たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

行き直しの角間山はオレ的にはいい山だったけど。

2010年11月28日 | 近所じゃない群馬県の山
◎2010年11月27日(土)

 3月のおめでた山行でドジを踏んで行きそこねた角間山に行き直しをかけた。群馬100名山に名を連ねていないし、周辺からは存在感の高い山と認められてもいないのだろうが、不発のままではどうにも気になってしまう。年内にけりを付けるつもりでもいた。自宅からだと上信越道経由の方が早いのだが、特別な意図もなく渋川から長野原経由で行ったら、えらく時間がかってしまった。歩き出しも8時15分と遅くなった。百体観音の98番十一面観音から入る。3月の時もここから入った。違いは雪の有無。下の100番から入れば、20~30分ほど早いようだ。そのコースは下りで使うとしよう。地面に霜がおりていたので、ゴム長歩きにした。ここのところ、このスタイルが続いている。基本的に、自分の足と山靴との相性が悪いのだ。足の左右の親指のツメが二重になっていて、外側が剥がれかかっている。中の爪は未熟状態で、押し上げてくれるのを気長に待つしかない。山靴を履けば、すぐに外側が剥がれるだろう。こんな脱皮に似た症状を年に2回は繰り返す。爪はいつも内出血で黒くなっている。山靴を替えてもどうにもならない。だから、ゴム長か地下足袋につい目が向いてしまうわけだ。

(角間山)


 のっけから道を間違えた。正面に上がる踏み跡があり、左に行くよりも早いんじゃないかと安易に考え、入ってみた。これが急登り。ショートカットなら多少の犠牲もあるだろう。やむをえないと思ってはいたが、先にあったのはアンテナ施設。踏み跡の続きがない。ヤブこぎをするわけにもいかず、すごすごと戻る。これで、体力と20分のロス。気力も少々失せた。仕切り直しか。このハイキングコースは、林道(というよりも明らかに現役の工事用道路だね)との合流を主目的にしているかのように、大きく迂回している。そのためか、割になだらかともいえる。予定にしていて、結局は下りでも使うことはなかったが、100番観音からだとちょっときついかもしれない。勝手な想像だ。

 この時期、だれも歩いていない。確かにマイナーな山だ。霜の上を歩く。ザクザク音がする。正面に湯ノ.丸山。また、あれが角間山だと錯覚してしまった。どんな意識構造からそうなるのだろうか、自分のことながら不思議で仕方がない。「駐車場から見えていた右のピークが角間山」。言い聞かせておかないと、間違いを繰り返してしまう。やはり、最初の東屋で、湯ノ丸山方面に足を踏み入れてしまった。本当にバカだねぇ。

(気持ちの良い登り)

(霧氷か?)


 次の東屋を過ぎ、ササの間のしっかりした幅広の道になった。気持ちのいい歩きが続く。3月の雪では気づかなかった道だ。やがて、100番観音からの道に合流。ここからも、今のところはだれも歩いていない。9時13分、角間峠。3月の時には、雪のトレースが直登になっていて、かなりきつそうに見えていたが、ハイキングルートは至って楽。つづら折りの山道でも直登でもない。距離の長いスイッチバックになっている。木道も置かれているが、これは修復もせずに役に立たない状態。春にツツジがきれいなのはこの辺りだろうか。ここの歩きも気分がいい。木に氷がつき、光を受けてキラキラしている。そして、一面、ササの原。湯ノ丸山の右手に烏帽子岳。ここも、行きそびれた山だ。上は青空。微風。気温0℃。この雰囲気は最高だ。

(北アルプス)

(角間山山頂)

(湯ノ丸山と烏帽子岳)

(鍋蓋山)


 北アルプスの山々が白く連なっているのが見えた。ちょっとした薄暗い樹林を通って山頂。9時35分。峠からさして時間はかからなかったけど、心地よい歩きをもっと楽しみたかった。2時間でも3時間でも。北正面に四阿山と草津白根。意外に、雪をかぶっていないのには驚いた。車で来る途中、浅間山が雪で真っ白になって白煙を上げていたが、ここからは見えない。御大の姿を見たかった。北アルプスの眺望は見事だ。山の一つ一つが分かれば、もっと楽しめただろう。登ったことのある山ですら特定できない。当初、鍋蓋山まで足延ばしの計画でいたが、ここから見おろす鍋蓋山は凡な山にしか見えない。疲れるだけだからやめておこう。しばらく景色を楽しんだ。

(桟敷山。右が小桟敷山)


 いい気分で下山する。時間もある。峠の東屋で、引き続きどこに行くか、地図を広げて検討しよう。湯ノ丸山だけは行かないつもりだ。東屋付近に人の姿が見える。声も聞こえてくる。人が増えている。休んでいる。15人ほどのGB連のグループだった。平均年齢は確実に70代ではなかろうか。ピッケル、アイゼンこそないが、ガチガチの冬山スタイルだ。登山用品店の高価なお薦めセットだろう。こちらは、ゴム長。そして、ベイシアで買った作業ズボンとサティ特売のジャンパーに防水スプレーを散らしただけの代物。つまり、畑仕事スタイル。じろじろ見られ、何とも気恥ずかしい限り。立ち止まりもせずに、さっさと下り、次の東屋で昭文社マップを広げる。この先を下り、県道を横切れば、桟敷山という山に行ける。ここに行って見ようか。桟敷山はあれか。何だか鍋蓋山みたいな、そこらの山のような風情だが、御大を臨めるかもしれない。それだけを期待している。桟敷山は大小あるが、大は小を兼ねるで大にしておこう。

