Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

怒れる牡牛の物語

2014-06-07 00:30:00 | コラム
第18部「デニス・ホッパーの物語」~第4章~

「具流八郎? 懐かしいことをいうねぇ。もう、いまの学生には通じない名前だと思ったよ。悪い想い出はない。みんな青くて、でも熱くて、なにか大きいことを仕掛けてやろうという企みに燃えていた。共犯者、だよね」
「四騎の会とは、またちがう感じですかね」
「あれほど壮大ではないし、仰々しくはない。でも、いい映画を創りたいという思いは一緒なんだよ、たぶん」
(木村威夫、筆者に「具流八郎」のエピソードを語る)

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8人の映画屋が「グル」になったから、「具流八郎」(ぐる・はちろう)。

60年代後半―鈴木清順の助監督を務めていた曾根中生が発起人となり、曾根と清順のほか、木村威夫・大和屋竺・田中陽造・岡田裕・山口清一郎・榛谷泰明が賛同、計8人による脚本家集団「具流八郎」が結成された。

この流れを知らないと、清順の代表作『殺しの烙印』(67)を観たとき、「具流八郎という脚本家は名前も変わっているけど、随分とヘンテコな話を書くなぁ!」なんて思うかもしれない。

8人で書いたのだもの、そりゃあ「しっちゃかめっちゃか」な映画になるだろう。

彼らの企みは、一本の映画で完結するはずではなかった―しかし『殺しの烙印』を「ふざけている」「難解だ」とした日活社長により、清順は解雇されてしまう。
こうして具流八郎は、あっという間に機能しなくなった。

残念な結果だが、ロマンを感じさせる話じゃないかい?
そして、筆者が通っていた「にっかつ芸術学院」の美術講師が、具流八郎のひとり・木村威夫だった。

講義を終えた木村をつかまえてそのことについて話しかけたとき、返してくれたことばが冒頭である。

木村先生の「よく聞いてくれた!」という顔、いまでも忘れない。
きっと、いい想い出だったんだ・・・。

ちなみに「四騎の会」(よんきのかい)とは、黒澤明・木下惠介・市川崑・小林正樹による独立プロダクションのこと。
具流八郎と同様、「結果をほとんど残せていない」のが残念ではあるが、それでもやっぱりロマンがある。羨ましいなぁと思う。

このふたつの映画史は「ひたすら羨ましい」と感じるが、ぜんぜん羨ましくないと即答出来るのが「アラン・スミシーの不幸な映画史」である。

スミシーは68年デビューだが、彼が有名人になったのは90年代初頭のことだった。

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デニス・ホッパーが演出した『ハートに火をつけて』(90)には、3つのバージョンがある。

同タイトルで公開されたオリジナル版は、99分。
ホッパーの意図どおりに編集され改題もされた『バックトラック』は、118分。
ホッパーが泣く泣くカットしたフィルムを再構築して創り上げた『バックトラック完全版』は、なんと180分。

3つのバージョンすべてを観たが、映画として最も完成度が高いのは『バックトラック』。あくまでも筆者個人の評価だが、次いで『ハートに火をつけて』、最後が『バックトラック完全版』となる。

艶っぽさ全開だったころのジョディ・フォスターをヒロインに起用して描く、ラブ・サスペンス。

現代芸術家を演じるジョディが殺人現場を目撃、マフィアがらみだったために恋人を殺され、彼女もプロの殺し屋・マイロ(ホッパー)に捕われてしまうが・・・。


編集にこだわりをみせるホッパーだったが、スタジオは「長過ぎる」と判断し勝手に「再」編集してしまった。
これに激怒したホッパーはクレジットから「監督、デニス・ホッパー」を外すことを要求、そこで冠せられたのが「監督、アラン・スミシー」である。


映画が完成しているにも関わらず、スタッフが「なんらかの事情により」降板したいという意思をみせる―そのときに登場する「都合のいいスタッフ」が、アラン・スミシーの正体。

つまりは、偽名だ。

具流八郎も偽名だが、このちがいはなんだろう。
まるで、「トラブル請負人」みたいじゃないか!!

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アラン・スミシーの初登場は、68年の『夏の日にさよなら』。

代表的な「アラン・スミシー作品」は、以下のとおり。

『ガンファイターの最後』(69)
『ハリー奪還』(86…けっこう面白いと思うけど!!)
『クライシス2050』(90…これは実際、クソがつくつまらなさだった!!)
『ヘルレイザー4』(96)


前述したように最も有名な「アラン・スミシー作品」は、『ハートに火をつけて』である。
こうして、「秘密の暗号」だったスミシーの名前は映画ファンのあいだで「よく知られる存在」となってしまい、「隠したいトラブル」だったはずの情報を自ら流すという悪循環が生まれていく。

そして決定打となったのが、98年の『アラン・スミシー・フィルム』。

『氷の微笑』(92)の脚本を手がけたジョー・エスターハスが、スミシーをパロディにすることでハリウッドを皮肉ろうとした野心溢れる映画―のはずだったが、監督アーサー・ヒラーと脚本エスターハスの「編集意図のちがい」がトラブルに発展、

本末転倒とはこのことで、ほんとうに「監督、アラン・スミシー」となってしまった。


この迷走する映画史に終止符を打とうと、全米監督協会は「個々の案件について毎回異なった偽名を選ぶこと」という新ルールを定めた。


海の向こうは「いろいろスゲーな」と、無関係な振りはしていられない。
日本でも「監督、アラン・スミシー」と冠せられた映画が存在するのである。

89年―どうにも褒めようのないSF映画、『ガンヘッド』が発表される。
この作品が海外向けにビデオ発売される際、制作会社が原田眞人監督に知らせることなく「勝手に」再編集をしてしまった。
これに激怒した原田監督の申し出により、『ガンヘッド』の米国ビデオ版には「監督、アラン・スミシー」と冠せられているのである。

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敢えて波風立たせている・・・というわけではないだろうが、映画監督デニス・ホッパーのキャリアはトラブル続きで、はっきりいって「映画監督としての、ほんとうの実力」を評価するのは難しい。

ただひとついえるのは、トラブルに遭い芸能人生が危うくなったとき、ホッパーを俳優として起用する救世主が「必ず」現れること。

80年代はデヴィッド・リンチ、
そして90年代は、クエンティン・タランティーノとトニー・スコットだった。

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ホッパー&フォンダ&ニコルソン、不良ジジイの三つ巴





つづく。

次回は、7月上旬を予定。

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本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。

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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

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明日のコラムは・・・

『アマデウスからの手紙』

コメント (2)
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