
◎2011年11月27日(日)―with ハイトス氏 & 桐生みどり氏
ノラさんご推薦の閑馬岩峰群。危険そうな岩場につき、雪が付く前に行きたいと思っていたら、ハイトス氏も同じ思いがあったらしく、では、いっしょに参りましょうということになったのだが、これに桐生みどり氏が加わり、3人での山行となった。ハイトス氏は桐生みどり氏から奈良部山南東尾根歩きのお誘いを受けていたが、桐生みどり氏も閑馬の岩峰群には歩かれたことはないということで、予定を変更していただいた次第だ。ハイトス氏はご夫妻で前日、多摩川の水源の山に行かれているのに、そのタフネスさには相変わらず感心する。桐生みどり氏については初対面ではあったが、私の出た高校の先輩であり、ハイトス氏の記事でちょこまか拝見もし、お話も伺ってはいたので、失礼ながら、あまり、初めてといった印象は持たなかった。ネット名こそ桐生みどり氏ではあるが、沢、岩のエキスパートで、ことに足尾山塊には精通されていらっしゃる。H書房から出された本もまた拝見している。今日は、足尾の中倉尾根の刃渡りを平然と渡られたお2人の妙技をとくと拝見するのが楽しみだ。
7時半の待ち合わせで、現地まで1時間半とみて6時に出たが、ナビ予定では6時50分着。いささか早く出発し過ぎた。いつもなら寄ることもない吉野屋で朝食定食を食べてもなお時間が余った。7時10分に松坂に着いてしまい、散歩に出て来たバアチャンを相手におしゃべりをして時間をつぶした。たまに、山歩きで通る方がいるらしい。やがてハイトス号がやって来て、ここの空き地に1台デポ。金原峠に向かう。そこが峠かどうかは不明だが、車が数台置けるスペースがあったから、多分、ここが峠だろう。7時54分出発。今日は、先ずは第1峰の様子を見て、場合によっては、奈良部山に切り替える予定でいる。そう提案したのは、己の自信のなさからである。とにかく、ネットの記事を拝見する限り、危険がいっぱいの岩峰群らしい。歩けるかどうか、大きな不安マークが付いている。
(左に工事用?道路の跡。右のヤブ側に便所が放置されていた)

(第1峰?から先の岩峰群を望む)

出だしは踏み跡がある程度だが、ヤブという程のものではない。踏み跡を追うと、早速、行き過ぎた。下りはじめていた。戻る。北方面に曲がるポイントに3重の赤テープが巻かれていた。その先もテープが続いている。かつては工事用道路が通っていたところだろうか。ということは、地形図の点線に合流?広い道型が残っているが荒れ放題。植林の中には逆さになったトイレが無造作に放置されていた。間もなくピークに出た。地形図上の389mポイントの北東ピークのような気がする。このピークが第1峰なのだろうか。下りが岩場になっていて、見方によっては岩峰の一つにカウントできなくもない。ここからがさっぱりと分からなくなる。ハイトス氏のGPS軌跡のアップにお預けだ。ハイトス氏とて、岩峰群のスタートをしかと分かっているわけではない。ましてや桐生みどり氏に至っては、下調べも予備知識もなく、ただの里山歩きといった感覚でいらしているから、なおさら分かるわけがない。地形図のこの尾根区間が岩峰群だろうと推し量るだけ。ちなみに、地形図には、岩や崖の記号もマークも何も記されていない。
(周辺の紅葉)

(岩肌が確認できる)

(何番目かのピーク)

岩峰群には6つのピークがあるらしい。最後を含めて7峰とされている方もいる。しかし、最初に行き着いたこの峰からは、この先、2つのピークしか見えない。帰宅後に、ノラさん記事と、『安蘇の山塊から』氏の記事を確認すると、第1峰はあのピークで正解。目の前に見えたピークが第4峰。その間に2と3が小ピークを成している。第4の後ろに見えるピークが第6峰で、その間の小ピークが第5ということのようだ。我々が第1峰の位置に首を傾げたのは、ネット記事に記された「第1峰が極めて危険」という記述だった。正直のところ、強烈な危険は感じなかった。不感症というわけではない。自分の場合、いつもなら感じる、足も股間もすくむことがなかった。だから、ハイトス氏とともに、「あれが第1峰だったのだろうか」ということになった。ところが、下った状況を考えると、そろそろ危険な岩場だからと、ここからは、桐生みどり氏に先導していただいた(「先に行かせた」といった表現が気分的には適切かと思うが)。我々2人は金魚のフンでしかない。桐生みどり氏が巧みに探しては進む安全ルートを、追っかけるだけ。だから、身をすくむ思いもしなかった、というだけのことかもしれない。これが、達人の極意ということか。さらに、岩峰の両サイドは絶壁になっているわけではなく、急斜面ながらも下には立木も潅木も茂っているので、転がってしまっても木にひっかかって命を落とすことはないだろうといった安心感もあった。
(下って)