 駐車場からのルートの合流点から、工事用道路をそのまま下る。やがて県道に出た。89番十一面観音があった。10時46分。角間山歩きは2時間半で終わった。休業中のソバ屋の上の方に駐車場があった。新潟ナンバーの車が1台。今、歩いている最中だろうか。長野ナンバーならともかく、新潟からではちと遠かろう。駐車場に標識があった。ここから歩く。急ではないが、さすが2本目ともなるとかなりきつく感じる。上から老夫婦らしき2人連れが下りてきた。あの車の所有者か。ダンナさんは大きなカメラを持っていた。景色に期待できるのだろうか。

(桟敷山山頂)

(浅間山の一角)


 ところで、この山、意外や意外。外面は暗いイメージだが、明るい灌木帯の中を歩くコースになっている。道も、角間山と同様に、スイッチバックで結構楽しめる。同じような風景が続くが、これは致し方ない。展望台との分岐に出た。先ずは山頂。11時38分着。予定通り、1時間もかからなかった。展望は、木がじゃまになって、北側だけがすっきりしている。残念ながら、御大の姿はちらっとしか見えなかった。変な表現だが、位置的に、角間山が湯ノ丸山の勢力圏とすれば、桟敷山は篭ノ登山の配下といったところだろうか。登り始めから山頂まで、この山の姿にずっと付き合わされる。御大の姿も、これが邪魔をしてくれた。山頂には石祠と慰霊碑。ここで遭難した方がいるのかなと思って碑を読むとそうではないらしい。丹沢で亡くなっている。何でここにといった疑問が残る。昭和53年だったかの中央大学の学生のようで、年代時には自分と同じか。桟敷山が好きだったとか?

(展望台)


 山頂は北に面しているため、薄暗く、慰霊碑もあってか落ち着かなく、さっさと展望台に向かう。後になってから気づいたが、三角点は近くの別ピークにあったようだ。確認すべきだったな。展望台は大岩になっていて、その下は切れている。こういうところは苦手で、覗き込みはしなかった。ここからも御大は見えない。湯ノ丸スキー場は降雪機でゲレンデをつくったようだ。滑っているのが見える。ここで昼食にする。12時だ。桟敷山の名称の由来をずっと考えていた。この展望岩が桟敷席のようだからということだろうか。ただ、途中の標示には、「桟敷」「サジキ」の両方があった。「桟敷」を当て字にしたとしたら、由来は皆目分からなくなる。

(百観音)


 あっという間に下り着いた。空身の2人連れが上がって行く。どこまで行くつもりか。普通の靴だ。百体観音を見ながら駐車場に下る。群馬県側は80番から100番の観音が置かれているようで、先に行くと90番の聖観音があった。1町毎に置かれているということだったが、50mも離れずに接しているものもある。道路建設で移動となったのだろう。12時30分、駐車場着。ここからはしっかりと角間山が見える。あの山の姿を記憶して行けば、普通の感覚の持ち主なら湯ノ丸山に行くこともないだろうが。ゴム長履きの特性で、靴下はべったりとしていた。

(岩櫃山)


 遠くまで来ると、損得感情も出て来る。帰りがけに岩櫃山に寄ってみようか。行ったことはない。無理なら岩櫃城址だけでもいい。おそらくここから40kmはあるだろう。40分後、原駅のちょい先を左折。岩櫃山登山口の標示にしたがって、また左折。道がどんどん細くなる。適当な駐車地もない。そのうちに、標示は「密岩」になってしまった。そして、右手に岩櫃山の姿を目にした。短時間で歩ける標高800mの山とはいえ、あのギザギザ山は、高所恐怖症の自分には無理だろう。今回は止めにしよう。坂になっている細い路地で車を何度も切り替えししていたら、後輪が溝にはまってしまった。幸い、脱出に手間取ることはなかったけど、歩く際は原駅の駐車場に駐めるべきだろうか。城址くらいは行ってみたかったが、何せ道が狭くて城址標示がない。さらに民家も続く。城址の駐車場は広いらしい。そこからも登れることも知ってはいたが、5時半に床屋を予約してもいたし、探しまわるほどの気持ちの余裕がない。あっさり帰ることにする。岩櫃城温泉に寄る時間もない半端な状態。結局、用もないのにベイシア電器に立ち寄って帰路に着く。

