Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

ガチンコ→映画偏愛(1) ~自分を構成する「あらゆるヒト・モノ・コト」vol.25~

2012-03-26 00:15:00 | コラム
元ヤクザで、ムスコに真珠を入れていて、女子高生と交際中の52歳オッサン・・・というひとと知り合いになった。

渋滞を起こしそうな情報量だが、とりあえず最初に付き合った男が「真珠入り」であることの功罪? を、その女子高生に思う。

まぁいいや、とにかくそのオッサンはなぜか自分のことをえらく気に入り、いろいろと可愛がってくれる。

ヤクザのアニキ系? に好かれるタイプというのか、過去にもそういうことがあって、
どう考えても敵より味方にしておいたほうがいいから、とりあえずうまく付き合っていくようにしている。

先日、そのオッサンがガソリンスタンドでほかの客と喧嘩になりかけたという。
翌日、「なぁ、みつ」(自分のことを光永の「みつ」を取って、そう呼ぶ)と、いつになく真剣な表情で話しかけてきた。

「―お前は、自身はもちろん、相手も傷つけない技を持ってるんだろう」
「いざその場になってみると、そうもいかないケースはありますけれど、いちおうは、そういうのを理想とする方法を学んできました」
「50歳を過ぎてても、そういうのを学べるのかな」
「歳は関係ないですよ」
「じゃあ、その護身術っていうの、習ってみようかな」
「いいと思いますよ。自分も勧めます」

「そもそもさ、お前は、喧嘩とか、してきたの?」
「どうなんですかね、口喧嘩は好きなほうですけれど、積極的に腕力を駆使しようとは思わないタイプです」
「だよな、ヘラヘラしているし」
「(苦笑)それは関係ないと思いますが、そもそもいじめられっこだったんですよ」
「そうなん?」
「えぇ、前に肥満児だったころの写真を見せたでしょう。あのころです」
「あぁ、いじめたくなる身体だもの、そりゃ、お前に原因があるよ」
「(苦笑)分かってます。痩せたら、いじめもなくなりました。性格も変わって、いまみたいな感じになったんです」
「で?」
「東京に出てきてから、19歳のときに、初めてひとを殴りました」
「誰を?」
「同僚、、、というのですかね」
「なんで?」
「悪ふざけが過ぎて、、、です」
「どうだった?」
「なにがです?」
「気持ちよかったとかさ、」
「いや、殴った拳だけじゃなくて、身体全体が震えていたから」
「緊張が走ってた?」
「そういうことだと思います」
「そういうもんだよ、最初は」
「ただ脱力しちゃったのが、そのあと、殴られたヤツが一旦、自宅に帰ったんです」
「ん?」
「で、その数分後に戻ってきて、なにをしてきたかっていうと、パンツを穿き替えてきたんですよ」
「なんで?」
「殴られたことに驚いて、脱糞したんですって」
「(笑う)」
「殴ったほうも生まれて初めて、殴られたほうも生まれて初めてだった、、、というオチです」


「なにか」をきっかけとして暴力志向が強くなる―といえば、『わらの犬』(71)のダスティン・ホフマンとか、『リリイ・シュシュのすべて』(2001)の忍成修吾になるのか。
ただ自分は、そうはならなかった。
ならなかったのだが、自宅から一歩出れば「売られる」可能性は、ゼロではないわけで。

殴られて何本もの歯が欠け、そのためにプラスチックの歯となったり。
逆に(慣れていないから)殴り過ぎて失明寸前にさせちゃったり。
ひどくスマートではない喧嘩を、いくつか経験してきた。

(負けはもちろん)勝っても清々しさはなく、
身体の痛みと、こころの痛みの両方を抱えて苦しくなるばかり。

だから喧嘩上等のアンちゃんが「この世で最も嫌いなヤツ」であり続けているし、
いいトシして傷害の前科を誇るヤツなんか信じられない。

スコセッシは「暴力は、格好いいものではない」という考えから、敢えて暴力をストレートに描く映画作家であり、
そういうところも自分の好みだったりする。


その腕力を競う格闘技という「競技」は、だからこそ誤解を受け易いのだが、
相手への敬意を忘れずに、「ぎりぎり」のルールを守りつつ、それでいて殴り合う蹴り合う極め合う、
だけれども試合が終わればノーサイド、
眼帯をした勝者とギブスをした敗者が居酒屋で杯を交わす―なんていうことが「よくある」特殊な世界であり、
尊敬の気持ちをこめていうが、そーとーなキチガイ連中なのだった。


