
◎2013年2月11日(月)
(歩きタイム:9時~12時)
那須方面の山にスキーにでも行こうと、車にスキーを積んで寝た。5時半には家を出るつもりでいたが、目覚めた時は7時近かった。目覚ましは鳴ったようだ。こんな時間になってしまったので、予定は変更。先日、中倉山からの帰りに下見をした、磐裂神社から庚申山への古道を探索してみようか。探索というよりも、古道探しといった方が適切か。前回は、神社の裏手にある植林帯の急斜面を眺めただけでかなわないと思い、すごすごと戻ってきた。今日は、隣の墓地寄りから歩いてみよう。
足尾に向かう途中、大間々から見える赤城山は、普段よりもやけに大きく見えた。雪をかぶって、空気も澄んでいるせいだろうか。草木ダムあたりから、車が6台ほど詰まってしまった。先を見ると、大型が20~30kmの低速でトロトロと走っている。足尾に入るまで引っ張られた。時間が何とも惜しい。
(とりあえずご挨拶)

(国道脇を歩いて遠下に)

前と同様、銀山平に向かう県道の路肩に車を置く。もう雪は融け、路肩も広くなっている。今日あたり、備前楯山や庚申山を歩く人もいるのだろうか。四駆の車が脇を通って行った。スパ長を履いて遠下に向かう。舗装道路を歩くと、ザクザクと小気味よい音を立ててくれるが、これだけでスパイクは減る一方だ。できるだけ、雑草の生えた脇を選んで歩く。
(磐裂神社)

(神社にある一丁目標石。これは移転されて記念碑のような存在)

(先ずは、墓地寄りのここを上がってみた)

旧国道沿いの鳥居から磐裂神社に入る。脇には「庚申山表口」の碑。この辺にある石碑や神社そのものも切幹からの移転のようだから、昔からここにあったわけではないだろう。神社でカバゴン狛犬と「一丁目」丁石を確認してスタート。
右手にある墓地が見えるところから取り付く。正直のところ、どこを歩いていいのやらさっぱり分からない。往時の参拝者の気分で歩けばいいのだろうが、やはりどこも急斜面だ。鮮明な踏み跡も道型も見あたらない。幅広の窪みがずっと上に続いているものの、直線的な登りで、これを辿ったとは思えない。まさか、修験道まがいに登ったわけでもあるまい。御利益がかなわぬままに脱落者がどんどん出てしまう。
(作業道に出くわした。だが、このまま行くには不安)

(結局、東側に戻り、この急斜面をなかば四つん這いで登った)

しばらくあえいで登ると作業道らしき道型を見た。九十九折りに登って植林帯に入って行く。これはやはり明らかに作業道だろう。東寄りに向きを変えることにする。理由はない。当時、植林なんぞなかったろうが、東側が自然林になっていて、こっちが正しいのではないかといった思い込み。後で知ったことだが、この作業道、実は正解ルートであった。
かなりの急斜面である。木につかまりながら歩くが、ちっとも先に進まない。その間、キョロキョロと周囲を見渡すも、古道らしき匂いを発しているところはまったくなし。やはりダメかとあきらめ気分。見上げると、上は切れ、備前楯への南尾根がもう見えている。
(小尾根に取り付いて)

(南尾根の三角点に)

天気が曇ってきたかと思ったら、雪が降り出した。右手に小尾根。もうこうなると、普段の歩きのクセが出てしまい、小尾根を目指すことになる。小尾根に取り付き、四苦八苦して南尾根に辿り着いた。すぐに852.8mの三角点。ここまで来てしまったのでは古道どころの話ではなくなる。この南尾根に古道の名残のようなものは何もない。あれば、以前に気づいている。尾根の先にあるのは三角点と古河マーク付きの標石だけだ。
さてどうしようか。古道探索は放棄か?となったら、有越山にでも向かって、鉱山の遺物探索にでも切り替えようか。ハイトスさんのお知り合い(といっても、手振山で会われただけの方だが)に、鉱山の遺物探索好きの方がいらっしゃる。その記事を拝見し、有越山の上(南尾根の下になる)はお宝のスポットであることを思い出していた。まだじっくりとは探索していない。通りすがっただけだ。この機会に探索するのもいいかも。どこから入り込んだか分からないような軽トラや根利から材木を運んだケーブル塔まであったと記憶している。
(南尾根を北に向かい)

(巣神山との方はかなり寒そうだ)

