たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

ダメ押し佐野の石尊山。唐沢山に向かうも根性なしで撤退する。

2013年02月10日 | 近所の栃木県の山
◎2013年2月9日(土)

御神楽農村公園駐車場(7:25)……298m有戸山(7:53)……377.8m三角点(8:3)……不動岳(8:54)……浅間山(9:34)……石尊山(9:51~10:05)……458m標高点(10:17)……450m小ピーク(10:35)……林道(10:53)……駐車場(11:40)

 近場の「石尊山」がまだ残っている。同じ佐野にありながら、前回のハイトスさんらと行った石尊山は明らかに田沼の山だが、もう一つのこの石尊山は葛生との境にある。乗りかかった船だ。「石尊山」シリーズは早いとこ片付けておきたい。幸いというか、今日の持ち時間はそれほどのものでもないので、歩くには手頃な山だろう。ただ、これだけでは短い気がするので、不動岳、石尊山を経由して唐沢山まで行き、帰路は、向かい合わせの西側尾根を下るつもりにした。この近辺、栃木の山紀行氏、オッサンさん、しぼれさんの記録をいくつか拝見したが、大胆ながらも、皆さんの歩程をまとめて一回で済ませてしまおうという欲張った腹づもりでもある。

(御神楽農村公園駐車場)

(ここからヤブ入り。ヤブを抜けて、首筋をはたいたら枯れ枝、枯葉がびっしり)

(最初の小ピークで)


 御神楽農村公園駐車場に車を置く。きれいなトイレがあって、グッドタイミングで使わせていただいた。この先の憂いを気にすることはないだろう。ところで、この小さな駐車場、部外者が勝手に駐めていいのだろうかと思案していたら、宇都宮ナンバーの車が2台やって来て駐め、ハンティングの準備をしはじめた。この方々も地元ではない部外者だろうから構わないか。駐車場の脇には公園と宇都宮神社が隣接している。
 ルートの最初のポイントは298m標高点、しぼれさんの記録によれば「有戸山」とある。県道を市街地方面に戻り、尾根の先端を回り込む。先端からの直登は出来かねた。適当な取り付きがなく、先まで行って、ためらいながらも強引にヤブに入り込み、尾根を目指す。ヤブが切れると落ち葉で滑り、なかなか手強い。10分ほどで小ピークに出た。石祠が3基。何となく、自分にはお好みのコースのようだ。幸先はいい。石祠の年代は不明。2基は新しい。尾根の先に298mピークが見えている。目の高さにロープが張られていた。注連縄だろうか。尾根が回り込んだ先に見える三角の山は不動岳だろう。

(298mピーク・有戸山)

(こんな尾根)

(有戸山山頂。石祠の残骸があちこちに)


 小ヤブが続く。スズタケがビシバシと顔に跳ね返って痛い。尾根型はしっかりしていて、防火帯のようなところもある。しっかりした踏み跡はなく、歩く人はあまりいないようだ。スズタケを除けば感じのよい尾根だ。「銃猟禁止区域」の看板。シカのフンがそこいらじゅうにある。遠くで銃声とチェンソーの音が聞こえる。
 298mピークに到着。石灯籠と石祠の残骸だらけだ。まともなのが一つとしてない。これは手に余る。これを修復していたらジグソーパズルになってしまう。おかしな組み立てをして、向きを逆にでもしたらバチがあたる。手はつけまい。いろいろと物色したら、灯籠の柱には嘉永六年、「奉献根本山」と刻まれた石柱、石祠の胴体には明治廿四年の文字が目に付いた。このバラバラは熊の仕業だろうか。

(左寄りの三角峰が石尊山。右は浅間山らしい)

(こんな小ヤブもある)

(嘉永年間製の石祠がぽつんと)

(377.8m三角点)


