うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

出せない手紙を書き続けた暁

2019年03月28日 | 日記

私にとって、書くという事は、

出せない手紙のようなものだ。

 

おはようございます。

子供の頃は、こう見えて、極めて引っ込み思案だった。

いや、今だって、かなり消極的な部類だから、

スーパーで1,000円以上買ったら、

「サービスカウンターで、福引きできますよ」と言われても、

恥ずかしくって、なかなか行けない位だ。

だって、当たったら、喜びのリアクションを取らないといけないし、

もっと難しいのは、はずれた時だ。

「あら~残念でしたね」と言われたら、どう返せばいいのだ?

「全然、平気です」と言うべきか、「あちゃ~」と言いながら、

頭を抱えてのけ反ってみせた方がいいのか、

そういう事を考えているだけで、気まずい気持ちになるのだ。

だから、せっかくのチャンスも逃してしまうという訳だ。

 

しかし、子供の頃は、もっと顕著だった。

人前で言葉を発せない。

名前を呼ばれただけで、赤面する有様だったから、

低学年の頃は、いじめの対象になっていた。

石を投げられたり、水溜まりで、なぜか土下座させられたこともあった。

その数年後、自ら水溜まりにダイブして周囲を爆笑の渦に巻いてやったけどね。

そうそう、石を投げてきた子にも、ちゃんと仕返しはした。

体育の時間にドッジボールを至近距離から思い切りぶつけて、

ほくそ笑んでやったっけ。

子供ながらに、戦う術や誤魔化す術、

自分のいじくその悪さを発見し育んでいたのだろう。

 

それでも、本質が変わることはなかった。

私は、小学3年生になっても、時計の読み方が分からなくて、

それを先生に聞けなくて、手紙を書いた。

実は、「自転車も乗れません」と付け加えた。

同級生に、「ホントは一緒に遊びたい」と書いたり、

同じように、いやもっと酷くいじめられていた子に、

「ごめんね」と書いた。

お母さんにも書いた。色々書いたなぁ。

「具のない醤油焼きそば、もう飽きたんだけど、

だからって、そうめんのつゆが辛すぎるからつらい」とか、

「あのね、よその家はお手伝いするたび、小遣いくれるらしい」とか、

見苦しい不平不満を書きなぐった。

 

しかし、1通も出した事はない。

何度も何度も、読み返すだけの出せない手紙だった。

今は、手書きの手紙など書く必要性がなくなった。

もちろん、たまには書くのもいいものだろうが、

メールや、このブログもだが、文字は打つものとなり、

それでも、こうして文字を発信できる時代となった。

打った文字が、すぐに伝えられる。

すごい時代だよね。

飲み込んできた言葉たちが、やっと伝えられるようになり、

私の世界は、ちょっといい感じに変わってきた。

って、このブログの内容をよくご存じの方々からすれば、

こんな事を伝えたいのかよという記事が多くて、恐縮ですが、

毎度、お付き合いくださり、ありがとうございます。

 

うんこさん?

あれ?

おたま?

お前、いつの間に入れるようになったんだ?

 

寛いでんな~

それ、うんこのお気に入りなんだけどな~

 

うん、そういう事するためのもんじゃないんだ

 

普通に寛げや!

 

数分後

うんこ「まったく油断も隙もあったもんじゃないわ」

うんこのお顔ハウスは、やっぱり、うんこが一番似合うな。

ままん、ありがとう。

本当に、ありがとうございます。