たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

雨の中で群馬百名山回り。天狗山と牛伏山。

2021年01月26日 | 近所じゃない群馬県の山
◎2021年1月23日(土)

 緊急事態宣言が出ているのに、群馬県は対象外だからと他県に向かうというのも憚られる。隣接の栃木と埼玉は宣言対象県になっている。くっついた足利市や日光市なら構わないだろうというわけにもいくまい。県民への不要不急の外出自粛は、つまりは「外からも来ないでくれ」を暗に意味している。宣言期間中は、対象県の山に行くのは控えた方が無難だろう。となると、群馬県内の山に目を向けざるを得なくなる。
 たまたま、群馬百名山をカウントしてみたら、すでに行った山が88山あった。残りの12山は遠過ぎたり、岩峰だったり、積極的に行きたいとは思わない山だったりといった理由で敢えて行っていなかったが、取りあえず、その積極的になれない山を歩いてみるというのもいいかもしれない。この「積極的になれない山」だが、これはあくまでも自分の主観であって、ショボそうな山とストレートに言えば、地元の方には叱られるだろう。現に、栃木百名山の一つを歩いた時のブログ記事に、つまらなかったようなことを記したら、地元の方から手厳しいコメントをいただいたこともある。決して山にABCランクをつけるつもりはない。Cも歩き方に変化を求めればAにもなる。そもそも、群馬百名山も栃木百名山も、日本百名山を終えた段階で「百」に興味も意義も感じなくなっていた。同じ山ばかりに行くのもなぁと、今回は選択の基準にさせてもらった。
 土曜日23日の天気予報はころころ変わった。前日の時点で雨降り予報が曇りに転じた。それを信じて、甘楽町にある天狗山も、白倉登山口から登り、熊倉山もお菊の祠にも寄るつもりでいた。朝起きると、どんより天気ながらも犬の散歩を終え、いざ家を出ようとしたらもう雨になっていた。雨なら雨で代案はあった。それは反対側の最短コース、宝積寺の先の轟コースからになる。ハイトスさんの記事によれば、往復40分程度らしい。この場合、往復の車に乗っている時間の方が多くなるから、天狗山に牛伏山、庚申山、高崎観音山を加えることにした。これで群馬百名山も+4で数稼ぎにはなる。

