何度も記しているが、ひじょうに強く東京幻想を抱いているガキだった。
東京に行けばなんとかなる、、、というか、少なくとも、いま住んでいる此処は自分が活かされる場所ではないと思っていた。
高校を、早く出たかった。
だから卒業式は、「待ちに待った」感が強かった。
ついにきた!! みたいな。
じつに清々しく、さっぱりした気持ちになった。
つまり感動とは無縁。
数ヵ月後―にっかつ撮影所内にある専門学校に入学。
入学式は、朝日新聞から支給されたジャージーで臨んだ。
ファッションに疎かったわけではない。
かといって精通しているわけでもなかったが、「自分は新聞奨学生である。」という自負が強かったため、敢えてのコーディネートであった。
しかし俳優科に所属するイケメンから「なぜジャージーなんだ?」みたいな目で睨まれ、無駄に反感を買ってしまった。

知らんがな。
というわけで、入学式にも感慨深いものなんてなかった。
この学校の卒業式。
学院長は傑作『沈黙』を著した遠藤周作だが、結局、いちども顔を拝むことがなく卒業することとなった。
高齢であるということと、単なる「名前貸し」だったからだろう、
その代わり映画監督の崔洋一が出席、ありがたい祝辞をいただいたが、感動するほどでもなかった。
だいいち、卒業生の入場曲が上々颱風(しゃんしゃんたいふーん)だったものだからズッコケた。
いや、よいバンドだが卒業との関連性がね笑笑
その数日後―。
朝日新聞社が、卒業する奨学生を集めて盛大なる卒業パーティを開いてくれた。
場所は、帝国ホテルである。(トップ画像)
飯は美味かった。
卒業祝い金もいただいた。
元千代の富士に、祝辞をいただいた。
けれども。
最後、有志による『負けないで』の合唱があって、そこで白けてしまった。
おかしいな。
自分、こんなに白けるタイプじゃないのに。
その1週間後―。
自分が所属していた朝日新聞の専売所のほうで、ささやかな卒業パーティを開いてくれた。
ささやか・・・といっても、通りを挟んだところに建つ、大映撮影所の食堂を貸しきっての「それなりに規模の大きい」パーティである。
所長が祝いのことばを述べているとき、端に立つウェイターたちが小さな声で話し込んでいた。
それに気づいた所長はヒトコト、「金をやるから、黙っとけ」。
ウェイターはふたりとも、顔面蒼白となった。
かっけー!!
そう、こういうことがいえる、おっかない所長だったのだ。
去年、この所長が鬼籍に入った。
「両角」というひとだが、朝日の関係者に「両角さんの店で世話になってました」というと、皆が驚く。
「えっ、あのひとの店で働いていたの?」って。
そのくらい、売り上げに貢献した「新聞拡張の鬼」だった。
告別式には行けなかったが、先日、ご遺族のかたに挨拶をしにいった。
そこで形見分けとして、ある一通の封書をもらった。
卒業パーティで、自分が読んだ「答辞」である。
わっ。
両角さん、取っておいてくれたんだ・・・そう思った瞬間に、涙がドドドッと溢れてきた。
ろくでもない答辞だった。
奨学生仲間には女子がひとり、専売所には事務員として女子がふたりほど居たが、出席者の9.5割が男、、、と分かっていたから、エロネタ満載の答辞を作ったのである。
「春の訪れを感じるこのよき日に…」などという美辞麗句で始まらないが、しかし、そこには真実だけが記されていたように思う。
「―僕たち奨学生は、ほかの同級生たちよりも、あきらかに自分の時間が少なかったと思います。朝2時に起きて朝刊配達、朝飯を食って、そのまま家に帰ると寝てしまうから、学校の始業時間まで店で仲間たちと話していました。学校に行って眠気と戦いながら授業を受け、学校が終わると急いで店まで行って夕刊を配る。集金の時期は、飯のあとに夜11時ちかくまで働いています。そして帰宅後、風呂に入って寝る。でも2時間後には、また朝刊を配らなくちゃいけない」
「・・・そんな生活にあっても、オナニーだけは毎日欠かさなかった自分を褒めたいです」
一同、爆笑。
「ときには、お客さんをオカズにしたこともありました」
また爆笑。
・・・・・まぁこんな感じ。
サイテーだが、ウケたからいいっしょ? みたいな。
最後は「両角の名前は、一生忘れません」というオベンチャラでしめたが、これにしたって嘘ではなかったし。
結論。
ジョークNGの厳かに過ぎる式典には相応しくないが、そうでなかったとしたら、自分、そこそこいけると思う。
おわり。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『鍵』
