そろそろ11月中旬予定の休暇のプランを考え始めています。
(転職して5年目でのリフレッシュ休暇。こんな休暇、はじめて。
いい時代になりました。 ぼくが社会人になった頃は、20年以上は勤めないと、そんな休暇はもらえませんでしたから。)
実家に帰って、墓参りを済ませたら、大阪でひとり(近くに弟家族が住んでいますが)の母と2人で、小旅行にでも行くつもり。
母は、亡くなった父と結婚してすぐにNYで約2年間を過ごし、サンフランシスコやナイアガラ、ハワイなんかの話をよくしてました。
それなら、とハワイ行きプランも浮上したのですが、歳のせいかあまり気乗りしないらしく、
じゃあ戦時中疎開先だった四国のお遍路さん巡りを2人でしようか、とも考えたのですが、とても生半可な行程でないことが分かり、
結局 京都あたりでゆっくり紅葉狩りでも、と思ってます。
灯台元暗し、で関西にいた頃は、特に感激ももないまま京都に行ってました。
ある本に、" 京都の素晴らしさは、日本人の大脳の中にあるもの "というようなことが書いてましたが、
確かにブランドイメージ先行の感じがあって、実際京都市街は、観光名所とされるところでも、
ごちゃごちゃとビルが横にあったりして、混然とした感じは否めません。
ですが、数年前に、鄙びた雰囲気が残る大原に行って、いにしえの京都の良さを感じました。
紅葉の季節、ライトアップされた宝泉院とか、魅力的です。
(こうやって、旅のアイデアやプランを整理するのにも、ブログは便利です。)
前置きが長くなりましたが、ぼくは紀貫之の生まれ変わりなのでした。(・。・;
http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/afabbeef10bb6f6d9579e42ccfbaf001
大船の先生に、相談に行った時には、
" 海に面したお墓がみえる。それを探しなさい。" と言われました。
" あなたの先祖は、船、にお世話になっている "とも。
大原近辺を調べていると、(海ではありませんが、)比叡山から琵琶湖を見下ろす場所に、紀貫之のお墓があることが分かりました。
京から土佐に移り、再び京の都に帰る平安時代の船旅は、現代とは違い、天候が悪くなると命懸けの旅だったようです。
なんだか、つながりません??
~ 紀貫之、海(湖)に面した墓、船。~ (・・?
それはともかく、紅葉の季節の比叡山をケーブルカーで周遊する、というのは、母の体にもやさしくて、いいプランかも。
(↓)紀貫之の本、アマゾンで買ってしまいました。
ネットで調べてると、当時は、男性が漢文で文章を書くのが一般的で、
”おとこもすなる日記というものを・・”と、女性を装って(匿名で)、
ひらがな(新しい表現方法)で、詩歌中心だったところに日記(新しい文体)を持ち込んだ、という意味で、
紀貫之は1000年前に現れたブロガーの元祖のようなひとだ、との意見がいくつかあったりしました。
後に続いたのが、清少納言であり、紫式部、というわけです。
ブログが半ば趣味化してきた僕には、興味をそそられる人物です。
(転職して5年目でのリフレッシュ休暇。こんな休暇、はじめて。
いい時代になりました。 ぼくが社会人になった頃は、20年以上は勤めないと、そんな休暇はもらえませんでしたから。)
実家に帰って、墓参りを済ませたら、大阪でひとり(近くに弟家族が住んでいますが)の母と2人で、小旅行にでも行くつもり。
母は、亡くなった父と結婚してすぐにNYで約2年間を過ごし、サンフランシスコやナイアガラ、ハワイなんかの話をよくしてました。
それなら、とハワイ行きプランも浮上したのですが、歳のせいかあまり気乗りしないらしく、
じゃあ戦時中疎開先だった四国のお遍路さん巡りを2人でしようか、とも考えたのですが、とても生半可な行程でないことが分かり、