(また登る)

(ロープがあったりして)

各ピークの通過を詳細に記したいところだが、最初から数え間違いをしていたため、それぞれの岩峰の歩きを詳述できないのをもどかしく感じる。桐生みどり氏任せで歩いていたこともあり、印象も強く残っていないのである。写真を見ても、それぞれが何峰でのものなのか、とんと分からない。総じて、危なっかしいところはあったが、危険を感じるものはなかった。ロープが据えられたところもあったが(これは第5峰の下りということを後で知った)、ほとんどが巻けるし、ピークに立てる。失礼ながら、やはり里山の延長と言ってもいいかもしれない。いずれ、記憶力のいいハイトス氏の記事に、事細かに記載されるであろう。
(石祠)

(大鳥屋山。その向こうに、男体山も、白い日光白根山も見えた)

岩峰群が過ぎたようだ。数も含めて実態が把握できないままでいる。まだ先にあるかもしれない。ここから高鳥屋山(513.8m三角点。別名・松坂山)に向かう。その前に寄り道をする。正面530mピークからの西南隣にある同mピークの南峰だ。ここには石祠があるということを事前調べで知っていた。南に向かって2基の石碑があった。1基はつぶれている。寄進者の名前と、金原村、金二両などの文字を確認できた。江戸時代のものだろうか。ピークに戻って休憩する。タバコを吸いたいところだが、我慢する。北東方面に、斜面が削られた大鳥屋山が見える。5年前に岳ノ山・大鳥屋山を歩いたことになっているが、とんと記憶がない。こちらの斜面は、大規模に削られているのか。さて、桐生みどり氏が、高鳥屋山も「鳥屋」が付くくらいだから、鳥の狩場があったのではないかおっしゃった。袈裟丸山の八反張もそうらしい。カスミ網でも張ったのかね。余談だが、その際、「後袈裟」を「アトケサ」とおっしゃっていた。自分はずっと「マエケサ」「ウシロケサ」と思い込んでいた。
(高鳥屋山。さらに野峰も袈裟丸も見えた)

(この岩場を下った)

(ザイルワーク巧みにハイトス氏)

一気に山が深くなったような感じがしないでもない。向かう方向に高鳥屋山が見えてくる。しばらく識別できなかったが、3ピークの左端のようだ。紅葉ながらもうっそうとしている。いくつかピークを越える。それほどきつくはない。そして、最後のピークが岩場になっていた。おもしろいことに、3人3様の、それぞれの性格があらわれるような下り方をした。桐生みどり氏はそのままダイレクトに下り、自分は右に大きく巻いて下った。ハイトス氏はといえば、ザイルをザックから出して木に結わえ、左側に下った。その岩場、下に着いてよく見ると、もう崩れかけていた。実は内緒話だが、フィニッシュのここで、桐生みどり氏がこけられていた。上手の手から水が漏るとはこのことか。
(高鳥屋山山頂)

11時30分、高鳥屋山山頂。昼食タイムにする。ハイトス氏からビールを振る舞われたが、とても、山では飲めない。失礼ながらご好意のみいただき、本体は辞退した。アルコールは大好きどころか日常飲料になっている。ただ、飲みだせばキリがなくなるし、ビールの一口、二口で足りるわけがない。まして、酔いが早くて長引くので、山で泊まって飲まない限り、自分には魔物なのである。岩場で足を滑らすことも有り得るし、大胆な行動に出る可能性すらある。おいしそうに飲んでいる2人を横目に、奥に引っ込んで、タバコを吸って我慢した。久しぶりに、ラーメンを作って食べた。これからは、アルミの鍋焼きウドン系がコッヘル不要でいいかもしれないな。
当初は、516mピークまで西進し、松坂まで一気に尾根下りをする予定でいた。ところが、516mピークを目の前にして、やめておこうということになった。70mほどの登りになっている。516mピークは植林の山らしく、紅葉もなく、緑がうっそうとしていた。あの中を下るのは苦痛かもしれない。手前のピークを南下して、林道に出ることにする。
(八幡神社)

