俳優ではないものが演技をして、ある意味で俳優以上の「結果」を残す―ひじょうに稀だとは思うが、まずはそんな5つのケースを挙げてみよう。
(1)マーティン・スコセッシ:映画監督
自作『タクシードライバー』(76)に出演。
主人公トラビスが運転する「タクシーの乗客」を熱演した。
※いまから女房を殺しにいくんだぜ
(2)フランク・シルヴァ:映画スタッフ
デヴィッド・リンチの怪作『ツイン・ピークス』(90~92)に出演。
殺人鬼ボブを嬉々として演じ、作品の雰囲気作りに貢献した。
(3)デヴィッド・クローネンバーグ:映画監督
ニコール・キッドマンの才能が開花した『誘う女』(95)に出演。
最後の最後に出てくる殺し屋だが、迫力抜群でインパクト大。
(4)崔洋一:映画監督
オオシマの遺作『御法度』(99)に出演。
近藤勇を「どっしりと」演じる。
(5)デヴィッド・ボウイ:ミュージシャン
『戦場のメリークリスマス』(83)に出演。
そう考えると、オオシマのキャスティング・センスって面白いし、センスある。
偏ったリストであることは本人も認めるところだから、堪忍してほしい。
その逆に、「非」俳優である利点を活かせず、どうにも困ったケースはないだろうか。
ある。
ひじょうにいい難いけれど、演技をしてみたイチローとか。
塚本晋也の『六月の蛇』(2002)で、モノカキの神足裕司を旦那役にしたのも分からない。
「あの素朴な感じがいい」というひとも居るが・・・
『となりのトトロ』(88)、パパの声を糸井重里が担当した件も自分にとっては「なんで?」だった。
ただ「やってみました」が吉と出るケースも「あるにはある」ので、冒険はNGと堅いことをいうわけにもいかない。
だからビートたけしを最初に俳優として起用したプロデューサーというのは、ほんとうにすごいなと。それに応えた本人も、もちろん立派だが。
(なぜ上記の例にたけしを入れなかったのかというと、いまはもう「俳優」としての一面も持っているから)
今回の初体験シリーズは、「初めての演技」。
うん。
こんな自分だって、人前で演じたことがある。キャメラの前で演じたことがある。
「人前」となると、たぶん学芸会かなにかになってしまうので、本稿では「キャメラの前」のエピソードを書いていくことにする。
もちろんプロとして演じたことはない。
ギャラはなく、その代わりに弁当だけは沢山もらった。
そう、自主制作の話である。
18~25歳くらいのとき、沢山の映画小僧に出会った。
毎晩のように映画談義を繰り広げ、気に入ったヤツと徒党を組んでは自主映画を撮っていた。
QTタランティーノが登場し、映画小僧は大志を抱き易かった。
『エヴァンゲリオン』シリーズ(95~)で有名な庵野秀明がデジタルカメラを駆使して映画を発表(=98年の『ラブ&ポップ』)、「フィルムとデジタルの垣根」が壊されていく過程を目撃し、「金がなくても映画を創ることが出来る!」と熱狂した時代でもある。
とはいえ、まだネット文化は隆盛とはいえなかった。
だから仲間は雑誌の読者交流ページなどで探し、友情や喧嘩や恋などもそこから始まった。
「この顔」ゆえだろうか、主演ではなく「準主演で」という出演オファーを多くもらった。
強姦魔。
新興宗教の教祖。
詐欺師。
小悪党。
・・・ろくなキャラ、居ねぇじゃねーーか!!
まぁ自分も二枚目などには興味ないのでね、それでよかったんだが。
すべてのオファーを快諾したわけではなく、脚本を読み「あぁ、これならいいかな…」などとスターを気取っていたっけ。
エラソーだな、お前。
つづく。
※この映画のたけしの演技は、ほんとうにたまげた
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(81)』
(1)マーティン・スコセッシ:映画監督
自作『タクシードライバー』(76)に出演。
主人公トラビスが運転する「タクシーの乗客」を熱演した。
※いまから女房を殺しにいくんだぜ
(2)フランク・シルヴァ:映画スタッフ
デヴィッド・リンチの怪作『ツイン・ピークス』(90~92)に出演。
殺人鬼ボブを嬉々として演じ、作品の雰囲気作りに貢献した。
(3)デヴィッド・クローネンバーグ:映画監督
ニコール・キッドマンの才能が開花した『誘う女』(95)に出演。
最後の最後に出てくる殺し屋だが、迫力抜群でインパクト大。
(4)崔洋一:映画監督
オオシマの遺作『御法度』(99)に出演。
近藤勇を「どっしりと」演じる。
(5)デヴィッド・ボウイ:ミュージシャン
『戦場のメリークリスマス』(83)に出演。
そう考えると、オオシマのキャスティング・センスって面白いし、センスある。
偏ったリストであることは本人も認めるところだから、堪忍してほしい。
その逆に、「非」俳優である利点を活かせず、どうにも困ったケースはないだろうか。
ある。
ひじょうにいい難いけれど、演技をしてみたイチローとか。
塚本晋也の『六月の蛇』(2002)で、モノカキの神足裕司を旦那役にしたのも分からない。
「あの素朴な感じがいい」というひとも居るが・・・
『となりのトトロ』(88)、パパの声を糸井重里が担当した件も自分にとっては「なんで?」だった。
ただ「やってみました」が吉と出るケースも「あるにはある」ので、冒険はNGと堅いことをいうわけにもいかない。
だからビートたけしを最初に俳優として起用したプロデューサーというのは、ほんとうにすごいなと。それに応えた本人も、もちろん立派だが。
(なぜ上記の例にたけしを入れなかったのかというと、いまはもう「俳優」としての一面も持っているから)
今回の初体験シリーズは、「初めての演技」。
うん。
こんな自分だって、人前で演じたことがある。キャメラの前で演じたことがある。
「人前」となると、たぶん学芸会かなにかになってしまうので、本稿では「キャメラの前」のエピソードを書いていくことにする。
もちろんプロとして演じたことはない。
ギャラはなく、その代わりに弁当だけは沢山もらった。
そう、自主制作の話である。
18~25歳くらいのとき、沢山の映画小僧に出会った。
毎晩のように映画談義を繰り広げ、気に入ったヤツと徒党を組んでは自主映画を撮っていた。
QTタランティーノが登場し、映画小僧は大志を抱き易かった。
『エヴァンゲリオン』シリーズ(95~)で有名な庵野秀明がデジタルカメラを駆使して映画を発表(=98年の『ラブ&ポップ』)、「フィルムとデジタルの垣根」が壊されていく過程を目撃し、「金がなくても映画を創ることが出来る!」と熱狂した時代でもある。
とはいえ、まだネット文化は隆盛とはいえなかった。
だから仲間は雑誌の読者交流ページなどで探し、友情や喧嘩や恋などもそこから始まった。
「この顔」ゆえだろうか、主演ではなく「準主演で」という出演オファーを多くもらった。
強姦魔。
新興宗教の教祖。
詐欺師。
小悪党。
・・・ろくなキャラ、居ねぇじゃねーーか!!
まぁ自分も二枚目などには興味ないのでね、それでよかったんだが。
すべてのオファーを快諾したわけではなく、脚本を読み「あぁ、これならいいかな…」などとスターを気取っていたっけ。
エラソーだな、お前。
つづく。
※この映画のたけしの演技は、ほんとうにたまげた
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(81)』