上京した日(3月12日)の2日後には新聞奨学生として働き始めたので、いわゆるホームシックには罹らなかった。
奨学生はみんなそうかな―と思ったが、同日に静岡からやってきたKくんは「寂しい」「帰りたい」「都会怖い」「新聞触りたくもない」とひどいホームシックに罹っていたっけ。
(彼は「田園に囲まれて育ったから」といっていたが、自分の田舎もそんな感じだったんだけれども)
仕事が慣れてきたころに学校が始まったため、4月も忙しく、田舎のことを考える余裕がなかった。
5月―。
仕事と学業をそつなく? こなし始めたころ、やっとのことで郷愁というか、田舎や温かな家庭を恋しがるようになった。
早朝、新聞にチラシを折り込んでいるとデパートのチラシ「母の日特集」が目につく。
・・・・・そうか。
そうだよなぁ、そういや3月15日は、かーちゃんの誕生日だったっけか。
気づいていたクセして、忙しいことを理由になにも贈らなかったし、電話さえしていなかったじゃねぇか。
配達中に、なんか自己嫌悪。
奨学生って仕事はきついかもしれないが、なかなかの好待遇である。
自分が所属した専売所のケースでいうと・・・
(1)2年間180万円の授業料をサポート
(2)家賃7万円のアパートに住ませてくれる
(3)基本的に朝食・夕食が出る
(4)月に12万円前後の給料
これ月々の給料として計算し直せば、30万円くらいもらっている、、、ということになる。
それで母の日に「なにも贈らない」っていうのはないだろう。
しかし、なにを贈ればいいのか―。
やっぱり花?
当時から「花キューピット」的なサービスはあったと思うが、その発想が浮かばなかったのでペケ。
かーちゃんの好きなものを思い出してみる―。
食べ物全般。
朝日新聞に連載されていた漫画『ペエスケ』。
金魚。
西郷輝彦。
・・・わ、わからん。
いまは「プレゼント魔」みたいなところがあって、女子に「マメだよねぇ!」などといわれることも多いが、当時はぜんぜんでね。
いや、だから、あのころの経験によって、現在「そこそこ?」のセンスを持ち得ているような気がする。
いまだったら『ペエスケ』に登場する犬(=ガタピシ)やワニのぬいぐるみを必死で探そうとしたろうが、18歳のガキはデパートの「母の日、特設会場」みたいなスペースでなにかを選ぶという発想しかなくってね。
そうして、真っ赤な財布を選んだ。
1万円くらい、、、だったかな。
かーちゃんに似合うかどうかとか、あまり考えなかった。
考えられなかった、というほうが適切かもしれないが。
で、それを贈って(きのう全文を載せた)手紙が届く、、、と。
こうして、かーちゃんが死ぬまでの6年間、3月の誕生日と5月の母の日は必ずなにかを贈るようになったのだが、
きちんと覚えているのは、18歳の5月に贈った真っ赤な財布だけなのだった。
母親をなくしたすべての子どもが、母の日や誕生日や墓参りの日に「ああすればよかった、こうすればよかった」などと思うものなのだろう。
今年も自分は、そんな後悔を抱いて母の日を過ごした。
そうして「なにやってんだか…」と強く思うのは、そんな後悔をしているにも関わらず、去年も今年も義母にはなにも贈っていない「冷たい自分」が居るということ。
これじゃあ、いかんよね。
だから来年は、ぜったい。
…………………………………………
※きょうのトップ画像は、「優しいかーちゃん」からイメージした『東京物語』(53)の東山千栄子で。
「ありがと♪」のアクセントがかわいいんだよね。
※※星のフラメンコ
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『60億分の1って、つくづく格好いい』
奨学生はみんなそうかな―と思ったが、同日に静岡からやってきたKくんは「寂しい」「帰りたい」「都会怖い」「新聞触りたくもない」とひどいホームシックに罹っていたっけ。
(彼は「田園に囲まれて育ったから」といっていたが、自分の田舎もそんな感じだったんだけれども)
仕事が慣れてきたころに学校が始まったため、4月も忙しく、田舎のことを考える余裕がなかった。
5月―。
仕事と学業をそつなく? こなし始めたころ、やっとのことで郷愁というか、田舎や温かな家庭を恋しがるようになった。
早朝、新聞にチラシを折り込んでいるとデパートのチラシ「母の日特集」が目につく。
・・・・・そうか。
そうだよなぁ、そういや3月15日は、かーちゃんの誕生日だったっけか。
気づいていたクセして、忙しいことを理由になにも贈らなかったし、電話さえしていなかったじゃねぇか。
配達中に、なんか自己嫌悪。
奨学生って仕事はきついかもしれないが、なかなかの好待遇である。
自分が所属した専売所のケースでいうと・・・
(1)2年間180万円の授業料をサポート
(2)家賃7万円のアパートに住ませてくれる
(3)基本的に朝食・夕食が出る
(4)月に12万円前後の給料
これ月々の給料として計算し直せば、30万円くらいもらっている、、、ということになる。
それで母の日に「なにも贈らない」っていうのはないだろう。
しかし、なにを贈ればいいのか―。
やっぱり花?
当時から「花キューピット」的なサービスはあったと思うが、その発想が浮かばなかったのでペケ。
かーちゃんの好きなものを思い出してみる―。
食べ物全般。
朝日新聞に連載されていた漫画『ペエスケ』。
金魚。
西郷輝彦。
・・・わ、わからん。
いまは「プレゼント魔」みたいなところがあって、女子に「マメだよねぇ!」などといわれることも多いが、当時はぜんぜんでね。
いや、だから、あのころの経験によって、現在「そこそこ?」のセンスを持ち得ているような気がする。
いまだったら『ペエスケ』に登場する犬(=ガタピシ)やワニのぬいぐるみを必死で探そうとしたろうが、18歳のガキはデパートの「母の日、特設会場」みたいなスペースでなにかを選ぶという発想しかなくってね。
そうして、真っ赤な財布を選んだ。
1万円くらい、、、だったかな。
かーちゃんに似合うかどうかとか、あまり考えなかった。
考えられなかった、というほうが適切かもしれないが。
で、それを贈って(きのう全文を載せた)手紙が届く、、、と。
こうして、かーちゃんが死ぬまでの6年間、3月の誕生日と5月の母の日は必ずなにかを贈るようになったのだが、
きちんと覚えているのは、18歳の5月に贈った真っ赤な財布だけなのだった。
母親をなくしたすべての子どもが、母の日や誕生日や墓参りの日に「ああすればよかった、こうすればよかった」などと思うものなのだろう。
今年も自分は、そんな後悔を抱いて母の日を過ごした。
そうして「なにやってんだか…」と強く思うのは、そんな後悔をしているにも関わらず、去年も今年も義母にはなにも贈っていない「冷たい自分」が居るということ。
これじゃあ、いかんよね。
だから来年は、ぜったい。
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※きょうのトップ画像は、「優しいかーちゃん」からイメージした『東京物語』(53)の東山千栄子で。
「ありがと♪」のアクセントがかわいいんだよね。
※※星のフラメンコ
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明日のコラムは・・・
『60億分の1って、つくづく格好いい』