(そして終点)

尾根の途中にアンテナがあった。大き目のVHFのアンテナ。使っているのかどうか。左下に家屋の屋根が見え、正面下には林道が見えた。さっきから犬が騒いでいる。大分、上にいる時分から吼えていた。桐生みどり氏の説によると、我々の気配を感じているのだろうとのこと。なるほどね。犬は3匹(4匹だったかな)いた。軽トラの荷台にもいたので、何か作業をしに来た方が連れて来たのだろう。うち1匹は、何やらコーギーの血が混じっているような雑種犬で、これが尻尾を振りながらしきりに騒いでいる。八幡神社という、新しそうな神社を過ぎ、その先にも小さな神社。神社名以外の文字がみあたらない。すぐに駐車地に到着した12時50分。
正直のところ、この岩峰群、あっけない歩きだった。お2人の妙技も拝見できなかった。少なからず、この一年に岩峰群を歩いたネット記事はないようだ。あまり歩かれていないということだろう。それだけ、静かな歩きを楽しめるとも言える。今回は、随分と慎重に構え過ぎて臨んでみたが、山ではどこにも危険性はつきものなのだから、取り立てて意識をせずに歩けば、意外と変化に富んだ歩きを楽しめるかもしれない。
ノラさんご推薦の閑馬岩峰群。危険そうな岩場につき、雪が付く前に行きたいと思っていたら、ハイトス氏も同じ思いがあったらしく、では、いっしょに参りましょうということになったのだが、これに桐生みどり氏が加わり、3人での山行となった。ハイトス氏は桐生みどり氏から奈良部山南東尾根歩きのお誘いを受けていたが、桐生みどり氏も閑馬の岩峰群には歩かれたことはないということで、予定を変更していただいた次第だ。ハイトス氏はご夫妻で前日、多摩川の水源の山に行かれているのに、そのタフネスさには相変わらず感心する。桐生みどり氏については初対面ではあったが、私の出た高校の先輩であり、ハイトス氏の記事でちょこまか拝見もし、お話も伺ってはいたので、失礼ながら、あまり、初めてといった印象は持たなかった。ネット名こそ桐生みどり氏ではあるが、沢、岩のエキスパートで、ことに足尾山塊には精通されていらっしゃる。H書房から出された本もまた拝見している。今日は、足尾の中倉尾根の刃渡りを平然と渡られたお2人の妙技をとくと拝見するのが楽しみだ。
7時半の待ち合わせで、現地まで1時間半とみて6時に出たが、ナビ予定では6時50分着。いささか早く出発し過ぎた。いつもなら寄ることもない吉野屋で朝食定食を食べてもなお時間が余った。7時10分に松坂に着いてしまい、散歩に出て来たバアチャンを相手におしゃべりをして時間をつぶした。たまに、山歩きで通る方がいるらしい。やがてハイトス号がやって来て、ここの空き地に1台デポ。金原峠に向かう。そこが峠かどうかは不明だが、車が数台置けるスペースがあったから、多分、ここが峠だろう。7時54分出発。今日は、先ずは第1峰の様子を見て、場合によっては、奈良部山に切り替える予定でいる。そう提案したのは、己の自信のなさからである。とにかく、ネットの記事を拝見する限り、危険がいっぱいの岩峰群らしい。歩けるかどうか、大きな不安マークが付いている。
(左に工事用?道路の跡。右のヤブ側に便所が放置されていた)

(第1峰?から先の岩峰群を望む)

出だしは踏み跡がある程度だが、ヤブという程のものではない。踏み跡を追うと、早速、行き過ぎた。下りはじめていた。戻る。北方面に曲がるポイントに3重の赤テープが巻かれていた。その先もテープが続いている。かつては工事用道路が通っていたところだろうか。ということは、地形図の点線に合流?広い道型が残っているが荒れ放題。植林の中には逆さになったトイレが無造作に放置されていた。間もなくピークに出た。地形図上の389mポイントの北東ピークのような気がする。このピークが第1峰なのだろうか。下りが岩場になっていて、見方によっては岩峰の一つにカウントできなくもない。ここからがさっぱりと分からなくなる。ハイトス氏のGPS軌跡のアップにお預けだ。ハイトス氏とて、岩峰群のスタートをしかと分かっているわけではない。ましてや桐生みどり氏に至っては、下調べも予備知識もなく、ただの里山歩きといった感覚でいらしているから、なおさら分かるわけがない。地形図のこの尾根区間が岩峰群だろうと推し量るだけ。ちなみに、地形図には、岩や崖の記号もマークも何も記されていない。
(周辺の紅葉)

