ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

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コスモス ~ 世界は二つある

2014年10月26日 | 日記

薄闇の向こうへの誘い。(大人は愉しい ~ 薄闇の向こうへの誘い

現実と幻想、書かれたものと書かれなかったもの、産まれたものと生まれなかったもの。

小さいものは小さいままに日々を記しただけの日記が、微かな幻想たちのための優れた標本となっていく。
日付の飛び石が、本来行き来できないものの間に橋を架け、逆にそれを辿って現実の心の形を読む。

現実のかけらに混じった小さな幻想も消えてなくなることがない。
過去に見た夢も、今日思い出した形にしておけば、いくらでも隣に並べることができる。

記憶をたどることは、単なる懐古趣味ではない。
世界の成り立ちが、過去や未来とのアクセス方法によって、大きく違ったものになるのなら、
過去と接続することは、フォースの源になる。
時間がエネルギーなら、過去との微分差が、今ここの現実のエネルギーの源になるはずだ。

ちょーさんの十三回忌に行ってきました。

薄闇の記憶をたどってみようと思います。

最後に会った時の思い出ではなくて、会えなかったことの思い出です。
13年前、マレーシアにいて結婚式に来れないというので、
披露宴の後の新婚旅行はちょーさん夫妻が滞在するランカウイ島に行くことになっていました。
時とタイミングがしつらえたような、特別のプランを愉しみにしていました。

ところが、結婚式を週末に控えた週の半ばになって、旅行会社から急の連絡が入ります。
「(私の奥さんの)パスポートの有効期間が、残り半年を切ってしまうので、アジアには入国できません。」

そんなことはもっと前に言ってくれー。
当時勤めていた銀行は、関連会社で旅行会社もやっていたのですが、
旅行業は専門外ですから、パスポートの有効期間チェックという基本動作が甘かったのだと思います。
(今になって思うと、こちらもこちらですが。)
当時支店にいた私は、結婚休暇を控えて大忙しでしたので、旅行会社からの謝罪訪問の申し出を断りましたが、
本店にいた私の奥さんは直接謝罪訪問を受けて、受付担当者だった女性の落胆ぶりに、怒りようがなかったようなことを言っていました。

仕事上も大きなアクシデントに見舞われた後でしたし、
脳梗塞を患い、その年になくなった父が無理をおして上京するということもあり、諸事こまやかに、とはいかない時期だったような気もします。

おかげで、新婚旅行は、パスポートの有効期間上問題のないハワイに急遽変更。
式の段取りで手いっぱいだったまま、ノープランで飛行機に飛び乗った感じでした。

新婚旅行だというのに、ハワイに着くなり、ワイキキビーチでふて寝。
だって、ほんとうにノープランのまま、来たくもないハワイにやって来たのですから。

先輩だったので、ちょーさんとは呼んでいませんでしたが、
才色兼備な女性だったので、おじさん連中は、尊敬と親しみを込めて、ちょーさんと呼んでいたのだと思います。

ジャイアンツのちょーさん(長嶋)は、大阪にあっても、当時まだ別格のスターでした。
新任外交(渉外、営業職のことを外交と言っていました。今でもそんな呼び方をするのでしょうか。)向けの泊まりこみ研修があると、
強烈なタイガースファンのえらい人がいるかと思うと、研修の訓示でON(王、長嶋)を中心としたV9ジャイアンツの組織力がいかに素晴らしいものであったかを熱く語る軍曹みたいなおじさんもいました。
巨人は嫌いだが、長嶋は好きだというひとも多かった。
私が銀行に入ったばかりの頃は、今とはちがって、中堅どころの30-40代の先輩社員との間には口をきくのがはばかられるような壁があったのだが、
そんなおじさんに、
″おまえは長嶋、オヤジの方のナガシマに似ている″と言われたことがあります。
わたし史上、最高の褒め言葉のひとつです。

さて、なんとも枯れた本を読んでると思われるかもしれませんが、透徹した心眼をお持ちの方だ。
心象世界と現実世界みたいな話があるが、
コスモスという呼び方をする宇宙がある。宇宙を指すときの「コスモス」という言葉の使い分けに、なるほどと思った。

世界には、コスモスとワールドという二つがある。
自分が主であるコスモスでは、自己顕示や有名になる必要もないから、
″努力を積み重ねながら、平凡に、無名のままに過ごすのは、つまらないことでも、虚しいことでもない。″

江戸時代の人間は、今よりずっと生に執着することなく死んでいきました。
当時の文献を読んでみると、本当にあっさり死んでいる。
江戸時代の人生は短かったのかもしれないけれど、「短すぎる」という感覚はなかったはずです。
すでに生きている時から覚悟が決まっているのでしょう。
では、あっさり死んで何事もなく死を受け入れていた江戸期の人と、そうではない今の人とはどこが違うのか。

昔の日本人は、「この世に一時滞在する旅人にすぎない」という慎ましさを持っていた。自分を大したものだとなどとは考えず、
名が世間にゆき渡らなくても、旅の間、この世の光を受けたと思える「気位」を持っていた。
自愛心の発達した現代人には、この結論がなかなかに理解できないのだと言います。
ややもすると、厭世的なイメージで捉えがちなもののなかに、
実は豊かな深みやコクがあるのかもしれない。
ワールドな世界に背を向けるのもどうかと思うが、
実は世界は二つあること、豊穣なコスモスの世界があることに気づいている。

江戸までは下れなくとも、昭和の風情なら分かります。
70年代フォークの趣きのなかに、敬意を表すべき慎ましさがある。
I Live for You + Lyrics.wmv

食べ疲れ気味の夕方でしたが、昭和のラーメンてこういうのを言うんだな、と妙に納得した。
支那そばってこれか、というのとはまた違う。
オバQで小池さんが食べていたラーメンって、これだったに違いないと思った。
大宮の百貨店、高島屋の裏にある昭和。

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