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◎2010年12月4日(土)
<お堂(8:10)……二合目(8:18)……林道終点・取り付き(8:42)……王城山東山頂(9:09)……西山頂(9:15)……-吾嬬山林道(10:02)……高間山(10:25)……林道(10:46)……王城山(11:29)……駐車地(12:32)>
先週の山行で残してしまった岩櫃山に出かけた。ただ、自宅からでは遠方でもあり、岩櫃山だけでは何とももったいない。先に、王城山と高間山を済ますことにした。いずれも群馬百名山となっているし、それなりに期待もしている。ルートは昨年5月のハイトスさんルートを使用させていただいた。吾嬬山林道に車を置くという手もあるが、それでは、急ぎ足といった味気ない感じがする。しかし、後で考えると、その方が正解だったかも。
国道からの入り口に先ずは迷った。何回か往復した。林道のような道の先には、道路地図に記されていない、幅広の立派な道路が横切っていた。八ツ場ダム建設がらみの道路だろう。そういえば、高架橋が国道をまたいでいたなあ。ダム建設で何やかや言っても、結局はこういうことなのだろう。手頃な駐車地を探す。ハイトスさんらは墓地脇に置いたということだ。行ってみたが、ここではちょっと気がひける。霊園の駐車場ならともかく、道路は狭いし、広い所も、工事用車両が入ってくるような感じだ。王城山神社を探して、また戻る。気づかずに素通りした。かなり先に、神社らしき建物が見えた。てっきり、ここが王城山神社だと思ったが、どうも寺のようだ。古い墓碑が祀られたお堂。案内板があって、読んでみたがよく分からない。この地の開墾に関わった一族の寺のようでもある。お堂には人の気配がまったくないし、駐車禁止とも記されていないので、車はここに置く。出発。帽子をかぶったような丸岩が向かい側に見える。余裕があったら、岩櫃山に行く前に寄ってみようか。
(コンクリート道路は5合目まで続いていた)
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(この石板標識もここに運んできたのか)
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車道歩きとなった。神社を見つけた。ここに車を持って来ようかと思ったが、面倒なのでやめた。二合目。王城山方面への標示があり、右になっている。そのまま舗装道路を歩く。直進は山道だったが、別のところに行ってしまうのだろうか。例の墓地を通り、委縮にも似た気分で民家の脇を抜ける。掃除機の音がした。向こうの民家からはレトリバー犬がのそのそと出て来て、しきりに吠えてくる。民家が切れる。しかし、コンクリート道路はずっと続いている。一昨年に出来たばかりの押手沢砂防堰堤。こんなのを造って、この町も裕福だねえ、なんて、しばらくは、暢気に歩いていたが、どうも様子がおかしい。道を間違えたかなと思った。標示板の指示通りに歩いている。舗装道路の傍らに「四合目紫峯」の石板も見た。尾根に登るらしき踏み跡もあるが、続きがない。
(王城山)
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この舗装道路、一般車の通行はできないが、明らかに車向けの道路になっている。急過ぎで、休み休み歩いた。何度も、もうやめて、さっさと丸岩と岩櫃に行こうかなとまで考えた。足も痛くなった。先日、足の親指の爪が、両方ともに剥がれてしまった。中の未熟爪はまだ半分しか芽を出していない。ゴム長では不安定で違和感もあるだろうと、登山靴にしてしまった。元々合わない靴だ。指先と外側のくるぶしがすこぶる痛い。左手にピークを2つ持つ王城山が見える。楽な感じはするのだが。
(整備されたコース)
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短時間ながら、しこたま疲れて舗装道の終点に着いた。工事用の車が2台。傍らに作業関係者らしき方が3人、打ち合わせをしている。看板があった。読んでみた。「探勝路工事中」「八ツ場ダム水源地域対策事務所」「群馬県」「長野原町長某」の字が読めた。ようやく山道に入れたうれしさがあったが、さして長続きはしない。登山道が整備され過ぎている。自然な踏み跡の延長ではなく、人工的に幅を1.5m近くに設定した歩道になっている。真新しい階段には、木材チップを敷き詰めている。そして、延々と手すり代わりのロープ。何にも増して不思議に思ったのは、歩道の傍らにレール状の異物が続いていることだ。これが何なのかはすぐに分かった。エンジン音が聞こえ、振り向くと、さっきの3人が、工事用モノレールに乗って上がって来た。そういうことだったのか。そして、信号待ちをするかのように追い越された。