(岩肌が確認できる)

(何番目かのピーク)

岩峰群には6つのピークがあるらしい。最後を含めて7峰とされている方もいる。しかし、最初に行き着いたこの峰からは、この先、2つのピークしか見えない。帰宅後に、ノラさん記事と、『安蘇の山塊から』氏の記事を確認すると、第1峰はあのピークで正解。目の前に見えたピークが第4峰。その間に2と3が小ピークを成している。第4の後ろに見えるピークが第6峰で、その間の小ピークが第5ということのようだ。我々が第1峰の位置に首を傾げたのは、ネット記事に記された「第1峰が極めて危険」という記述だった。正直のところ、強烈な危険は感じなかった。不感症というわけではない。自分の場合、いつもなら感じる、足も股間もすくむことがなかった。だから、ハイトス氏とともに、「あれが第1峰だったのだろうか」ということになった。ところが、下った状況を考えると、そろそろ危険な岩場だからと、ここからは、桐生みどり氏に先導していただいた(「先に行かせた」といった表現が気分的には適切かと思うが)。我々2人は金魚のフンでしかない。桐生みどり氏が巧みに探しては進む安全ルートを、追っかけるだけ。だから、身をすくむ思いもしなかった、というだけのことかもしれない。これが、達人の極意ということか。さらに、岩峰の両サイドは絶壁になっているわけではなく、急斜面ながらも下には立木も潅木も茂っているので、転がってしまっても木にひっかかって命を落とすことはないだろうといった安心感もあった。
(下って)

(また登る)

(ロープがあったりして)

各ピークの通過を詳細に記したいところだが、最初から数え間違いをしていたため、それぞれの岩峰の歩きを詳述できないのをもどかしく感じる。桐生みどり氏任せで歩いていたこともあり、印象も強く残っていないのである。写真を見ても、それぞれが何峰でのものなのか、とんと分からない。総じて、危なっかしいところはあったが、危険を感じるものはなかった。ロープが据えられたところもあったが(これは第5峰の下りということを後で知った)、ほとんどが巻けるし、ピークに立てる。失礼ながら、やはり里山の延長と言ってもいいかもしれない。いずれ、記憶力のいいハイトス氏の記事に、事細かに記載されるであろう。
(石祠)

(大鳥屋山。その向こうに、男体山も、白い日光白根山も見えた)

岩峰群が過ぎたようだ。数も含めて実態が把握できないままでいる。まだ先にあるかもしれない。ここから高鳥屋山(513.8m三角点。別名・松坂山)に向かう。その前に寄り道をする。正面530mピークからの西南隣にある同mピークの南峰だ。ここには石祠があるということを事前調べで知っていた。南に向かって2基の石碑があった。1基はつぶれている。寄進者の名前と、金原村、金二両などの文字を確認できた。江戸時代のものだろうか。ピークに戻って休憩する。タバコを吸いたいところだが、我慢する。北東方面に、斜面が削られた大鳥屋山が見える。5年前に岳ノ山・大鳥屋山を歩いたことになっているが、とんと記憶がない。こちらの斜面は、大規模に削られているのか。さて、桐生みどり氏が、高鳥屋山も「鳥屋」が付くくらいだから、鳥の狩場があったのではないかおっしゃった。袈裟丸山の八反張もそうらしい。カスミ網でも張ったのかね。余談だが、その際、「後袈裟」を「アトケサ」とおっしゃっていた。自分はずっと「マエケサ」「ウシロケサ」と思い込んでいた。
(高鳥屋山。さらに野峰も袈裟丸も見えた)

(この岩場を下った)

(ザイルワーク巧みにハイトス氏)