(ヤブが出てきて顔をやられる。巻けば少しはましなのだが)

南尾根を北に辿る。ところどころにツツジのヤブが群れている。手袋をしているからいいものの、顔にやたらとひっかかる。雪が降ったりやんだり晴れたりと、どうもすっきりしない空模様。西側に時たま見える巣神山も、全体に空気とともに白い。方面は荒れている気配。
中才方面から尾根が合流する。下り時には要注意だろうな。また吹雪のように降り出した。正面に1030m標高点のピークがぼんやりと見える。有越山に行くには、あれを越えないといけない。随分と高く感じる。あっけないが、この辺でやめとくか。吹雪の中を歩いてまで鉱山の遺物を見たいとは思わない。退却。せっかくだから、別方向・西側からの下りで古道探索を再開するか。
(二子山が見える。あの山はどういうわけか好きな山だ。袈裟丸は見えない)

(この辺が、古道のスポットのようなくささがある)

ぼんやりと歩いていたら、中才に下る尾根に入り込んでいた。要注意だったはずなのに。雪の上に自分の足跡がないことと、ヤブが出てこないことでミスに気づいた。勝手知ったる山域といった傲慢な意識があったためか、コンパスもあてなかった。このまま下っても何も問題はないだろうが、古道探しからは外れてしまう。南尾根に復帰。今度は遠くに二子山が見えた。そして、沢の下の奥にはかじか荘。吹雪はやんだ。
三角点を素通りする。しばらく行くと、石がゴロゴロと現れた。何となく、この辺があやしい。というのは、山部氏の丁石記事を拝見した際、木に大きな石が挟まっていて、その下に丁石が写っている写真を拝見していたからである。上に石がないところでは、石も落ちようがない。きっと、この下ではないのか。
(しっかりした道型のある作業道を下る。もしかして、これが古道?案ずるより産むが易しじゃないか)

下に行ってみると、踏み跡が下に続いている。自分には作業道にしか見えないが、まずは下るよりも、その先を見ておこう。菓子パンの袋が落ちていた。上から飛ばされてきたのか、ここを歩く人がいるのかは分からない。すぐに南尾根にまた出てしまった。尾根に吸収されたその先はどうなっているのか。尾根を乗り越えることはあり得まい。急斜面になっている。あるいはここにも九十九折れの道が続いているのか。尾根を下るということも現実的ではない。わざわざ遠回りの労苦をさせるために造られた参拝道でもあるまい。斜面を下るにしても、今は下にダムがあって、対岸に復帰するのは困難。先のことはもういいか。それよりも、あの作業道を下ってみよう。引き返しのポイントは806m標高点。アンテナがあったが、ケーブルは切断され、ただの置物になってしまっている。
(ついに現れた八丁目の標石。ある意味、感動ものだ)

(古道らしき道型はしばらく続く)

作業道の道型はしっかりしている。道そのものはゆるやかでゆったりとカーブして下る。炭焼跡の石組みが残っている。下に、大きな石が木に寄り添っているのが見えた。もしかして、あれか。行ってみると、ここに「八丁目」の丁石があった。ということは、この作業道は古道の名残だろうか。しっかりした道型だから、いまだに作業道として使われているのかもしれない。「文久三亥年四月」「池田屋」だけは読み取れた(山部氏は「濱崎道新石町 池田屋長蔵」と記されているが)。
有越山になんか行ってなくてよかった。この一基にめぐり会えただけでもラッキーだ。しかし、こんなことでも欲はでるもの。もう一基あるはず。目を皿のようにして探しながら下る。なかった。上から転げ落ちた「十丁目」があるはずなのだ。しかし、ない。角張った石らしきものが落ち葉の中にあれば、落ち葉を払ったり、起こしてみたりするものの、やはり、八丁目だけだった。十丁目はまた下に転がり落ちたか?これでも十分に気は治まった。自己満足でいい。舟石新道の入口を見つけた時の感慨と同じだ。
(古道の終点は何とも、墓地)

庚申山中以外に、かじか荘近くにも丁石がいくつか残っているらしいが、道端にあるような丁石を見つけてもあまり意味があるとは思えない。ほとんどが喪失ということにして、執拗に追うのはやめにしておこう。これで十分。古道かどうか分からない道をそのまま下ってみると、神社の裏の上を通って、墓地に出た。墓地の探索をしても仕方がないが、いくつか古い石碑やら石仏が目に付いた。
(ここで神社に寄り道。改めて磐裂神社のカバゴン狛犬を)

