Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

映画監督別10傑(57)リュック・ベッソン

2019-08-16 00:10:00 | コラム
~リュック・ベッソンのキャリア10傑~

顔も体型も、クマっぽいフランスの助平オヤジ。

という愛情を込めた形容に、異を唱える映画ファンは居ないでしょう。


「観るひとしか観ない」フランス映画を一般層にまで浸透させた功績は大きいし、起用した女優さんと(けっこうな確率で)付き合うことになるのも人間くさくて好感が持てる。

シャープな映像、ジャン・レノの発掘、音楽面から支えるエリック・セラの存在などなど、人気を博すのも頷ける。


その作風からは想像出来ないが、影響を受けた映画作家はスコセッシとミロシュ・フォアマンだそうで、それ聞いちゃうとヒイキしたくなるし、いちどは呑んでみたいなぁ、、、と。


(1)『ニキータ』(90)

「素質」を買われた不良少女が、生きるために「殺し屋」になる道を選ぶ。

ハリウッド産のアクションに慣らされてきた全世界の映画ファンが、驚いた。



(2)『最後の戦い』(83)

記念すべきデビュー作。

空から魚が降ってくる近未来―大気汚染により喋ることが出来なくなった世界で、男が戦いつづける理由とは。



(3)『グラン・ブルー』(88)

海に取り憑かれた男と、それを支える女と。

素潜りに材を取ったところも新鮮で、とくに日本では若い映画ファンを中心に高い支持を集めた。

パスタを頬張るジャン・レノが、とにかくキュート!!

(4)『ジャンヌ・ダルク』(99)

新解釈の伝記映画。

世評はけっして高くはないが、その誠実な創りに好感を抱いた。

フォロー・ミー!!



(5)『サブウェイ』(84)

監督第2作は、またしても近未来を背景とするSF。

舞台を限定(=地下道)しているところは低予算映画ならではのアイデアで、もうそれだけで応援したくなる。

とはいってみたものの、この映画最大の見どころは、やはりイザベル・アジャーニの息を呑む美しさでしょう!!

(6)『フィフス・エレメント』(97)

潤沢な資金で映画を制作出来るようになったベッソンが、満を持して撮ったとされるSF超大作。

しかし物語はスカスカ、正直なにがどうする話だったのか、まるで思い出せない。

それでもこの位置につけているのは、公開当時「動く大人のおもちゃ」と評されたミラの存在ゆえ。

ゴルチエのデザインもどうかしていて、彼女が映る度に睡魔はどこかに消えていった。



(7)『レオン』(94)

たぶん一般のランキングではこれが1位になるのでしょう。

けれども、どうにもついていけない世界観だった。

見せかたは巧いですよ、ただ完全版を観ると「それ」がはっきりするのだが、おっさんと少女の純愛物語なわけでして、それをいろんなもので「マトモな物語」に見えるようコーティングしているだけ。
だったら正々堂々、ナボコフのように『ロリータ』してほしかった。



(8)『LUCY/ルーシー』(2014)

ベッソンは、「新進女優の起用」によって低迷気味のキャリアを浮上させるという「あげまんに頼るタイプ」の監督だったりする。

当時振るわなかったベッソンはスカーレット・ヨハンソンを起用、久しぶりに彼らしいアクション映画を放つことに成功している。

(9)『アトランティス』(91)

海洋生物に迫ったドキュメンタリー。

ベッソンの両親って、ともにスキューバダイビングのインストラクターだったのだよね。

(10)『トランスポーター』(2002)

脚本家として参加。

軽快なアクション映画として人気を集め、シリーズ化された。

ジェイソン・ステイサムは、男が惚れる俳優さんです。

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『勘。で選びます』
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ごくごく