分岐があった。カーブのところで、直進は「高間山」と記されていた。王城山にはうんざりし、このまま直進しようかと思いもしたが、地形図にはそんなルートもない。初めての山でもあるし、どこに出るかも分からないので、道型に合わせて行くしかない。東西ピークの分岐に出た。下からのモノレールはここに止めたままになってはいるが、左側、西ピークに向かうルートには、ずっとレールが続いていた。取りあえず、東側ピーク・古城に向かう。3人が作業をしている。岩場にクサリを付設していた。「ご苦労さまです」と挨拶しながら脇を通って行ったが、右はロープ、左はクサリで、どんな「探勝路」になるのであろう。こことて、確かに岩場ではあっても、何ら危険箇所ではない。信じがたい光景だ。
(東の山頂。ボロボロの日の丸があった。山名標示は真新しい)
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(浅間山。手前が菅峰)
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古城の展望は良かった。なだらかに長い尾根を持つ菅峰の後ろには、浅間山。西は雪をかぶった草津の山々。先週は雪がなかった。機会があったら、菅峰も歩いてみたいなと思ってしまった。町ではこの景色を売り物のしたいのだろうか。八ツ場ダム見物に訪れる方々向けに、隣町の吾妻渓谷のような目玉にしたいのだろう。でもなあ、今日のような、青空で、浅間山が雪をたたえて真っ白になっている最良の景色日和に、自分以外のだれも歩いていないといった現実は、どうとらえるのだろうね。クサリも腐りとなるか。
(工事中の東屋)
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西のピークに向かう。下って登るだけ。鞍部に作業小屋があることは知っていたが、その隣に、何とも立派な東屋が白砂利を敷き詰めた状態で半分出来上がっていた。足を踏み入れてみたら、砂利の厚みは10cm以上だった。作業用モノレールのレールはここまで来ていた。工事が終われば、モノレール軌道も撤去するのであろうが、次は、コンクリ道路の終点である5合目に広い駐車場でも計画しているのではないだろう。探勝路に客を呼ぶにしても、あの道路を歩かせるには、あまりにも急過ぎるといった配慮か。地元・太田の金山に行くのに、下から車道を延々と歩くようなものだ。あそことて、山道は別に付けられている。
(西のピーク)
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西のピークには石祠が1基。おそらく、王城山神社の奥の院であろう。傍らに「王城山」銘焼印入りの丸い木片が、小300円、大500円で売っていた。勝手に取って、代金は箱に入れてくれといったシステム。正直率はどの程度だろう。
王城山にうんざりし、新たな期待を持って、高間山に向かう。さすが、ここからは裏の世界。整備の対象外だろう。このルート、尾根の西端を歩けば何も問題はない。赤テープやリボンもある。踏み跡は残念ながらしっかりしてはいない。まして、落ち葉が道型を隠している。歩く人もあまりいないのだろう。紛らわしいのは、派生尾根の2~3か所。しばらくは、高間山も先に臨めるから、方向は取りやすい。アップダウンはきつい。高間山が王城山よりも標高が220m高いから、じわりじわりの上り調子になっている。概ね、尾根の左右ともに、急斜面になっているから、今日あたりは、飛んで来てたまった雪と落ち葉で滑りやすいところだ。のんびりとした尾根歩きとはちょっと言い難いところがある。
(吾嬬山林道)
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(ササヤブが山頂まで続く)
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(高間山山頂)