(その2)

(神社の入口にあった千手像)

(切幹の神社)

(その裏には…。まとめて合祀か)

先日は近道をしようとして線路を歩き、工場のようなところに入って、かえって遠回りになってしまった。今日は車道をそのまま歩いて帰る。ちょっと寄り道をする。切幹橋の先にある神社が気になっていた。こういう時でないと車で素通りだ。何神社か知らないが、キツネがいたのでお稲荷様だろう。裏には水神様の碑や石像が集められていた。ここの尾根末端から巣神山には行ったことがない。課題にはしてあるが、見上げるとかなりきつそうだ。
南尾根の取り付き、巨大な庚申碑のあるところで、カップラーメンを食べる。犬の散歩をしているジイサンに「山かい?」と声をかけられた。いろいろと話を伺いたい気持ちもあったが、そういう方面に精通されている感じではない。陽が出て暖かくなってきた。車に戻ると、さっきの散歩中のテリア犬が、タイヤにおしっこを引っかけているところだった。ジイサンに詫びられた。まぁ、ご愛嬌にしておこう。自分の家の犬だって同じことをやっている。
(場所が変わって、こちらは通洞鉱山神社)

(そして狛犬)

(もう一方。いずれも、磐裂神社版に比べて恐さがない)

さて、ご愛嬌ついでにもう一つ、神社が残っている。どこで仕入れたネタか知らないが、K女に通洞神社の狛犬写真をせがまれていた。この狛犬はなかなかのご愛嬌物である。神社に行って久しぶりに拝見する。よく見ると、寛保三年の年代が刻まれていた。後で調べると、吉宗の頃の年代だ。いたく感心する。狛犬も、獅子形相のはあまり面白みもないが、こういった出来損ないのような狛犬は長く見ていても飽きない。彫り上げた石工もさぞひょうきんな方だったのではないか。
短時間ながら、意外にもおもしろい歩きができた。山奥の鉱山遺物の探索は、また別の機会にでもしてみよう。
(本日の歩き。ごちゃごちゃして何日かすると、すぐにどういうルートか忘れてしまいそうだ)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図メッシュ(標高)を使用した」(承認番号 平23情使、 第832号)
(歩きタイム:9時~12時)
那須方面の山にスキーにでも行こうと、車にスキーを積んで寝た。5時半には家を出るつもりでいたが、目覚めた時は7時近かった。目覚ましは鳴ったようだ。こんな時間になってしまったので、予定は変更。先日、中倉山からの帰りに下見をした、磐裂神社から庚申山への古道を探索してみようか。探索というよりも、古道探しといった方が適切か。前回は、神社の裏手にある植林帯の急斜面を眺めただけでかなわないと思い、すごすごと戻ってきた。今日は、隣の墓地寄りから歩いてみよう。
足尾に向かう途中、大間々から見える赤城山は、普段よりもやけに大きく見えた。雪をかぶって、空気も澄んでいるせいだろうか。草木ダムあたりから、車が6台ほど詰まってしまった。先を見ると、大型が20~30kmの低速でトロトロと走っている。足尾に入るまで引っ張られた。時間が何とも惜しい。
(とりあえずご挨拶)

(国道脇を歩いて遠下に)

前と同様、銀山平に向かう県道の路肩に車を置く。もう雪は融け、路肩も広くなっている。今日あたり、備前楯山や庚申山を歩く人もいるのだろうか。四駆の車が脇を通って行った。スパ長を履いて遠下に向かう。舗装道路を歩くと、ザクザクと小気味よい音を立ててくれるが、これだけでスパイクは減る一方だ。できるだけ、雑草の生えた脇を選んで歩く。
(磐裂神社)

(神社にある一丁目標石。これは移転されて記念碑のような存在)

(先ずは、墓地寄りのここを上がってみた)

旧国道沿いの鳥居から磐裂神社に入る。脇には「庚申山表口」の碑。この辺にある石碑や神社そのものも切幹からの移転のようだから、昔からここにあったわけではないだろう。神社でカバゴン狛犬と「一丁目」丁石を確認してスタート。
右手にある墓地が見えるところから取り付く。正直のところ、どこを歩いていいのやらさっぱり分からない。往時の参拝者の気分で歩けばいいのだろうが、やはりどこも急斜面だ。鮮明な踏み跡も道型も見あたらない。幅広の窪みがずっと上に続いているものの、直線的な登りで、これを辿ったとは思えない。まさか、修験道まがいに登ったわけでもあるまい。御利益がかなわぬままに脱落者がどんどん出てしまう。
(作業道に出くわした。だが、このまま行くには不安)

