かいるくー「ぱー」→「ぱー」てぃ
パーティー【party】
<1>社交のための集まり。「カクテル―」「―ドレス」
<2>政党。党派。政治集団。
<3>仲間。一行。特に、登山・探検などで行動をともにする集団。「五人の―を組んで冬山に登る」
(デジタル大辞泉より)
40年の人生で、パーティと名のつくものに参加した経験はほとんどない。
そんな身分じゃあない。
柄じゃあない。
広義の意味で捉えれば、同窓会や合コンもパーティかもしれない。
しれないが、きっちり「パーティ」と冠された催しに出たのは・・・
帝国ホテルで開催された「新聞奨学生卒業パーティ」と、取材者として隅のほうでウロウロしていただけの「芸能人による誕生日パーティ」が何度か、、、くらいなんじゃないだろうか。
・・・・・けっ、寂しい人生だぜ。
でも繰り返すが、柄じゃあない。
と強がるのもいいが、外国映画の贅をつくしたパーティシーンなんかを見ると、いいなぁ、登場人物のひとりになりたいなぁ、、、とは思う。
基本が助平なので、羨ましいと思ったのはキューブリックの遺作『アイズ ワイド シャット』(99…トップ画像)で描かれる「乱交パーティ」である。
だが脚本家・荒井晴彦が「キューブリックが描くエロは、エロじゃない」といったように、なんだか厳かに過ぎるというか、仰々しくてたしかにエロじゃない。
これだったら、あまり知られていない映画だが『ニュー・エイジ』(94)のパーティシーンのほうが欲情させるものがある。
破産寸前の夫婦が出かける「セレブチック? でエロい」パーティは、参加者全員が黒服で、なんかそれだけでゾクゾクした。
『ニュー・エイジ』が描き出したのは、日本でいうバブル世代の享楽と退廃。
その元祖ともいえる映画がフェリーニの代表作『甘い生活』(59)で、物語をひどく乱暴に要約すれば「毎日がパーティ」なひとびとを活写したものだった。
豪華なパーティシーンは「その豪華さ」だけでなく、そこに監督それぞれの批評眼を見て取ることが出来て面白い。
スコセッシによる『エイジ・オブ・イノセンス』(93)は、愛が調度品や世間体に負けるさまを辛辣に描く。
『宮廷料理人ヴァテール』(2000)は、美味そうな料理で観客の目を楽しませつつ、貴族の馬鹿さ加減を笑う創りになっていた。
みんなみんな、自分では経験出来ない身分や立場にあるひと。
日本産でも、そんな「お高くとまったひと」の映画はある。
ガーデンパーティが描かれる漱石×モリタの『それから』(85)、名門華族の没落を描く大作『安城家の舞踏會』(47)などなど。
もう少し身近なひとびとの「ささやかな」パーティを見てみよう。
青春映画によく出てくるパーティといえば、プロムや卒業パーティ。
『アメリカン・グラフィティ』(73)は卒業パーティから翌朝までの青春をリリカルに描き、これを観るとジョージ・ルーカスにはSFだけでなく、もっともっと映画を撮ってほしかったな、、、なんて思う。
プロムとは簡単にいえば学園でおこなわれる舞踏会のことであり、これをクライマックスに持ってきたのがホラーの傑作『キャリー』(76)だった。
『ヴァージン・スーサイズ』(99)のプロムも印象的だが、
未来の父と母が結ばれる『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)のプロムがじつに面白いので、マイキーの歌う『ジョニー・B・グッド』をリンクしておきましょう。
あすのしりとりは・・・
ぱー「てぃ」→「てぃ」むばーとん。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(76)』
パーティー【party】
<1>社交のための集まり。「カクテル―」「―ドレス」
<2>政党。党派。政治集団。
<3>仲間。一行。特に、登山・探検などで行動をともにする集団。「五人の―を組んで冬山に登る」
(デジタル大辞泉より)
40年の人生で、パーティと名のつくものに参加した経験はほとんどない。
そんな身分じゃあない。
柄じゃあない。
広義の意味で捉えれば、同窓会や合コンもパーティかもしれない。
しれないが、きっちり「パーティ」と冠された催しに出たのは・・・
帝国ホテルで開催された「新聞奨学生卒業パーティ」と、取材者として隅のほうでウロウロしていただけの「芸能人による誕生日パーティ」が何度か、、、くらいなんじゃないだろうか。
・・・・・けっ、寂しい人生だぜ。
でも繰り返すが、柄じゃあない。
と強がるのもいいが、外国映画の贅をつくしたパーティシーンなんかを見ると、いいなぁ、登場人物のひとりになりたいなぁ、、、とは思う。
基本が助平なので、羨ましいと思ったのはキューブリックの遺作『アイズ ワイド シャット』(99…トップ画像)で描かれる「乱交パーティ」である。
だが脚本家・荒井晴彦が「キューブリックが描くエロは、エロじゃない」といったように、なんだか厳かに過ぎるというか、仰々しくてたしかにエロじゃない。
これだったら、あまり知られていない映画だが『ニュー・エイジ』(94)のパーティシーンのほうが欲情させるものがある。
破産寸前の夫婦が出かける「セレブチック? でエロい」パーティは、参加者全員が黒服で、なんかそれだけでゾクゾクした。
『ニュー・エイジ』が描き出したのは、日本でいうバブル世代の享楽と退廃。
その元祖ともいえる映画がフェリーニの代表作『甘い生活』(59)で、物語をひどく乱暴に要約すれば「毎日がパーティ」なひとびとを活写したものだった。
豪華なパーティシーンは「その豪華さ」だけでなく、そこに監督それぞれの批評眼を見て取ることが出来て面白い。
スコセッシによる『エイジ・オブ・イノセンス』(93)は、愛が調度品や世間体に負けるさまを辛辣に描く。
『宮廷料理人ヴァテール』(2000)は、美味そうな料理で観客の目を楽しませつつ、貴族の馬鹿さ加減を笑う創りになっていた。
みんなみんな、自分では経験出来ない身分や立場にあるひと。
日本産でも、そんな「お高くとまったひと」の映画はある。
ガーデンパーティが描かれる漱石×モリタの『それから』(85)、名門華族の没落を描く大作『安城家の舞踏會』(47)などなど。
もう少し身近なひとびとの「ささやかな」パーティを見てみよう。
青春映画によく出てくるパーティといえば、プロムや卒業パーティ。
『アメリカン・グラフィティ』(73)は卒業パーティから翌朝までの青春をリリカルに描き、これを観るとジョージ・ルーカスにはSFだけでなく、もっともっと映画を撮ってほしかったな、、、なんて思う。
プロムとは簡単にいえば学園でおこなわれる舞踏会のことであり、これをクライマックスに持ってきたのがホラーの傑作『キャリー』(76)だった。
『ヴァージン・スーサイズ』(99)のプロムも印象的だが、
未来の父と母が結ばれる『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)のプロムがじつに面白いので、マイキーの歌う『ジョニー・B・グッド』をリンクしておきましょう。
あすのしりとりは・・・
ぱー「てぃ」→「てぃ」むばーとん。
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