くなる。

 おもしろい。三色麺はこのようにして作ることができるのか。
  (自由研究としては、インスタントだな。)

( ↓ ) こちらは会津で行きつけのそば屋さん「桐屋 夢見亭」の三点盛り。(えびのてんぷら(と旨い蕎麦)

撮影の都合上、お盆が上下逆になっているので、
左から、会津のかおり、権現そば、頑固そば、となる。
毎度 苦渋の決断を迫られていたが、三つが一度に食べれるようになった。
こちらこそ ありがとうございます。
m(__)m

てんぷら、といえば、イタリアンで出てくるズッキーニ、
粉チーズをまぶして揚げると、コクが出て実においしくなる。
沖縄土産にいただいたチャンプルの素を少しつけて食する天ぷらはビールにもよく合う。
(いろんな料理に使えるチャンプルの素。http://www.gardenpana.biz/SHOP/67074/list.html
 いろんな塩味を試している方にはおすすめしたい、スロークッキングの万能調味料。)
 
天ぷらは熱いのが一番なのだが、少し冷ました天ぷらも 味が沁みて、実に旨い。
冷ますことによってチーズの風味がしっかりとズッキーニの上で落ち着き、風味が濃くなるように思う。
 

今年の磐梯山は例年に比べて人が少なかった。
いつもなら沢山の人で賑わう釣り堀が、ほぼ貸切状態。

おかげで猟師でもあるご主人とゆっくり話ができました。
獲れがけのキュウリやトマトをふるまっていただきまして、子どももすっかり夏野菜好きに。
ごちそうさまでした。<(_ _)>

彼岸過ぎには、マツタケ狩りがシーズン入りするそうです。
入山料5千円(お土産代3千円込み)で案内してくれるとのこと。

 

自転車で暮れなずむ森林を行くと、地震のせいか、大きな石が行く手をふせいでいた。

 

まだ青いどんぐり。

でも、森林の奥には静かに秋の気配が。

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2011年の夏空から

2011年08月12日 | 旅と帰省とお出かけと

東日本大震災の後 はじめて訪れる裏磐梯 ~ 会津の夏の空から。

( ↓ ) つられて、久しぶりに水溶性の色鉛筆を使ってスケッチしてみました。

    " 木は難しいんだから、上手く描けなくても気にしなくていいのよ。"

( ↓ )アメリカの詩人、ウィリアムスの気持ちを技化してみる。 (「詩人」という生き方 ~ Junk ♪

   したたかで、しぶとく、日常生活を送りつつ、詩人で在ることはできる。
   山の天気が気まぐれなら、それとさりげなく折り合いをつけるのである。

   旧来の美意識では曇天の湖畔なんぞは、不運以外の何ものでもなかったのだが、(忍びの朝 ~ 秋元湖畔にて
   そのような天気のなかに感じる美しさというものが存在するのではないか。
   かならずしも原発反対、と直接的に表明しなくとも、表現のしかたに現れるものかもしれない。

   日常的な帰省の諸事が大半であっても、
   そのとき感じた美しさを写真に切り取って、好きな音楽をつけて記事にしてみると、
   変わった風合いが生まれるかもしれない。

   毎度おなじみの帰省をパターン化するばかりでは、単なる夏休みの宿題日記になってしまいそうだ。

   そうではなくて、その瞬間々々しか持ち得なかったような輝きを残したい。

   

東北自動車道は、ここかしこに修復の痕跡が残り、
そこまでは手が及ばないのか、車の通らない側道側のアスファルトの割れ目からは夏の雑草が伸びていました。

夕陽のキレイな帰りの磐越道、
車のミラーには、後方の夕陽が眩しく映り、
視線を少し上げると、白い月がぽっかりと太陽と向き合うように高く昇っている不思議な光景に遭遇した。

たとえはよくありませんが、
東の空には、キノコ雲のようなてっぺん部分が長く平らになった巨大雲。
いつしか、巨大雲は形を変えてゆき、帆立貝のような模様に。
幸せのホタテ雲、は写真にはなく、記憶のなかにだけ残ります。