 尾根伝いの北側の展望が開けた。地形図をあてると、さっき不動岳と思ったのは石尊山のようだ。ということは、その右隣のピークが浅間山か。山当て感覚も大分怪しくなってきた。
 また、枯れきったスズタケのヤブがうっとうしくなった。まばらだからまだいいが、よけながら歩かねばならない。次の小ピークに着く。ここから方向は北東から北向きになる。雪が残っている。ここでちょっと悩む。周囲の尾根が切れた感じになっている。北に直進していいものやら。コンパスを三角点377.8mピークにセットし、かまわずに行ってみた。植林の中だったため、薄暗く、切れていたように見えていたが、中はゆったりとした下りになっていた。正面に見えてきたのは三角点ピークだろう。木に巻かれた赤テープを初めて目にする。歩く人はいるようだが、それほど迷うところでもないのにと思う。この先も、テープをいくつか目にする。
 右から尾根が上がってきた。これが旧田沼町と葛生町の境界のようだ。小ピーク。嘉永二年の石祠が一基。「世話人」3名の名前が彫られている。この石祠は完全な形を保っている。この周辺は、幕末期からの信仰なのだろうか。もしくは整備されたのか。
 ゆったりと下る。この辺りになると、町境の境界標がずっと続いている。ヤブも気にならない程度になった。三角点に到着。見回したが、山名板も標識も見あたらない。標石がポツンとあるだけ。

(不動岳山頂)

(石尊山と浅間山が接近する)

(あんた、大丈夫?もう死んでいたりして)


 北西に向きを変えると、不動岳が間近になった。「不動岳」も「唐沢山」も、安蘇の山域にはいくつかあるようだ。ここは、低くて流行らない方の不動岳とでも言った方が分かりやすいだろうか。右手の木がまばらになり、秋山川沿いの町並みを見下ろせる。そして、ずっと先には日光の山々。
 不動岳の山頂には山名板が2枚。栃木の山紀行氏と山部氏。ヤブの中のピークといった感じで、ここだけはなぜかヤブになっている。展望もよくないが、木々の間から、石尊山と浅間山が望める。長居できそうなピークではない。さて、突然ではあるが、自分は何ともつまらない歩きをしているような感じが出てきた。何というか、本日のこのルート、変化もなくてまったく面白みに欠けるのだ。出だしから超地味な尾根歩きがずっと続いている。黙々と歩いているだけ。そして、この不動岳はヤブ山の山頂。先に行くのが苦痛になってきた。ここであっさりと適当な尾根から林道に下って「さよなら」でもいいが、それでは石尊山詣でも見送りになる。せめて石尊山だけでも行ってこよう。気を持ち直そう。

(真ん中、奥の張り出しから登って来た)

(岩場が出てくる)


 尾根の様相が変わってきた。これまでになかった岩場が現れる。今度は正面に石尊山。左手に岩があり、そこからの西側展望が開けている。下る予定の西側尾根の様子も見える。あれが416mピークか。北側鞍部からの登りがやけにきつそうだ。左側には歩いて来た尾根。意外にも結構な距離を歩いている。
 岩混じりが続き、その時々の登りも急になってきた。岩や木につかまっての登りだ。これまでのなだらかな尾根歩きは何だったのか。急な石尊山(460m級のピーク)への登りの途中、体力温存をはかって北東側にある浅間山(450m級ピーク)を先行することにしてトラバース。こちらはもう葛生側になる。

(浅間山山頂。周囲に関係なくこの小屋だけは新しい)

(石祠は瓦礫の山になっていた)

(本殿。つまり小屋の中)


 ヤセ尾根になり、こちらも岩があったりで鞍部からの登り返し。ここで、あれっと思った。町境の境界標石がこちらに続いている。自分の持っている地形図では、町境の線は尾根伝いに唐沢山の方に続いている。この標石は境界標ではないのだろうか(確かに、石尊山から北方向の先には見あたらなくなってしまっていた)。
 浅間山到着。赤いペンキを塗ったトタン屋根の物置があった。物置とはいっても、これは社殿だろう。中は荒れ、崩れかかった木造の社があった。御札も何もない。小屋の周辺を回った。山名板なし。石祠の崩壊は大量。石をひっくり返して見ると、寄進者の名前と寄付金額、そして、慶應元年が読み取れた。木の間から日光連山。うっちゃられたかつての神社、浅間神社とでもいうのか、なれの果てはこうなるのか。氏子もいない状態なのだろう。

(右手の高いピークが唐沢山だろう)

(石尊山山頂。はっきり言って冴えない山頂だ)