「暴力は、物語の世界だけでいい」というのはよく聞くが、
自分は、そこに「格闘技」も加えたい。






つづく。

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明日のコラムは・・・

『映画偏愛(1)→映画偏愛(2) ~自分を構成する「あらゆるヒト・モノ・コト」vol.26~』


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恋する惑星→ガチンコ ~自分を構成する「あらゆるヒト・モノ・コト」vol.24~

2012-03-25 00:07:23 | コラム
自分で書くことはしないが、ひとの脚本を読むことを「趣味」としている専門学校の先輩が居る。

年中読んでいるひとだから「その目」は確かなはずだが、作品の評価そっちのけで(構成や展開などから深読みし)、

「あんまりいい恋愛、してこなかったね?」
とか、
「いま、ラブラブ中でしょう?」
とか、

プライバシーにずけずけと入り込んでくるため、一部の女子から嫌われちゃったりもしている。

自分への分析はいつも、「面白いんだけど、安い恋愛ばかりしてきたからか、魅力的ではないんだよなぁ」である。

自分はいいけど「安い恋愛の相手とされた元ハニーたち」に謝れっての。

ただ同じようなことを、師匠にもいわれたことがある。
20代前半のころだったが、「お前が次のステージに行くためには、もっとオトナの恋愛をしなければいけないのかもなぁ」って。

わからん。
わからんよ、そんなこといわれたってさ。


同世代の男子のなかでは、
射精回数は(自慰と風俗を足せるので)上位にくるだろうが、恋愛経験でいうとヒトナミ程度、、、になるのか。

初恋のひとは、クラスメイトの石川陽子ちゃん。
既婚者(決めつけてる)だろうから、実名で書いちゃおう。
小学2年、4年、高校1年時と3度ほど告白をし、3度とも振られている。

一途じゃん! といわれるが、このあいだに数学の教師を含めて20人くらいの女子を好きになっているのだった。

減量を成功させた16歳の夏に童貞を捨てたが、相手はハニーだったわけではない。
5つくらい上で、じつは、どういうひとなのかもよく分からない「いちどだけの」ひとだった。
きっと、ヤリタイステタイヤリタイステタイというのが顔に出ていて、そのひとは不憫に思って「抱いてくれた」のだろう。

その数週間後に初めてハニーが出来たが、「自慰のし合いっこをしよう」といったのがまずかったのか、すぐに別れた。

上京後―最初に恋をしたのが、新聞奨学生をやっていたころの購読客、エトワール調布に住んでいた本間亜希さんだった。
やはり既婚者だろうから、勝手に実名で。

集金時に、お客さんであるひとを口説く―というのは技術が要る行為、、、だと思う。
しかし奨学生の先輩で、購読客の主婦と不倫しているひとが居た。そういう関係になるのも分かるくらい男前だったのだが、その先輩と呑んだとき、

「まっき~、『死んでもいい』っていう映画があるだろう」
「あぁ、大竹しのぶと永瀬くんが出てる不倫モノですね」
「いまさ、あの奥さんと修羅場みたいになっててさ、、、」
「・・・はぁ」
「あぁそうか、まっき~にこんなこといってもな。お前には『死んでもいい』のよさが、分からんだろう」

などといわれて、
なんだか回想すると、いろんなひとに「安い」とか「ガキな」恋愛といわれてきたような気がするが、
そのときは先輩のことばにムッとして、なんとか亜希さんをゲット出来ないものか・・・と必死になったのだった。

しかし切ない感じ? で振られ、その勢いで風俗デビューを飾る。

基本は「自分のほうからアプローチ」、
しかしキトクな女子も居るもので、このころ、別の新聞店の奨学生女子から好意を抱かれもしたが、
馬鹿だから、風俗にはまりまくっていた。