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伐採地からの高間山の展望は好みな風景。よくネットでも見かける光景だ。しばらく行って、後ろを振り向くと、白くなった浅間山もきれいだ。道型が幅広で鮮明になり、林道に合流。舗装された立派な2車線幅の林道。林道・吾嬬山線というらしい。地形図では、このちょい先で終わりになってはいるが、ネット情報では、ずっと続いているようだ。さて、ここから、標示にしたがって、高間山に向かう。腰高のササのヤブがずっと続く。ここも、あまり歩かれていないようだが、ササ下の道はしっかりとしている。同じ風景が続く。次第に急になる。林道から20分ほどで高間山山頂。ここは展望があまり良くない。ようやくタバコを1本吸い、アミノバイタルを含んで下る。この山が群馬百名山なら、何で、角間山がその格下なんだろう。
(伐採地から浅間山)
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帰路は、結局、同じ道を王城山に向かった。王城山の上りで見かけた、高間山への分岐がずっと気になっていた。王城山に至らずにストレートに迂回して行きたい。だが、目印らしきものもなく、踏み跡らしいのがあった尾根を分けて行ってみた。ダメ。踏み跡は消えたし、方向が違っている。これを2回試してみた。ただ、あの分岐が、王城山の真下で合流だとしたら、あまり意味のないショートカットだ。結局、王城山に戻ってしまった。
(軌道を越える)
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こんな時間なのに、相変わらず、人の姿を見かけない。今度は古城ピークをショートカットする。真新しいクサリが付いていた。そして、右手にロープ。こうなったら、もはや、自己責任ではなくなってしまうね。また、モノレールが2人乗せて上がって来た。
あの舗装道路を下るのが嫌で、5合目から、尾根に入ってみた。地形図では尾根下りが本来のルートのようだ。石祠があった。後ろを見ると、「文正文十●」と刻まれていた。「文政」の間違いではないのかと思ったが、家に戻って調べると「文正」は2年までで、10年はない。まして、文正年間は応仁の乱があった頃だ。あまりにも古すぎる。素人が、「文政」の誤りと指摘するようなことでもないだろう。その先を進むと、尾根はヤセ尾根になり、ついに、その先が急斜面になってしまった。これでは下れない。それでいて、テープだけはやたらと付いている。作業用のものだろうか。結局、元に戻ってコンクリ道路を下る。
(駐車地のお堂)
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合目標示の石板は、1合目を除いてすべて確認した。コンクリ道路の側にあったということは、移動したのであろうか。古来の道を壊してまでも探索路を造るものなのだろうか。古来の道がどのようなものなのか、初めて来た自分にはうかがい知ることができなかった。王城山は、所詮、自分には一見の山でしかないのだが、以前の登山道の雰囲気を知っていたとしたら、もっといたたまれない感じになったであろう。お堂に到着。4時間少々のコースタイムだったが、足がすっかり痛くて、丸岩どころではなくなってしまった。
岩櫃山に向かう。今回は、城址めぐりを兼ねて、一本松の駐車場から歩く予定だが、足の痛みはそのままで、空身で普通の靴で歩くつもりでいる。ところが、ここでまた障害。道路工事で、駐車場に向かう道路は通行止め。勝手知らずゆえ、迂回路探しもままならない。ぐるぐる回って、先日と同じような案配。とうとうやめにした。よほど、岩櫃山とは縁がないようだ。先週から読み始めた『真田太平記』、まだ1巻の半分しか読んでなく、ようやく、岩櫃城が舞台になったばかりの部分だ。読み切るまでに行かれるだろうか。それ以前に、読み切れるかがまず問題だ。このまま帰るのも何だから、岩櫃城温泉に寄って、茶を濁して帰ることにする。くるぶしにキズができ、湯が浸みてえらく痛かった。
<お堂(8:10)……二合目(8:18)……林道終点・取り付き(8:42)……王城山東山頂(9:09)……西山頂(9:15)……-吾嬬山林道(10:02)……高間山(10:25)……林道(10:46)……王城山(11:29)……駐車地(12:32)>
先週の山行で残してしまった岩櫃山に出かけた。ただ、自宅からでは遠方でもあり、岩櫃山だけでは何とももったいない。先に、王城山と高間山を済ますことにした。いずれも群馬百名山となっているし、それなりに期待もしている。ルートは昨年5月のハイトスさんルートを使用させていただいた。吾嬬山林道に車を置くという手もあるが、それでは、急ぎ足といった味気ない感じがする。しかし、後で考えると、その方が正解だったかも。
