今宵は、前日の『ともに歌おう』の対になる企画『ともに語ろう』でいってみたいと思う。
親しい間柄であれば「沈黙」も苦ではないといわれている。
たしかにそうだが、そうした関係性が築かれていく過程で沢山のことばが交わされていたはず。
互いの言語がちがったり、そもそもことばを発せないひとだって居るが、関係性の基本はことばにある―似非モノカキである自分は、そう思いたい。そう信じたい。
映画は、身体の動き・登場人物の行動(アクション)を柱とする表現。
だからといって、台詞を疎かにしていい、、、ということにはならない。
楽しい会話。
美しい会話。
切ない会話。
腹立たしい会話。
映画のなかで展開される様々な会話で、「あぁ、自分も参加して語り合いたい!!」と思わせてくれる10のケースを選んでみた。
(1)『レザボア・ドッグス』(92)
マドンナの巨根話で始まる、QTタランティーノのデビュー作。
イヤなひとは10秒で席を立つだろうが、好きなひとは10時間でも喋りつづけていられる。
(2)『スタンド・バイ・ミー』(86)
ワルガキが4人も集えば、沈黙の「間」さえ生まれないだろう。
意味のないやりとりでも、しっかりとした関係性を築くことが出来るのだ。
(3)『日本の夜と霧』(60)
オオシマ初期の傑作。
延々と繰り広げられる政治論争に「入っていけるか」どうか不安だが、『朝まで生テレビ』だと思えば怖くない、、、かな。
(4)『キサラギ』(2007)
現代日本を「アイドル」「オタク」の観点から描き出した快作。
死んだアイドルを追いかける彼らは異様かもしれないが、ひとつのことに愛情を注ぎつづける姿にシンパシーを覚えるので、きっと仲良く出来るだろう、、、と思う。
(5)『十二人の怒れる男』(54)
陪審員制度を「海の向こうの話」といえなくなった現代日本。
しかし陪審員たちのやりとりは、日本と米国とではぜんぜんちがうであろうことが想像出来るので、本家のほうで修行? してみたい。
(6)『グッド・ウィル・ハンティング』(97)
米国の大学生たちの「生っぽい」会話が随所に登場、デイモン&アフレックの脚本の巧さに感心したことがある。
キャンパス・ライフとやらを経験してこなかったから、大学生たちと仲良くやりたいという願望が強いのだった。
(7)『どん底』(57)
黒澤映画のなかでは過小評価されているが、群像劇としても会話劇としても秀逸。
貧しい長屋で、喧嘩しながらも慰め合ったりするひとびと―意外と、あったかい空間が流れていると思う。
最後は残酷だけどね。
(8)『グッドフェローズ』(90)
「ファック!」連発の彼らの会話にどれくらいついていけるか、腕試ししてみたい。
(9)『ダイハード』(88)
トランシーバーを介しての会話。
マクレーンは、どれだけ励まされたろうか。
彼らの会話に交じりたいからといって、ロス市警長のように喧嘩ごしではNGよ。
(10)『クライング・ゲーム』(92)
テロリストと、その人質。
立場が逆転したり、また戻ったり。
ふたりが友情を育んでいく過程に救われる、、、というより、なんかうらやましい。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『オセロ』
親しい間柄であれば「沈黙」も苦ではないといわれている。
たしかにそうだが、そうした関係性が築かれていく過程で沢山のことばが交わされていたはず。
互いの言語がちがったり、そもそもことばを発せないひとだって居るが、関係性の基本はことばにある―似非モノカキである自分は、そう思いたい。そう信じたい。
映画は、身体の動き・登場人物の行動(アクション)を柱とする表現。
だからといって、台詞を疎かにしていい、、、ということにはならない。
楽しい会話。
美しい会話。
切ない会話。
腹立たしい会話。
映画のなかで展開される様々な会話で、「あぁ、自分も参加して語り合いたい!!」と思わせてくれる10のケースを選んでみた。
(1)『レザボア・ドッグス』(92)
マドンナの巨根話で始まる、QTタランティーノのデビュー作。
イヤなひとは10秒で席を立つだろうが、好きなひとは10時間でも喋りつづけていられる。
(2)『スタンド・バイ・ミー』(86)
ワルガキが4人も集えば、沈黙の「間」さえ生まれないだろう。
意味のないやりとりでも、しっかりとした関係性を築くことが出来るのだ。
(3)『日本の夜と霧』(60)
オオシマ初期の傑作。
延々と繰り広げられる政治論争に「入っていけるか」どうか不安だが、『朝まで生テレビ』だと思えば怖くない、、、かな。
(4)『キサラギ』(2007)
現代日本を「アイドル」「オタク」の観点から描き出した快作。
死んだアイドルを追いかける彼らは異様かもしれないが、ひとつのことに愛情を注ぎつづける姿にシンパシーを覚えるので、きっと仲良く出来るだろう、、、と思う。
(5)『十二人の怒れる男』(54)
陪審員制度を「海の向こうの話」といえなくなった現代日本。
しかし陪審員たちのやりとりは、日本と米国とではぜんぜんちがうであろうことが想像出来るので、本家のほうで修行? してみたい。
(6)『グッド・ウィル・ハンティング』(97)
米国の大学生たちの「生っぽい」会話が随所に登場、デイモン&アフレックの脚本の巧さに感心したことがある。
キャンパス・ライフとやらを経験してこなかったから、大学生たちと仲良くやりたいという願望が強いのだった。
(7)『どん底』(57)
黒澤映画のなかでは過小評価されているが、群像劇としても会話劇としても秀逸。
貧しい長屋で、喧嘩しながらも慰め合ったりするひとびと―意外と、あったかい空間が流れていると思う。
最後は残酷だけどね。
(8)『グッドフェローズ』(90)
「ファック!」連発の彼らの会話にどれくらいついていけるか、腕試ししてみたい。
(9)『ダイハード』(88)
トランシーバーを介しての会話。
マクレーンは、どれだけ励まされたろうか。
彼らの会話に交じりたいからといって、ロス市警長のように喧嘩ごしではNGよ。
(10)『クライング・ゲーム』(92)
テロリストと、その人質。
立場が逆転したり、また戻ったり。
ふたりが友情を育んでいく過程に救われる、、、というより、なんかうらやましい。
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『オセロ』