ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

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くるみの木にくるみらい

2014年10月21日 | 日記

二年も喪中が続くと、久しぶりの年賀状の初動が早い。
(喪中はがきは十一月には送るものだからだ。)

喪中はがきに使われる、桔梗や菖蒲の挿絵のような控えめな風情に慣れたのか、
家族の写真が入ったカラフルな年賀状もよいけど、
よく年配の方がするように、干支が印刷されただけの簡素な年賀状に変えてみるのもよいかな、と思ったりした。
さらりとした力の抜けた時候の挨拶状には、慌てず騒がずの、風雅を感じたりもする。

さて、この秋に観たのは、ボストン美術館所蔵の葛飾北斎。

実は、歌川広重のほうが、鮮やかな色彩がポストカード的で綺麗だと思っていました。

広重の大井川の渡しを描いた作品などを見ていると、
荒川の河川敷のような水辺や川べりは、本来人々が集まる場所で、
民間利用が進む近い将来には、かつての賑わいが戻ってくるのではないかとも思えてきます。

かたや歌川広重とほぼ同時代を生きた葛飾北斎の作品には、
一瞬の風や波や滝の動きを捉えようとする視点の斬新さがあって、表面的な構図や色彩を超えた、世界の見方に関わる凄みを感じる。

(セザンヌは″林檎ひとつでパリを変えてみせる″と言ったといいますが、同じ気風を北斎に感じます。)

( ↓ ) そのあたりはこちらの方がうまく説明してくださっています。

(【これが88歳の作品!?】葛飾北斎が老いてから描いた画が強烈すぎる【波の画だけじゃない】)

北斎はこんなことを記したことがあります。
「70歳までに描いたものは本当に取るに足らぬものばかりである。
(そのような私であるが、)73歳になってさまざまな生き物や草木の生まれと造りをいく らかは知ることができた。
ゆえに、86歳になればますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極め、
100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。
(そして、)100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものとなろう。」


北斎は数え年90歳になって、この世を去ります。彼の言葉を借りれば、奥義に極めた年齢。
しかし、彼の最後の言葉は次のようなものでした。

「天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得(う)べし 」

(もうあと5年長生きできたら、本当の画工になることができたものを)

引越しと改名を繰り返し、晩年自らを「画狂老人卍(がきょうろうじんまんじ)」と名乗ったという葛飾北斎。

「蛸と女」のぶっ飛びぶりは、現代芸術のアナーキズムを凌駕している。

たとえば春画なら、デフォルメされているとはいえリアルの範疇にあると思うのだが、
こちらは狂気と幻想の世界、あの時代にここまで描く勇気というか大胆さは何ゆえなのか。

残念ながら、「蛸と海女」は今回の展示になかったが、
北斎のことを「職人的な技工を持った、印象派の画家たちにも影響を与えた、日本を代表する浮世絵師」という側面だけで捉えることをしなくなる。
かえって、この画家が本当に描きたかったものは何なのだろう、北斎の眼は何を捉えようとしていたのだろうということを感じてみよう、となる。

有名な「神奈川沖浪裏」は、富嶽三十六景といいながら、富士山というよりは大部分が波の描写であって、
引く波や寄せる波、砕け散る波やなだれ落ちる波までを、漫画か着物の模様のようにパターン化して描き分けていることにあらためて気づかされた。
遠景にある富士山は小さく、近景にある波の方が圧倒的に高い場所にあってエネルギーがある。
実は、富士山のブルーではなくて、海のブルーを見ていたことに気づく。

さて、少し年賀状のほうに話を戻そう。

フチなし印刷の写真年賀状の迫力が好みだったりするので、この夏に撮った写真のなかに適当なものがないか見繕いながら年賀状作りを始めることに。

( ↓ )ヤナギランの波を近景に持ってきたのはいいが、磐梯山の方が高い。北斎の視点には及ばない。

「凱風快晴」、通称「赤富士」。これは、年賀状にふさわしい、おめでたい雰囲気がある。

( ↓ ) いいぞ、モチーフは異なるが、視点が北斎に近づいてきた。

北斎が富士山のなかに赤から青までの色彩を捉えたように、花の色に仄かな赤から青までの光のグラデーションを捉えている。

しかし、年賀状の写真に似つかわしいという点では、赤富士のおめでたさには及ばない。

おめでたい赤富士から一転、たとえようのない寂しさを湛えた富士山。
右は北斎の絶筆と伝えられる作品、黒雲と共に龍が昇天するめでたい図様と言われているが、どこか異界に続いているようでもある。

 

( ↓ )これもまた、異界とのリンクを感じさせるところが気に入っているのだが、

これでは年賀状というより、「黄泉の国からの便り」になってしまうのでやめました。

~ アイデアが浮かんだので、閃きのまま、年賀状の作成を開始 ~

くるみの木姿に、羊年を表す文字である、未来の「未」を重ね合わせてみる。
大きな「未」の字が、頂辺から地下に張った根っこまで拡がっているイメージなのだが、作画のバランス上こうなってしまった。

「くるみ」は「来る未来」。
「未年」とのダブルミーニングにしたら、なんだかこてっとなってしまった。

とはいえ、まさしく「Hope for the Future(未来への希望)」風ではないか。
年賀状としては画面が暗いという意見もあるが、希望は暗闇の中からでも立ち上がってくるのだ、気に入った。

先行公開することにしよう。
(十枚に一枚くらい、「富嶽三十六景」風のなかに、「蛸と海女」風をまぜて出すというアイデアはどうだろう。
 数年前に、アイドルのビキニ姿を全面印刷した年賀状をもらったことがあるのですが、あまりの場違いさに印象度抜群でした。
 どうしたんだろ、と気にもかかるしね。)

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2 コメント

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同日同時刻 (hika)
2014-10-22 09:51:27
同じものを観ていましたようで。
あれだけの人混みでは偶然に至近距離はなかったのかしら?
でも、背の高いゴルフィーさんをなぜに見逃したか?
こまい浮世絵にかぶりつきで観てたからですね(笑)

これからブログりまーす( ..)φ

北斎の仕事量にはびっくりですよね@@
返信する
Unknown (hikaさんへ)
2014-10-22 13:06:00
えー、そんな偶然があったんですねー。
ちなみに普段はマスクはしておりませんし、傘持ってスイングしたりもしていない、茫洋とした勤めびとですから。
北斎に何を学べるというのだ、と自戒しておりまする。( i _ i )
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