(結局、東側に戻り、この急斜面をなかば四つん這いで登った)

しばらくあえいで登ると作業道らしき道型を見た。九十九折りに登って植林帯に入って行く。これはやはり明らかに作業道だろう。東寄りに向きを変えることにする。理由はない。当時、植林なんぞなかったろうが、東側が自然林になっていて、こっちが正しいのではないかといった思い込み。後で知ったことだが、この作業道、実は正解ルートであった。
かなりの急斜面である。木につかまりながら歩くが、ちっとも先に進まない。その間、キョロキョロと周囲を見渡すも、古道らしき匂いを発しているところはまったくなし。やはりダメかとあきらめ気分。見上げると、上は切れ、備前楯への南尾根がもう見えている。
(小尾根に取り付いて)

(南尾根の三角点に)

天気が曇ってきたかと思ったら、雪が降り出した。右手に小尾根。もうこうなると、普段の歩きのクセが出てしまい、小尾根を目指すことになる。小尾根に取り付き、四苦八苦して南尾根に辿り着いた。すぐに852.8mの三角点。ここまで来てしまったのでは古道どころの話ではなくなる。この南尾根に古道の名残のようなものは何もない。あれば、以前に気づいている。尾根の先にあるのは三角点と古河マーク付きの標石だけだ。
さてどうしようか。古道探索は放棄か?となったら、有越山にでも向かって、鉱山の遺物探索にでも切り替えようか。ハイトスさんのお知り合い(といっても、手振山で会われただけの方だが)に、鉱山の遺物探索好きの方がいらっしゃる。その記事を拝見し、有越山の上(南尾根の下になる)はお宝のスポットであることを思い出していた。まだじっくりとは探索していない。通りすがっただけだ。この機会に探索するのもいいかも。どこから入り込んだか分からないような軽トラや根利から材木を運んだケーブル塔まであったと記憶している。
(南尾根を北に向かい)

(巣神山との方はかなり寒そうだ)

(ヤブが出てきて顔をやられる。巻けば少しはましなのだが)

南尾根を北に辿る。ところどころにツツジのヤブが群れている。手袋をしているからいいものの、顔にやたらとひっかかる。雪が降ったりやんだり晴れたりと、どうもすっきりしない空模様。西側に時たま見える巣神山も、全体に空気とともに白い。方面は荒れている気配。
中才方面から尾根が合流する。下り時には要注意だろうな。また吹雪のように降り出した。正面に1030m標高点のピークがぼんやりと見える。有越山に行くには、あれを越えないといけない。随分と高く感じる。あっけないが、この辺でやめとくか。吹雪の中を歩いてまで鉱山の遺物を見たいとは思わない。退却。せっかくだから、別方向・西側からの下りで古道探索を再開するか。
(二子山が見える。あの山はどういうわけか好きな山だ。袈裟丸は見えない)

(この辺が、古道のスポットのようなくささがある)

ぼんやりと歩いていたら、中才に下る尾根に入り込んでいた。要注意だったはずなのに。雪の上に自分の足跡がないことと、ヤブが出てこないことでミスに気づいた。勝手知ったる山域といった傲慢な意識があったためか、コンパスもあてなかった。このまま下っても何も問題はないだろうが、古道探しからは外れてしまう。南尾根に復帰。今度は遠くに二子山が見えた。そして、沢の下の奥にはかじか荘。吹雪はやんだ。
三角点を素通りする。しばらく行くと、石がゴロゴロと現れた。何となく、この辺があやしい。というのは、山部氏の丁石記事を拝見した際、木に大きな石が挟まっていて、その下に丁石が写っている写真を拝見していたからである。上に石がないところでは、石も落ちようがない。きっと、この下ではないのか。
(しっかりした道型のある作業道を下る。もしかして、これが古道?案ずるより産むが易しじゃないか)

