Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(213)

2017-03-15 00:10:00 | コラム
きょう3月15日は、死んだかーちゃんのバースデーである。
(トップ画像は、かーちゃんねーちゃん自分のスリーショット)

生きていたら、たしか68歳。
生きていても「なーんも不思議ではない歳」であることから、あらためて早く死に過ぎたよな、、、と。


そんなわけで今回の初体験シリーズは、「かーちゃんへのバースデープレゼント」でいってみたい。

ガキのころだって「なにか」を贈っていたはず、しかし、その「なにか」をぜんぜん覚えていない。

自分が記憶しているのは、やっぱり実家を離れて以降のことなので、「上京後の、かーちゃんへのバースデープレゼント」で展開してみたい。

ちょっとイイワケっぽいが贈り物というものは、離れて暮らす間柄のほうが「想い」というものをこめるものだしねぇ。


いまは、とくに惚れた女子などには、凝ったプレゼントを贈るようになった。

自作のチャリ(ヒョウ柄・笑)であったり、
ある不動産会社のマスコットが好きだと聞けば、地方の住宅展示場まで行って入場者しかもらえないストラップをGETしたり。

そりゃあ、なんだってしますよ。
彼女がこっち向いてくれるのであれば。ちゅーしてくれるのであれば。

単純に高額なものをプレゼントしていたときもあった。
背伸びをすることが格好いいと思っていたころで、でも柄じゃないことにすぐ気づいたんだ。

モノスゴ当たり前のことなので書くのも恥ずかしいが、相手のことを想ったものであれば、どんなものでもいいはずなんだよね。

たとえ、安っぽい腕時計でも。

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「(封筒から腕時計を取り出し)新しいカメラか? レンズはどこにある?」
「・・・きょうは、誕生日だろ」

「・・・忘れていたよ」

『インファナル・アフェア』(2002)より



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自分が上京したのは92年の3月12日。

その3日後が、かーちゃんの誕生日―だったわけだが、東京にきたばかりで「ふわふわ」していた、、、というのもイイワケだね、このときはなにもプレゼント出来なかった。

その代わり、と思っていたのか、この年の母の日に自分は初めて、自分で稼いだ金で、かーちゃんにプレゼントを贈った。

真っ赤な財布である。

その返事の手紙が、これ。




最初で最後の、かーちゃんからの手紙。

内容は、以下のとおり。


「光永、お元気ですか。
母の日のプレゼント、有難う。
集金はそんなに大変(注1)だとは思いませんでした。でも、「ご苦労様」って言われると、うれしいでしょう。
早いもので、光永が行ってから、2ヶ月経ちました。学校と配達と、両方大変でしょう。1人が家に居ないっていう事はさびしいですよ。
今は矢代のおばあちゃん(注2)が夕方来て話していきますので退屈しませんが、7時頃、お姉ちゃんが帰ってくるまで1人でテレビ見てもつまんないし、光永が居る頃はいろいろ話したり、6時過ぎると夕食でしたが、今では3人そろってからです。
その前に鍵をかけてお風呂に入って、そのうちお姉ちゃんが帰ってきます。
この前、お姉ちゃんはお風呂で気を失って右の耳の下をぶっつけて、ワーワー泣きました。ちょうど連休中だったので良かったのですが、3日間くらい、大変でした。
今年は休み中、お父さんもお姉ちゃんも、掃除でどこへも出掛けませんでした。
お母さんも、おかげでゆっくり出来ました。
今日は、11日(月)。会社を休んで血の検査に行ってきました。お姉ちゃんは土曜日に仕事に出て、月曜に休んで連れてってくれました。
お姉ちゃんには洋服を母の日のプレゼントに買ってもらい、家へ帰ってきたら、光永のが届いていました。
うれしかったです。(涙が出ました)
お母さんは、幸福だと思います。
お父さんは10日は放送大学だったので、「お母さん、アイス買ってきたよ。それとこれから、靴を買いにいってあげよう」って言ってくれました。
お父さんも、お姉ちゃんも、よくやってくれています。
お姉ちゃんは毎日、起こさなくてもちゃんと起きてくるし、お父さんもこの前、人間ドッグに行ったけれど、全然、悪い所ナシ、少し太り過ぎだそうです。
お母さんも、今の所、大丈夫です。
何か送ってもらいたいものがあったら、言ってください。(遠慮しないで)
このテレホンカードは、会社の人とツツジを見にいったり、足利の藤を見にいった時に買ったものです。(会社の人に笑われました)「また、子供に送るんでしょう?」って。(注3)
色々と書きたい事あるんですが、いざ書こうとすると、中々、光永みたいにはいきません。字はヘタだし。
とりあえず、この辺で、プレゼント有難う。
大事に使います。又、書きます。読みづらいでしょう。
体に気を付けて。」

注1・・・新聞配達をすることによって奨学金を得る、新聞奨学生だった。
注2・・・近所に住む、元気なおばあちゃん。
注3・・・電話を持っていなかった。携帯も普及していない時代なので、月に1~2度、公衆電話で連絡を取っていた。


・・・うぅ。

泣けてきたぜ。


つづく。




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明日のコラムは・・・

『初体験 リッジモント・ハイ(214)』
コメント (2)
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