国道からの入り口に先ずは迷った。何回か往復した。林道のような道の先には、道路地図に記されていない、幅広の立派な道路が横切っていた。八ツ場ダム建設がらみの道路だろう。そういえば、高架橋が国道をまたいでいたなあ。ダム建設で何やかや言っても、結局はこういうことなのだろう。手頃な駐車地を探す。ハイトスさんらは墓地脇に置いたということだ。行ってみたが、ここではちょっと気がひける。霊園の駐車場ならともかく、道路は狭いし、広い所も、工事用車両が入ってくるような感じだ。王城山神社を探して、また戻る。気づかずに素通りした。かなり先に、神社らしき建物が見えた。てっきり、ここが王城山神社だと思ったが、どうも寺のようだ。古い墓碑が祀られたお堂。案内板があって、読んでみたがよく分からない。この地の開墾に関わった一族の寺のようでもある。お堂には人の気配がまったくないし、駐車禁止とも記されていないので、車はここに置く。出発。帽子をかぶったような丸岩が向かい側に見える。余裕があったら、岩櫃山に行く前に寄ってみようか。
(コンクリート道路は5合目まで続いていた)
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(この石板標識もここに運んできたのか)
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車道歩きとなった。神社を見つけた。ここに車を持って来ようかと思ったが、面倒なのでやめた。二合目。王城山方面への標示があり、右になっている。そのまま舗装道路を歩く。直進は山道だったが、別のところに行ってしまうのだろうか。例の墓地を通り、委縮にも似た気分で民家の脇を抜ける。掃除機の音がした。向こうの民家からはレトリバー犬がのそのそと出て来て、しきりに吠えてくる。民家が切れる。しかし、コンクリート道路はずっと続いている。一昨年に出来たばかりの押手沢砂防堰堤。こんなのを造って、この町も裕福だねえ、なんて、しばらくは、暢気に歩いていたが、どうも様子がおかしい。道を間違えたかなと思った。標示板の指示通りに歩いている。舗装道路の傍らに「四合目紫峯」の石板も見た。尾根に登るらしき踏み跡もあるが、続きがない。
(王城山)
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この舗装道路、一般車の通行はできないが、明らかに車向けの道路になっている。急過ぎで、休み休み歩いた。何度も、もうやめて、さっさと丸岩と岩櫃に行こうかなとまで考えた。足も痛くなった。先日、足の親指の爪が、両方ともに剥がれてしまった。中の未熟爪はまだ半分しか芽を出していない。ゴム長では不安定で違和感もあるだろうと、登山靴にしてしまった。元々合わない靴だ。指先と外側のくるぶしがすこぶる痛い。左手にピークを2つ持つ王城山が見える。楽な感じはするのだが。
(整備されたコース)
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短時間ながら、しこたま疲れて舗装道の終点に着いた。工事用の車が2台。傍らに作業関係者らしき方が3人、打ち合わせをしている。看板があった。読んでみた。「探勝路工事中」「八ツ場ダム水源地域対策事務所」「群馬県」「長野原町長某」の字が読めた。ようやく山道に入れたうれしさがあったが、さして長続きはしない。登山道が整備され過ぎている。自然な踏み跡の延長ではなく、人工的に幅を1.5m近くに設定した歩道になっている。真新しい階段には、木材チップを敷き詰めている。そして、延々と手すり代わりのロープ。何にも増して不思議に思ったのは、歩道の傍らにレール状の異物が続いていることだ。これが何なのかはすぐに分かった。エンジン音が聞こえ、振り向くと、さっきの3人が、工事用モノレールに乗って上がって来た。そういうことだったのか。そして、信号待ちをするかのように追い越された。
分岐があった。カーブのところで、直進は「高間山」と記されていた。王城山にはうんざりし、このまま直進しようかと思いもしたが、地形図にはそんなルートもない。初めての山でもあるし、どこに出るかも分からないので、道型に合わせて行くしかない。東西ピークの分岐に出た。下からのモノレールはここに止めたままになってはいるが、左側、西ピークに向かうルートには、ずっとレールが続いていた。取りあえず、東側ピーク・古城に向かう。3人が作業をしている。岩場にクサリを付設していた。「ご苦労さまです」と挨拶しながら脇を通って行ったが、右はロープ、左はクサリで、どんな「探勝路」になるのであろう。こことて、確かに岩場ではあっても、何ら危険箇所ではない。信じがたい光景だ。