その後、外国人風俗嬢と付き合ったり、女子高生と付き合ったり、津波で流されることになるK子と半同棲したり、企画AV女優とアブノーマルな関係になったりしたが、どれも長続きはしなかった。
挙句、美大出身の女子を一方的に好いてストーカーと化したり、亜希という名だけで好きになったりと、
まぁ脚美人であるという共通点はあったものの、妙といえば妙な恋愛遍歴ではある。

ただもちろん、(ストーキングを含めて)どれも本気であったし、相手はどう思っているかは知らないけれど、いい思い出ばかり、、、かな。


だから新作シナリオを読んでもらう先輩には、いつかは「いい恋愛、してきたな」といってもらえるようになりたい。






つづく。


※明日のコラムにつながるテーマなので、軽く宣伝。

今晩19時より、TBSにて『ガチ相撲』が放送されます。
自分らにとっての神ヒョードルが、このためだけに来日。
格闘技に興味のないひとでも楽しめるつくりになっている・・・はずなので、ぜひどうぞ。

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消費主義者→恋する惑星 ~自分を構成する「あらゆるヒト・モノ・コト」vol.23~

2012-03-23 23:48:59 | コラム
もう春だというのに、カレンダーを購入した。

セミヌードだが、自分の専門分野? であるアイドルやAV女優のものではない。
「アスリート」中西麻耶(トップ画像)によるもので、彼女のことは、先日の朝日社会面で知った。

そうかそうか、パラリンピックに出るのも、通常の五輪と同じような過程を踏まねばならぬのね、その予選にも出られないくらい金銭的に困っているというのなら、協力しようじゃないか・・・ということ。

本稿では身障者などのテーマは(100000字くらい必要になるので)記さない。
記さないが、ただヒトコト、健常者だろうが身障者だろうが、ヌードになるひとは「とことん」応援する―という自分の立場だけは記しておこう。


買う男子(男子、と決めつけてはいけないか)はセミヌードだから気持ちよくなり、
売る彼女は、資金面で悩むことなく練習に集中出来る。
どっちのためにもなっているというのが、支援の理想的な形だと思う。

小林よしのりが薬害エイズ問題で旧厚生省に抗議したとき、
抗議活動も、エンタメで!!
みたいなことをいっていたが、大賛成。

抗議も支援も、楽しんでやるもの―いろいろと難しい問題が絡んでくるとは思うが、そうなればもっと参加するものが増えるはず。
原発デモに歌を取り入れるっていうのは、つまりそういうことなのだろう。


なんも出来ないから、とりあえずお金だけでも・・・という感覚で、3.11以降の募金を続けている。
そんな自分の金銭感覚は「そーとー」ヤバいようで、
だからなのか、かつて多重債務者だった。

きっかけは「自主映画制作の頓挫」ではあったが、借金が何百万にまで膨らんだのは自分の金遣いの荒さが原因である。
『ファイト・クラブ』(99)の主人公のように、典型的な消費主義者なのだった。

貯金して、どーすんの? みたいな感覚がすごくあった。
「あった」というか、現在も「あり」・・・

映画のDVDソフトは、かつて500枚を超えていた。
顔に似合わずデパートの物産展が好きで、よくケーキなどを購入してくるし。
チャリも「そこそこ」いいものに乗っていて。
格闘技観戦に行けば、売店で数万は使い。
格好つけたいからか、皆に奢ったり。

つまり完全に身の丈にあっていない金遣いであり、
そんな自分が現在、最も金をかけているのがTシャツ集めである。

(先日記したように)ユニクロで購入する場合もあるが、
(特殊な世界の)デザイナーズブランドっぽいものがメインだから、1枚5000円以上するものがほとんど。
それが100枚以上あるわけで、けっこうな出費だと思う。