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12 コメント

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Unknown (ぶなじろう)
2010-11-28 22:12:24
今晩は。
今回は、たそがれオヤジさんらしい、早期解決山行でしたね。私は、グズでなかなか行動に移せないタチです。
写真から、さわやかな様子が伝わってきました。
たそがれオヤジさんも足の指で悩んでいらっしゃったのですね。長靴、地下足袋なら負担が少ないのですか?雪道は足が冷えそうです。
GBって年齢の事ですか?とりあえず、ヒマラヤに行くような姿を見ると、何かマイナス的な感覚をおぼえてしまいますよ。
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ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2010-11-29 05:46:44
おはようございます。
そう。確かに「さわやかな」雰囲気の中の歩きで良かったです。雪山でもこういうのならいいですね。
ぶなじろうさんのブログに、靴のことが書かれてあったので、私もそれを意識して書いた次第ですが、長靴も地下足袋も気休めにしか過ぎませんね。足に合わなきゃ、何でも同じですよ。雪道では、無理ですね。たまに、鋲付きゴム長を履くことはありますけど。
GBとは私が勝手に作った言葉です。あまりよろしくないニュアンスですかね。
ところで、ぶなじろうさんは岩櫃山には行かれたことはあるのでしょうか。真田ファンですから行かれてますよね。
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Unknown (ぶなじろう)
2010-11-29 22:32:02
またまた、おじゃまします。
岩櫃城に食いつかず、すいません。実の所、いきなり食いついて、長々と文章を書いてしまったのですが、考えてみれば人様のサイト。全部消しましたです。
岩櫃城には、行っていません。何度か立ち寄る機会があったのですが、いかんせんここいらから自宅まで遠すぎて、帰りの時間が気になり素通りする事、数回です。
今回の記事を見て、岩櫃城を思い出しましたよ。いつかは行かねばなるまいと思っております。
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ブナじろうさん (たそがれオヤジ)
2010-11-30 05:43:33
正直申すと、岩櫃山と城址のコメントをいただきたかったところです。今度はついでではなく、目的に据えて行ってまいります。ただ、そこだけだと、乗車時間の方が多くなりますから、他の山をついでにすることになるでしょう。
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Unknown (風花爺さん)
2010-11-30 07:06:20
偶然ですが、私も雪の時期「角間山」を目指し、一人ラッセルで「角間峠」までしか行けず、帰りに「岩櫃山」に上りました。
車で同じ道を上ったところに、水道施設らしいのがあって、その脇のスペースに駐車できました。
標識は「密岩コース」になっていました。
ショートコースですがなかなか油断できないですね。
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風花爺さんさん (たそがれオヤジ)
2010-11-30 08:48:21
おはようございます。
ブログを拝見しても、何だが、趣向が似たところがありますね。うれしい限りですよ。
角間山のラッセルですか。2月頃のお話でしょうか。その後、行き直しはされました?まだでしたら、冠雪前にぜひいらしてください。
岩櫃山に関しては、私がユーターンした先に蜜岩コースの入口があるだろうなとは思っておりましたが、その前に見上げた山容に圧倒され、
ちょっとこちらからは危なさそうで入れないなといった気持ちが強くて、下調べを十分にしてから改めて来ることにした次第です。
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岩櫃城 (ハイトス)
2010-11-30 12:54:16
岩櫃城址の事で盛り上がっているので一言だけ。
城址はきちんと整備され、丁寧な説明版もあります。
我々は当然岩櫃山に登るのが主目的であり、途中に立ち寄ったのですが、明らかに城趾見学を目的とした人も居ました。
真田ファンなら是非行きたい場所なのでしょうかね。
池波正太郎の真田太平記(全18巻)の第1巻目の題が「岩櫃の城」ですね。

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Unknown (風花爺さん)
2010-11-30 16:55:25
私が「角間山」に向かったのは年をまたぎ、2度とも4月上旬でした。
そして2度とも単独ラッセルでバテて角間峠でギブアップしてしまいました。
この時期には登山者は入らないようです。
スノーシューを使えば良いのでしょうが。
雪があらかた消えた4月の下旬、3度目にして「角間山」の頂上に立ちました。
昨年のことです。
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岩櫃城-2- (ぶなじろう)
2010-11-30 22:23:48
たそがれオヤジさん、そしてハイトスさん、しつこくすいませんです。

真田太平記は夢中で読みましたです。その後、テレビ化され、仕事もそっちのけで見ました。真田昌幸の顔は完全に丹波哲郎の顔として摺りこまれております。
井上靖の「真田軍記」と言う小説が新潮文庫にあります。この第一編が岩櫃城からみで、大変面白かったです。古記録を題材に大幅脚色されているものとおもわれますが、史実との関連を想像してしまうのです。
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ハイとすさん (たそがれオヤジ)
2010-11-30 22:53:10
こんばんは。
別に私は真田ファンでもなんでもないのですけど、群馬の西部は真田一色のようですし、吾妻耶山で、真田のバカ殿の功績を知って以来、少々、気になりはじめた段階といったところでしょうか。
池波正太郎ですか。読書を趣味にもする私にも、全18巻はきついところですね。読み切るまでの間に、他の本を10冊は同時読みしてしまいそうです。「岩櫃の城」の部だけ読んでから、行って来ましょうか。
でも、真田を熟知してからでないと行けない山ではないですよね。
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