旅の途中、道すがら聴いていたのは、コクリコ坂からの主題歌を歌った手嶌葵さん。
2011年夏色の歌 ~ かもめと鷹と
感情のコントラストを取り戻そう ~ 空に終点はあるか
裏磐梯~会津の空をテーマに、ダイジェスト的な映像をつくってみました。

世界を脳天気に肯定するわけでもなければ、テロリストのように憎悪するわけでもなく、
もっとさりげなく世界と折り合いをつける方法はある筈なのである。

ウィリアムスに敬意を表して。

2011年夏会津の空.wmv

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大阪はおいしい

2011年08月04日 | 旅と帰省とお出かけと

大阪に着いたら、まずは立ち寄る店が新しくできました。

関東ではなかなか口にしないバッテラ。(決して肉厚の鯖ずしで代用できるものではないと思う。)
大阪に着いたら、きつねうどんも外せない。
新大阪駅改札を出てすぐの気軽さで、この二品をささっと美味しくいただける。
(この「汐屋」、創業45年。私と同い年だ。残念ながら大阪に数店舗あるだけ。)

これまた大阪名物の串かつにビールのついた「ほろよいセット」なるものもあった。
おじさん心をくすぐる憎い店だ。
慣れ親しんだ味を普通に、おいしく、食べさせてくれる。それだけで満足だ。
今度はそれにしよう。

名古屋出張を終えた金曜の晩に大阪入りして土日だけの短い里帰り。

小学校のとき、YMCAや図書館の傍にあったエーワン・ベーカリーというパン屋でよく食べたチーズパン、
チーズを噴きつけて芳ばしく焼き上げただけのパンなのだが、これが美味しくてコーラと実によくマッチする。

母親も若い頃父とNYに住んでいたので、アメリカの大きなピザにびっくりした話をよく聞かされた。
焼き立てのチーズパンをほお張ると、それを彷彿とさせるものがあるらしい。
私が小学生の頃なんて、ちっちゃなピザがようやく日本のレストランのメニューに並び始めた頃だった。
マクドナルドが日本上陸を果たして間もない、ハンバーガーがポピュラーになりつつあるような時代だった。

コーラとチーズパン、
この組合せは、なかなかであって、クリスマスなどにチーズ フォンデュを食べる時もワインでなくコーラが欲しくなったりする。
(焼肉にビールもいいけど、ご飯と一緒に食べたい、みたいな感じ。)

アメリカへの憧れみたいな感じも手伝って、
パンチのある忘れられない味になったのだと思う。

大人になってから、東京で似たような味を求めてずいぶんチーズ系のパンは探したのだが、
同じような味は意外に見つからなくて、
今は近所のショッピングセンターにあるチーズ ベーグルで代用している。(
じょんじょろ

そんなチーズパンを、エーワン ベーカリーが「グーテ」っていう店名で展開しているパン屋さんで食べれるというではないか。

これこれ。いゃー喰った、喰った。

ヘンな惣菜パンなんかより、こういう素朴に美味しいのがやっぱりイチバンだよ。うれしい。

おい、もうちょっと、マシなものを食べてないのか、ってお思いの諸兄、こいつはどうです、
白身魚のトロと呼ばれるノドグロの押寿司ですぜ。(
のどぐろ )

(あんまり、男は行かないよなー、デパ地下。高島屋のデパ地下で発見した。)

  

うーん、押し寿司にして酢昆布で締めたら、バッテラとさほど変わらぬ味のような気もするが。。

さすが、母上、ノドグロの美味な脂に反応した、これ美味しいねー。

瀬戸内海モノはよくご存知かもしれぬが、日本海にはこのような旨い魚があるのだよ。

元気つけて、正月には一匹買いして、たらふく食べようぜよ。

( ↓ ) YMCAにかこつけて。

西城秀樹 YOUNG MAM [Y.M.C.A]