2019-08-15 00:10:00 | コラム
嫌いなわけじゃない。

そりゃそうでしょう、嫌いなわけはない。

わけはないが、自分、「真水」というものをほとんど口にしていないことに気づく。


仕事から帰還後は、きまってお酒。

ビールないしハイボールないしワイン。

寝て起きたらすぐにブラックコーヒー。

勤務中は、水筒に入れた「家で沸かした麦茶」をごくごくと。


原料のなかには水は含まれているかもしれないが、「真水」を飲んでいない。

前にも書いたが、だから「ペットボトルの水を買う」こと自体が分からなかったりするし、

直近でいつ飲んだっけ? と思い返してみたらば、「松屋で出るお冷」だった。


そうつまり、出されない限り「真水」は口にしないと。

そう決めているわけではないし、松屋でいただく「真水」はたいへん美味かった。

にも関わらず、飲み物のなかに「真水」の選択肢はないのだった。


国がちがえば。
時代がちがえば。

それこそ『マッドマックス』シリーズ(79~)のように、水は「超」のつく貴重なものになる。




令和のにっぽん、いろいろと問題はあるが、やっぱり恵まれているのだろうな、、、と。



※21世紀、麦茶といえば松島トモ子ではなく、門脇麦ちゃんでしょうよ!!



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director is supervised

2019-08-14 07:08:55 | コラム
※きょうのタイトルが、英語的に正しいかどうかは、ちょっと放っておいてね笑※


山田孝之くんが伝説のAV監督・村西とおるを怪演してみせるNetflix産のドラマ、『全裸監督』がめっぽう面白い。




「むちゃくちゃ」やってきた、それでいて「革命的」なひとなので、誰がどう料理しても「ある水準」には達するのかも・・・と一瞬は思ったが、いやいやそれはないね、

こういう題材は少しでも「ひよったり」してはダメだし、
数ある驚嘆エピソードのなかから「なにを描いて」「なにを描かないか」、その選択に失敗し凡作と化す可能性だって高いはずだもの。


画家や音楽家などアーティストの伝記映画は多いのに、実在の映画監督が素材に上がる作品って、じつは少ない。

最も成功した例は、ティム・バートンによる『エド・ウッド』(94)でしょうね。

誰も褒めてくれないのに、めげずに映画を撮りつづけた「映画監督としての才能はない」男の物語。

あれは胸を打つものがあった。


そこできょうは、この監督の半生なら映像で観てみたいな! と思わせる映画監督5人を挙げてみよう。

意外とベタな並びだが、人間的に面白そうなひとばかりでしょ?


(1)ピエル・パオロ・パゾリーニ

暴行ののちに車に轢き殺される―イタリアを代表する鬼才の最期は、あまりにも唐突でショッキングなものだった。



いくつかドキュメンタリーは制作されているが、冤罪の問題も孕んでいるため視点がぼやけてしまうものばかり。

デヴィッド・クローネンバーグ監督あたりに、180分の超大作として創ってほしい。


(2)黒澤明



未だ創られていないのは、おそらく偉大過ぎるから。

危惧すべきは、そんな偉大さばかりが強調されること。

伊能忠敬の伝記映画が失敗したのは、まさにそのためでしょう。

敬意を表していうけれど、ちょっとどうかしているひと、、、だったはずだもの。

だから。
大きく扱ってほしいのは、勝新太郎との確執や、自殺未遂のエピソードのほう。

これはぜひ、スコセッシに撮ってほしい。


(3)川島雄三

日本軽佻派を自称した、夭折の天才。

家を持たず放蕩生活を繰り返したのは、監督になったころから「筋萎縮性側索硬化症」を発症し、この世に生に諦念を抱いていたからかもしれない。

そのあたり、石井裕也だったら巧くさばいてくれそう。


(4)アルフレッド・ヒッチコック

すんごい才能の持ち主であることは、映画ファンでなくとも知っている。

だから、金髪フェチだったこと、起用した女優と寝たがったことなどを。

そういうところを描いても、一定の品を保つことは可能なはず。

若いころは無理だったかもしれない、でも現在のデ・パルマなら・・・と思っているのだがどうだろう。


※自作に必ずカメオ出演していたヒッチ、その全記録




(5)チャールズ・チャップリン



リチャード・アッテンボローが監督した伝記映画があるが、あの名匠でも失敗してしまった。

目配せをし過ぎて、かえって散漫になった気がする。

ことばを獲得してからのキャリア後期にしぼり、『独裁者』(40)の制作過程に迫る―映画としては、そういうほうが面白いかもね。

メガホンを持つのは・・・
そうだなぁ、キャスリン・ビグローとか意外とよいのかもしれない!!