 石尊山に向かう。日光連山とともに、一際高い唐沢山が見える。こちら側からの石尊山はそれほどの急斜面でもなかった。薄暗い木立の中のピーク。石祠は3基。うち2基はそのままの形でつぶれている。柱も割れて脇にある。文字類は読み取れない。ここにも石尊山の山名板はなかった。本日の目的地に到着だから、しばらく休んで菓子パンを食べる。さて、これからどうしたものか。別に体力的に疲れてはいないが、唐沢山まで行ってもしょうがないんじゃないかという気持ちがさらに強くなってきている。ルートはバリエーションぽくなってきてはいるが、面白みに欠ける状態は続いている。西側尾根の416mピークへの登りもきつそうだしな…。石尊山に登ったからもういいか。

(右が向かい側尾根の416mピーク。左が城跡の扇山だろう)

(これがせいいっぱい。何枚か撮ったが、これが周囲の枝が少ないショット)


 地形図を広げて、林道への下山位置を検討する。二股の林道が合流し、この尾根に再接近する468m標高点まで行ってもいいが、そこまで行って唐沢山に行かないのもおかしな話だ。この先の458mと468mの中間点にある450m級ピークから下るか。別にここから下ってもいいが、ここまで来たからには、その先まで行って下るということにしよう。何がなんだかよく分からないが、すべてがえらく矛盾した思考である。つまるところ、いろいろな変化が出てきても、歩いていて、楽しくも面白くもないのである。自分の場合、こういうことはよくあるが、久しぶりに味わった。目的の山が石尊山だったから、それを終えて、どうでもよい気分になったみたい

(急登がいくつか続き)

(このピークから下るとする)

(派生尾根を下って。悲しいことに、たいがいの木は力を加えるとポキポキだ)

(林道に出た)


 その後、しばらくはアップダウンが続き、458mを通過して450m級ピークに着いた。ここまででよしとしよう。そのまま休憩もせずに、コンパスを合わせただけで林道に向けて南西に下る。しばらくは尾根型もしっかりしていたが、間もなく不明になってヤブ化した。右下の、水のない沢に下った方がいいと思い、行きかけたが、そのまま下った。先に林道が見えた。やはり、沢に下りた方が正解だったようだ。沢の方がヤブはなかった。
 未舗装の林道であった。一般車両も入れるが、走っている車はない。御神楽線と呼ぶらしい。さほど荒れてもいない。林道の末端に自転車をデポすれば、唐沢山帰りは楽だろう。この林道歩きが嫌だったから、西側の尾根下りを計画したのだが、歩いていてもさほどの苦痛にはならない。現に、1時間半程度の歩きを予想したが、ゆっくり歩きで50分弱であった。

(馬頭観音碑。尻尾付きにも見える)

(林道歩きから不動岳。典型的な里山風景だ)

(石仏群。こういうのって好きだな)

(自己主張する田沼町石標。これがずっとある)


 右を見上げれば、植林帯の先に簡単に取り付けそうな西側尾根が続いている。やがて畑が現れ、左に馬頭観音碑を見る。寛政九年と彫られている。正面に不動岳。畑の周囲は電線で囲っている。触ってみたい衝動にかられるが、ピリピリ程度ならともかくビリビリではまいってしまう。左から林道が入り、人家が出てくる。そして、舗装道になる。のどかな山間の里だ(お住みの方には失礼かもしれないが)。車もめったに通らない。上は風があったが、ここは風がなくていい陽気。道路脇のちょっと高いところに石仏がいくつか固まって置かれている。不動明王像も加わっていた。その中の一つの年代は寛政。古くからある里のようだ。そして火の見櫓。「田沼町」の石柱がずっと続いている。

(宇都宮神社。狛犬はなかった)


