川原の道側の土手でタケニグサが実をつけています。
見事ですね。
タケニグサのいろいろな顔についてMさんが27年も前に書いてくれた文章です。
タケニグサを見るたびに思い出してきた文章でもあります。
タケニグサの四季 Y・Mさん (「くるくるしんぶん」410号1987.12から)
私がタケニグサという名を初めて知ったのは柳田國男の『野草雑記』であった。勿論それがどんな植物なのか知りもしなかったが、山中を郷里としながら「大都会の周辺に安住の地、第二の故郷を念がけている点は、寧ろ著しく我々の境遇に似ていた」と柳田がいうこの野草に興味を抱いた。
タケニグサはイタドリやツクシと並んで方言量の多い草である。ササヤキグサ、ツンボグサ、アクンドウ、ドロボノシンヌギ、オバケグサ…等々。多くの異名をもつということは、それだけ多くの顔を持っていることを意味している。その中で今年私が出会った顔は一つは夏のタケニグサ、もう一つは晩秋のササヤキグサであった。タケニグサと命名されたのは竹に似ているからだと確信をもって思えたのは、夏恐らくこの野草の一番美しい頃、二メートルを超えて直立する白く輝く緑いろの茎を構内で目にした時だった。熱帯植物を思わせる、大ぶりでなめし皮のように油光りする葉さえもその時は裏側の白さばかりが目に残った。あたり一面霧に覆われたかのような幻想の世界をたった一本のタケニグサが創り出していたのだ。もしこれが真夜中だったら丁度オバケグサと呼びたくなっただろう。
もう一つのササヤキグサに出会ったのは、11月中旬日の出山下山道の林道沿いであった。褐色の茎はまっすぐに立ち、頂点には同じく褐色の花莢を無数につけていた。タケニグサだとわかったのはわずかに緑色を残していた大きな枯葉をみつけた時だった。これがあの光り輝く茎と肉厚な葉と線香花火のように可憐な白い花を無数につけた草の、土に帰る直前の姿だった。褐色の花莢の中には黒い種が並び、茎がゆれると花莢同士がふれあって囁くササヤキグサとなる。
柳田が「我々の境遇に似てい」ると考えたタケニグサに、来年は自分の境遇に似た新しい名を命名できるような出会い方をしたいものである。
(2014.9.21)
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見事ですね。
タケニグサのいろいろな顔についてMさんが27年も前に書いてくれた文章です。
タケニグサを見るたびに思い出してきた文章でもあります。
タケニグサの四季 Y・Mさん (「くるくるしんぶん」410号1987.12から)
私がタケニグサという名を初めて知ったのは柳田國男の『野草雑記』であった。勿論それがどんな植物なのか知りもしなかったが、山中を郷里としながら「大都会の周辺に安住の地、第二の故郷を念がけている点は、寧ろ著しく我々の境遇に似ていた」と柳田がいうこの野草に興味を抱いた。
タケニグサはイタドリやツクシと並んで方言量の多い草である。ササヤキグサ、ツンボグサ、アクンドウ、ドロボノシンヌギ、オバケグサ…等々。多くの異名をもつということは、それだけ多くの顔を持っていることを意味している。その中で今年私が出会った顔は一つは夏のタケニグサ、もう一つは晩秋のササヤキグサであった。タケニグサと命名されたのは竹に似ているからだと確信をもって思えたのは、夏恐らくこの野草の一番美しい頃、二メートルを超えて直立する白く輝く緑いろの茎を構内で目にした時だった。熱帯植物を思わせる、大ぶりでなめし皮のように油光りする葉さえもその時は裏側の白さばかりが目に残った。あたり一面霧に覆われたかのような幻想の世界をたった一本のタケニグサが創り出していたのだ。もしこれが真夜中だったら丁度オバケグサと呼びたくなっただろう。
もう一つのササヤキグサに出会ったのは、11月中旬日の出山下山道の林道沿いであった。褐色の茎はまっすぐに立ち、頂点には同じく褐色の花莢を無数につけていた。タケニグサだとわかったのはわずかに緑色を残していた大きな枯葉をみつけた時だった。これがあの光り輝く茎と肉厚な葉と線香花火のように可憐な白い花を無数につけた草の、土に帰る直前の姿だった。褐色の花莢の中には黒い種が並び、茎がゆれると花莢同士がふれあって囁くササヤキグサとなる。
柳田が「我々の境遇に似てい」ると考えたタケニグサに、来年は自分の境遇に似た新しい名を命名できるような出会い方をしたいものである。
(2014.9.21)
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