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楠木正成公と下赤坂の棚田 ~ ホーリー&ブライト

2011年08月01日 | 旅と帰省とお出かけと

数年前、山形県の最上川を北上して棚田をわざわざ見に行きました。(天地人~棚田を見に行く
苦労して辿りついたものの、
東北地方はまだ田植えが始まる前、水も張っていないカラカラの田んぼ、荒涼とした風景に、一同しばし唖然。。

なんせ、なぜかしらこのような風景を期待してたのですから。 (--〆)

美しい棚田との出会いも、自然と同じ。
季節や天候、時刻が重ならないと思ったような光景に出会うことはできない、というのは当たり前のこと。

しかし、いつもお墓参りに行くすぐ近く、
大阪は下赤坂に棚田があって、数年前にはキャンドルを使ったライトアップ・イベントまで行なわれたというので、立ち寄ってみました。

   

( ↓ ) 私が撮影したのはこちら。
   (右写真の真ん中に見えるのは野球で有名なPL学園を擁するPL教団のシンボルタワー。)
    8/1、今宵、大阪最大級のPL花火大会が催されていたはず。

 

大阪の夏は暑いと思いきや、この週末は殊のほか涼しくて拍子ぬけするくらいで、
そういえば、今夏は大きくむくむくっとした入道雲もあまり見かけないような気がします。

途中で売ってた見事な西瓜。ありがとう、母上。

ここは、鎌倉末期から南北朝時代に活躍した楠木正成公で有名な場所でもあります。

近くには楠木公の生誕地があり、

案山子のような楠木公の横の階段を下っていくと、楠木公の産湯に使ったという井戸が今も残っています。

奥の石の間からは今も静かに音を立てながら水が湧き出で、

光になった夏の緑が、水面に揺らぎながら反射していました。

私の好きなGodiegoは、Go Die , Go (行け、死んでも、行け)と、
メンバーが尊敬する、楠木公と同時期に活躍した後醍醐天皇から採った名前だといいます。

エヴァー・グリーンを祈り、闇を照らす汚れない光を讃えて。

ホーリー&ブライト ゴダイゴ

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名古屋めし

2011年07月31日 | 旅と帰省とお出かけと

何年か前、一番搾りのCMで役所広治さんが、仕事を終えたビジネスマン役で、
" ひつまぶし ぃ~ ! " と唸って、
汗を拭い、ネクタイをほどきながら、
旧い民家風の店へ駆け込んで、" くは~っ! "とビールを飲ってるのがありました。

(一番搾りシリーズ、いいなぁ。 
 だだ茶豆バージョン → 土用の丑の日
 あれれ、削除されていた。→ なべ底大根にトロトロの夜 )

あれに憧れること数年、行って参りました、ひつまぶし発祥の地、熱田神宮にあるあつた蓬莱軒。

あつた蓬莱軒 - 地域情報動画サイト 街ログ

ひつまぶしぃぃぃ~っ!

わぉーうっ、がるる~。

 

ぐび~っ ! ( うざく、で一杯 ♪ )

ぷは~っ ! ( 鰻の肝刺し、で一杯 ♪ )

 

 名古屋めし、万歳 !

 チャオのあんかけパスタ、ミラネーゼだ。

これを食べて、私はニッポンのソーセージにハマった。

(これは神田食堂の豪快なソーセージ、夜もやっているのだ。→)

 みそかつ発祥の店、とも言われるのが、矢場町にある、矢場とん。

中日ドラゴンズの選手御用達、店内にはサインやユニホームがたくさん。

 

はふはふっ。     

はじめて、アパホテルに泊った。出張族には便利でいい。

しかし、名古屋栄は、すごいネオン街だった。ぎらぎらしていた。

( ↓ ) 朝、名古屋モーニングを食べようと早めに起きて散歩したのだが、
    狂宴と喧騒の明けた朝の静けさのよう。。

 と、思いきや、いきなり街角からオネエさんが現れ、腕に抱きついてきた。。

だめだよ、ベイビー。オレは行かなくちゃいけないんだよ。(・。・)

