最近は家を空けることが多いせいで、
まともな写真が撮れていない。
おはようございます。
残されているのは、
素晴らしく可愛いたれ蔵の写真と、
すんばらしく変な顔したおたまばかりだ・・・。
こんな時、多頭だと救われる。
30代も、酷かった。
7時過ぎに家を出たら、帰りはいつも23時過ぎなんてざらだったけれど、
そんな時、留守番しているのが複数居ると思うと、
少しばかり気楽だった。
私の勝手な感覚なだけだけれど。
猫は喜怒哀楽の哀が無いと聞いたことがある。
哀しいというより、淋しいという感情が、猫には無いというのだ。
単独で生きる性質の生き物だからというのが理由らしいが、
私は、ちょっと違う気がする。
例えば、生粋の野良は、そうかもしれない。
ただ、ひとたび人と関わると、そうでなくなる場合があると考えている。
人と関わると、人間社会で生きるための矛盾と共に、人に似た感情を芽生えさせる。
その中に『淋しい』という感情も、あるんじゃないかな。
現に、チャー坊は私が実家を出ようとすると、淋しいという感情を向けてくる。
それは、外に居た時もだった。
だから私は、「この子はきっと、飼い猫だった」と思ったんだ。
懐っこいからではなく、淋しいという感情を知っている猫だからだ。
昔は、人間と深い関わりを持っていたのだろうと思ったんだ。
我が家組の猫らも、個性はあれど、淋しいという感情を知っている。
そして、控えめなたれ蔵は、見つけた。
私がトイレに居る時は、「僕の時間だよ」と言わんばかりに甘えて来る。
だから私は、トイレに行く度、たれ蔵を抱き上げて撫ぜてやる習慣が着いた。
たれ蔵!
おーい、たれちゃん?
トイレじゃないと、返事もしないというね。
なんか、そゆとこは、極めて猫らしいのね?!