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三ヶ月に一度、児童文学作家さんと句会をしています。
主宰者として、選をして選評もします。
そういう過程で、私が一番学んでいるかも。教えることは、学ぶことですね。
先日感じたのは、俳句という17音の短い中で、何を書くか。
童話だったら、「みんなで集まって豆まきをしました。楽しかった」では、ダメです。そんな中に、一人輪に入れない子がいて、そういう子が鬼の子どもと仲良くなって~と話が展開します(例えばですよ)。
俳句だって、同じだなと思ったわけです。「豆撒きをにぎやかにする家族かな」だと、季語は入っているし、575ではあります。でもこれじゃあ、ダメ。(この俳句が出たわけではありません)「笑顔なき媼一人や鬼やらひ」なら、みんなが楽しんでいるけど、孤独を感じているお年寄りがいると感じられます。(この句がいいというわけではなく、例えです。鬼やらひは、豆まきのこと)
俳句は詩のひとつ。文学だということ。改めて思いました。
先日も出した写真ですが、このロージナ茶房で、何度も句会をしたものです。10年以上前かな。何時間いてもOKだし、二階の奥とか、10人くらいで句会できる雰囲気です。