【天狗山】
 太田から一般道で甘楽町に行くには、どうしても埼玉の本庄と児玉を通って群馬にまた入るしかない。これは仕方がない。車の個室で通過するだけだ。雨はずっと降り続いていて暖房を切ると寒い。
 車ナビを宝積寺にセットして、そのまま通り過ぎてさらに行く。ここは林道なのだろうか。やがて未舗装になり、砂利道ならともかく、石がゴロゴロになり、えぐれたところも出てくる。普通車なら腹をこする。すでにカーナビは道路を走っていない。こんなところでパンクでもしたらたまらないので適当な広い路肩に車を止めたが、荒れた林道はさらに続き、終点は天狗山登山口の広場で終点になっていた。おおらか方ならそこまで車で入れるだろう。こちらは気が小さかった。
 冷たい雨はやまないままで、上下の合羽を着て、カメラだけの空身で歩き出す。今日の足はワークマンズック。傘まで持参しようかと思ったが、そこまでの雨降りではない。ひさし付きの帽子と合羽のフードでメガネには雨粒があたるまい。駐車地には標識があり、お菊の祠のある菊ヶ池方面へのコースが分岐している。そちらは植林の薄暗いしっかりした歩道が続いている。行きたいところだが、ここは林道沿いに天狗山方面に向かう。
 林道を歩いて行くと、次の標識が現れた。ここで勝手な間違い解釈をしてしまう。左・天狗山、右・轟登山口。ここは十字路になっていた。自分が歩いて来たのが轟登山口だとすれば、90度近い標識のズレがある。林道はここで左にカーブしていたが、ここは車の入れない植林歩道に直進で入り込んだ。実はこの標識は確かな位置に置かれていて、林道とは違う山道が右にあって、それが林道ではない轟登山道だったようだ。それは後でそう思ったことで、この時点では、林道が登山口まで続いているのは知らず、ここから林道を離れるのだろうと思い込んでいた。何せ、林道そのものが地形図には記されてはいても、GPSのマップには記されてはいなかったから、確認のしようもない。
 植林の歩道は明瞭だったが、次第に細くなり、やがて沢に出て消えた。GPSで確認すると、東に行くべきところを南に向かっていた。やはり、標識の向きは正しかったようで、林道に戻る。だが、踏み跡を失して、ようやく見えて出た林道は駐車地寄り。すでに歩いたところで、これでロスタイムは15分。
 林道をそのままに行くと、登山口に出た。あっけらかんとしたもので、駐車場になっていた。ここまで車で来たなら、おそらくは、山頂まで10分、神社に寄れば帰路は20分。都合30分程度のものだろう。
 出がけに雨になったので、改めてハイトスさんの記事を見直ししてからやって来たが、ハイトスさんが行かれたのは12年前。伐採地らしきところは視界にない。それどころか雨で周囲の景色がまったく見えない。紛らわしいところはなく、登山道は一本道。白倉神社分岐の鞍部に到着といったところで、取りあえずは山頂に向かったものの、三角点と山名標識があるだけの小高いピーク。周囲は雑木で晴れていたとしても、ここからの展望には期待できそうにもない。三角点だけ確認して、さっさと鞍部に戻る。一応、これで群馬百名山は+1となった。
 鞍部から標識に合わせて神社に向かった。急な下り。トラロープが続いている。ワークマンズックは濡れた路面にはやはり弱い。滑った。下りではトラロープは手放せなかった。
 下りきると白倉神社。雨で薄暗く、むしろ薄気味が悪い感じがする。鳥居の社殿側にカラス天狗が向かい合わせに置かれている。これが不気味さを余計に感じさせているのかもしれない。じっとしていられず、早々に鞍部に引き返す。実は、この神社の里宮の名物鳥居を来る途中で見ていた。一瞬のことで、車を脇に寄せて見に行こうとしたが、後続車が続き、対向車もあったのでやめていた。ここで奥社を見たのだし、改めて立ち寄るまでもないだろう。
 登って来た道をそのまま戻る。そして林道に出て駐車地。かかった時間は58分。おかしなところを歩いたのが15分だから、43分歩きで終わったことになる。こんな楽チン歩きは望むところではなかったが、雨で、いずれは雪になるかもしれない空模様ではいたしかたない。いずれ、当初の予定通りに白倉登山口から入り熊倉山を経由してみたいと思っている。

(この標識のある所に車を置いた。林道は左にカーブしている。直進すれば菊ヶ池方面だが、車で行けるかはわからない)


(林道を歩く)


(林道は左にカーブ。直進にも道があったのでここが登山口かと思った。標識は左向きだったが、根拠もなく90度ずれていると思った)


(最初のうちはよかったが)


(ここで行き詰る)


(林道終点。ここが天狗山登山口だが、轟コースの始点はどこにあるのだろう)


(急なところはない一本道)


(神社との分岐の鞍部)


(天狗山の山頂)


(晴れていても見晴らしは良くないようだ。山頂も狭いし、腰掛け場所がない)


(神社への急な坂道)


(白倉神社)


(カラス天狗その1)


(同じくその2)


(神社側から見た鳥居。直進は白倉登山口へ。やはり、そちらからが正式な歩き方だろう)


(下りで。何も見えん)


(駐車地)


