随分前に読んだことのある小説だが、映画版が完成した記念に、もういちど小池真理子の『無伴奏』を読んでみた。
惚れた子が好きで、話すきっかけになれば・・・と、買ったその日に読み終えて、翌日に読み返し、それから彼女との会話に臨んだ、、、という思い出の作品。
実際に存在したらしい喫茶店「無伴奏」を物語の起点にして、学園紛争に揺れた時代の男女を描く。
主演は成海璃子と池松壮亮。
小池真理子の「半自伝的」といわれている・・・ということは、璃子ちゃん(トップ画像)が分身かな。
よく「半」自伝的って、どういうこと? と聞かれる。
映画や小説で多用されているけれど、みんな「半」に反応するみたいでね。
簡単にいえば、
自身、あるいはその周辺のエピソードにはちがいないけれど、創作も含まれていますよ―という意味。
ひとつ分かり易い例を挙げれば。
映画には時間という制限がある。
だから交通整理が必要で、実際にはその現場には、AとBとCとDとEというキャラクターが存在していたが、Eを外して4人に、、、でもEの癇癪持ちっぽいキャラクター性は映画のアクセントになるので、Aのキャラクター性に混ぜてみる・・・みたいな感じ。
こうして、事実が「半分だけ」事実になる。
半分・事実、半分・創作。
まぁ、ピザでいうハーフ&ハーフだね。
どっちがいいか悪いかは物語によるが、ひとつで2度美味しいのであれば、自分はハーフ&ハーフ大歓迎である。
というわけで。
きょうは、「半」自伝的とされている映画の10傑を展開してみることにする。
(1)『8Mile』(2002)
ラッパー、エミネムの物語。
「向こう側」に行かなかった主人公は、ちょっと格好良過ぎるかもしれないが、深い余韻があって好きだ。
(2)『プラトーン』(86)
オリバー・ストーンの従軍記。
自分はいつもストーンのことを「60~70年代パラノイア、なのに来日すると必ずソープに行く」と馬鹿にするが、こんな体験をしたら、なにかを患ってもしょうがないと思う。
(3)『グミ・チョコレート・パイン』(2007)
大槻ケンヂの青春×性春物語。
そう、青春とは自己嫌悪だ。
(4)『田園に死す』(74)
寺山修司の幼少期と頭のなかを描く。
甘くて美し過ぎるきらいはあるものの、思い出って都合がよいものだし、そもそも、だからこその「半」自伝であるし!!
(5)『愛人/ラマン』(92)
マルグリット・デュラスが経験した、愛欲の物語。
賛否分かれる映画で、ヒロインが若過ぎるためロリコン趣味がキツい・・・ともいわれたが、自分は好きだったよジェーン・マーチ。
(6)『アマルコルド』(74)
フェリーニが、自身のために撮ったかのような郷愁的作品。
あまりよいフェリーニのファンではないが、天才と称される映画監督の頭のなかを覗いているような感じがして、とっても楽しめた。
(7)『ペルセポリス』(2007)
漫画家マルジャン・サトラピが見つめる、母国イランの呪われた歴史。
原作の雰囲気を崩すことなくアニメーション化したこの映画は、柔らかな描線ゆえに観易いが、けっこうハートをえぐられるので要注意。
(8)『大人は判ってくれない』(59)
札つきのワルだったらしいトリュフォー監督による、少年時代の回想。
とはいっても、アレヤコレヤの悪行部分は創作が多いはずで。
そんなことよりも共感出来るのは、唯一の楽しみが映画鑑賞であったこと、、、という「ごくふつう」の一面だった。
(9)『バッド・エデュケーション』(2004)
陽気な変人ペトロ・アルモドバルの、じつに意外な少年時代の物語。
なにが意外かって、彼が神学校出身であったということ。
(10)『上京ものがたり』(2013)
漫画家・西原理恵子の下積み時代を、北乃きいが演じる。
(きいちゃんだと)ちょっと可愛過ぎるのだが、まぁファンだから許そう笑
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明日のコラムは・・・
