Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(258)

2018-08-11 00:10:00 | コラム
み「ち」→「ち」ち

かーちゃんが生きているあいだは、かーちゃんのことを「おかあさん」といっていた。

ママ、といったことはない。

そういう世代なのでしょう。

ただ、かーちゃんが死んでしばらく経つと、かーちゃんのことを「かーちゃん」というようになった。

「かーちゃん」というようになる前、少しだけ「おふくろ」といってみたが、違和感ありありだったので、すぐにやめた。


まだまだ元気な実家の父親に関しては、昔も今も「おとうさん」といっている。

当然、パパといったことはない。

ただ、文章にするときだけ「とーちゃん」といっている。

群馬の片田舎で育ったものにとっては、響き的に「とーちゃん」「かーちゃん」がちょうどいい。


父親/母親ともに、映画のなかで印象に残るキャラクターはひじょうに多い。


以下が、自分にとっての「印象に残る、映画のなかの父親」です。

なんとなんと、ワンツーフィニッシュで同じ俳優になってしまった。


(1)『おとうと』(60)

森雅之が演じる、ことばを発することがほとんどない作家の父親。



(2)『悪い奴ほどよく眠る』(60)

そういえばこの映画の森雅之も、あまりことばを発しない父親役だったなぁ。



(3)『晩春』(49)

トップ画像の笠智衆。

小津映画で何度も父親を演じてきたが、ベストはこれだと思う。

(4)『アマデウス』(84)

『ドン・ジョヴァンニ』とは、モーツァルトの父親のことだったか。



(5)『ゴッドファーザー』(72)

映画史上で、最もインパクトのある父親かもしれない。

(6)『マグノリア』(99)

かつて娘に「あやまち」を犯した父親は、そのことを悔いても「自死すること」すら出来ないのだった。

(7)『クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん 』(2014)

理想の父親像のアンケートを取ると、野原ひろしが「ぶっちぎり」で首位なのだそうだ。



(8)『復讐するは我にあり』(79)

骨だけになった息子・緒形拳を散骨する三國連太郎の、鬼気迫る演技といったらない。



(9)『カノン』(98)

強がって強がって強がって、しかし最後の最後で精神が崩壊し、娘に抱かれて嗚咽する父親。

(10)『父、帰る』(2003)

12年ぶりに姿を現した父親に動揺、反発を繰り返す兄弟だったが・・・。

一部の映画ファンにしか知られていない、ロシア産の傑作。


次回のしりとりは・・・
「ち」→「ち」ず。

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『お土産と、食い意地』
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする