Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

にっぽん男優列伝(200)高橋和也

2013-08-16 00:15:00 | コラム
69年5月20日生まれ・現在44歳。
東京出身。

公式サイト

トップ画像左から・・・

4人のなかで最も影が薄かったと思われる成田昭次は、93年の解散後も音楽活動を続けていましたが、ドラッグに手を出し逮捕されて以降は名前を聞くことがなくなりました。

4人のなかで唯一ジャニーズに所属し続ける岡本健一は、解散して数年後、俳優として再び浮上し、ちょっとびっくりしたことがあります。
息子さんの岡本圭人(=Hey! Say! JUMP)も男前ですし、血はすごいなぁ、、、なんて思ったり。

個人的にいちばん好きだったのが前田耕陽で、このひとも忘れたころ? にドラマやバラエティ番組に登場、なかなかに息が長いですね。

そして―現時点で評価をすれば、4人のなかで最も俳優として「当たった」のが、右上に居る高橋和也(たかはし・かずや)さん。


男闘呼組と書いて「おとこぐみ」と読ませる、ジャニーズ発信の4人組アイドルバンドです。

最初はなんの楽器も弾けなかった耕陽くんを除き(笑)、アイドルではなくミュージシャン志向が強く、
だからこそ、『ロックよ、静かに流れよ』(88)なんていうタイトルの映画に出たのでしょう。

少年たちのバンド結成物語―ジャニーズ映画だとバカにしちゃいけません、自分、この映画けっこう好きです。
脚本も演出もしっかりしていて、グッとくるんですよ。彼らの演技の下手さ加減も、なんかフレッシュでいい感じですし。


※何曲、知っていますか




<経歴>

なんと6児の父。
ぜんぜん知りませんでした、すげーな。

中学入学と同時にジャニーズ入りを果たし、85年に「男闘呼組」を結成する。
和也さんは、ベース担当でした。
同年にはTBSのちょっとエッチなドラマ『毎度おさわがせします』にも顔を出し、岡本健一には負けますが、そこそこ? の人気を博す。

88年、前述した『ロックよ、静かに流れよ』で映画俳優デビューを飾る。

93年、ジャニーズを脱退し同時に「男闘呼組」も解散。

その2年後の95年、和也さんは唐突に「化け」ました。俳優として。

『平成無責任一家 東京デラックス』、『南の島に雪が降る』、『KAMIKAZE TAXI』と3本の映画に出演、
とくに原田眞人が監督し役所広司が主演した『KAMIKAZE TAXI』における熱演は、映画ファン、そしてアイドルファンを驚かせ、ある意味で役所さんさえ喰ってしまったのでした。

俳優として評価された和也さんにはオファーが次々と舞い込み、
『ぼくは勉強ができない』(96)、『八つ墓村』(96)、『マルタイの女』(97)、傑作『ハッシュ!』(2001)、『突入せよ! あさま山荘事件』(2002)、『魔界転生』(2003)などに出演、(誤解をおそれずにいえば)ジャニーズ出身らしくない、本格的な俳優キャリアを築き始めます。

『出口のない海』(2006)、『日本の青空』(2007)、『歩いても 歩いても』(2007)、
『必死剣 鳥刺し』(2010)、『EDEN』(2012)、
本年も『藁の楯』(2013)、そしてカンヌ審査員賞に輝いた是枝裕和の新作『そして父になる』(2013、9月28日公開)などなど、メジャーとインディーズを器用に往来、
しかもテレビドラマにも多数出演していますし、もはや昔のアイドルの面影はないですよね。

6児のとーちゃんですものね、休息している暇はないか。

「超」大作で、堂々の主演も「あり」だと思うんです、
個人的にはインディーズ贔屓ではありますが、そういうものも観てみたいなぁ。

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明日のコラムは・・・

男優列伝、3連続です。
『にっぽん男優列伝(201)高橋克典』

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にっぽん男優列伝(199)高嶋政宏

2013-08-15 00:30:00 | コラム
65年10月29日生まれ・東京出身。
現在47歳。

公式プロフィール

ファミリー最後に登場するのは、濃い兄弟の兄貴・嶋政宏(たかしま・まさひろ)さん。
列伝100番台のラストに相応しい、(しつこいですが)濃い俳優さんかと。

ときどき『ダウンタウンDX』(日本テレビ)に出ていますが、まーーずよく喋るひとですね。
なんとなく朴訥なイメージがあったから、初めて観たときはびっくりしました。
ほかのゲストの喋りに絡んでくるし、ロック好きですから、キング・クリムゾンの話とか始めると止まりません。
それでも嫌な感じがしないのは、その意外性と、ファミリー全体の好感度かな。

あるのか? 好感度・・・とか、いってはいけません。

弟さんより映画俳優しているなぁ、、、とは思いますけれど、それでもキャリアの割には代表作と呼べるものが見当たらないのがつらいところです。
宣伝に力を入れたSF『ガンヘッド』(89)とか、モノスゴ期待して劇場初日に観に行ったのですが、あまりのひどい出来にズッコケましたもの。ちょっとだけ映画を、嫌いになりましたもの。


※なぜかAKBのPVに出演しています。教師役です。なんか、えれー楽しそう。演じているというより、これが「素」かな。
演出をしたのは、大林宣彦。





<経歴>

繰り返しになりますが・・・
パパは高島忠夫、ママは寿美花代、おとうとは高嶋政伸、奥さんは女優のシルビア・グラブ。

成城大学(法学部)在学中に、映画『トットチャンネル』(87)で俳優デビューを飾る。
(大好きだった)斉藤由貴主演ということもあり、劇場初日に観に行きました。

今回、改めてキャリアを眺めてみて、ほとんどの作品をスクリーンで観ていることに気づいて驚きました。
申し訳ない? けど、それは政宏さん目当てではなく、
斉藤由貴であったり、前述したクソ映画(!)への技術的な期待であったり、林海象への演出であったりしたのですが、
作品自体が「あれれ、、、」なものが多く、政宏さんはけっして悪くないのに「この俳優、ダメだな」なんて思ったこともありましたねぇ。

その翌年―NHK連続ドラマ小説『純ちゃんの応援歌』(88)に出演、兄弟共演を果たす。

『BU・SU』(87)、『悲しい色やねん』(88)、
前述したクソッタレ(!!)なこけおどし『ガンヘッド』、
「100人斬り」を売りにしていた空想時代劇『ZIPANG』(90)。

政宏さんのキャラクター名は「地獄極楽丸」といって、はっきりいえば、当時の感覚としてもダサかったと思います。
林海象の演出ですから期待値は高かったのですが、肝心の「100人斬り」・・・自分は、自在に動き回るカメラワークを期待したんです、このころにスコセッシやオリバー・ストーンの映画における「生きているようなカメラワーク」に出会い、「これが映画だ!」と思っていたものですから。
しかしカメラは政宏さんの周りを動き回ることはせず、なんと「やられる100人を、きっちり数えさせる」という「どうかしている」演出を選択したのです。

これには参りましたね。

『ヤマトタケル』(94)、『ゴジラVSデストロイア』(95)、『ひめゆりの塔』(95)、『君を忘れない』(95)、『風の歌が聴きたい』(98)。

このあと、映画的なキャリアに関しては「そこそこに長い空白」が訪れます。
ファミリーとしてのアレヤコレヤがあったようなので、敢えて語らずにおきましょう。

2006年のコメディ『間宮兄弟』でスクリーン復帰を果たし、
以降、『クライマーズ・ハイ』(2008)、『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』(2008)、『スマグラー ―おまえの未来を運べ―』(2011)、『荒川アンダー ザ ブリッジ』(2012)、『この空の花 長岡花火物語』(2012)と、出来はともかく? 映画への出演が続きます。

映画の最新作は『ストロベリーナイト』(2013)ですが、
現在放送中のドラマ『ぴんとこな』(TBS)で好演していますね、
やっぱり政宏さん目当てではなく、川島海荷が見たいだけなんですけれど笑

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同じものは、ゼッテー創れない

2013-08-14 01:00:00 | コラム
ヨソサマのブログにお邪魔していると、けっこうな頻度で、

「投稿フォームに文字を打ち込んでいるときに、なんらかのキーを押してしまい、あるいは押していないにも関わらず、本文がぜんぶ消えてしまった」

という内容に出くわす。

あぁ分かる分かる。
そういうことって、あるよね。

だから自分はメモ帳機能を開いてそこに下書きをし、全文コピーから投稿フォームにペーストするようにしている。
いちどコピーしておけば、消えるという「事故」が起こったとしても繰り返しペースト可能だからね。


さて。
毎日毎日、よく飽きずに長文をアップ出来るよねぇ―と、友人にいわれることがある。

そういやブログは(引越し以前を含めると)10年を越えていて、帰省しないかぎり「ほぼ日刊」で更新を続けているのだった。
基本的な内容は10年前と変わらないが、昔はもっと短かった。
脱線も、敢えての遠回りもせず、直球で映画愛を綴っていた。
少し格好つけているところもあって、自慰やキチガイなんていうことばは現在ほど、、、というか、一切使用していなかったのだよねー。

友人に「日課だよ、自慰と同じ」と返すと、

「文章は、書く前から出来上がっている?」と聞かれた。

「ある程度はね。起承転結くらいは。でも、シナリオほどじゃない。シナリオは書く前にいろんな準備をする必要があるけれど、コラムは、格好よくいえば直感を大事にしたいというか」
「モニターとにらめっこする感じ?」
「でもねぇ、これまた格好よくいっちゃうと、モニターと対峙した時点で、勝手に指が動く感じがある」
「へー! よっぽど、なんだねぇ」

どう「よっぽど」かは気になるが、まぁ実際そんな風にしてモノを書いている。

で、冒頭の話に戻る。
基本は「メモ帳で下書き」だが、酔っているときはそれを忘れて投稿フォームに直接入力することがある。

するときまって(酔っているから)なにかのキーを押してしまい、本文が消える。

きぃーーー! みたいな。


ある程度は頭のなかで出来上がっていた文章+直感があれば、消えてしまった文章と同じものが再現出来る?

否。

それはゼッタイに、否。

ここで天才の台詞を引用するのは気が引けるが、『アマデウス』(84)のなかでモーツァルトもいっているじゃない、

「完璧なものを再現することは出来ない」って。


内容は同じでも、たぶん、ことばのチョイスまで同じというわけにはいかない。
リズム感にも変化を生じさせてしまうだろうし、句読点もちがってくる。

ただ消えてしまった文章のほうが優れているとはかぎらず、
さらにいえば、それでも消えてしまった文章は「消えてしまった」わけであり、比較することは出来ないため、ほんとうの優劣はつけられなかったりする。

もっといえば、「消えてしまった」がゆえに完成度が高かった「ように思えて」しまい、
可能なかぎり再現した文章でも「消えてしまったもののほうが、きっとよかったにちがいない」なんて捉えてしまうのだった。

メンドクセーなお前、、、と思いつつ、
人生だけじゃないんだな、一期一会というものは・・・なんて、大きなことを考えてみちゃったりもする。

そういうことも含めて、モノを書くって面白い。

だからきっと、10年後も20年後も同じようにモノを書いているのだと思う。

現在より、もっとアケスケな文章になっているのだろうか。
一周して、清廉潔白なスタイルになっていたりして。

・・・いやいや、それはないだろうし、自分にとっては、そっちのほうがはるかに恥ずかしいことだから!!


※『アマデウス』、貴重な字幕つきの予告編。アップ主さん、どうもサンクス!!




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毎日が、夏休み

2013-08-13 04:00:00 | コラム
取材が入っていない場合の、基本的な1日の流れを記してみる。

19時…起床
19時30分…ジョギング
20時30分…朝?風呂
21時…その日の朝刊と夕刊を読む
22時…朝?飯

23時~03時…雑誌用原稿、ウェブ用原稿、シナリオなどなど、なんらかの執筆

03時…自慰
03時30分…洗濯やら掃除やら

05時~08時…なんらかの執筆、第二幕

08時…筋トレ
08時30分…ネットサーフィンなど

10時~12時…最後の執筆

13時…気温に関係なく、阿呆みたいな熱い湯に入る
14時…ビールがメインの晩?飯
16時…だいたい、このくらいの時間で息絶えて就寝

3時間後に起きる、、、と。


つまり、ほぼ1日在宅である。

最近は取材―主にAV―が増えたが、それでも週に3日はこういう感じで24時間を過ごす。
「ひとりで居ることがヘーキ」なんて思っていたが、おしゃべりも好きなので、ときどき無性に寂しさを覚える。
昔ならすぐに風俗へ行ったりデリヘル嬢を呼んだりしていたが、(経済的な意味での)身の丈を知ったので最近はおとなしい。
その代わり、ヒトリゴトが異常に増えた。
前からだが、「異常」なレベルに到達したのである。

