うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

この憂鬱は、大型連休最終日だからだよぉ!

2021年08月15日 | こしょうの事

この憂鬱は、

お盆が過ぎるか、月経を迎えなければ、

収まらないのだろうか。

 

おはようございます。

お盆期間、私は決まって憂鬱になるし、月経前も毎度ひどく憂鬱になる。

自分の感受性と、ホルモンバランスが恨めしい。

私は、そう打ちたいのに、

何度キーボードを打ち直しても、

『ホルモン』を『ホルミン』と打ち間違える我が指が、

この時ばかりは、愛らしく思えた。

ホルミンって、なんだか、美味しそうな響きだもの。

 

こんなことで、笑えて来るのだから、私は平和の中で生きている。

束の間の平和かもしれないが、間違いなく今は平和だ。

そして、ハッと気が付いた。

 

昨日は、こしょうの命日だった。

つい、忘れていた。

 

昨日といえば、昼に実家へ寿司を差し入れして、

夜は、猫達を新しい猫じゃらしで遊んでやった。

両親は寿司に大層喜んでいたし、

猫達、特にたれ蔵は

新しい猫じゃらしに大はしゃぎで、飛び回っていた。

笑顔の多い、実に平和な一日だった。

 

そして、それで充分な気がした。

生きていく者は、時々、死んでいった者を忘れる。

むしろ、時々思い出す程度になっていく。

それが命日であったり、お盆であったり、

苦しい時であったり、淋しい時であったりする。

私なんて、ちょっとでも困ったり迷ったりすると、

ついつい、死んでいった者の名前を呼びながら、救いを乞うてしまう。

「うめーーー、たーすけてーーー」と。

そして、猫達が楽しそうに遊んでいると、

死んでいった猫達、特に子猫だったこしょうが、

楽しく遊んでいるような、そんな都合の良い事を想像して、

自分勝手に納得をする。

 

生きていく者は、時々、死んでいった者に支えられながら、

今を生きている。

 

ありがとう、こしょう。

また、遊ぼうね。

 

そんな平和な我が家の男子達

おたまが行ったけど・・・

また窓の取り合いをする気か?

 

あら、珍しい。

仲良く並んで、外を眺めるのね?

たれ蔵、こっち見んでいいから、あっち見ろ!外、外!!

 

たれ蔵「なに、母ちゃん?僕を呼んだの?」

ごめんごめん、違うんだ。

ベストショットが撮りたかっただけだから~。

 

たれ蔵「母ちゃん、来たよ。」

う・・・うん、ありがと。