下に行ってみると、踏み跡が下に続いている。自分には作業道にしか見えないが、まずは下るよりも、その先を見ておこう。菓子パンの袋が落ちていた。上から飛ばされてきたのか、ここを歩く人がいるのかは分からない。すぐに南尾根にまた出てしまった。尾根に吸収されたその先はどうなっているのか。尾根を乗り越えることはあり得まい。急斜面になっている。あるいはここにも九十九折れの道が続いているのか。尾根を下るということも現実的ではない。わざわざ遠回りの労苦をさせるために造られた参拝道でもあるまい。斜面を下るにしても、今は下にダムがあって、対岸に復帰するのは困難。先のことはもういいか。それよりも、あの作業道を下ってみよう。引き返しのポイントは806m標高点。アンテナがあったが、ケーブルは切断され、ただの置物になってしまっている。
(ついに現れた八丁目の標石。ある意味、感動ものだ)

(古道らしき道型はしばらく続く)

作業道の道型はしっかりしている。道そのものはゆるやかでゆったりとカーブして下る。炭焼跡の石組みが残っている。下に、大きな石が木に寄り添っているのが見えた。もしかして、あれか。行ってみると、ここに「八丁目」の丁石があった。ということは、この作業道は古道の名残だろうか。しっかりした道型だから、いまだに作業道として使われているのかもしれない。「文久三亥年四月」「池田屋」だけは読み取れた(山部氏は「濱崎道新石町 池田屋長蔵」と記されているが)。
有越山になんか行ってなくてよかった。この一基にめぐり会えただけでもラッキーだ。しかし、こんなことでも欲はでるもの。もう一基あるはず。目を皿のようにして探しながら下る。なかった。上から転げ落ちた「十丁目」があるはずなのだ。しかし、ない。角張った石らしきものが落ち葉の中にあれば、落ち葉を払ったり、起こしてみたりするものの、やはり、八丁目だけだった。十丁目はまた下に転がり落ちたか?これでも十分に気は治まった。自己満足でいい。舟石新道の入口を見つけた時の感慨と同じだ。
(古道の終点は何とも、墓地)

庚申山中以外に、かじか荘近くにも丁石がいくつか残っているらしいが、道端にあるような丁石を見つけてもあまり意味があるとは思えない。ほとんどが喪失ということにして、執拗に追うのはやめにしておこう。これで十分。古道かどうか分からない道をそのまま下ってみると、神社の裏の上を通って、墓地に出た。墓地の探索をしても仕方がないが、いくつか古い石碑やら石仏が目に付いた。
(ここで神社に寄り道。改めて磐裂神社のカバゴン狛犬を)

(その2)

(神社の入口にあった千手像)

(切幹の神社)

(その裏には…。まとめて合祀か)

先日は近道をしようとして線路を歩き、工場のようなところに入って、かえって遠回りになってしまった。今日は車道をそのまま歩いて帰る。ちょっと寄り道をする。切幹橋の先にある神社が気になっていた。こういう時でないと車で素通りだ。何神社か知らないが、キツネがいたのでお稲荷様だろう。裏には水神様の碑や石像が集められていた。ここの尾根末端から巣神山には行ったことがない。課題にはしてあるが、見上げるとかなりきつそうだ。
南尾根の取り付き、巨大な庚申碑のあるところで、カップラーメンを食べる。犬の散歩をしているジイサンに「山かい?」と声をかけられた。いろいろと話を伺いたい気持ちもあったが、そういう方面に精通されている感じではない。陽が出て暖かくなってきた。車に戻ると、さっきの散歩中のテリア犬が、タイヤにおしっこを引っかけているところだった。ジイサンに詫びられた。まぁ、ご愛嬌にしておこう。自分の家の犬だって同じことをやっている。
(場所が変わって、こちらは通洞鉱山神社)

(そして狛犬)

(もう一方。いずれも、磐裂神社版に比べて恐さがない)

