そこには、今何もありません。
『アテルイ 坂上田村麻呂と交えたエミシの勇士』を書く上で、ほとんどの関連史跡には行ったのですが、この伊治城跡だけは行ってなかったんです。
はずれのところに、この出土センターがあって、土器など出土したものや伊治城の予想模型が1部屋分だけあります。
アザマロというエミシが、朝廷の役人として働きながら、田舎ものとばかにされ、こらえにこらえて、でもついにここに来た紀広純と大楯という役人を斬り、火をつけました。その後、多賀城も焼き討ちにしたという、いわゆる「アザマロの乱」です。
アテルイも、この襲撃に荷担したという設定で書かせていただいています。
この地を発掘し、わずかに出土したものからいろいろな考察をしている研究家の皆さんとちがい、私たち(たちっていっていいかな?)作家は、ひたすら想像し、書いています。この襲撃のときに、アテルイは、育ての父、実の父の両方を失います。って、これも想像。アテルイの家族については、何も記録にないからです。でも、親がなくて、人間は存在しません。
多賀城からは、かなり距離があるなあ。とか、その場に立って、あたりをみまわす、そして、いにしえに思いをはせます。
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