(天狗山の軌跡。というほどの歩きはしていない)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

 雨は降り止まない。雪にもならない。ハイトスさん同様に織田家七代の墓所のある崇福寺に行った。恥ずかしい話だが、小幡藩は織田家の血縁関係であることは知っていたが、それまで、信長以前の分家筋の江戸時代生き残りの大名とばかりに思っていた。ここに来るまで、小幡藩の藩祖が信長の次男信雄の四男信良だったとは知らなかった。信長にとっては孫になる。まして、長男信忠は本能寺の変で亡くなったので、織田家の家督、つまりは本家は次男の信雄が継ぐ形だ。
 崇福寺には織田家七代の墓が並んでいた。後で調べると奇妙なことに気づいた。小幡藩の織田家は確かに七代まで続いたが、この墓所には信雄を含めて七基あり、公称の七代藩主の信邦の墓は東京にあり、信雄の墓はこの崇福寺と京都にあるとなっているから、おそらくは分骨でもしたのか、墓碑だけ建立したのか。ちなみに、初代藩主の信良は父の信雄よりも先に亡くなっている。ここの墓所の説明看板には「初代信雄」とあった。自分にはよくわからない。信雄の本領は大和の宇田松山藩で、そちらは五男が継承していて初代藩主は信雄なのだ。確かに、両藩を統合すれば、初代は信雄にはなるのだが…。

(崇福寺)


(聖観音坐像とあった)


(七代の墓所。右端が信雄の墓所。ハイトスさんの写真では囲いもなく、墓石むき出しだったようだが)


(信雄の墓。ハイトスさんは家康と秀康に「翻弄された」とあったが、自分には、この信雄、バカ殿でしかないのだが)


(七代の裏にも墓所があり、墓石には宝暦、延享、元文、元禄の字が読めた)


【牛伏山】
 雨は次第に強くなり、視界も悪くなってきている。残りの牛伏山、庚申山、観音山はやめておこう。無理に登って、風邪でもひいて病院に行くことにでもなれば、以前のようにコロナ感染者扱いをされる。
 ただ、今月の11日に牛伏山に行かれた方の記事にロウバイの写真が掲載されていて、せめてロウバイだけでも見ておこうと、どうせ帰路の途中でもあったので赤谷公園に向かった。この時点ではロウバイがどこに咲いているのかは知らず、公園に行けば見られるだろうという程度のものでしかない。
 ナビはややこしい指示を出し、ゴルフ場を抜けると牛伏山の標識を見かけた。道がどこまで続いているのかは知らないが、どうせヒマだしと、ナビをストップしてその道に入り込んだ。結局、この道はかなりのくねくね上りをしながら、天守閣のある山頂に着いてしまった。つまり、車で牛伏山に登ってしまったわけだ。牛伏山はその程度の山だったのかとがっかり。
 こんな天気に城見物でもないが、自分以外に物好きな二人連れが城から出てきた。傘をさして中に入ってみる。吉井城とあり、徳川譜代の吉井藩というのがあったらしい。城そのものはまゆつばで、陣屋しかなかったようだし、ここにあったわけでもないらしい。中にはごちゃごちゃと、いろんなものがガラスケースに入って展示されているが見る気が起きない。ふと年譜を見ると、ここは廃藩置県の際、熊谷県から群馬県に編入されたところのようだ。
 天守の上が展望台になっていて、置かれた展望写真はかなりのパノラマを楽しめそうだが、今は真っ白な世界でしかない。真下を見ると、ロウバイを咲かせた樹が一本だけ見えた。さっさと城から出て見に行った。今年初のロウバイだ。これを見られただけでもラッキーだ。残念ながら盛りはすでに過ぎていた。
 天守閣の反対側もピーク状になっていて、そちらに行ってみた。坂を登って行くと、牛の石像やら天狗松というのがあった。さらに先に行くと神社。向こうから合羽を着てリュックを担いだオッチャンがやって来た。この雨の中、本気で登って来たのだろうなと思うと、傘をさしてぶらぶらしている空身の自分が恥ずかしくなった。
 神社の裏手に回ると、ここが正式な牛伏山の山頂なのだろうか、山名を記した石盤と三角点があった。予期せぬ群馬百名山+1にはなったが、この山に、改めて下から歩いて登って来たいとは思わない。天守閣が置かれ、あまりに俗っぽい。今年は丑年だし、訪れるハイカーも多いだろうが、むしろ、この雨の日に来てよかったかもしれない。
 庚申山と高崎観音山を残してしまったが、追々ということにしておこう。こんな寒い雨の日にわざわざ行かずとも、花の咲く頃、たとえば桜の時期なんかが良いかもしれない。思い込みの印象とは大分違うかもしれないし。