さて、ご愛嬌ついでにもう一つ、神社が残っている。どこで仕入れたネタか知らないが、K女に通洞神社の狛犬写真をせがまれていた。この狛犬はなかなかのご愛嬌物である。神社に行って久しぶりに拝見する。よく見ると、寛保三年の年代が刻まれていた。後で調べると、吉宗の頃の年代だ。いたく感心する。狛犬も、獅子形相のはあまり面白みもないが、こういった出来損ないのような狛犬は長く見ていても飽きない。彫り上げた石工もさぞひょうきんな方だったのではないか。
短時間ながら、意外にもおもしろい歩きができた。山奥の鉱山遺物の探索は、また別の機会にでもしてみよう。
(本日の歩き。ごちゃごちゃして何日かすると、すぐにどういうルートか忘れてしまいそうだ)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図メッシュ(標高)を使用した」(承認番号 平23情使、 第832号)
なるほど、ちょっと行ったとおっしゃってられたのはここだったのですね。八丁目が見つかって何よりです。852.8Pのちょい下ですが、2012年ベストの写真に入れた場所でして、とっても雰囲気が良い場所でした。カバゴンその2は「ニッ!」と笑ってるようです。いよいよスキーお出ましですね。自分には出来ない分、今後、楽しみにしております。それと懸案のやつも・・・。
自分にとって備前楯で心のこりと言えばこの山の尾根でしょうか。
ただどう考えてもちょっと寄る程度の場所となっているので放置状態でしたが。
今回歩かれた古道を含めて足尾のなにがしかへ行ったときにでも寄って見ることにします。
そうです。いまだに古道なのかどうかは知りませんが、852mPに合流する形になっています。尾根をちょっと北に向かえば、右下に…といったところでしょうか。
私のスキーなんざ、大したものではありませんよ。ゲレンデスキーに毛が一本生えた程度のものです。たまたまその気になっただけのことで、その気持ちが今時点で持続しているわけでもありません。スキー板の持ち出しだけで終わりだったりして。
有越山、ハイトスさんのお歩きスタイルでは、これだけで終わるのはどうかといった山ですよね。私も、そこから南尾根に入って備前楯に行きましたし。
古の残骸が放置され、雰囲気だけはなかなかいいものですよ。その一角だけは平地になっていて、残骸の一部も南尾根に入りこんでいます。
古道の探索、行かれることがありましたら、その先を見てらしてくださいな。昨日は斜面に雪も付いていたので、その気になれませんでした。
こんなに、色々な表情の豊かな狛犬があるとは、知りませんでした、怖い狛犬は分かるけど、この子は笑ってしまう。
なかなか春の気配がして来ませんね、先日、沖縄にクジラを見に行ってきましたが、桜は散って、ツツジが満開でした。クジラは潮吹き(ブロー)だけしか、見られませんでした。
「この子」とありますが、子供なのかは分かりませんよ。
そうですか、沖縄にクジラ見物でしたか。幅広くお歩きのようで。ツツジとは恐れ入ります。こちら蕾も出ていないツツジのヤブで顔をひっかいていましたよ。
あのカバゴン凄いですね、なんというか独創的な造形で。それと通洞鉱山神社の狛犬は宇宙人みたいで驚きです。今日、天善教で狛犬を見てきましたが、今回は完敗です。
私流の歩きでしたかね。クタクタワールドといった感じなのでしょうね。
狛犬も、火付けはななころびさんですよ。あれ以来、ななさんブログに狛犬の写真やらコメントがわんさと寄せられ、私も、遅ればせながらの参加なのです。
奥多摩の御前山周辺に、子連れ狛犬がいるらしいですね。見てみたいものです。
今回の土日は、飲み会やら仕事で、山はなしですよ。明日は仕事です。今夜も飲み会から帰ったばかりで、起きられるか不安です。仕事先も半端な距離じゃないものですから…。
ななさんは天善教なら、マニアック歩きでしょうか。
古道と聞いて思い出したのはやはり有名な熊野古道ですが、あちらこちらに有るんでしょうね。古道探しもまさか楽しみの1つとは知りませんでした。神社に付き物の狛犬も普段気にかけたことなど余りなかったですが、良く観察すると面白いことがあるんですね。結構笑えます。大体同じ顔をしているものだと思い込んでいましたから。
それにしてもたそがれオヤジさんの下調べって凄いですね。毎回関心してます。用意周到って正にこの事だと思いますが、山歩きされる方って皆さんそうなんでしょうか?
本当に頭が下がる思いで楽しんでいます。
古道といっても、熊野古道なんかに比べたら、規模も背景もちっぽけなものですよ。それに、古道だったのかどうかも疑心暗鬼のままです。距離もあっという間のことでしたし。
狛犬も、あの、どこでも見かける、いかつい獅子形相の狛犬には興味はありませんし、わざわざ、写真でアップしたりもしません。意外と、こんな狛犬もあるものですね。確かに笑っちゃいますよ。今度から、古い神社を通ったら、気遣って見るようにしてみます。もっとおもしろいのがあるかも。
下調べ、用意周到ですか、人それぞれでしょうね。関心の向け具合ではないでしょうか。私の場合は、時代かがったものに強い関心が向いてしまいますので、他人様の歩いた記録を見ては、気になって調べたり…といったところです。