『にっぽん男優列伝(298)古田新太』
惚れた子が好きで、話すきっかけになれば・・・と、買ったその日に読み終えて、翌日に読み返し、それから彼女との会話に臨んだ、、、という思い出の作品。
実際に存在したらしい喫茶店「無伴奏」を物語の起点にして、学園紛争に揺れた時代の男女を描く。
主演は成海璃子と池松壮亮。
小池真理子の「半自伝的」といわれている・・・ということは、璃子ちゃん(トップ画像)が分身かな。
よく「半」自伝的って、どういうこと? と聞かれる。
映画や小説で多用されているけれど、みんな「半」に反応するみたいでね。
簡単にいえば、
自身、あるいはその周辺のエピソードにはちがいないけれど、創作も含まれていますよ―という意味。
ひとつ分かり易い例を挙げれば。
映画には時間という制限がある。
だから交通整理が必要で、実際にはその現場には、AとBとCとDとEというキャラクターが存在していたが、Eを外して4人に、、、でもEの癇癪持ちっぽいキャラクター性は映画のアクセントになるので、Aのキャラクター性に混ぜてみる・・・みたいな感じ。
こうして、事実が「半分だけ」事実になる。
半分・事実、半分・創作。
まぁ、ピザでいうハーフ&ハーフだね。
どっちがいいか悪いかは物語によるが、ひとつで2度美味しいのであれば、自分はハーフ&ハーフ大歓迎である。
というわけで。
きょうは、「半」自伝的とされている映画の10傑を展開してみることにする。
(1)『8Mile』(2002)
ラッパー、エミネムの物語。
「向こう側」に行かなかった主人公は、ちょっと格好良過ぎるかもしれないが、深い余韻があって好きだ。
(2)『プラトーン』(86)
オリバー・ストーンの従軍記。
自分はいつもストーンのことを「60~70年代パラノイア、なのに来日すると必ずソープに行く」と馬鹿にするが、こんな体験をしたら、なにかを患ってもしょうがないと思う。
(3)『グミ・チョコレート・パイン』(2007)
大槻ケンヂの青春×性春物語。
そう、青春とは自己嫌悪だ。
(4)『田園に死す』(74)
寺山修司の幼少期と頭のなかを描く。
甘くて美し過ぎるきらいはあるものの、思い出って都合がよいものだし、そもそも、だからこその「半」自伝であるし!!
(5)『愛人/ラマン』(92)
マルグリット・デュラスが経験した、愛欲の物語。
賛否分かれる映画で、ヒロインが若過ぎるためロリコン趣味がキツい・・・ともいわれたが、自分は好きだったよジェーン・マーチ。
(6)『アマルコルド』(74)
フェリーニが、自身のために撮ったかのような郷愁的作品。
あまりよいフェリーニのファンではないが、天才と称される映画監督の頭のなかを覗いているような感じがして、とっても楽しめた。
(7)『ペルセポリス』(2007)
漫画家マルジャン・サトラピが見つめる、母国イランの呪われた歴史。
原作の雰囲気を崩すことなくアニメーション化したこの映画は、柔らかな描線ゆえに観易いが、けっこうハートをえぐられるので要注意。
(8)『大人は判ってくれない』(59)
札つきのワルだったらしいトリュフォー監督による、少年時代の回想。
とはいっても、アレヤコレヤの悪行部分は創作が多いはずで。
そんなことよりも共感出来るのは、唯一の楽しみが映画鑑賞であったこと、、、という「ごくふつう」の一面だった。
(9)『バッド・エデュケーション』(2004)
陽気な変人ペトロ・アルモドバルの、じつに意外な少年時代の物語。
なにが意外かって、彼が神学校出身であったということ。
(10)『上京ものがたり』(2013)
漫画家・西原理恵子の下積み時代を、北乃きいが演じる。
(きいちゃんだと)ちょっと可愛過ぎるのだが、まぁファンだから許そう笑
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明日のコラムは・・・
『にっぽん男優列伝(298)古田新太』