Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(80)

2014-06-25 00:30:00 | コラム
いとうせいこ「う」→「う」でぃはれるそん(ウディ・ハレルソン)

見た目「やや」凶暴、でも声は「えれー」かわいい。

ウディ・ハレルソン、性格俳優52歳。
(きのう登場した)いとうせいこうと年齢がひとつしか違わない―という事実に驚いちゃうけれど、いろいろ器用にやっちゃう「せいこうさん」とは違って、ウディは「超」のつく不器用。

演技力は誰もが認めるところなのに、私生活が荒れに荒れていて、それがキャリアにも影響を及ぼしちゃっている・・・という意味では、最近「改心したっぽい」ロバート・ダウニー・ジュニアに似ているのかもしれない。

警官を殴って逮捕。
マリファナ栽培で逮捕。

ゴールデンゲートブリッジ(サンフランシスコの、あの橋ね)に登って逮捕。
これは、ある意味ですごいけど笑

タクシーの後部座席を破壊して逮捕。

前科何犯かも分からんが、笑ったのはパパラッチを殴った際のイイワケ「ゾンビかと思った」。

大麻合法化の運動に参加していることから「ラリってたんじゃない?」なんていう声も聞かれたし、実際、自分もそう思っちゃった笑

「この親にして―」というのは、おそらく誤った考え。
自分はそう思っていないが、ただこのひとを語るとき、父親の存在を無視するわけにはいかないだろう。

ウディの父親は、いわゆるヒットマンだった。
プロの殺し屋、ということ。

連邦判事を射殺するなどした罪で終身刑となり、刑務所のなかで死んだ。

ウディは80年代から俳優として活躍、テレビドラマなどで「そこそこの人気」を得たが、一般の映画ファンが彼を俳優として認識するのは、94年の『ナチュラル・ボーン・キラーズ』だったんじゃないだろうか。

生まれつきの、ひとごろし―ウディは「ひとごろし」ではないけれど、この映画に出ることによって「自分の血」と向き合ったのかもしれない、、、なんて。

自分のような外野は無責任にそんなことをいってみるが、もちろんほんとうのところは分からない。

分からないが、この映画がウディの代表作であることは「いまも」変わらないのだった。


96年―ミロシュ・フォアマンとオリバー・ストーンが組んだ『ラリー・フリント』に主演。
実在するポルノ雑誌編集長を熱演し、数々の演技賞に輝く。

この映画のハイライトはやはり、「戦争とポルノ―真にワイセツなのはどっちだ?」といってのけるシーンだろう。
いかにもオリバー・ストーンっぽいが、社会活動家としてのウディが重なり、とてもリアルに映った。

そう、ウディはやはり、自身の私生活とキャリアを意識的にダブらせているようなところがある。
けっして無意識ではないはず。

それは2007年、コーエン兄弟の『ノーカントリー』で賞金稼ぎを演じたときにも思った。
殺し屋のハビエル・バルデムが強烈に過ぎてインパクトは弱いものの、もう少し若ければ「バルデムの役はウディでもよかった」はずであるし、「自分の血」を消したいのであれば「そういう役」のオファーは断るんじゃないか、、、自分のような凡人はそう思うからである。

だとするならば、ウディ・ハレルソンという俳優は、なかなかの哲学者なのかもしれない。

そのことを証明しているのかどうか、ウディの一家は現在、(サッカーW杯で躍進する)コスタリカに移り住み、ひじょうに原始的な生活をしているという。


なにからなにまで、謎な俳優さん。

でもまちがいなく、ハリウッドを代表する名優なのである。






次回のしりとりは・・・
うでぃはれる「そん」→「そん」がんほ。

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明日のコラムは・・・

『(ときとして)ことばは、要らんのだ』

コメント (1)
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