東京に行けばなんとかなる、、、というか、少なくとも、いま住んでいる此処は自分が活かされる場所ではないと思っていた。
高校を、早く出たかった。
だから卒業式は、「待ちに待った」感が強かった。
ついにきた!! みたいな。
じつに清々しく、さっぱりした気持ちになった。
つまり感動とは無縁。
数ヵ月後―にっかつ撮影所内にある専門学校に入学。
入学式は、朝日新聞から支給されたジャージーで臨んだ。
ファッションに疎かったわけではない。
かといって精通しているわけでもなかったが、「自分は新聞奨学生である。」という自負が強かったため、敢えてのコーディネートであった。
しかし俳優科に所属するイケメンから「なぜジャージーなんだ?」みたいな目で睨まれ、無駄に反感を買ってしまった。

知らんがな。
というわけで、入学式にも感慨深いものなんてなかった。
この学校の卒業式。
学院長は傑作『沈黙』を著した遠藤周作だが、結局、いちども顔を拝むことがなく卒業することとなった。
高齢であるということと、単なる「名前貸し」だったからだろう、
その代わり映画監督の崔洋一が出席、ありがたい祝辞をいただいたが、感動するほどでもなかった。
だいいち、卒業生の入場曲が上々颱風(しゃんしゃんたいふーん)だったものだからズッコケた。
いや、よいバンドだが卒業との関連性がね笑笑
その数日後―。
朝日新聞社が、卒業する奨学生を集めて盛大なる卒業パーティを開いてくれた。
場所は、帝国ホテルである。(トップ画像)
飯は美味かった。
卒業祝い金もいただいた。
元千代の富士に、祝辞をいただいた。
けれども。
最後、有志による『負けないで』の合唱があって、そこで白けてしまった。
おかしいな。
自分、こんなに白けるタイプじゃないのに。
その1週間後―。
自分が所属していた朝日新聞の専売所のほうで、ささやかな卒業パーティを開いてくれた。
ささやか・・・といっても、通りを挟んだところに建つ、大映撮影所の食堂を貸しきっての「それなりに規模の大きい」パーティである。
所長が祝いのことばを述べているとき、端に立つウェイターたちが小さな声で話し込んでいた。
それに気づいた所長はヒトコト、「金をやるから、黙っとけ」。
ウェイターはふたりとも、顔面蒼白となった。
かっけー!!
そう、こういうことがいえる、おっかない所長だったのだ。
去年、この所長が鬼籍に入った。
「両角」というひとだが、朝日の関係者に「両角さんの店で世話になってました」というと、皆が驚く。
「えっ、あのひとの店で働いていたの?」って。
そのくらい、売り上げに貢献した「新聞拡張の鬼」だった。
告別式には行けなかったが、先日、ご遺族のかたに挨拶をしにいった。
そこで形見分けとして、ある一通の封書をもらった。
卒業パーティで、自分が読んだ「答辞」である。
わっ。
両角さん、取っておいてくれたんだ・・・そう思った瞬間に、涙がドドドッと溢れてきた。
ろくでもない答辞だった。
奨学生仲間には女子がひとり、専売所には事務員として女子がふたりほど居たが、出席者の9.5割が男、、、と分かっていたから、エロネタ満載の答辞を作ったのである。
「春の訪れを感じるこのよき日に…」などという美辞麗句で始まらないが、しかし、そこには真実だけが記されていたように思う。
「―僕たち奨学生は、ほかの同級生たちよりも、あきらかに自分の時間が少なかったと思います。朝2時に起きて朝刊配達、朝飯を食って、そのまま家に帰ると寝てしまうから、学校の始業時間まで店で仲間たちと話していました。学校に行って眠気と戦いながら授業を受け、学校が終わると急いで店まで行って夕刊を配る。集金の時期は、飯のあとに夜11時ちかくまで働いています。そして帰宅後、風呂に入って寝る。でも2時間後には、また朝刊を配らなくちゃいけない」
「・・・そんな生活にあっても、オナニーだけは毎日欠かさなかった自分を褒めたいです」
一同、爆笑。
「ときには、お客さんをオカズにしたこともありました」
また爆笑。
・・・・・まぁこんな感じ。
サイテーだが、ウケたからいいっしょ? みたいな。
最後は「両角の名前は、一生忘れません」というオベンチャラでしめたが、これにしたって嘘ではなかったし。
結論。
ジョークNGの厳かに過ぎる式典には相応しくないが、そうでなかったとしたら、自分、そこそこいけると思う。
おわり。
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明日のコラムは・・・
『鍵』