26年3月30日生まれ・94年10月5日死去、享年68歳。
静岡出身。
安定感抜群の中条静夫(ちゅうじょう・しずお)さんの演技―しかしこの俳優さんのことを認識して数年間のあいだ、「なかじょう」さんだと思い込んでいました。
日本語は難しいとされていますが、苗字は「とくに」そうですよね。
なか「じ」まなのか、なか「し」まなのか、、、とか。
自分の世代では『あぶない刑事』(86、日本テレビ)、上の世代のひとにとっては『夢千代日記』(81、NHK)でしょうか、
映画俳優としての代表作は挙げ難いですけれど、テレビドラマでは印象に残るキャラクターをいくつも演じていますよね。
※映画で挙げるとするならば、これでしょうか。
『あぶない刑事』での縁を大事にしたから創られたであろう、『免許がない!』(94)予告編。
そしてこの映画が、映画俳優としての中条さんの遺作となりました。
「ハンコ押してくれよ!!」
<経歴>
48年、大映の入社試験に合格して俳優デビューを飾る。
映画好きでも、若いひとほど「俳優が映画会社に就職する」意味を理解してくれません。
「フリーなんじゃないですか?」
それは70年代後半からでね。
「がんじがらめ」な状況があったからこそ、『黒部の太陽』(68)は難産だった―ということを、一から説明しないと分かってくれない。
スタジオシステムが機能していたこと、
当時は専属俳優が基本であり、たとえば東宝の俳優であれば東映の映画には「基本的に」出演出来ない決まりがあったこと、、、などを説明しても「???」という顔をするのです。
もちろん弊害もあったわけですが、確実に後進が育つという意味で、いいところもあったのですけれどねぇ。
とりあえず映画史をきちんと学べよ! と、エラソーに後輩を叱る映画小僧なのでした。
映画俳優デビュー作は、55年の『楊貴妃』。
『幻の馬』(55)、『透明人間と蝿男』(57)、『穴』(57)、『婚期』(61)、『女は二度生れる』(61)、『黒の試走車』(62)、『黒の報告書』(63)、『わたしを深く埋めて』(63)、『喧嘩犬』(64)、『黒の超特急』(64)・・・と出演作は続きますが、役名は与えられるものの基本的に脇役ばかりであり、それはドラマでも同様で、長いあいだ大部屋暮らしだったそうです。
65年のテレビドラマ『東京警備指令 ザ・ガードマン』(TBS)にレギュラー出演したあたりから運気? 上昇、
すでに40歳になっていましたが、若手俳優では出せない渋みがウケて、一気に知名度が上がります。
『陸軍中野学校』(66)、『野獣狩り』(73)、『日本沈没』(73)、『動脈列島』(75)、『ブルークリスマス』(78)。
そして、86年から始まった『あぶない刑事』で自分のようなクソガキにも顔と名前を覚えられ(まぁ読みかたを間違えていたわけだけれども)、「癇癪持ち、でも、気のいいおっさん」の印象を強くします。
映画版の『あぶない刑事』(87)、『またまたあぶない刑事』(88)、『もっともあぶない刑事』(89)にも連続出演を果たし、好調のまま90年代を迎えます。
・・・が、94年10月5日、癌による肝不全のため亡くなりました。
享年68歳。
もういちどくらい、『あぶない刑事』の続編を観たかったんですけれどね~。
次回のにっぽん男優列伝は、塚地武雅さんから。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『上半期、映画小僧のハートを撃ち抜いた傑作 + 5月コラムの目次』
静岡出身。
安定感抜群の中条静夫(ちゅうじょう・しずお)さんの演技―しかしこの俳優さんのことを認識して数年間のあいだ、「なかじょう」さんだと思い込んでいました。
日本語は難しいとされていますが、苗字は「とくに」そうですよね。
なか「じ」まなのか、なか「し」まなのか、、、とか。
自分の世代では『あぶない刑事』(86、日本テレビ)、上の世代のひとにとっては『夢千代日記』(81、NHK)でしょうか、
映画俳優としての代表作は挙げ難いですけれど、テレビドラマでは印象に残るキャラクターをいくつも演じていますよね。
※映画で挙げるとするならば、これでしょうか。
『あぶない刑事』での縁を大事にしたから創られたであろう、『免許がない!』(94)予告編。
そしてこの映画が、映画俳優としての中条さんの遺作となりました。
「ハンコ押してくれよ!!」
<経歴>
48年、大映の入社試験に合格して俳優デビューを飾る。
映画好きでも、若いひとほど「俳優が映画会社に就職する」意味を理解してくれません。
「フリーなんじゃないですか?」
それは70年代後半からでね。
「がんじがらめ」な状況があったからこそ、『黒部の太陽』(68)は難産だった―ということを、一から説明しないと分かってくれない。
スタジオシステムが機能していたこと、
当時は専属俳優が基本であり、たとえば東宝の俳優であれば東映の映画には「基本的に」出演出来ない決まりがあったこと、、、などを説明しても「???」という顔をするのです。
もちろん弊害もあったわけですが、確実に後進が育つという意味で、いいところもあったのですけれどねぇ。
とりあえず映画史をきちんと学べよ! と、エラソーに後輩を叱る映画小僧なのでした。
映画俳優デビュー作は、55年の『楊貴妃』。
『幻の馬』(55)、『透明人間と蝿男』(57)、『穴』(57)、『婚期』(61)、『女は二度生れる』(61)、『黒の試走車』(62)、『黒の報告書』(63)、『わたしを深く埋めて』(63)、『喧嘩犬』(64)、『黒の超特急』(64)・・・と出演作は続きますが、役名は与えられるものの基本的に脇役ばかりであり、それはドラマでも同様で、長いあいだ大部屋暮らしだったそうです。
65年のテレビドラマ『東京警備指令 ザ・ガードマン』(TBS)にレギュラー出演したあたりから運気? 上昇、
すでに40歳になっていましたが、若手俳優では出せない渋みがウケて、一気に知名度が上がります。
『陸軍中野学校』(66)、『野獣狩り』(73)、『日本沈没』(73)、『動脈列島』(75)、『ブルークリスマス』(78)。
そして、86年から始まった『あぶない刑事』で自分のようなクソガキにも顔と名前を覚えられ(まぁ読みかたを間違えていたわけだけれども)、「癇癪持ち、でも、気のいいおっさん」の印象を強くします。
映画版の『あぶない刑事』(87)、『またまたあぶない刑事』(88)、『もっともあぶない刑事』(89)にも連続出演を果たし、好調のまま90年代を迎えます。
・・・が、94年10月5日、癌による肝不全のため亡くなりました。
享年68歳。
もういちどくらい、『あぶない刑事』の続編を観たかったんですけれどね~。
次回のにっぽん男優列伝は、塚地武雅さんから。
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