よく呑み会なども開くが、最近いわれるのは「喋るねー、ひっきりなしに」。

迷惑かもしれないが、上記のスケジュールを伝え「だって寂しいんだもん、かまってよ」とアピールして許しを乞う。

執筆に行き詰まると超のつくブラックコーヒーを飲み、ベランダで煙草を吸いながら団地を見下ろしてみる。

佐川のニーチャンがでっかいダンボールを抱え、滝のような汗を流しながら階段を駆け上がっている。
廃品回収のオジサン。
耐震工事をしているオッチャン。

みんなみんな、汗をかいている。

労働をしている。

♪ 働こう、働こう、そのひとは輝くだろう ♪
(ももクロ、『労働賛歌』より)


好きでそういう仕事を選んだがゆえ、、、ではあるが、ときに背徳的ですらある。

劇作家バートン・フィンクは軍人に向かって自分の脳味噌を指差し、

「(軍服は着てないが)これが僕の制服なんだ!」

と叫んだ。

確かにそうで皮膚から汗は出ていないが、モノを書き続けていると、脳内は汗でびちょびちょだったりする。
するのだが、外で働くひとびとを見ていると、なんとなく、なんとなく後ろ暗い気持ちに襲われたりするのだった。

ひとによっては、毎日が夏休みに見えるだろう。

同じ棟の住人さんにもいわれたものね、
「あなたは、なにしているひとなの?」って。

とりあえず笑顔は絶やさないようにしているので「怪しい住人」とは思われていないようだが、そうだよなぁ、いかにもガテン(死語?)やってます! みたいなガタイだものなぁ、
成人誌メインゆえ「記事、見せてー」といわれたら困るから住人さんには正体明かしておらず、ひょっとしたら完全なるプー太郎ちゃんと思われているかもしれない。

まぁいいけどね。

実際、プーみたいな日常だし。
自慰ばっかりしているし。
酒ばっかり呑んでいるし。
ヒトリゴトがビョーテキだし。

取り柄といったら笑顔と速筆しかないので、これからも毎日毎日シコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコ・・・・とやっていこうと思う。


ん?

なんの話しかって?

だから、寂しいんだっての!!


※夏らしい曲を。
いま自分が推しているガールズバンド、サイサイこと「Silent Siren」の『ビーサン』。




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怒れる牡牛の物語

2013-08-12 02:00:00 | コラム
第16部「デヴィッド・クローネンバーグの物語」~第4章~

前回までのあらすじ

「あのタイプライターが変身するものは、ある種万能の性的物件だ。想像可能なあらゆる性器がついているし、想像できないものもいくつか」(クローネンバーグ、『裸のランチ』のタイプライターについて語る)

「たとえば思春期、あるいは思春期以前に、同性愛に共鳴することはできましたか?」
「そう思う。ひどく女性的だった男に性的に魅きつけられたことが、一、二度あった。まるで女性に対してみたいだった」(デヴィッド・プレスキンの質問に答えるクローネンバーグ)

…………………………………………

92年の春―筆者は、夏の最高気温を出すことで知られる群馬県館林市から上京してきた。

東京への強い、強過ぎる憧憬。
それが裏切られることはなく、長渕の歌う「東京のバカヤロー」なんて意味は分からなかった。

都内の劇場そのすべてを制覇し、映画を浴びるように観た。
そうして、(当時)最先端の書物を揃えることで知られていた渋谷の『パルコブックセンター』に入り浸るようになる。

高校時代―父親の書庫から様々な書物を盗み、すべてとはいえないが、世界の名作と呼ばれるものの「おおよそ」を読破したと思い込んでいた筆者は、映画同様に「ふつうのものでは満足出来ない」ようになり、異端として名高い作品に触れることで「ひととはちがう」感をアピールしたかった、、、んだと思う。

その内訳は・・・

沼正三の『家畜人ヤプー』、
夢野久作の『ドグラマグラ』、
中井英夫の『虚無への供物』
マルケスの『百年の孤独』、
ジョイスの『ユリシーズ』、

そして、ウィリアム・バロウズによる『裸のランチ』。

サクサク読めたのは『ドグラマグラ』と『虚無への供物』くらいで、
『家畜人ヤプー』は自身の想像力が追いつかず読破までに1年ちかくを要し、
『ユリシーズ』はページは繰るには繰ったが内容が頭に入ってこず、
『裸のランチ』にいたっては、さっぱり意味が分からなかった。