そのなかから、気に入りのコレクションを。


その壱
(左上から時計回りに)
ヒョードルのメッセージ入りのもの
『ゴッドファーザーPARTⅡ』より、デ・ニーロのイラスト
格闘家・北岡悟のトレードマーク、「熊がチョークをかけている」図
『レザボア・ドッグス』より、ミスター・ピンクのイラスト
『ファイト・クラブ』より、クラブの心得が記されたもの

その弐
格闘家・青木真也の関節技を、手錠で表現したもの
『タクシードライバー』より、トラビスのイラスト
格闘技の煽りVアーティスト、佐藤大輔の「煽り文字」プリント
『バッファロー’66』より、ヒロインのイラストをポップアート風に

その参
本サイトのタイトルにもなっている『ケープ・フィアー』より、デ・ニーロの刺青を完全再現したもの
『パルプ・フィクション』より、トラボルタの「血だらけのスーツ」をイメージしたもの
『イレイザーヘッド』のポスター
アンディ・ウォーホールのバナナ
『タクシードライバー』より、モヒカンのトラビスをコミック化


凝り始めると際限がなくなりそうな気もするが、
元多重債務者ゆえ、カードを持てない身分であり、また、ローンさえ組めないクズ野郎なのである、
それが歯止めになっているところがあり、
あと数年も経てばリストから名前が外されるはずなので、カードを持つことが出来る・・・のだが、
この際、ノンカードを続けていくべきなのかも、、、とも思っている。

肥満児を引きずっているのと同様、
「もうあんな思いはゴメンだ」
と思っているから借金地獄にはまることはない―とは思うものの、とりあえず嫁さんになるひとには、しっかり財布を管理してもらうようにしなきゃね。






つづく。

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「素」まいる→消費主義 ~自分を構成する「あらゆるヒト・モノ・コト」vol.22~

2012-03-23 00:15:00 | コラム
頭がいい―のではなく「頭のかたち」がいいので、坊主は似合っている、、、はず。

頭そのものはモノスゴ小さく、
分かり易くいうと、小学生用の野球帽がちょうどよかったりする。

目は細め、鼻は「やや」大きい、耳は福耳(らしい)、口は・・・ふつうで、最も個性の感じられない部位かもしれない。

そんな顔をしたヤツが、ずっとヘラヘラしている。

「ニコニコ」と評されることのほうが多いが、
それだと好印象しか抱かれない、この際、少し嫌われたほうがいい? ので、敢えて「ヘラヘラ」あるいは「ニヤニヤ」笑っていることにしておこう。

否。

笑っているつもりはなく、ただふつうの顔をしているだけなのに、
「いつもニコニコしていて」とか「なにヘラヘラしてんだよ」とか、いわれてしまうのである。

自分がセラピードッグみたいなイキモノだったらね、それも「あり」だが、残念ながら人間なのだった。


では―といっても、自分では確認しようもないが・・・

格闘技の試合―もう、ずいぶんとしてないけど―をやるときにも、笑っていたのだろうか。

打撃を「モロ」に喰らっても?

うん、あり得る。
KO負けでも、ひょっとしたら笑顔のまま失神していたのかもしれない。
対戦相手、怖かっただろうなと思う。

葬式は?
よく聞かれる問いだが、「なんとなく慈悲深く見えるように」して、その場を切り抜けて? いる。
哀しみを湛えた微笑、、、というか。

って、そんなテクニック、自分にはないね。

告白するときは?
きっと、努めて深刻な顔をしているのだと思う。
ヘラヘラのままでは「馬鹿にしてんの?」と怒られかねないし、カラダ目的と捉えられる可能性だってあるから。

じゃあエッチは?
これだけは、(コトが終わったあと)相手に聞いたことがある。

「自分、地顔のままだった?」
「ううん、ちがった」
「どんな顔してた?」
「ヘンタイっぽい顔、してた」
「(苦笑)まぁそうだろうけれどね、そういう意味じゃなくて」

・・・・・少なくとも、笑ってはいなかったようである。


映画の世界で、印象的な笑顔を見せたのは誰か。

『真夜中のカーボーイ』(69)で、逃走したラッツォ(ダスティン・ホフマン)を「発見」した際のジョー(ジョン・ヴォイト)や、
『突然炎のごとく』(61)で、「振り向きざま」に笑顔を見せるジャンヌ・モローも素敵だが、