 あまり疲れもせずに駐車場に到着。半端な歩きで終わったようだが、おのれのことを正当化して、石尊山に行けたからこれで十分としよう。その先と西側の尾根は機会があったらということにしておこう。ハンターの車はすでにない。公園にはだれもいない。宇都宮神社を見て、公園の東屋でラーメンを作って食べる。久しぶりのサッポロ一番みそラーメン。原点ラーメンではあるが、最近、味が濃く感じるようになっている。そういえば、このラーメンが好きでそのメーカーに勤めた友達がいたが、50歳過ぎたらリストラされていたなあ。ずるずると食べていたら、いきなり、近くのスピーカーから正午を知らせる時報が響いた。学校でよく使われるチャイムだ。ゆっくり食事をして帰路に着く。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図メッシュ(標高)を使用した」(承認番号 平23情使、 第832号)

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6 コメント

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不動岳 (ハイトス)
2013-02-11 01:21:17
こんばんは。
安蘇山塊には唐沢山も不動岳も石尊山も複数有るのでややこしいですが、なかでも平野部に一番近いシリーズですね。
以前に境界を古越路から峠から歩く事をイメージしたことはありますのでいつかはと思っておりました。
たそがれさんは興ががのらなかったというか途中断念でしたが、次回は今回断念箇所から大鳥屋山までつなげればずっと尾根通しが完成するのでは?
つなげたからどうしたと言われればそれまでですが、そういうこだわりもいいもんですよね。
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ハイトスさん (たそがれオヤジ)
2013-02-11 07:13:26
おはようございます。
ハイトスさん同様、私もその尾根通しの歩きには興味があるのですが、陣地から南の部分に未踏区間があります。今回の残りとその未踏区間を歩けば、氷室山の先、粕尾峠まで開通するんですけどね。いつのことになるやらです。
こだわりの在庫が多すぎて。こつこつと歩いてまいりましょう。
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充実感? (みー猫)
2013-02-11 08:26:33
おはようございます。
非常に興味深かったのですが、動物やらオッサンが登場する、パンツが破ける、ゴルフ場に降りるなど、いつもイベントづくしのたそがれさんレポですから、そういう意味なのかなと失礼ながら勝手な想像をしてしまいました。自分は行けば何かあるだろうと他力本願的ですが。いずれにしても、地形図をみて魅力を感じたのはありましたので、時期などを変えればまた違うのかも知れませんね。あんた、大丈夫・・・というのはよく思います。生前の姿を想像したり。変でしょうかね。
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みー猫さん (たそがれオヤジ)
2013-02-11 14:43:07
こんにちは。
みー猫さんは今日は山ナシディでしたか。私は、超軽く歩いてきたばかりですよ。
さて、そういう意味でのイベントは何もありませんでしたね。スタート地点にきれいな水洗トイレがあるのでは、出だしから調子が外れてしまって、いわゆるまっとうな歩きになっても仕方がないですよ。汚いトイレとかだったら、歩きの展開が違ったかもしれませんが。
歩いたルートですが、石尊山を過ぎたあたりからは、ツツジがきれいなところかもしれませんね。ただ、展望が悪いですね。唐沢山の方に行くとどうなるのかは知りませんが。
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石尊山 (野球親爺)
2013-02-11 21:19:27
こんばんは。
たそがれオヤジさんの利用された駐車場は7年前にもありましたが、名前はついてませんでした。トイレもありました。その時は珍しくお世話になってません。
石尊山はその時歩きましたが、石尊神社と書かれた木の柱?のようなものがあり、石祠は3基あってちゃんとしてました。2年前の震災で壊れたのでしょうかね。
そこを歩いた時は石尊山とは認識してませんでした。
黒羽の石尊山は群馬からはかなり遠いですし、これと言って何があるわけでなく、ついでに歩くのもなんだかなあという感じがしないでもありませんが、こだわりがおありのようでしたらどうぞというしかありません。そんな山です。
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野球親爺さん (たそがれオヤジ)
2013-02-11 22:41:15
こんばんは。
やはり野球親爺さんも歩かれているようですね。知らないわけはないと思っておりましたよ。でも、山名が地元通称では、部外者には何もなければ知りようもないですよね。私にしてもネット情報ですから。
確かに通りすがりのピークといった感じです。石尊神社とか、石尊山と記された類のものはまるきし見ませんでしたね。山頂をかなり回って確認しましたけど。
黒羽の石尊山は、アドバイスにしてがって、無理に行くことはないでしょう。ついでの折にでも回ってみることにいたしましょう。
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