(天守閣ならぬ牛伏山展望台。標識のままにドライブしたらここに導かれた)


(ここでも何も見えず)


(ロウバイが見えた)


(くたびれかけたロウバイだが)


(牛の置物)


(天狗松)


(琴平神社)


(ここが山頂のようだ)


(牛伏山の三角点)


(「平和の鐘」とあったが、叩く気にはなれず)


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4 コメント

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Unknown (みー猫)
2021-01-27 19:38:58
たそがれさん、本年もよろしくお願いいたします。これにコメ入れるなとおっしゃるかもですが(笑)群馬は現在81山で同じように残っておりますので、おそらくこの辺も同じような記事になりそうです。昨年後半で群馬方面に伸ばしてきた(つもり)でしたが、宣言出てしまい行きにくくなったのは同じです。こういう時には手頃な裏山があると良いのになと実に思います。昔は車道なんてなかったのでしょうし。
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みー猫さん (たそがれオヤジ)
2021-01-28 07:04:41
みー猫さん、おはようございます。本年もよろしくお願いいたします。
何をおっしゃるみー猫さんといったところで、ここのところ、私の記事へのコメントもお付き合い程度のものになっていて、よほどに面白みのない山歩きをしているんだなと思っているところです。
地元の上毛新聞に、群馬大学教授による登山の薦め特集がたまに載るのですが、先日の記事に「山は三密にならない云々」と記されていて、これは問題だなと思ったりしました。赤城山なんか良い例で、まして、三密にならなきゃ外出してもいいというものではないような気がしました。それでいて、こうして雨の中でも歩いている始末です。
少なくとも、宣言が公的に解除されるまでは、群馬のくすぶった山歩きになるでしょうね。それはそれで、山から遠のきつつある自分には良い理由付けになるかなと思ってもいるのですが。
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天狗山 (ハイトス)
2021-01-28 16:02:55
本年もよろしくお願いします。
最近はROM専門となってしまっておりますが、毎回たそがれさんの記事をニヤニヤしながら読んでますよ。
脚力の維持はちゃんとされているようで幸いです。
ぐんま百名山は地域探訪のきっかけと思えば結構面白かったです。
この天狗山に関しても選定されていなければ甘楽の山はいくこともなかったし、織田家の墓所も「へぇー、そうなんだ」と言った余録ですね。
カラス天狗はなかなかリッパでよく記憶に残っております。
地元川内の36童子散策で見たカラス天狗と比べてしまいます。
こちらはかわいらしい像ですが。
ところでぐんま百名山はそこそこ負荷のある山は残っていないでしょうから、残りの山を理由付けで歩かれるのも一考かと。
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ハイトスさん (たそがれオヤジ)
2021-01-29 09:08:42
ハイトスさん、コメントありがとうございます。本年もまたよろしくです。
群馬百名山歩きはハイトスさん記録を参考にして歩いておりますよ。数も残り少ないし、自粛、自粛の流れにはちょうどよい対象かと思っています。
確かに、おっしゃるとおり、一般道を歩いている限り、危うい山は残ってはいないのですが、御飯岳だけは、昨秋に行くつもりがタイミングを逸して、雪解けを待つしかないようです。
明日は嵩山か諏訪山のつもりでいます。あっけない天狗山よりは少しは間がもてるんじゃないかと(笑)。
脚力の維持、自分には、それがここ数年の課題です。上のレベルには行けるわけでもないので、せめて未満にならないように週一は歩きたいですね。
ハイトスさんのコメントで、また36童子のカラス天狗を見たくなりましたよ。ルートはすっかり忘れてしまいましたから、36童子めぐりから再スタートになりそうです。
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