『第三の男』(49)のキーパーソン、ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)の微笑に勝るショットは存在しないだろう。

顔を見せるつもりなどなかったのに、突然の灯りで正体がばれてしまったライム―かつての親友マーチン(ジョセフ・コットン)に向けられた微笑は、
不敵でありながら照れ隠しのようにも見えて、ほとんど奇跡のような輝きを放つ名シーンとなっている。


つまり。
ライムの微笑の虜になるひとは世界中に沢山存在するが、
自分のヘラヘラ地顔では、誰も反応しない、、、ということである。






つづく。

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似合う?→「素」まいる ~自分を構成する「あらゆるヒト・モノ・コト」vol.21~

2012-03-22 00:15:00 | コラム
自分に似合わないもの、こと。

たとえば長ズボンを穿いている自分。
ズボンといえば長ズボンを指すのが一般的だから、改めて長ズボンと表記するのは違和感ありあり。

基本がハーフパンツなので、人気アイテムのジーンズも1本しか持っていない。
しかもほとんど穿かないから、いつまで経っても馴染んだ感覚にはならない。居心地が悪くってしかたない。

たとえば自分を「僕」ということ。
自分は自分のことを「自分」というので、「軍人か!」と突っ込まれることがある。

「僕」といっていたのは、たぶん中学生までで、高校のころが「俺」、上京後に「自分」となった。
突然、自発的に―というのは考え難いので「なにかの影響」だとは思うが、それがなんだったのかは分からない。

たとえばロン毛。
かつてはこうだったし、
高校時代は「なんと」オールバックにしていた。
しかし20代後半からは、ずっと短髪。
「し始め」のころは、いわゆるGIヘアだったが、現在は単なる坊主である。
小僧には、坊主スタイルこそ相応しい。

たとえば自動車。
運転している自分を想像出来ない。
そもそも免許を持っておらず、地元の群馬に帰還するのであれば自動車は必要かもしれないが、
東京に住んでいる以上、チャリさえあれば大丈夫だと思っている。

たとえばタトゥー。
格闘技をやっていると、対戦相手の身体に「なにか彫られている」ことが多く、若ければ若いほどその傾向は強くなる。
KIDなんかこんなだし、
本サイトのタイトル『ケープ・フィアー』(91)のデ・ニーロにいたっては、トップ画像のとおりだ。

彫ることに対して抵抗感はないが、単に似合わないと思っているからやらないだけ。

たとえば電車で座る自分。
つり革なしで立ち続けていられるかという自身への挑戦と、譲ることの煩わしさを理由として、20代のころから座ることをしなくなった。
だから定位置はドア付近と決まっているのだが、ただいちどだけ、体調不良で座ったことがある。

「そんなことで?」と思うかもしれないが、ショックだったなぁ。


つまり、なにが似合うのかというと、その逆、

ハーフパンツを穿き、
「自分」と名乗り、
短髪で、
チャリに乗っている―それこそが、自分であると。

もうひとつ、似合わないこと。

「真面目な顔」

蛭子能収タイプ? である自分、とにかくヘラヘラが止まらない。
「ヘラヘラ顔が地顔」なのだから止まるもなにもないのだが、無駄に反感を買うこと多し。
もう少し若いころは、街を歩くだけで「なに笑ってんだよ」と真性キチガイにからまれたものだった。
現在は「坊主でアゴヒゲ」しかも冬でも「ハーフパンツ」野郎なわけで、そんなヤツがヘラヘラしていると「コイツ、危ないのかも」と思われるようで、なんとなく道を開けられる? ことが多くなった。

これはこれでどうかと思うが、喧嘩に発展する面倒を考えれば「よい流れ」なのだろう。

というわけで、次回は地顔の「スマイル」について。
素の顔、地顔がヘラヘラだから「素」まいる、、、というわけだ。






つづく。

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『「素」まいる→Tシャツで自己表現 ~自分を構成する「あらゆるヒト・モノ・コト」vol.22~』


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