Elton John: In Neon, Tribute To Marilyn Monroe

 

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大阪の朝は、

2011年07月30日 | 旅と帰省とお出かけと

 

弟は実にまめなところがあるので
リビングを出るとこのような休憩スペースのデッキがある。

しばし、ブログを離れてひとあし早い里帰り。

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正月、織田作之助を訪ねて

2011年01月02日 | 旅と帰省とお出かけと

おせちもいいけど、抹茶もいいもの。
こどもが点ててくれたお茶なら、なおのこと。

 

さて、帰省しての正月、元旦に上町から夕陽丘あたりを歩く。

父が好んだ織田作之助に昨年来興味を持った。

木の都 / 織田作之助
織田作之助
大阪に着いたら

 めずらしく、生國魂神社(いくたま、生玉、生魂ともいう)なんぞに初詣に行ってみた。

 

境内には「木の都」に巳が棲まう老木として描かれた樟(くすのき)が今もその姿をとどめ、

元禄文化にその名を残した井原西鶴像がある。

 

いかにも上方文化っぽい匂い、、
好色一代男よろしく、周囲にはその手のホテルも多く、その猥雑さもまた逢坂らしいように思う。

太閤秀吉がこの周辺に寺町を作ったために、大阪市街にありながら一帯は寺が多く、鄙びた雰囲気が残る。
織田作之助が生まれた上町台地をぬって、天王寺七坂と呼ばれる坂道が伸び、
坂道の上からはかつて大阪ミナミの街が一望できたという。
夕陽がきれいなことから夕陽丘との地名がついた。

  

オダサクの小説に登場する源聖寺坂を下って、再び今度は、口縄坂を上る。
またも、母にはきつい道程となった。毎度々々すまぬ、母上。

 

口縄坂を登りきると、そこにはオダサクの文学碑。

口縄坂は寒々と木が枯れて、白い風が走っていた。
私は石段を降りて行きながら、もうこの坂を登り降りすることも当分あるまいと思つた。
青春の回想の甘さは終り、新しい現実が私に向き直って来たように思われた。
風は木の梢にはげしく突っ掛っていた。

ここでお終いにすればいいのだが、この日はオダサクづいていた。

 

大阪にいた頃でさえ数回しか来たことがない、カレーライスの老舗、自由軒。
オダサクが愛したカレーライス、決して旨いと感じた記憶がなかったが、この日は旨いと思った、本当に。

東京の銀座には、織田作之助が太宰治らと共によく訪れたというルパンというBarが今も残る。
ウィルキンソン社の本当に辛いジンジャエールを使ったモスコミュールが飲めるらしい。
本当にスカッと突き抜けるようなやつだ。いつか行ってみたい。

福山雅治 『道標』 XlD2w=]

大晦日、めずらしくゆっくりと紅白を見て過ごした。

母と丈くらべならぬ手くらべ、手の形が似てるなぁと話していたら、流れてきたのがこの曲でした。

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帰省びと

2011年01月02日 | 旅と帰省とお出かけと

新幹線開通以来、多くの東京からの帰省びとの目を捉えたであろう京都 東寺の五重塔。
暮れなずみ加減が家路につく者の郷愁を誘う。

 

この年末年始は西日本では雪が降り、帰りの京都、米原辺りは冬らしい景色に包まれた。

大河ドラマ「龍馬伝」の余韻が残る年末、
土佐に縁のある弟一家であるが、焼津産の鰹節をふんだんに使った日本橋八木長の煎餅なんぞを手土産に。
リクエストに応えて、大丸地下の行列に並んで買い求めたのは、その場で焼き上げて詰めてくれる浅草名物の芋金時。

 

大阪で待っていたのは、

 

ここは、北新地。 おぉ~、串かつの有名店ではないか。

しかし、予約している店は路の反対方向にある宮崎地鶏の店であった。

旨いねぇ。来年も行こう。 ありがとう、みんな。

 おいおい、住職、線香さすなよ、これは灰皿だ。

 

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