Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

ナレーションというテクニック

2018-08-24 00:10:00 | コラム
某日―。

久し振りに黒澤の『生きる』(52)を観返す。

通算で、8度目の鑑賞かな。


(画像は、gock221Bさんのブログより拝借)


1度目・2度目の鑑賞は、はっきり喋らない主人公・渡辺勘治(志村喬)にイライラし、
3度目あたりから構成の妙に感心、
そして今回の鑑賞では、冒頭の「距離感のある」ナレーションにたまげた。

その前日に、テレビ朝日のバラエティ番組『ナレーター有吉』(トップ画像)を観た影響もあったかもしれない。

………………………………………

これはこの物語の主人公の胃袋である。
幽門部に胃ガンの兆候が見えるが、本人はまだそれを知らない。

これがこの物語の主人公である。
しかしいま、この男について語るのは退屈なだけだ。
何故なら彼は時間を潰しているだけだからだ。

彼には生きた時間がない。
つまり彼は生きているとはいえないからである。

だめだ!
これでは話にならない。
これでは死骸も同然だ。

いや、実際この男は20年ほど前から死んでしまったのである。

その以前には少しは生きていた。少しは仕事をしようとしたこともある。

しかし今やそういう意欲や情熱は少しもない。
そんなものは役所の煩雑すぎる機構と、それが生み出す無意味な忙しさのなかで、まったくすり減らしてしまったのである。

忙しい。
まったく忙しい。

しかしこの男は本当は何もしていない。
この椅子を守ること以外は。

そしてこの世界では地位を守るためには何もしないのが一番いいのだ。

しかし一体これでいいのか。
一体これでいいのか!

この男が本気でそれを考え出すためには、この男の胃がもっと悪くなり、そしてもっと無駄な時間が積み上げられる必要がある。

………………………………………

脚本の授業において、ナレーションは「基本NG」とされている。

映像で物語ることこそ理想であり、説明的な台詞やナレーションの多用は「逃げ」でしかないと教わってきた。


それを敢えて用い、なおかつ映画的に成功させてしまった作品がいくつかある。

『生きる』がその頂点にあると確信しているが、以下の3本もナレーションの使いかたでハッとした傑作。

有名どころなので観ていないひとのほうが少ないと思うが、映画を学ぶ学生諸君、ぜひ参考にしたまえ。


(1)『グッドフェローズ』(90)

サウンドトラックとナレーションの洪水。

しかも主人公からヒロインに「ナレーションが受け継がれる、という反則行為」までぬけぬけとやってみせる。

(2)『マグノリア』(99)

「これがこの映画の、いちおうの理屈だよ」といわんばかりに、オープニングとエンディングに流れるナレーション。

ずるいな、とは思ったが、これによりこの映画の整合性は保たれた。



(3)『アメリカン・ビューティー』(99)

開巻早々「きょう、ボクは死ぬ」と、主人公のナレーション。

そう聞かされちゃったものだから、観客は「どうやって死ぬのかな…」という興味を持続させることになる。

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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(259)』
コメント (1)
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