(東の山頂。ボロボロの日の丸があった。山名標示は真新しい)
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(浅間山。手前が菅峰)
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古城の展望は良かった。なだらかに長い尾根を持つ菅峰の後ろには、浅間山。西は雪をかぶった草津の山々。先週は雪がなかった。機会があったら、菅峰も歩いてみたいなと思ってしまった。町ではこの景色を売り物のしたいのだろうか。八ツ場ダム見物に訪れる方々向けに、隣町の吾妻渓谷のような目玉にしたいのだろう。でもなあ、今日のような、青空で、浅間山が雪をたたえて真っ白になっている最良の景色日和に、自分以外のだれも歩いていないといった現実は、どうとらえるのだろうね。クサリも腐りとなるか。
(工事中の東屋)
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西のピークに向かう。下って登るだけ。鞍部に作業小屋があることは知っていたが、その隣に、何とも立派な東屋が白砂利を敷き詰めた状態で半分出来上がっていた。足を踏み入れてみたら、砂利の厚みは10cm以上だった。作業用モノレールのレールはここまで来ていた。工事が終われば、モノレール軌道も撤去するのであろうが、次は、コンクリ道路の終点である5合目に広い駐車場でも計画しているのではないだろう。探勝路に客を呼ぶにしても、あの道路を歩かせるには、あまりにも急過ぎるといった配慮か。地元・太田の金山に行くのに、下から車道を延々と歩くようなものだ。あそことて、山道は別に付けられている。
(西のピーク)
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西のピークには石祠が1基。おそらく、王城山神社の奥の院であろう。傍らに「王城山」銘焼印入りの丸い木片が、小300円、大500円で売っていた。勝手に取って、代金は箱に入れてくれといったシステム。正直率はどの程度だろう。
王城山にうんざりし、新たな期待を持って、高間山に向かう。さすが、ここからは裏の世界。整備の対象外だろう。このルート、尾根の西端を歩けば何も問題はない。赤テープやリボンもある。踏み跡は残念ながらしっかりしてはいない。まして、落ち葉が道型を隠している。歩く人もあまりいないのだろう。紛らわしいのは、派生尾根の2~3か所。しばらくは、高間山も先に臨めるから、方向は取りやすい。アップダウンはきつい。高間山が王城山よりも標高が220m高いから、じわりじわりの上り調子になっている。概ね、尾根の左右ともに、急斜面になっているから、今日あたりは、飛んで来てたまった雪と落ち葉で滑りやすいところだ。のんびりとした尾根歩きとはちょっと言い難いところがある。
(吾嬬山林道)
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伐採地からの高間山の展望は好みな風景。よくネットでも見かける光景だ。しばらく行って、後ろを振り向くと、白くなった浅間山もきれいだ。道型が幅広で鮮明になり、林道に合流。舗装された立派な2車線幅の林道。林道・吾嬬山線というらしい。地形図では、このちょい先で終わりになってはいるが、ネット情報では、ずっと続いているようだ。さて、ここから、標示にしたがって、高間山に向かう。腰高のササのヤブがずっと続く。ここも、あまり歩かれていないようだが、ササ下の道はしっかりとしている。同じ風景が続く。次第に急になる。林道から20分ほどで高間山山頂。ここは展望があまり良くない。ようやくタバコを1本吸い、アミノバイタルを含んで下る。この山が群馬百名山なら、何で、角間山がその格下なんだろう。
(伐採地から浅間山)
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あの舗装道路を下るのが嫌で、5合目から、尾根に入ってみた。地形図では尾根下りが本来のルートのようだ。石祠があった。後ろを見ると、「文正文十●」と刻まれていた。「文政」の間違いではないのかと思ったが、家に戻って調べると「文正」は2年までで、10年はない。まして、文正年間は応仁の乱があった頃だ。あまりにも古すぎる。素人が、「文政」の誤りと指摘するようなことでもないだろう。その先を進むと、尾根はヤセ尾根になり、ついに、その先が急斜面になってしまった。これでは下れない。それでいて、テープだけはやたらと付いている。作業用のものだろうか。結局、元に戻ってコンクリ道路を下る。
