文章にすると野暮ですが、いい話なので。。
なかなか、こうはいかないけど、欽ちゃんの物の見方は見習いたいものです。
下のとは別に、アマゾンで欽ちゃんの本を、2冊買ってしまいました。
■「ユーモアで行こう!」から
・ボケ、ツッコミのあとの“ウケ”を大事にしようよ
ウケっていうのを簡単に言うと、
ツッコミ:「おまえはバカだな」
ボケ:「ええ、もうね、生まれた時からですよ」(って堂々と答えてくる)
ウケ:「いいバカだ」(って言って、鼻でピクって笑ってあげる。おまえに惚れたっていう顔をするの。)
・ユーモアを理解できない子供を、ユーモアでしつけるのは難しい。
でも、たとえば、叱るときなんか、
「ぶつよッ」って言って、手をちゃんとあげて、それからチョンと突く。
すると、「あ、許してくれてる」って分かる。
子供のころから、言葉が違う意味を持つことがあるってこと、
同じ言葉でもいろんなサインが込められてるんだってことがわかれば、
この子は大きくなって社会に出て行っても、きっとユーモアがわかる人になると思うよ。
・怒ってる相手の言葉の一つ一つにどうして心を揺るがすの?少なくても自分に対するユーモアを忘れては駄目。
~「あなたはちょっとユーモアのわからない人よ」っていうのをひとつ突きつけてやろう
たとえば、「気を付けます」の言葉にひとこと付け加えて返事をする。
「絶対、気を付けます」
「もう、ぐっちゃぐちゃ、めっちゃめちゃに気をつけます」とかね。
それで「おまえは舐めてるのか!」って怒りをぶつけてきたら、
「わかりました。お時間です。」って言ってみるとかね。
・弾をまともに受けるっていうのは、叱られているのをいじめと受け取ったサインなの。
そうすると、叱った方もまた悩むことになるんだよ。
「何やってる、このやろう」って言うと
「今日はわかってますけど、明日がどうなるかわかりません」とかね。
わかってるけど、あんたもそんなむきにならなくてもいいわよ、って振ってるから、そのことで分かると思うよ。
「だから、あー、あしたも覚えとけ」とか、こっちもワケわかんなくなる。
「ええ、今日はわかっても、明日はわかりませんけど、本日あたりはわかってるような気がします」とかね。
・「すみません、今後気を付けます」っていうと相手との関係がおしまいになってしまう。もったいないと思わないかい?
「母にも言っときます」
「これからはなるべく米食うようにします」とか、普段言わない言い回しをするの。
それで最後に「もうわかったわね。今度からは、お米にしなさい。」ってやったら粋な人ですから。
「あ、この人はいい人だ」って自分も思えるでしょ?
■「幸福論」から
子供のころの遠足。僕は列車に乗り込むのがいつもびりだった。列車のドアが開いた瞬間に、みんな競って席を取りに行く。窓側の席を取ろうとしたり、友達と一緒に座ろうとしたり。僕はそういう席取り合戦が嫌いだったので、最後にポツンと残される。すると、先生は「またお前か。しょうがないな。」って顔をして席を探し始める。いかにもグズでダメな子だと言いたげで、余計なお節介だと子供ながらに感じた。僕は別に列車の中で立っていてもいいし、争わないで立つ方が心地よかったのに、どうして分かってくれなかったのだろう。
幸せってこれに似ている。正解なんかあるはずがない。みんなそれぞれに幸せのアドリブを演じていけばいい。そしてそれを認め合えばいい。
あの遠足の日、「おまえは立ったまま遠足に行くのか。それは新しい遠足じゃないか。よし、おれも一緒に立っていくことにするよ。」って言葉が聞きたかった。
(↓懐かしいねぇ)
Warabe - Moshimo Ashita ga
なかなか、こうはいかないけど、欽ちゃんの物の見方は見習いたいものです。
下のとは別に、アマゾンで欽ちゃんの本を、2冊買ってしまいました。
■「ユーモアで行こう!」から
・ボケ、ツッコミのあとの“ウケ”を大事にしようよ
ウケっていうのを簡単に言うと、
ツッコミ:「おまえはバカだな」
ボケ:「ええ、もうね、生まれた時からですよ」(って堂々と答えてくる)
ウケ:「いいバカだ」(って言って、鼻でピクって笑ってあげる。おまえに惚れたっていう顔をするの。)
・ユーモアを理解できない子供を、ユーモアでしつけるのは難しい。
でも、たとえば、叱るときなんか、
「ぶつよッ」って言って、手をちゃんとあげて、それからチョンと突く。
すると、「あ、許してくれてる」って分かる。
子供のころから、言葉が違う意味を持つことがあるってこと、
同じ言葉でもいろんなサインが込められてるんだってことがわかれば、
この子は大きくなって社会に出て行っても、きっとユーモアがわかる人になると思うよ。
・怒ってる相手の言葉の一つ一つにどうして心を揺るがすの?少なくても自分に対するユーモアを忘れては駄目。
~「あなたはちょっとユーモアのわからない人よ」っていうのをひとつ突きつけてやろう
たとえば、「気を付けます」の言葉にひとこと付け加えて返事をする。
「絶対、気を付けます」
「もう、ぐっちゃぐちゃ、めっちゃめちゃに気をつけます」とかね。
それで「おまえは舐めてるのか!」って怒りをぶつけてきたら、
「わかりました。お時間です。」って言ってみるとかね。
・弾をまともに受けるっていうのは、叱られているのをいじめと受け取ったサインなの。
そうすると、叱った方もまた悩むことになるんだよ。
「何やってる、このやろう」って言うと
「今日はわかってますけど、明日がどうなるかわかりません」とかね。
わかってるけど、あんたもそんなむきにならなくてもいいわよ、って振ってるから、そのことで分かると思うよ。
「だから、あー、あしたも覚えとけ」とか、こっちもワケわかんなくなる。
「ええ、今日はわかっても、明日はわかりませんけど、本日あたりはわかってるような気がします」とかね。
・「すみません、今後気を付けます」っていうと相手との関係がおしまいになってしまう。もったいないと思わないかい?
「母にも言っときます」
「これからはなるべく米食うようにします」とか、普段言わない言い回しをするの。
それで最後に「もうわかったわね。今度からは、お米にしなさい。」ってやったら粋な人ですから。
「あ、この人はいい人だ」って自分も思えるでしょ?
■「幸福論」から
子供のころの遠足。僕は列車に乗り込むのがいつもびりだった。列車のドアが開いた瞬間に、みんな競って席を取りに行く。窓側の席を取ろうとしたり、友達と一緒に座ろうとしたり。僕はそういう席取り合戦が嫌いだったので、最後にポツンと残される。すると、先生は「またお前か。しょうがないな。」って顔をして席を探し始める。いかにもグズでダメな子だと言いたげで、余計なお節介だと子供ながらに感じた。僕は別に列車の中で立っていてもいいし、争わないで立つ方が心地よかったのに、どうして分かってくれなかったのだろう。
幸せってこれに似ている。正解なんかあるはずがない。みんなそれぞれに幸せのアドリブを演じていけばいい。そしてそれを認め合えばいい。
あの遠足の日、「おまえは立ったまま遠足に行くのか。それは新しい遠足じゃないか。よし、おれも一緒に立っていくことにするよ。」って言葉が聞きたかった。
(↓懐かしいねぇ)
Warabe - Moshimo Ashita ga
ほんと懐かしい映像です
よろこんでもらえて よかった。