一気に山が深くなったような感じがしないでもない。向かう方向に高鳥屋山が見えてくる。しばらく識別できなかったが、3ピークの左端のようだ。紅葉ながらもうっそうとしている。いくつかピークを越える。それほどきつくはない。そして、最後のピークが岩場になっていた。おもしろいことに、3人3様の、それぞれの性格があらわれるような下り方をした。桐生みどり氏はそのままダイレクトに下り、自分は右に大きく巻いて下った。ハイトス氏はといえば、ザイルをザックから出して木に結わえ、左側に下った。その岩場、下に着いてよく見ると、もう崩れかけていた。実は内緒話だが、フィニッシュのここで、桐生みどり氏がこけられていた。上手の手から水が漏るとはこのことか。
(高鳥屋山山頂)

11時30分、高鳥屋山山頂。昼食タイムにする。ハイトス氏からビールを振る舞われたが、とても、山では飲めない。失礼ながらご好意のみいただき、本体は辞退した。アルコールは大好きどころか日常飲料になっている。ただ、飲みだせばキリがなくなるし、ビールの一口、二口で足りるわけがない。まして、酔いが早くて長引くので、山で泊まって飲まない限り、自分には魔物なのである。岩場で足を滑らすことも有り得るし、大胆な行動に出る可能性すらある。おいしそうに飲んでいる2人を横目に、奥に引っ込んで、タバコを吸って我慢した。久しぶりに、ラーメンを作って食べた。これからは、アルミの鍋焼きウドン系がコッヘル不要でいいかもしれないな。
当初は、516mピークまで西進し、松坂まで一気に尾根下りをする予定でいた。ところが、516mピークを目の前にして、やめておこうということになった。70mほどの登りになっている。516mピークは植林の山らしく、紅葉もなく、緑がうっそうとしていた。あの中を下るのは苦痛かもしれない。手前のピークを南下して、林道に出ることにする。
(八幡神社)

(そして終点)

尾根の途中にアンテナがあった。大き目のVHFのアンテナ。使っているのかどうか。左下に家屋の屋根が見え、正面下には林道が見えた。さっきから犬が騒いでいる。大分、上にいる時分から吼えていた。桐生みどり氏の説によると、我々の気配を感じているのだろうとのこと。なるほどね。犬は3匹(4匹だったかな)いた。軽トラの荷台にもいたので、何か作業をしに来た方が連れて来たのだろう。うち1匹は、何やらコーギーの血が混じっているような雑種犬で、これが尻尾を振りながらしきりに騒いでいる。八幡神社という、新しそうな神社を過ぎ、その先にも小さな神社。神社名以外の文字がみあたらない。すぐに駐車地に到着した12時50分。
正直のところ、この岩峰群、あっけない歩きだった。お2人の妙技も拝見できなかった。少なからず、この一年に岩峰群を歩いたネット記事はないようだ。あまり歩かれていないということだろう。それだけ、静かな歩きを楽しめるとも言える。今回は、随分と慎重に構え過ぎて臨んでみたが、山ではどこにも危険性はつきものなのだから、取り立てて意識をせずに歩けば、意外と変化に富んだ歩きを楽しめるかもしれない。
自分の記事をようやくアップしたらたそがれさんの記事がすでに挙がっていましたよ。
第何峰はどれがどれやら現場でははっきりしませんでしたが後で地図と軌跡を調べてようやくわかってきました。
しかし結構肝心のピークでの写真が無かったりで、次回行くことがあればもっとしっかりと把握できそうです。
しかし今度の愛車はいいですねぇ。
どこでもいけちゃいそうですね。
ハイトスさんの記事も確認させていただきました。要所要所をついて、なかなか恐そうに記されていましたね。文章力の違いですね。
結果的に、ハイトスさんは、個々の岩峰のピークを把握できたようですね。私はいまだにしっくりといきませんよ。
変な魅力のある岩峰群でした。今になって、もう一度行って、しっかりとカウントして来たいと思っております。
女房のお古の車をほめられても返答しようがありませんね。9万キロものですよ。
岩峰群のご推薦ありがとうございます。ハイトス氏記事も確認し、感慨も新たになりましたが、確かに、意外とあっさりでした。ただ、一人で行っていたら、こうもスムーズにはいかなかったでしょう。何せ、先導者が達人でしたから。改めて、コースを変えて、今度は一人で行ってきます。家に戻って来られるか不安ですが。
桐生みどりさんて、そう、あの方です。佐武流山にご一緒されたのではないですか。
松坂山の山名板はすでに廃れて、黒ずみ、まったく読めませんでした。