結局 京都あたりでゆっくり紅葉狩りでも、と思ってます。
灯台元暗し、で関西にいた頃は、特に感激ももないまま京都に行ってました。
ある本に、" 京都の素晴らしさは、日本人の大脳の中にあるもの "というようなことが書いてましたが、
確かにブランドイメージ先行の感じがあって、実際京都市街は、観光名所とされるところでも、
ごちゃごちゃとビルが横にあったりして、混然とした感じは否めません。
ですが、数年前に、鄙びた雰囲気が残る大原に行って、いにしえの京都の良さを感じました。
紅葉の季節、ライトアップされた宝泉院とか、魅力的です。
(こうやって、旅のアイデアやプランを整理するのにも、ブログは便利です。)
前置きが長くなりましたが、ぼくは紀貫之の生まれ変わりなのでした。(・。・;
http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/afabbeef10bb6f6d9579e42ccfbaf001
大船の先生に、相談に行った時には、
" 海に面したお墓がみえる。それを探しなさい。" と言われました。
" あなたの先祖は、船、にお世話になっている "とも。
大原近辺を調べていると、(海ではありませんが、)比叡山から琵琶湖を見下ろす場所に、紀貫之のお墓があることが分かりました。
京から土佐に移り、再び京の都に帰る平安時代の船旅は、現代とは違い、天候が悪くなると命懸けの旅だったようです。
なんだか、つながりません??
~ 紀貫之、海(湖)に面した墓、船。~ (・・?
それはともかく、紅葉の季節の比叡山をケーブルカーで周遊する、というのは、母の体にもやさしくて、いいプランかも。
(↓)紀貫之の本、アマゾンで買ってしまいました。
ネットで調べてると、当時は、男性が漢文で文章を書くのが一般的で、
”おとこもすなる日記というものを・・”と、女性を装って(匿名で)、
ひらがな(新しい表現方法)で、詩歌中心だったところに日記(新しい文体)を持ち込んだ、という意味で、
紀貫之は1000年前に現れたブロガーの元祖のようなひとだ、との意見がいくつかあったりしました。
後に続いたのが、清少納言であり、紫式部、というわけです。
ブログが半ば趣味化してきた僕には、興味をそそられる人物です。
紀貫之 (講談社学術文庫) 藤岡 忠美 学術文庫 このアイテムの詳細を見る |
(↓)大船の先生が言ってた、海の見える墓、とはこのことか !?
http://www.sakamoto-cable.jp/area/inter.html
もたて山の南嶺、モミの自然林の中にひっそりとたたずむ一基のお墓があります。
貫之卿は古今和歌集の代表歌人であると共にその撰者でもあり、また『土佐日記』の作者としても広く知られています。
生前、卿はこの裳立山と、そこから見えるびわ湖の風景をこよなく愛し、
没後はこの地に葬ってくれるよう願っていたと伝えられています。
(↓)比叡山を周遊する坂本ケーブル。
もたて山駅から徒歩10分で紀貫之のお墓に着くようです。
秋の紅葉のパノラマ、良いかも。
http://www.sakamoto-cable.jp/utilities/guide.html
長さも、景色も、日本一。坂本ケーブルは全長2025m。日本一長〜いケーブルカーです。
そして、ケーブル延暦寺駅や車内からのびわ湖の眺めは、まさにパノラマ。
さらに、大正ロマンを語る魅力たっぷりの駅舎、「縁」「福」と名付けられたヨーロピアン調の車両、懐かしい硬券、
いっそうワイドになった眺めなど、坂本ケーブルでは、皆様の思い出に残る11分間を提供します。
ゴルフィーさんっぽい???
うふふ。
母親という存在に対する
控えめで、ちょっと陰った思い、
なんか共感しました。
おんなじ、かも。
よい連休を。
でも、おんなじ、だと大変、、
島流し女ですよ。
(・・?
いつもありがとう。