(駐車地のお堂)
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岩櫃山に向かう。今回は、城址めぐりを兼ねて、一本松の駐車場から歩く予定だが、足の痛みはそのままで、空身で普通の靴で歩くつもりでいる。ところが、ここでまた障害。道路工事で、駐車場に向かう道路は通行止め。勝手知らずゆえ、迂回路探しもままならない。ぐるぐる回って、先日と同じような案配。とうとうやめにした。よほど、岩櫃山とは縁がないようだ。先週から読み始めた『真田太平記』、まだ1巻の半分しか読んでなく、ようやく、岩櫃城が舞台になったばかりの部分だ。読み切るまでに行かれるだろうか。それ以前に、読み切れるかがまず問題だ。このまま帰るのも何だから、岩櫃城温泉に寄って、茶を濁して帰ることにする。くるぶしにキズができ、湯が浸みてえらく痛かった。
あれから2年、記憶も薄れかけておりましたので、改めて、記事を読み直しいたしました。
そうですか。自然探勝路という名の自然破壊が進んでおりますか。やはり、八ツ場ダム観光客目当てのハイキングコースにするわけなのでしょうかね。何とも、おぞましいというか、行政のいやらしさです。
あの直進ルートは崖道ですか。よく歩かれましたね。私なら戻ります。それにしても、そのまま看板ありですか。そういったところには、行政も目が向かないのでしょうかね。
私も、両山ともに、一年前は知らない存在の山でした。栃木の山歩きが多いものですから、県内の山に目を向けるようになってから知った次第です。でも、どちらかというと、栃木の山が好みですね。
ぶなじろうさんは相当に真田ファンのようですね。「古今沼田記」なんて知りませんが、読み物というよりも資料じゃないですか?
王城山も高間山も、全くはじめて聞く山です。写真からは、たそがれオヤジさんのナゲキとは異なり、すばらしくいい山に見えてしまうのです。好みの風景です。
岩櫃城へは、今回も足痛で行けなかったのは残念でした。2週連続は、さらに痛いですね。
私も岩櫃城へ行く際は、ここいらの山へ登って見たいものだと思いました。
ところで、「古今沼田記」によると、岩櫃城が真田氏に属したのは意外と遅く昌幸の代からのようです。その時の城取りは、「本当かよ」と思わせるような話でした。
長くならないうちに、ここらでやめときます。
仙人ヶ岳ですか。あそこも眺望の山ですね。雪をかぶった袈裟丸山の姿が印象に残っています。1月なのに、かなりの人が来ていて、見える山々の名前を説明してやった思い出があります。
栃木にしろ群馬にしろ、どういった観点から百名山設定をしているのですかね。主催は地元の新聞社だと思うのですけど。なまじ、基準に据えるものでもありませんね。
岩櫃山ですけど、あの山、周囲の山と違って、間近に行かないと姿が見えませんね。あれが魅力のような気もします。私は、行ったとしても、おそらくは山頂には登らないでしょう。低山であっても、不安定な高所から下を覗くのは、私も遠慮したいところです。
ハイトスさんが、どなたかのブログにコメントを入れられたのを拝見しましたけど、あっちの方面も、今度行くとしたら、丸岩、菅峰そして高ジョッキになるでしょう。
王城山、高間山と里山へ行かれたのですね。
しかし舗装道がそんなに延びて、しかもその後も遊歩道の様に整備されているなんて驚きです。
しょうがないような、残念なような。
高間山は吾嬬山林道からだとあっという間に登れてしまうこれと言って特徴の無い山で、何故ぐんま百名山なの?という疑問は確かに同感です。
王城山は地元の人に愛されている山だと実感は出来たので納得ですが。
ちなみに私の場合の何故この山が選ばれなくて・・の筆頭は仙人ヶ岳ですが。
真田太平記を読み始めたのですか。
末裔の分家にはバカ殿も出てしまったようですが信幸は名君の誉れ高い人物で・・・なんて書いているとまたぶなじろうさんから反応が有りそうですね。
岩櫃山の頂上は高度感タップリで、私はどちらかと言うと遠慮したい様な苦手な場所でした。
高いところが好きな人にはたまらないかもしれませんが。
そう言った意味では面白い山で他のルートからも登ってみたい山の一つです。