一茶記念館に行きたいと思ってたんですよ。
そしたら、友人のふくださんがブログに書いてらして、ああ、そうだった。行きたかったんだとまたなって。
平日だったので、貸し切りでした!
野尻湖に近い、つまり北信濃。そこから江戸まで歩いて来たのかなあ。どんな景色なのかなと思ってたんです。
加賀藩の大名行列が通る街道沿いにあって、近くに黒姫山が見えて。うん、なるほどと実感できました。
一茶の伝記、書けます! とアピールしておきますね笑。
芭蕉は子ども時代がよくわからないのと、それまでの月並みな俳諧から、俳句を芸術に高めた的な難しさがあるんですが、一茶はわかりやすい。子ども時代、今でいう虐待されてましたしね。
義理の弟と継母と、父の遺産争いを続け、ようやく半分の家と土地を相続したものの、火事で焼け出され、最後はこの蔵で過ごしてました。しかも、再婚した妻とその母、弟夫婦と、ぎゅうぎゅうだったもよう。
これがまあ終の栖(すみか)か雪五尺 一茶
と読んだのは、焼け出される前。
敷地には、一位の実(おんこの実とも)が成っていました。