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『ごくごく』
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シネマしりとり「薀蓄篇」(300)

2019-08-13 00:10:00 | コラム
した「い」→「い」し(石)

チャリダーになった現在の自分にとっては、石の集合体「砂利」は快適な運転を妨げるもので、邪魔でしかない。

けれどもガキのころを回想してみれば、石―とくに小石―は、友達の少ない自分にとって、大事な大事な「モノいわぬ友達」だった。

川に小石を投げて遊ぶ、水きり。
小石を頭上にあげてバッドを振るノック遊び。

単なる八つ当たりで、小石をブロック塀に思いきり投げつけることもしていたな・・・って、友達じゃないじゃんそれは!!


以下、そんな手近にあって金もかからぬ石を小道具として扱った映画。

番外編と呼べるものの、含まれてはいるけれど。。。


『HANA-BI』(98)

相手を殴る際に最も効果的と思われる形状の石を、こともなげに選別してみせる主人公。

このワンショットに、彼の生きざまが凝縮されている。




『無能の人』(91)

石を売る男の日常。

こんな男、居るのか・・・と思ったが、芸人「千鳥」大悟の父親は老いてから、実際に石を発掘し親分(?)に奉納(とは、いわんか)していたのだとか。


この映画を観るかぎり、竹中直人が現在、積極的に映画を撮らないのは「もったいない…」と思ってしまうなぁ。。。




『最後の誘惑』(88)

「人間キリスト」を描いた、スコセッシの入魂作。



深いところまで理解出来ているとは思わないが、石を使ってきれいな円を描き、そこで祈るキリストの姿が鮮烈。




『ネバーエンディング・ストーリー』(84)

石というか、岩の男。

 


次回のしりとりは・・・
い「し」→「し」ねまとぐらふ。

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『director is supervised』
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シネマしりとり「薀蓄篇」(299)

2019-08-12 00:10:00 | コラム
むかしむか「し」→「し」たい(死体)

肢体は拝みたいし出来ることなら触れてみたいけれど、死体には一切触れたくない。

ジョークじゃなくって、ほとんどのひとがそう思っているでしょう。

ゆえに、医療関係者には尊敬の念しか抱かない。

例外は、死体を愛してしまう倒錯者たち―ネクロフィリア―くらいなものだろうね。


ただ、ガキが「死体に興味あり!」となりがちなのは分かる。

そこを突いたのが、『スタンド・バイ・ミー』(86)だったわけで。



けれども、というか当然、あの映画には死体が登場しない。

入口が「死体」というだけで、描きたいことはべつにあったのだから。


以下、「死体」が印象的に描かれた映画をいくつか。

あくまでも「死体」であって「死にざま」ではないからね!!


『セブン』(95)

死体映画? の筆頭といえば、これでしょう。

「死体はアートじゃない。アートにみせる時点で、乗れなかった」といった識者が居て、あぁなるほど、分からなくはないなぁ、、、と思った。




『ファーゴ』(96)

積もった雪、主を失った車、そして、主は死体となって発見された・・・。




『風と共に去りぬ』(39)

夥しい数の死体で出来た道? を、スカーレットはひたすら歩いていく。


『L.A.コンフィデンシャル』(97)

物語の起点になるのが、レストランのトイレに山積みにされた「死体たち」だった。

この見せかたがたいへんに巧く、誤解を恐れずにいえばゾクゾクした。




そして。

映画ではないけれど、やっぱり・・・

『ツイン・ピークス』パイロット版(90)で決まりでしょうよ!!


あすのしりとりは・・・
した「い」→「い」し。

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『シネマしりとり「薀蓄篇」(300)』
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