マクドナルド低迷のきっかけとされているのが、「消費期限切れチキンナゲット」の問題。
中国工場のずさんな管理が映像つきで報道され、ラインから落ちたナゲットを素手で戻す映像に衝撃を受けたひとも多いだろう。
よく「裏を見たら、そこのものは食べたくなくなる」というが、それはまぁ、ある一面では正解。
ミスタードーナツで働いたことのあるひとは、きまって「油がすごくて…」というし、
ファミリーレストランの「パセリ使いまわし」に言及するひとも多い。
口に入れるものだから、厳しい目が向けられるのも分かる。
だから工場だってネットをかぶり、マスクや手袋をして「あらゆる異物」の混入を防ごうとする。
完全防備の白装束だから、名札がついていないと誰が誰だか分からない。
体型と声だけで判断し、20代前半の女子だなぁと思っていたら、50代のおばさんだった、、、ということも。
自分はパン工場の、和菓子部門で働いていた。
しかし、ここの衛生管理はサイアク。
手袋をはめたままトイレに行くヤツが居た。
アンコの塊がドカッと床に落ちたとしても、それをヨイショと抱えてマシンに戻す。
あるとき、従業員同士で殴り合いの喧嘩が始まったのだが、それでもラインは止まらない。
ふたりは動くラインの上で首を絞めたりパウンドを放ったり。
その結果、出荷直前の白い饅頭に鮮血が飛び散ってしまったのだった。
特売日は、ふつうに作っていると出荷時間までに間に合わない。
だから1週間ほど前から多めに作っておいて冷凍、前日になって「暖房の前」に置いて解凍・・・するものだから、饅頭生地はベットベトしていた。
それでクレームが「ほとんどなかった」というのだから、嘘みたいな話である。
だが、その半年後―。
ここの工場で生産されたものから、O157が検出されてしまう。
保健所の検査が入り、生産は一時中止。
そして、再開されることはなかった。
事故が起こって2週間後には、工場の閉鎖が決まったのである。
「そうなるだろうな」とは予想していたが、展開があまりにも速過ぎる。
指摘するところが多くて、保健所も頭を抱えてしまったにちがいない。
当時、日本全国でO157の問題が取り沙汰されていた。
その「渦中」になってしまったものだから、騒ぎが大きくなる前に白旗を上げた・・・ということ、なのかもしれない。
―これが、自分にとっての初めての工場アルバイトだった。
なんとも後味が悪い幕切れだが、これに懲りずに工場には度々世話になった。
ついでというのおかしいが、もうひとつ、工場が一時的に閉鎖になったエピソードを。
3.11が発生した直後のこと―。
自分は弁当工場で働いていた。
工場そのものに被害は出なかったが、出荷トラックが工場に辿り着くことが出来なかったために、大量の弁当とサンドウィッチが廃棄された。
それは3日後までつづいたが、トラックが到着出来るようになった代わりに、今度は食材などが届かなくなってしまう。
わかめご飯のわかめは、東北産。
おにぎりを包むフィルムなども、東北で作られているものだったのである。
需要と供給の関係性が完全に壊れてしまい、これじゃあ意味がないと工場は2週間ばかり閉鎖された。
そういえば。
働いたことのある映画館が、ふたつとも潰れた。
映画術を学んだ母校さえ閉校となった。
それが「この世」なのかもしれないが、いろんなところのいろんな「最期」を目の当たりにして、永遠につづくものなんてないのかもなぁ、、、などと思った青年時代である。
おわり。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『ハグより乾杯』
中国工場のずさんな管理が映像つきで報道され、ラインから落ちたナゲットを素手で戻す映像に衝撃を受けたひとも多いだろう。
よく「裏を見たら、そこのものは食べたくなくなる」というが、それはまぁ、ある一面では正解。
ミスタードーナツで働いたことのあるひとは、きまって「油がすごくて…」というし、
ファミリーレストランの「パセリ使いまわし」に言及するひとも多い。
口に入れるものだから、厳しい目が向けられるのも分かる。
だから工場だってネットをかぶり、マスクや手袋をして「あらゆる異物」の混入を防ごうとする。
完全防備の白装束だから、名札がついていないと誰が誰だか分からない。
体型と声だけで判断し、20代前半の女子だなぁと思っていたら、50代のおばさんだった、、、ということも。
自分はパン工場の、和菓子部門で働いていた。
しかし、ここの衛生管理はサイアク。
手袋をはめたままトイレに行くヤツが居た。
アンコの塊がドカッと床に落ちたとしても、それをヨイショと抱えてマシンに戻す。
あるとき、従業員同士で殴り合いの喧嘩が始まったのだが、それでもラインは止まらない。
ふたりは動くラインの上で首を絞めたりパウンドを放ったり。
その結果、出荷直前の白い饅頭に鮮血が飛び散ってしまったのだった。
特売日は、ふつうに作っていると出荷時間までに間に合わない。
だから1週間ほど前から多めに作っておいて冷凍、前日になって「暖房の前」に置いて解凍・・・するものだから、饅頭生地はベットベトしていた。
それでクレームが「ほとんどなかった」というのだから、嘘みたいな話である。
だが、その半年後―。
ここの工場で生産されたものから、O157が検出されてしまう。
保健所の検査が入り、生産は一時中止。
そして、再開されることはなかった。
事故が起こって2週間後には、工場の閉鎖が決まったのである。
「そうなるだろうな」とは予想していたが、展開があまりにも速過ぎる。
指摘するところが多くて、保健所も頭を抱えてしまったにちがいない。
当時、日本全国でO157の問題が取り沙汰されていた。
その「渦中」になってしまったものだから、騒ぎが大きくなる前に白旗を上げた・・・ということ、なのかもしれない。
―これが、自分にとっての初めての工場アルバイトだった。
なんとも後味が悪い幕切れだが、これに懲りずに工場には度々世話になった。
ついでというのおかしいが、もうひとつ、工場が一時的に閉鎖になったエピソードを。
3.11が発生した直後のこと―。
自分は弁当工場で働いていた。
工場そのものに被害は出なかったが、出荷トラックが工場に辿り着くことが出来なかったために、大量の弁当とサンドウィッチが廃棄された。
それは3日後までつづいたが、トラックが到着出来るようになった代わりに、今度は食材などが届かなくなってしまう。
わかめご飯のわかめは、東北産。
おにぎりを包むフィルムなども、東北で作られているものだったのである。
需要と供給の関係性が完全に壊れてしまい、これじゃあ意味がないと工場は2週間ばかり閉鎖された。
そういえば。
働いたことのある映画館が、ふたつとも潰れた。
映画術を学んだ母校さえ閉校となった。
それが「この世」なのかもしれないが、いろんなところのいろんな「最期」を目の当たりにして、永遠につづくものなんてないのかもなぁ、、、などと思った青年時代である。
おわり。
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明日のコラムは・・・
『ハグより乾杯』