文章を刻みに刻み、それをランダムに並べていくという「カットアップ」技法の先駆者である、
映画でいえばゴダールみたいなものだろう、
その日本語訳を読んだわけで、分からないの上塗りになってしまったのではないか―と、いまでは思う。

バロウズの作品はほかにもいくつか読んだが、なにひとつ共感出来るものはなかった―にも関わらず必死で読み込もうとしたのは、この「ちっともこころに引っかからない」小説をクローネンバーグが映画化し、その日本公開が迫っていたからであった。

映画『裸のランチ』(91…トップ画像)はしかし、小説の内容を映像化したものではなく、『裸のランチ』を執筆するバロウズを描いた作品だった。
なんとか小説版を読み終えた筆者は映画版を観て、あぁなるほど、小説の内容をそのまま映像化しても秩序のないイメージ映像をつなげたものにしかならない、クローネンバーグの判断は正しいのだなぁ、、、と感心したものだった。

…………………………………………

実際のバロウズは、ひととしては「最悪」だったとされる。
「ウィリアム・テルごっこ」によって妻を誤って射殺したり、ドラッグと同性愛に耽り日常は破綻、酩酊状態を引きずったままタイプライターに向かってモノを書いていた・・・から、あんな無秩序な文章スタイルになった―なんていう解釈までされるほどだった。

しかし、なぜか信奉者は多い。
数々のアーティストがバロウズについて言及、音楽ファンにとっては「カート・コバーンが絶賛しているから」名前だけは知っている日本人は多かったはずで、
映画ファンもバロウズ自身が『ドラッグストア・カウボーイ』(89)に出演したことなどから、「ヘンなジジイだけど、昔はすごかったみたい」なんていう認識はあった。

映画版でバロウズを演じるのは、なんとなく病んでいる感じがする―もちろん、褒めことばだ―ピーター・ウェラー、
その妻を、病んでいる感じがセクシーにも見えるジュディ・デイビスが演じている。

だがこの映画の真の主役は、喋るタイプライターだろう。
ホラーではなく、あくまでも幻覚描写。
だから怖さよりも、その自然な動きに感動さえしてしまうのである。

キューブリックはリンチに「あの奇形児は、どうやって創ったのか」と聞いたようだが、
筆者はクローネンバーグに「あのタイプライターは、どうやって動かしているのか」と聞きたい。

…………………………………………

結局、小説『裸のランチ』を読んでも、映画『裸のランチ』を観ても、得られるものはない。
ないが、表現の可能性という点において双方とも価値があるように思う。

読んで、観て時間を損したなんていう感想は抱かなかった。
むしろ攻めてるな、商業とは無縁のところで闘っているな、格好いいなと思った。
こんな映画ばかりになってしまうと、それはそれで厳しいが、「ひととはちがう」感をアピールしたい若造にとって、これは最適なテキストになるのではないか・・・なんていう風にも考えたりした。

全編を貫くのは、クローネンバーグによる「深いバロウズ愛」に尽きる。
そういう映画が、あってもいい。
一本くらいは―という条件はつけさせてもらうが。


93年―クローネンバーグはバロウズ愛を引きずったまま『エム・バタフライ』を発表、
簡単にいえばゲイの色恋モノだが、ジョン・ローンの女装姿が強烈で、そのインパクトに物語が負けてしまっているような気がした。

96年―J・G・バラードによる近未来「変態」小説『クラッシュ』を映画化。
交通事故によって性的快楽を得るひとびとを描き、その「世も末」感が抜群だった。

このころ、たしか『キネマ旬報』だったと思うが、ある識者が「クローネンバーグは、壊れていると思う」と書いていた。

確かに。
もう少し誤解なきようにいえば、

一貫して、正しく壊れている―のだと思う。

壊れたものから見れば、世界はそんな風に映っているのだろう。
つまり「世も末」に。

ただ悲観的ではないところが、この監督の面白いところではある。

…………………………………………




つづく。

次回は、9月上旬を予定。

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本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。

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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

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